訪問日 令和6年10月4日
板倉雷電神社
関東地方に点在する「雷電神社」「雷電社」の総本宮
鳥居
朝からの雨、その後の降水確率も高かったが、この日の訪問地については調べていた
到着時には小雨になり、車内で様子をみていたが傘を片手に車を降りた

狛犬
雷電神社という名の神社にはこれまで訪れたことはなく「総本宮」ということに気持ちが動いた


拝殿(群馬県指定文化財)
文政2年(1819年)の建築
入母屋造平入り千鳥破風付向拝唐破風付瓦棒銅板葺

茨城県水戸市の「別雷皇太神」、つくば市の「金村別雷神社」と並ぶ関東三雷神の1社



雷童子
「ふっと現れて助けてくれる」という

本殿(群馬県指定文化財)
二間社流造千鳥破風付瓦棒銅板葺で幣殿とともに天保6年(1835年)の建築
創建:推古天皇6年(598年)聖徳太子とされる
延暦年間(782年 - 806年)に坂上田村麻呂が社殿を造営したとされる

古くから雷の被害が多い土地であり、また暴れ川で度々流路を変えた渡良瀬川と利根川との間にあって度々火災や水害に見舞われた
延宝2年(1674年)館林藩の藩主 徳川綱吉が社殿を再建(社殿に徳川家の葵紋を使うことを許された)

祭神:火雷大神、大雷大神、別雷大神

社殿の彫刻は、左甚五郎の流れを汲む10代目の親方「石原常八」の手による










弁財天社

稲荷神社、金刀比羅神社、天満宮

西の神馬

末社 八幡宮稲荷神社社殿(重要文化財)
室町時代の天文16年(1547年)、飯野城主 篠崎三河守が造営
祭神:八幡大神、稲荷大神

全国に7か所あるのみの「二間社入母屋造」(二間社の社殿に2柱を祀る形式)
扉が2組あり、その真ん中に一本の柱が立っている
群馬県内に現存する最古の神社建築

狛犬



奥宮(群馬県指定文化財)
慶応4年(1868年)の造営

大工の棟梁は三村正秀
流造で、すべて白木の社殿に名工のノミの冴えを見ることができる


祭神:伊邪那美大神

東の神馬


参拝者は私一人だった

弁財天(別名:市杵島姫命)の石像
駐車場内にある美しい像

社号標「総本宮 雷電神社」の奥に建物がある

「じしんのなまずさん」
撫でると地震を除けて自信が湧き出る「なまずさん」として親しまれている

撮影 令和6年10月4日
板倉雷電神社
関東地方に点在する「雷電神社」「雷電社」の総本宮
鳥居
朝からの雨、その後の降水確率も高かったが、この日の訪問地については調べていた
到着時には小雨になり、車内で様子をみていたが傘を片手に車を降りた

狛犬
雷電神社という名の神社にはこれまで訪れたことはなく「総本宮」ということに気持ちが動いた


拝殿(群馬県指定文化財)
文政2年(1819年)の建築
入母屋造平入り千鳥破風付向拝唐破風付瓦棒銅板葺

茨城県水戸市の「別雷皇太神」、つくば市の「金村別雷神社」と並ぶ関東三雷神の1社



雷童子
「ふっと現れて助けてくれる」という

本殿(群馬県指定文化財)
二間社流造千鳥破風付瓦棒銅板葺で幣殿とともに天保6年(1835年)の建築
創建:推古天皇6年(598年)聖徳太子とされる
延暦年間(782年 - 806年)に坂上田村麻呂が社殿を造営したとされる

古くから雷の被害が多い土地であり、また暴れ川で度々流路を変えた渡良瀬川と利根川との間にあって度々火災や水害に見舞われた
延宝2年(1674年)館林藩の藩主 徳川綱吉が社殿を再建(社殿に徳川家の葵紋を使うことを許された)

祭神:火雷大神、大雷大神、別雷大神

社殿の彫刻は、左甚五郎の流れを汲む10代目の親方「石原常八」の手による










弁財天社

稲荷神社、金刀比羅神社、天満宮

西の神馬

末社 八幡宮稲荷神社社殿(重要文化財)
室町時代の天文16年(1547年)、飯野城主 篠崎三河守が造営
祭神:八幡大神、稲荷大神

全国に7か所あるのみの「二間社入母屋造」(二間社の社殿に2柱を祀る形式)
扉が2組あり、その真ん中に一本の柱が立っている
群馬県内に現存する最古の神社建築

狛犬



奥宮(群馬県指定文化財)
慶応4年(1868年)の造営

大工の棟梁は三村正秀
流造で、すべて白木の社殿に名工のノミの冴えを見ることができる


祭神:伊邪那美大神

東の神馬


参拝者は私一人だった

弁財天(別名:市杵島姫命)の石像
駐車場内にある美しい像

社号標「総本宮 雷電神社」の奥に建物がある

「じしんのなまずさん」
撫でると地震を除けて自信が湧き出る「なまずさん」として親しまれている

撮影 令和6年10月4日