トーキング・ヘッズのステージ・ドキュメンタリー・フィルムが4Kレストアされ、現在上映されている。デヴィッド・バーンの音楽を越えた表現のアイディア、パフォーマンスの凄に今更ながら驚いた。映画館なのに観ているだけで自然とからだが動いてしまうほど臨場感があった。
1983年、アルバム“ジェネシス”が発売された。このアルバムからジェネシスも、CDをレコードとほぼ同時期にリリースするようになった。
11月から北米・英国ツアーをスタートし、84年2月末のバーミンガムNEC5daysで締めくくった(この公演は映像作品化されている)。
実はこのバーミンガムで、ツアー終了後に日本向けの取材が行われ、ジェネシス・スペシャル「THAT'S ALL」として関西テレビ系で放送された。番組のなかで、ジェネシスが開発に関わり最初にステージで使った「バリライト」について、“他のアーティストと比べ物にならないスケールで使用してる”と語っていた。ダラスにあるShowcoのスタジオでツアーリハーサル中に撮影した「ライブPV」5曲が番組で流され、バリライトのライティングの凄さに釘付けとなった。83年10月のデヴィッド・ボウイのステージで初めてバリライトを実際に体験したが、武道館2階席だったのでライティングに限っての印象は薄かった。その後、渋谷公会堂オーケストラピット開放で、3列目のほぼ中央席が取れた翌年2月のロバート・プラントの時は、自在に変色しながらくるくるキラキラ動き回るバリライトを浴びるように間近で観て、物凄く感動したのを覚えている(日本では、石坂浩二の劇団がバリライトをいち早く使っていたような記憶が)。それでもスケールはやはりジェネシスと比べるまでもなかった。
実はこのバーミンガムで、ツアー終了後に日本向けの取材が行われ、ジェネシス・スペシャル「THAT'S ALL」として関西テレビ系で放送された。番組のなかで、ジェネシスが開発に関わり最初にステージで使った「バリライト」について、“他のアーティストと比べ物にならないスケールで使用してる”と語っていた。ダラスにあるShowcoのスタジオでツアーリハーサル中に撮影した「ライブPV」5曲が番組で流され、バリライトのライティングの凄さに釘付けとなった。83年10月のデヴィッド・ボウイのステージで初めてバリライトを実際に体験したが、武道館2階席だったのでライティングに限っての印象は薄かった。その後、渋谷公会堂オーケストラピット開放で、3列目のほぼ中央席が取れた翌年2月のロバート・プラントの時は、自在に変色しながらくるくるキラキラ動き回るバリライトを浴びるように間近で観て、物凄く感動したのを覚えている(日本では、石坂浩二の劇団がバリライトをいち早く使っていたような記憶が)。それでもスケールはやはりジェネシスと比べるまでもなかった。
番組最後にフィルが“また日本に行きたい、だからどうかレコードを買って下さい。そうすれば日本に行けるから”と語っていた。その通り、次作“インビジブル・タッチ”は日本でも売れて、87年3月に来日が叶った。
(敬称略)
「アトリエ新年会」が開かれた。
今回も心のこもった、おもてなしいっぱいのイベントだった。
完コピ(キラキラなフレーズはもしかしたらオム二コードかな)YUIコーラスカバーの“あの”ジングルで始まる“ゆいこの部屋”。対談されたアトリエメイトさん達のお話が“ゆい愛”に溢れていた。数字の“2”から拡げた感じ方はどれも頷けるものがあった。“向き合う”や“対”の関係はやはり安心感があるし、“8”で言えば無限な“∞”を思い起こし、可能性が広がる感じがする。奥の深いものだった。得意の料理のお話では“いつか”と、ことわりつきではあったが“レシピ本”やってみようかなって。これは楽しそう。ありふれたものではなく例えば、料理と食材・手順だけ“YUIイラスト”で描いて、味付けや分量等はアトリメイト任せにしてしまう「絵本料理本」なんてどうかな。
それにしてもこの“ゆいこの部屋”、メチャ緊張しますよね。“アトリエの休日”の時、口の中渇いたかわいた。次からは、彼の人のように“飴ちゃん”用意しておいて~。
続いては、
“傑作コースター作りワークショップ”
やっぱりこれハードル高かった。
同じテーブルの皆さんが、デザインを工夫し、絵の具を重ねているのを横目で見ながら…写生大会をぬり絵大会にしてしまう腕前発揮(空は青、太陽は赤、芝は緑)。「下書きまではよかったのに、色塗るとこうなんだ」って“担任の先生”に言われたトラウマ再び。でも、久しぶりの絵筆とっても楽しかった。塗っている時と乾いた後の色が全く変わってしまうことに気づく。画材によって絵の具の染みかたって変わるんですね。これは“ゆい先生”の貴重な教えでした。
そして、“生歌”コーナー。
“アトリエの休日”で、メイトさん達の歌詞のかけらを元に作られた「クオリア」をフルサイズにし、キーボード一台の生歌で披露してくれた。目を閉じて、優しさに溢れた歌声に浸った。歌い終わると、この先開かれるであろう“傑作”ライブに向けて、「DanDunByaaan!」の振り付け練習へ。“由衣ちゃん”おしりもふりふりで舞う舞う。なんて楽しいんだろう。ライブまでに練習できるように“振り付け動画”作ってね。
そして、このイベントのために準備してくれた「クオリア~YUI fulldemo~CD&ZINE」のお渡し会。
オフィシャル・リリース?を前に、限定で作られた“fulldemo CD”はピクチャーディスク仕様でセンスありすぎ。20頁の“ZINE”には、受けとるその先のことまで思いを馳せてもの作りをする“新津由衣”がいっぱい詰まっていた。
最後に精一杯の勇気を出して“お二人とも(妹の、のんちゃんと)風邪ひかないようにねっ”て声かけをして会場をあとにした。
楽しい「アトリエ新年会」に誘ってくれてありがとう“ゆいチャン”
会場限定販売の「おまもりん~手書きミニレターとYUIチョコ付き~」も“D.I.Yのゆい”ならではの可愛らしさ。さぁこのチョコ、メイトの皆さんはどうする?
「傑作」ライブやこうした限定イベントに参加するためには“ゆいのアトリエ”に入会するしかないですよ。
2ヶ月前だが、ディカプリオ、デ・ニーロらお馴染みが出演する、マーティン・スコセッシ監督作品『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を観た。アメリカで起きた実話が題材となった、先住民の利権に群がる白人の残忍な欲を描いたものだった。冒頭から引き込まれるようにして観たので、三時間半の上映時間を感じることはなかった。そのサントラ盤が昨日、日本でもリリースされた。このサントラ盤が、ロビー・ロバートソンの遺作になった。ロビー自らのアイデンティティーとも重なった、旧知のスコセッシ監督とのこの作品が、最後の仕事になるなんて…映画のエンドロールでも“ロビー・ロバートソンに捧ぐ”とあった。闘病中に作り上げた小品の収録だ。それぞれがどのシーンで使われていなかは覚えていないが、エスニックで、少し陰がある雰囲気は映画そのものを正に表現しているように思えた。最後に、“Inspired by the Picture”としてロビーのボーカル曲「Still Standing」が収録されている。なんとも切なく沁みる歌声だ。
ピーター・ガブリエル10作目のアルバム「i/o」が37年ぶりに全英ナンバーワンになった。今年1月から、新曲を毎満月ごとに1曲配信リリースし続け、今月1日にアルバムとしてリリース。「So」以来のナンバーワン。グルミットと一緒に祝福だ。
グルミットと言えば、アードマン・スタジオ作品の「ウォレス&グルミット」の人気キャラクターだ。
もうお気づきの「スレッジハンマー」のPVにも関わったスタジオだ。(火災に見舞われ、グルミットの資料等の一部が焼失してしまったようだ。)
もうお気づきの「スレッジハンマー」のPVにも関わったスタジオだ。(火災に見舞われ、グルミットの資料等の一部が焼失してしまったようだ。)
師走最初の日曜日、とっても素敵なライブを観てきた。
タイナカ彩智と新津由衣のユニット「わたしとわたし」だ。前回行けなかった8年ぶりのステージ、刺繍ワッペンのついたNeat'sパーカー着て参戦した。
ステージには二人の楽器とグラピだけ。
うたと鍵盤だけの演奏は、礼拝堂をまるで暖炉のある部屋の中にいるような空間に変えていった。
二人の優しい歌声が温かく響く。
メロトロン音源のフルートやストリングスが、どこか懐かしい世界に連れていってくれた。
グラピ連弾コーナーで、背中合せになって彩智さんが歌ってくれた“0”が素敵すぎた。はじめましてな曲がいっぱいだったけど。最後までとても温かな気持ちになれた。
6曲およそ20分収録の「demo ♯1.5 -Remastered-」
モノトーンにまとめられたなか、さりげなくプリントされた『ストップ・ポーズ・再生』のカラー・ピクトグラム。
“CDプレーヤーで聴いてね”って言われているような気がして、その通りにして聴いてる。
不定期でいいので、またライブを演ってほしいし、大人の事情を乗り越えてスタジオ・アルバムも是非作ってほしいなぁ!!
亡くなってから22年、今となっては奇跡としか言えない来日公演から32年だ。ビートルズの来日公演を観てないだけに、このコンサートはホントに貴重なものとなった。ビートルズでハリスン歌唱名義の7/28曲と、ソロの代表曲を生で聴けたことは忘れられない。今年は「ビートルズ最後の新曲」として“ナウ・アンド・ゼン”がリリースされ、本人の演奏も使われたようだ。2年前に公開された『ザ・ビートルズ:Get Back』で見ることのできた笑顔が思い浮かぶ。
20年前の10月、パシフィコ横浜で『楽器フェアー』があった。特に当てはなかったが、あちこちと目移りしながら会場を見て回った。
“マーシャル・アンプ”のブースに行くと、創設者“ジム・マーシャル”本人が来場していた(この時が最後の来日となったようだ)。しかも、用意されたポスターに目の前でサインしてもらい言葉を交わして握手することが出来た。ラッキー!
お馴染み“マーシャル・スタック”の前で演奏する“ジミヘン”のかっこいいモノクロ・ポスターだ。帰りがけに“ワールドポーターズ”でポスター・フレームを買って帰った。
しばらく経ってポスターを眺めたら、“James Marshall Hendrix”と記されていることに気づいた。“あれっ”と思い調べたら、ジム・マーシャルの本名は“James Charles Marshall”とわかった。ジミとマーシャル、二人とも“James Marshall”だったなんて知らなかった。
ジムはロンドン生まれで、地元でドラムを教えながら楽器店を営んでいたようだ。教え子のひとりだった“ミッチ・ミッチェル”はその後、このジミヘンとバンドを組んだ。こんな経緯があったとは…なにか運命的なものを感じてしまう。
間違いなく、二人の“マーシャル”はこの先も語り継がれていくロック・レジェンドだ。
(敬称略)
ゴジラ-1.0を観に行った後、『スペース・サーカス』の“ファンタスティック アライバル”を何故か聴きたくなった。一曲目のあのシンセ・SEを思い出したからだ。三大怪獣で登場した“キングギドラ”の鳴き声のようなSEに続いて怒濤の演奏が繰り広げられるアルバムだ。バキバキのベースが凄まじすぎ。発売当時、『プリズム』の“セカンド・ソウツ/セカンド・ムーヴ”と一緒に繰り返し聴いていた。“屋根裏”へいつか観に行こうと思っているうちに、機会を逃してしまった。正規のアーカイブ・ライブ盤出たりしないかなぁ。(於須賀川、円谷英二ミュージアム)
イアン・ギランが“絶対に買うな”と言ったとかどうとか…のディープ・パープル Mk.Ⅶ期のライブ盤を久しぶり聴いた。ちょうど30年前の93年11月9日バーミンガムNECのCDだ。オープニングの“ハイウェイ・スター”、ステージに登場せず前半ギターを弾かなかった例のステージ。カメラ・クルーに水ぶちまけたりして、周りを不愉快にさせてしまったリッチー。でもイレギュラーな演奏はそこまでで、以降はリッチー節全開で弾きまくった。当時、“Anyone's Daughter”の演奏映像観たファンはみんな感動したんじゃないかなぁ。このライブ・アルバムはその時のフルセット収録盤だ。かなり評判のよかったこの『紫の聖戦』ヨーロッパ・ツアー。ところが、バーミンガムから2週間後、知っての通りリッチー・ブラックモアが突然脱退した。来日直前のことで、ジョー・サトリアーニを入れてやって来た。コンサート自体はそんな騒動を感じさせないものだった。メンバーは、ぎり40代。イアン・ペイスなんかキレキレで、ジョンもジョーもイキイキしてた。でもこの来日から、以前にもまして“リッチーのいないパープルなんて”ってよく聞かれるようになっていった。今は、ブラツクモアズナイトでコンスタントにツアーを演ってるようだが、さすがにもう極東の地には来てくれないんだろうな。聴きながら、パープル脱退後のいつだかの来日公演。ベイNKホールだったか横浜文体だったか忘れたけど、リッチーがなんとツアーTシャツ姿でステージ上手の支柱にギター擦りながら登場した時のことを思い出した。衣装の洗濯間に合わなかったの?なんて驚いて笑えたんだよな。