まち並みとはなにか
風景を語るうえで、まち並みは避けて通ることができないものです。
まち並みとは家屋や店などが道に沿って立ち並ぶ一団のまとまりを指しますが、例えば郊外の広い幹線道路沿いにファミレスやドラッグストアが並ぶ景観をまち並とは呼びません。また住宅が並んでいても、ハウスメーカーの企画住宅が並ぶ新興住宅地の家並みも一般的にはまち並みとは呼ばないようです。
私たちが「まち並みが残っている」といって思い浮かべるのは、古からある街道沿いにある集落のまとまりや、歴史的な様式である町家建築が並んでいる通り、あるいは武家屋敷の塀や門がひとまとまりの雰囲気を共有しながら並んでいる情景です。また門前町や温泉街などはわかりやすいまち並みです。まち並みという言葉は、きわめて即物的な表現ですが、そこに含意されるのは、人々のくらしの歴史が感じられ、一定の調和のもとでの美しさ、心地よさなどが感じられるということです。
「くらしの歴史が感じられる」と述べましたが、代官山集合住居群(ヒルサイドテラス)など、いわゆるモダニズム建築の作品でも、しっかりと地域の環境に溶け込み、落ち着いたたたずまいを貸し出している場合にはまち並みと呼ばれるようです。ただ残念なことに、それほど多くはないでしょう。
失われてきた多くのまち並み
1970年ころから歴史的なまち並みが急速に姿を消したことは、すでに述べました。いろいろな原因がありますが、ひとつには、車社会への対応でまちの中にも広い道路を築造したことです。
以前埼玉県深谷市のまちづくりを手伝ったことがあります。その時に旧中山道沿いの両側にレンガの袖うだつを持つ立派な町家が風格のある街並みをつくっていました。
ただ残念なことに間もなく道路拡張が予定されており、すべてなくなると聞きました。グーグルマップで確認した現在のまちの様子です。便利にはなったのかもしれませんが、「まち並み」はなくなったのでしょう。
まち並み保存創造の意味
上記のようにまち並みが喪失される状況に対して、1970年代頃から様々な活動が生まれています。一つはデザインサーベイを通して、まちなみをきちんと記録しておこうというものです。また平行してまち並み保存の運動も盛んになりました。私の大学時代の師である建築家大谷幸夫先生は多くの活動を支援してこられましたが、なぜまち並み保存に関わるのか、その理由を語っておられる文章が残っています。
大谷先生は、次のような趣旨のことを述べられています。
・・・まち並みにそのまちの人々のくらしが現れる。まち並みはくらしの表現でもある。まち並みにそこに関わる人たちの価値観が現れる。
まち並みを残すということは、人々のくらしを元気にするということ。自分たちのアイデンティティのよりどころを残すということ。
まち並みがなくなるということの意味は大きい・・・・
まち並みとは、そこに暮らしている人たちの協働のいとなみを表象するものであり、その方たちの価値観の現れなのです。大谷先生の言葉には、まち並みの本質的価値が語られていると思います。
私の印象に残る手向のまち並み
事例紹介で詳しく述べますが、手向集落は羽黒山の山岳修験の里です。山伏が住み、道者さんをもてなす宿坊が連なります。羽黒山麓の風土が生んだ集落でもあり、修験道といういとなみが生んだ集落でもあります。もちろん現代では宿坊以外のサラリーマン住宅なども多いのですが、一般の家にもお祭りの時の引綱などが飾られ、この集落の人々が修験道を大切にしていることが良く分かります。山から修行者を送り迎えする拠点となる小さな神社が部落ごとに配置されるなど、計画的な宗教集落としての相貌も見え隠れします。
こういったまちなみを守るということは、大谷先生が言うように、修験道の暮らしを守るということであり、人々の価値観を守るということになります。こういったまちなみを守っていくことが、時の中で人々がつくり出したかけがえのない風景を守ることにつながるのだと思われます。
守ることも大切な創造
私の専門は新築にしろリノベーションにしろ、建築や地域の空間に手を加えて、より高い質のものに変えていくというところにあります。しかし、優れた風景を守っていくことも、創造的な意味を持つと思っています。大谷幸夫先生が設計とともに、各地の街並み保存運動に深くかかわっていたことを、念頭に、守る活動を続けたいと考えています。
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