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my diary

完璧で嘘つきのアイドル様とその事務所

2023年08月31日 | 日記
 齢、古稀に近い私でも、恥ずかしながら「推しの子」というアニメや、それを原作として作られたYOASOBIの「アイドル」という楽曲ぐらいは知っている。その歌詞を見て驚いたのは、完璧で嘘つきなことが、アイドルである要件であると表現されていたことだった。これ程あからさまにアイドルであることの実態を暴いている歌は聞いたことが無かったので驚きであった。もちろん、アイドル達は、マスコミや芸能事務所によって、その不都合な経歴や実際の生活が隠され、一つの商品として、我々の前に差し出されている存在であることは承知しているし、人気者になれば、恋愛すらも芸能雑誌などで面白半分に暴かれ、当然守られるべき人権も危うくなっていることもテレビのワイドショーなどを見て想像していたが、今回のジャニー喜多川氏のアイドル志望の数百・数千にも及ぶと言われている未成年者に対する性加害については、おぞましいというだけではなく、被害者達の今まで続くトラウマを考えたとき、ジャニーズ事務所側の人権意識が犯罪者レベルであったのは、厳しく追及し・糾弾されなければならないと思った。もちろん、刑法・民法上に消滅時効もあり、直接の加害者でたるジャニー氏が死亡していることを考えると、法律上では限界もあるだろうが、しかし、例え、法律の限界を超えていても、被害者は救済されるべきだし、二度とこのようなことが無いような芸能界の構造であって欲しいと願っている。それには、マスコミもファンも、その責任を自覚することが肝要で、ファンも事務所側の巧みな宣伝に煽られずに、アイドルは、商品でもあることを理解しなければならないと思う。しかし、作られた商品であるアイドルもまた一個の人間でもあり、人として守られるべきプライバシーもあるし、特に日本の芸能事務所においては、不満があって事務所を脱退したら、以前の事務所から芸能活動について様々な妨害をされるという、公正取引委員会も指摘しているような不当な商慣習があることについても理解する必要がある。その典型がジャニーズ事務所だったのではなかったろうか。そして、テレビ局もそれに加担していた節がある。今回のジャニーズ問題を、テレビ局などは、水に落ちた犬を叩くような取り上げ方をしてはならない。自らの責任も含めて語るべきではないか。私は、ジャニーズ事務所が根本的で本質的な改革をしないなら、少なくとも、NHKは、ジャニーズ事務所のタレントを年末の紅白歌合戦には出すべきではないと思う。タレントには責任は無いというのは言い逃れであって、タレントに支払う出演料は、必ず事務所に流れるのだから、そのような事務所に関わるタレントには、テレビには出て欲しくない。
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