福音の道しるべ 8 神の栄光と戒めの前に立つ人
神の言葉の目的は、人を神のみかたちへと完全に回復させることである。このことが、聖所の儀式において明示されている。罪の赦しを受けるため、子羊を伴って聖所にやってくる罪人が信仰によって最後に行き着くのは、至聖所である。そこで彼は、契約の箱に納められた十戒の前に立つのである。つまり、これらの儀式によって象徴された各段階をとおして、神は私たちのうちにご自分のみかたちを回復なさり、み前で永遠に生きられるようにして下さるのである。私たちを神のみもとに戻すことが、聖所の背後にある目的なのである。しかしながら、罪のうちにとどまっているならば、私たちは神を見ることができない。神のシカイナの栄光は、あらゆる罪を、罪人もろとも焼き尽くしてしまうからである。聖所の制度は、私たちの心のうちにある罪の問題を解決するための段階を示してくれている。聖霊に全く屈服した民だけが、神の栄光と戒めの前に立つことができるようにされるのである。
もう罪を犯してはいけない 44 最終回
救われたキリストの忠実な民からは、堕落によって呪われた罪の痕跡が消えて、精神と肉体に神様の完全なかたちが反映される。彼らは、「主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて」( コリント人への第2の手紙3章18節)いるのである。
もう間もなく、イエス様が、神様の忠実な民を迎えにお出でになる。その時、この冊子を読んでおられるあなたが、救われる群れの中にいることを望みます。福音の力を体験し、神様の恵みの力を受けて罪に勝利し、神様に忠実な歩みをして、回復した美しい故郷に共に入りましょう。
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである(ヨハネの黙示録21章4節)
天には、病気や苦痛、死などない。そこには失望もなく、罪もなく、葬列も、争いも、嘆きも、別離もなく、傷つくこともない。
ただイエス様がそこに臨在され、完全な平和が広がっている。