じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

今夜も静かに 罵詈雑言

2022-09-22 21:03:24 | 日記的雑談
寒いね・・・特に薄めの頭髪が寒い、って事で毛糸の帽子に薄手のダウンジャケットを羽織って丁度の塩梅であります。

皆様の地方は如何ですか? 
今朝の日本での最低気温が北海道の上川郡下川町の0.1度で最高は沖縄県の島尻郡北大東村の27.1度と、27度の開きがあるんですね。

ちなみに我が宮城県だと仙台市宮城野区の12.7度が最高で、最低は栗原市駒の湯の5.5度でありますが、まっ、どーでも良い話でありました。

では、今夜も軽く罵詈雑言へ

いや、タイトルに惹かれて開いた記事でありましたが、概ね納得と言いますか、自分の知らない話なので興味深く読みました。

既存の知識が陳腐化する昨今、「リカレント教育」への注目が高まっている。

うーん、リカレントって何? って感じ検索しますと・・・↓

リカレント教育とは、学校教育からいったん離れて社会に出た後も、それぞれの人の必要なタイミングで再び教育を受け、仕事と教育を繰り返すことです。

なんだ俺のことか、と社会人から大学の門を叩いた自分は鼻で笑った次第であります。

苦学しましたが物にならず、学んだ中身も何処へやらでして、この時つくづく脳みそ労働は自分には向かないと確信し今日に至った次第であります。

で、最終学歴はジジイになりかけの頃に卒業した県立高等専門校造園科でして、今は植木屋の端くれとしてあぶく銭を稼いでいるのでありますが、脳みそに劣る自分は手に職をつける学びの方が稼げますね、なんちゃって。

で、上記の記事を最後まで読むと、一番下に有料講習の勧誘が出てますのでこの記事は宣伝だったんですが、まっ、いいでしょう。

ビル・ゲイツは良いことを言いました。「世の中で一番大事なことっていうのは人と比較しないことだ」と。

いやいや、釈迦の教えこそがそれでして、比べるな、明らめよ、であります。
ははぁーん、さてはビル・ゲイツは釈迦の信奉者だな、なんちゃって。

ここで「時間」の概念が出てきます。僕らが提唱している1つの有益な考え方として、今「生涯100年時代」と言われていますけども、19世紀のフランスの哲学者にポール・ジャネはこう言いました。「5歳の1年と50歳の1年は10倍違う」と。確かにそうだと。

この概念、私ゃ自力で気がつきましたぜぃ!!!
年齢を分母にして365日を割るんで年々持ち時間が短く感じられるようになる、と40才代で気付きましたけど、ポール・ジャネが19世紀だってんなら私の負けです。

しかし、右肩上がりのグラフになるのかと言うとそーでは無く、自分の衰えを知り、凡ての事を明らめた時に時間の概念そのものが変わる、と言いますか、薄くなる気もするんですが、まだちょっと怪しいので黙っときます、なんちゃって。

時間も同じです。同じ1時間でも、1時間の濃度はまったく違うわけです。この「時間の濃度」を上げていくことが、200万円と200億円の違いです。
この時間の濃度(が高く)、わくわくして楽しくて自分自身を生きているという意識で動いている。そういった状況を目指しましょうということです。

なんと申しましょうか、自分は今でも煩悩や欲を捨てたら人じゃ無くなる、と思っていまして、現実社会でお釈迦様が説くような心持ちでは負けばかりが続く・・・要するに金は稼げないと思うのであります。

あれです、出家僧が托鉢して食い扶持を得られるってのは在家が有ってのことなのでそー言う事だと自分は思うのであります。

で、今以上に欲の塊そのものだった若い頃の自分を振り返ると、その根底にあるのは人間(動物)としての本能であったと思うのであります。

独身時に金を稼ぎたいと思ったのは、稼ぎ高こそが男の価値であり、それが有ってこそ良い配偶者も得られる、と思っていたわけであります。

で、娶れば、巣作りに励む男としてはやっぱし銭が必要なので稼ぎを増やしたいのは道理であります。

と、言う事で、生殖と巣作りと子育てってのは本能なので出家した坊さんでも無い限りは捨てられないと言いますか、持って当たり前と思っていたのであります。

が、ジジイになって少しだけ新たな要素が加わったのが「足るを知る」でありまして、その根本は「比較しない」だと気がついた次第でありますが、まっ、いいでしょう。

また貧乏話か・・・湿っぽいからやめようぜ、なんちゃって。

「子どもの貧困」に焦点をあててみると、日本は14.0%で主要42ヵ国中19位。先進7ヵ国では米国、イタリア、イギリスに次ぐ水準です。

これ、意味がわからない、と言いますか、子供って単独で生きてないので親が貧困なら当然子供もそーでしょう、と言うのはダメなんですか?

いや、子どもの貧困って言葉が世間の注目と同情を引くんでマスコミは使いたがるんだろうと私ゃ思うんですが、皆様は如何お考えでありましょうか?

親は貧困にあえぐが子供は普通に暮らせている家庭って想像できませんけど、どーなんでしょうか?

もちろんすべてのひとり親世帯が経済的に困窮しているわけではありませんし、養育費や給付金などで、十分に暮らしていけるひとり親は多くいます。ただ「毎日生きていくだけで精いっぱい」というひとり世帯は私たちの知らないところで大勢いることを、忘れてはなりません。

いやいや、忘れてはなりません、と申されましても、だからどーしろとの提言も無くキッパリ言われても困っちまいますが、マジで何が言いたいのって記事でありのました、なんちゃって。

あれです、コロナも収束しそうだし、新型ワクチンも順調に出回りそうなのでこっち方面のニュースは薄くなりましたね。

で、ウクライナとロシア関連は西側の記事とロシア側の記事の乖離がすご過ぎてどっちが本当とも分からないので控えるとなると、勢い国内のニュースになるんですが、円安を語っても虚しいし、岸田のバカヤローも毎度のことでつまらないわけであります。

へっ? だったら無理してないでさっさと寝ろ、ですか?

だよねぇ・・・では、皆様と自分の明日がそこそこ良い日でありますように願いまして、おやすみなさい、と。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨からの逃げ切り

2022-09-22 17:26:20 | 日記的雑談
いや、今日の天気予想は当たらずとも遠からず・・・まっ、ハズレでは無いが当たりでも無い鈍曇りでありました。

で、夕方から降ると言っていたのが午後2時過ぎにはポツポツ来まして早めに作業を進めていたのが正解となった次第であります。

なんと申しましょうか、今日の作業でも電動工具が活躍しまして手鋏はほとんど出番無しであります。

ドウダンツツジの生垣の刈り込みは側面を電動刈り込み機でバリバリと刈り込み、天端はポールヘッジトリマーと言う脚立に登らなくても高い所の刈り込みのできる機械でバリバリと刈り込むわけであります。

これ、全編を手動の刈り込み鋏で仕上げるとなると恐らく三倍の時間が掛かると思います。

で、根元近くの直径が20センチ弱のモチノキの伐採では、以前はエンジンチェンソーの出番だったんのですが今は小さな電動のチェンソーで軽く伐採であります。

あれです、どちらもチェンソーなので仕掛けは同じなのですがエンジンはガソリンを入れてオイルを入れて暖気してと、使うまでの手順に時間がかかるわけであります。

が、バッテリーのチェンソーはロックを外してボタンを押したらグィーンと回りますので手間が要りません。

しかも、エンジンチェンソーは小型の物でも3〜4キロの重さに対してバッテリーチェンソーは1キロも無いので取り回しが楽であります。

で、少し立派なツツジの剪定は機械で刈り込んだ後を手鋏で仕上げるわけですが、これも一から手鋏だったら倍以上の時間であります。

その他、紅梅・本つげ・ナンテン・アジサイを軽く鋏み、庭の雑草を草刈機でグィーンとやって終了でありました。

全部仕上げて3時間半・・・ちょうど昼飯時になったので剪定のゴミをまとめ昼食を兼ねてゴミ捨て場に行った次第であります。

こーなると気持ちは既に試合終了でして、自分が株主のファミレスに入り「かけ蕎麦と握り寿しと天ぷら」の定食を食べながらのんびりモードであります。

で、蕎麦の汁を、うめーなぁ温まるなぁと飲みつつスマホで株価を見てガックリ・・・自分が応援する地元系の株はかなり負けている感じでありました。

まっ、少しずつ遊びで持っている株なので上がろうが下がろうが気分的な問題なんですが、それでも気持ち的には痛いものであります、なんちゃって。

あれです、とても仕事がしやすい現場な上に自宅やゴミ捨て場にも割と近いし、こんな御宅が定期で入ったら嬉しいんだがなぁと思いつつ仕上げの掃除をしていたら依頼主さんから声がかかりまして、一服してくださいってことで腰を降ろさせていただきました。

で、昨年はどこぞの便利屋さんに庭の手入れをお願いしたとのことでして、あーそーか、この家のご主人かと思った切り口は便利屋さんだったのか、と納得であります。

いや、絶対に植木屋の手では無いと分かる切り方でしたが、便利屋さんにしても下手な切り方でありましたが、まっ、いいでしょう

で、依頼主さんはたった一人で半日で終わらせた早さに驚くとともに「昨年とは段違いにスッキリしました」と褒めてくださいました。

あれです、この御宅はご紹介で請けた新規だったんですが、本日の仕事を気に入っていただき来年の梅雨前、ドウダンの花が終わった頃にご訪問のお約束になりました。

で、このドウダンがちっとも咲かなくてどーすれば良いのか教えてください、と問われたんですが、来年も多分ほとんど咲かない筈でありまして弱っちまいました。

いや、夏の終わり頃から花芽を持つドウダンを今の時期に強く刈り込んだら咲く筈が無いのは当然でして、だから梅雨前の剪定って言ったわけであります。

まっ、来年の手入れで再来年にたくさん咲けば植木屋の腕ってことで自分の株が上がるかと思うんで余計なことは黙っていました。

なんと申しましょうか、こーして喜んでいただけた時ってのは植木屋冥利につきると申しますか、気持ちが晴れてお代は要らねぇ〜と言いたくなりますが、そこはそれ、きっちりと頂戴しましたよ、なんちゃって。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする