もう罪を犯してはいけない 16
Chapter4 十字架に隠された秘密
私たちの不義を負われた
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、私たちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたはいやされたのである。(ペテロ第1の手紙2章24節)
イエス様が私たちの罪を負われるとはどのようなことか?
罪を犯したとき、何を感じるだろうか? 罪責感だ。嘘をついたことが分かってしまった時とか、品物を盗んで主人に捕まった時とか、我々の身体にどのような反応が起きるだろうか。胸がドキドキして呼吸が早くなり、顔が赤くなり、冷や汗をかくかもしれない。このような身体の反応は、罪責感のため生じるのであり、このような反応をイエス様はその身で感じられたのだ。姦淫の場で捕まえられた女が、人々の前に引きずり出されてきたときに感じた、罪責感、屈辱感、敗北感、不安、イエス様は、全人類のそのような罪責感をその身に感じられたのだ。それまで全く罪責感を感じたことのない、清く、平和そのものお方の良心に、私たちすべての人間の罪責感が一度に注ぎ込まれた。
数えがたい災いがわたしを囲み、わたしの不義がわたしに追い迫って、物見ることができないまでになりました。それはわたしの頭の毛よりも多く、わたしの心は消えうせるばかりになりました。(詩篇40篇12節)
現代のイスラエル 14 三天使の使命とは罪の奴隷状態からの解放
次に創世記22章を開いていただけますか。22章の15節から18節までです。ここには神様の約束が記されているのですけれども、ここに神様がイスラエルを起こされた目的を見ることができます。「主の使は再び天からアブラハムを呼んで、言った。主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜辺の砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたが私の言葉に従ったからである』」
神の民は、敵の門を打ち破ると書かれていますね。これはどういう意味でしょうか。私たちは誰でも心のとびら、門を持っています。罪はいつでも私たちの心の門から侵入しようと待機しています。しかし、そのことを抑えなくてはいけないわけですね。そして、私たちは聖霊に入っていただいて罪に勝利する経験をしなくてはいけません。そうすることによって私たちは敵を打ち破ることができます。
敵の門を打ち破るとは、そういう意味なのですね。こういった祝福に、私たちを通して世界中の人たちがあずかるというのが、神様の目的だったのです。これこそ第三天使の使命なのであります。神の戒めを守るということ、そして、イエスの信仰を持つということ、そうすることによって私たちは勝利者となるのです。罪の奴隷状態から、その力から、自由の身とされるのです。私たちは敵の門を打ち破ることになっています。サタン、敵・サタンではなくて私たちが勝利者となるべきであります。