もう罪を犯してはいけない 29
「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある」(ヨハネ第1の手紙4章9,10節)
信仰は、神様の愛に対するわたしたちの応答である。その大きな愛を見て、感激し、信じるほかないようにされ、礼拝するよりほかにないようにされることが信仰なのだ。それゆえに、信仰は天からくだる贈り物なのである。
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書3章16節)
サムエルの経験 10 聖書は鏡
日本の兄弟姉妹の皆様方に申し上げたいことがあります。この聖書というのは私たちのために書かれたものなのです。特にこの世代のために書かれているものなのです。過去の世代の人たち以上に、特別に私たちのための書物なのであります。なぜなら私たちは、神様のみ言葉が、神様の預言が、結末を迎えるときに住んでいるからであります。そういう意味で私たちは、使徒パウロよりも、使徒ヨハネよりも、もっと聖書の真理を理解していると言えるのです。私たちが彼らよりも優れているという意味ではありません。私たちの知能指数が彼らよりも高いというのではありません。ただ単に私たちは、積み重ねられた光に浴しているからなのであります。神様からの祝福がさらに大きいということであります。しかしながら、この私たちの世代というのは、弱い人たちの集まりですね。ですから、サムエルの歴史を見るときに、これも鏡のようなものでありまして、私の経験が、教会の経験がそこに写し出されているわけです。私たちが聖書を読む時、神様は私たち自身の心の状態を示してくださいます。また、本当の神様の姿を垣間見ることができるようになります。そこに、聖書の至るところに、神様の姿が写し出されています。