まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

山あての思想

2011-04-20 16:09:34 | 建築・都市・あれこれ  Essay

一昨日は大変良い天気でした。

月山です。

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鶴岡のまちなかからも羽黒の山々が眺められます。まちなかから見ると郊外から見るよりも大変近くに山が見えます。ある種の額縁効果です。

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鶴岡のまち割が、周辺にある高い山、神聖な山を目印に方位付けられていることは良く知られています。佐藤滋先生が研究の中で「山あて」という言葉で紹介されたのが、きっかけだと思います。

      

わたしは、鶴岡のまち割りに見られる「周囲にある大事なものを手がかりとして空間構成の骨格を定める」という山あて原則を藤沢周平記念館にも応用しようと考え実行しました。

      

展示室前のロビーの正面には史跡である土塁が正面に見えます。そして、高い吹抜けのあるいわばこの建物の唯一の晴れやかな場面をつくるギャラリーの正面には大正の歴史建築大宝館が見えます。

      

しかし最近、ある方から「それぞれに見えるものが近くにありすぎて、山あてとしての効果が十分でない」というご指摘をいただきました。なるほど山あてを景観設計手法と捕らえればその通りだと思う部分もありますが、一方では、私の説明が上手くなかったことにようやく気付かされました。

      

少し長くなりますが、私の意図を補足します。

      

(鶴岡城下のような)まちをつくるときデザインの対象はまちそのものです。多くのヨーロッパの町では、デザイン対象であるまちの中に中心となる何かがつくられることが多いといえます。例えばローマ植民都市を起源とする都市では中心部に塔と広場があることが一般的です。彼らは都市を建設するときにまずまちの中に確かな中心を定めるのです。彼らにとってはまちは、人間と神の秩序が支配するコスモスです。城壁の外にあるカオスとは違う世界です。

       

それに対して日本ではどうでしょうか。江戸のデザイナー(昔は殿様自身がデザイナーでしょうか。あるいは普請方、作事方?)は、中心を定めるのではなく、デザイン対象であるまちから遠く離れたものを手がかりとしてまちをつくりました。城下というコスモスをつくろうとしているはずですが、その手がかりは人知の及ばないカオスの世界に属すると(西洋的思考では)思われている山々なのです。

       

デザイナーにとって、確かなてがかりになるのは自分たちでつくろうとしている構築物=まちではなく、人間とは関わりなく存在している山などの自然物だったのです。これは自然物に対する信仰心や畏敬の念にもとづくともいえますが、同時に自分たちの構築するものに対する一種の諦念のようなものの存在にも思い至ります。まちという構築物は人間に捧げるものではなく、なにか遠くにある崇高なものに捧げられたものであるかのようです。

       

遠くに見える山が道路の真正面に見えるというのは大変素晴らしい景観設計手法ですが、その背後にあるのは自然/構築物あるいは人間/自然というものに対する日本人の深いところにある心性だということも理解される必要があると思います。

       

私は、藤沢周平記念館の敷地が与えられたときに、史跡であふれるこの場所に新たな中心をつくることはふさわしくないように思いました。むしろ、江戸のデザイナーがそうであったように、自分自身のつくるものではなく、今までも自分とは関係なく鶴岡庄内の風土の中で静かに存在してきた確かなものに、空間構成の骨格を委ねたいと思いました。それが、土塁や大宝館、荘内神社を外延の焦点として共用空間を組み立てた理由です。

       

「山あて」手法を援用した意図は以上のようなものです。

       

ただ以上のような回りくどい説明をしなくても、「日本の建築は庭を眺めるためのものです。お寺に行くと皆さん建築ではなく庭を見ています。座敷に通されると客は庭をほめます。それに倣い廊下やホールからは周りの緑や歴史的建築を眺められるようにしました」という一言で済むのかもしれません。

       

藤沢周平記念館の設計を進めて行く上では、「日本建築であってほしい」という強い要望をしばしば聞きました。今こうやって振り返ってみると、その設計手法が日本的であったのかなという気もしてきます。