この夏の異常な暑さの中で眠れないままに過ごしていたが、「そうだ、日本全体が、ここ何年もゆでカエル状態にあったし、自分自身もそうなんだ。」と思うようになってきた。
ゆでカエル理論とは、【カエルは、いきなり熱湯に入れると驚いて逃げ出すが、常温の水に入れて徐々に水温を上げていくと逃げ出すタイミングを失い、最後には死んでしまう。】とされており、そう考えれば、現在の日本に現れている様々な社会事象についての解釈が出来ると思う。例えば、日本全体について、しがらみと忖度のぬるま湯の中で、目先のことにしか目が届かず、進行中の危機について何となくは深層心理の中では気がついているものの、具体的に危機とは認識出来ないで、最後には茹蛙のように死んでしまうということが言えるかもしれない。
例えば、わかりやすい例をあげると、木原問題やジャニーズ問題は、アウトサイダーメディアやSNSでは沸騰している話題だが、大手のメディアは取り上げようとせず、政府もスルーしがちで、国民の多くは、他人事のように見ているが、要は、政府の統治そのものが上級国民に有利に歪められている可能性があるということであり、また、メディアも自ら得ている利権に忖度して事なかれ主義の報道しかしていないことであろう。
経済社会情勢についても、利権政治にどっぷりと漬かっていて自らの当選のことしか頭にない政治家達が存在し、縦割り行政・慣例重視・横並び行政に慣れ切ってしまって政治家に忖度するしか能のない行政官僚達の存在があり、現在の我が国の深刻な少子高齢化の行く末を薄々は気づいていても大きな改革も出来ず、庶民を襲っている深刻な物価高と低経済成長が、徐々に社会・経済を蝕みつつあると知っていても、ほとんど何もなされていないのが現実であり、国民も、このままでは、社会だけではなく、自らの将来も危ういという感じていても、結局は、ぬるま湯的生活の気持ち良さと、それが沸騰しつつあることに、あえて気づかないで社会全体としての死に向かって一直線に進行しつつあるのではないか。勿論、一部の目先の見える人々もいるだろうし、そういう人達は、国外に生活拠点を移そうとしているかもしれないし、既に移してしまっているのかもしれない。哀れなのは、大多数の移動出来ない大衆達であろう。
ゆでカエル状態の行く末はどうなるのだろうか。近い将来、我が国社会や自らに訪れるであろう危機の予想は、今からでも想像が可能かもしれない。しかし、言えることは、政府・行政やマスコミは、そのことを進んで教えてはくれないだろうし、国民に痛みの伴う改革も出来そうにもない。
マイナンバー問題にしても、社会的手続きの合理化や行政の効率化にデジタル化は必須であり、我が国の社会・経済が、高齢化や安全保障・危機対応面で重い社会負担を抱える中で、経済成長をし続ける為には行政組織や社会全体の効率化は欠かせないと正直に説明すれば良いのにも関わらず、目先の些細な利益をちらつかせて、国民にマイナンバーカードを作らせて保険証や免許証と紐づけさせようという姑息な手段で誘導してきた政府の誤った政策のせいで、野党やマスコミに反対攻撃の隙を与えてしまった。国民にこそ、「お前達はゆでカエルであり、改革をしなければ、現在の生活すら維持出来なくなる。」と。政府や政治家達は明確に伝える義務があるはずなのに、政治家達にも、危機感の認識や将来予測が全く出来ていないのが現状ではなかろうか。
先日、散歩途中に通りで見た大カエルの姿は、私にとって、社会の「ゆでカエル化」を示唆してくれたように思う。かといって、老い先短い身に何の意味があるのだろうかとも思うが、このブログを読んでくれた人が、「今の社会全体や自分自身が、次第に熱くなる大きな窯の中で安逸を貪っているカエルに過ぎないのではないか」と思う縁になって頂ければと思い、今日のブログに記したのであった。