もう罪を犯してはいけない 32
Chapter 6 私は道であり、真理であり、命である
「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」(ヨハネによる福音書20章31節)
み子の命によって
イエス様は十字架で死なれ、私たちを神様と和解させて下さった。その方の死によって、私たちの罪の身体が滅び、罪の赦しを受けるようになるのである。そして、イエス様の復活によって私たちは救いを得る。すなわち、イエス様の復活の命によって、私たちは神様の命を頂くようになるのである。
「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう」(ローマ人への手紙5章10節)
サムエルの経験 12 毎日生まれ変わる
毎日毎日、私たちはよみがえる、生まれ変わる経験をしなくてはいけないのです。神様のみ言葉の力によって、目覚めさせられる経験にあずからなければいけません。そうする時に私たちは、み言葉を語り始めるわけです。赤ん坊が死んだら、その赤ん坊は泣くことはありませんね。生きている赤ん坊は泣きます。語ります。ものを言うし、泣くわけです。私にも孫がおりまして2歳です。本当に可愛らしいです。私が若かった頃、私には二人の子供がいるのですけれど、その頃、本当に子育てという事をきちんと理解しておりませんでした。子供が駄々こねて、ギャーと騒ぐとき、どうしたらよいかわからなかったのです。経験もあまりなくて、子供を愛してはいましたけれど、どのように扱ってよいかわからなかったのです。また同時に、生活のために仕事に忙しかったわけです。そういった理由で、あまり子供にかまってやる事が出来なかったのです。時には仕事をしなくてはいけないので、子供を他人に預けることもありました。今ではそういった事を後悔しています。今、孫が与えられて、孫というのは本当に全く違った存在です。今、年を取って、かなり経験がありますから、自分の孫を見ていますとわかってくるのです。本当の意味で分かってくることがあります。
この、駄々をこねて泣いたりしている時に、どうして泣いているのかがわかるのです。今では、もっと心が大きくなっているわけですね。孫がおられる方は私の言っていることがわかるでしょうか。だからこそ、おじいちゃん、おばあちゃんは孫を甘やかしてしまうと、言われるのかもしれません。私は祖父として、わかる事があります。孫の事がわかるのです。孫が泣くときに、なぜ泣いているかわかります。その、ギャーと騒ぐときに、なぜこうやって駄々をいるかがわかるのです。ですから、叱ることができないのですね。あんまり孫には厳しくすることができません。よく理解できるからです。彼がやる事なす事すべて、よくわかるので、いつも慰めてあげるようにします。「ああ、孫よ、孫よ、お前の事はよくわかるよ、何で泣いているのかわかるよ、何が欲しいのかわかるよ」。そこで抱き上げまして彼の願いをかなえてやるわけです。そしたらすぐに喜んでくれます。
私の妻も、その孫をとても可愛がります。その孫のために、自分の持っている物を全部あげようとします。その結果孫は、お父さんお母さんよりも、おじいちゃんおばあちゃんが好きになってしまっているのです。なぜなら、私たちは年を重ねた結果、親たちよりも、もっと包容力が出てきたからだと思います。この孫が朝起きますと、まず、おばちゃんのところに走って行きます。彼は自分を愛してくれる人がわかるわけです。最近お話もはじめました。時には訳のわからない異言のようなことを話します。それから、時には、私の言う事を真似します。私の言葉をそのまま繰り返します。もう、お話がしたくてしようがないのです。