今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

国立西洋美術館前の彫刻(東京都台東区上野公園)

2017年03月08日 | 博物館・美術館・記念館
「東博」を後にして上野駅に向かう途中の彫刻を撮る
北海道へ帰る航空機の時間も迫ってきていたため、かなり焦って撮った

東京国立博物館東洋館
ヒッチコックや横溝正史と同じように私も画面に時々顔を出す



野口英世銅像
国立科学博物館前にある
昔、麻雀をやっていた頃、ツモ・ロン含めあがった時に一言発しなければいけないという決め事があった
「ロン、野口英世です」「なんでよ~」「手が悪かったけど頑張りました」



国立西洋美術館(世界遺産)
博物館の前に美術館にも入館しようかなと思っていたが人の数に圧倒されあきらめた
夕方になると並んでいる人も少なくなっている



「弓をひくヘラクレス」:ブールデル 
ブールデルの名を不朽のものとした作品
ギリシャ神話の英雄へラクレスが怪鳥ステュムファリデスを射るために渾身の力で弓をひき、まさに矢を放とうとする瞬間を捉えている



「地獄の門」:ロダン
4・5年前3泊4日で鎌倉と上野公園界隈を訪れたとき、ライトアップされたこの彫刻がとても美しく何枚も撮ったことがある
ところが記憶メディアの不具合からすべての写真が駄目になってしまった



「アダム」:ロダン



「エヴァ」:ロダン



「考える人(拡大作)」:ロダン



「カレーの市民」:ロダン
ファインダーを覗いて、この彫刻は凄いと感じた。次回は考える人になって撮ってみたい

  
 
撮影 平成28年11月9日
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東京国立博物館 その2(東京都台東区上野公園)

2017年03月07日 | 博物館・美術館・記念館
前回訪れたとき係の人から東洋館の存在を教えてもらった
だが、帰りの航空機の関係で駆け足で廻ったため、今回は余裕をもってと考えていた
ところが、その時開催されていた特別展に夢中になってしまい今回残された時間は15分

菩薩立像






如来三尊立像






光背背面には結縁者の名前と姿が彫られている



観音菩薩立像






十一面観音龕






如来三尊仏龕(重要文化財)






菩薩交脚像






如来坐像






パシェリエンプタハのミイラ






短時間であったため、前回印象に残ったものだけを撮ってしまった
それにしても「東博」奥が深い、あっという間の4時間であった
法隆寺宝物館も開館されていたがあきらめた

撮影 平成28年11月9日
コメント (2)
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東京国立博物館 その1(東京都台東区上野公園)

2017年03月06日 | 博物館・美術館・記念館
最近では東京を訪れる機会があったとき必ず立ち寄る場所が「東博」である
常設展示だけでも十分満足できるのだが、特別展で「禅-心をかたちに」と「平安の秘仏―滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」が開催されていた
*説明文は東博HPから

埴輪 挂甲武人(国宝)
挂甲と頬当・錣の付いた衝角付冑に身を固め,両腕には籠手をつける
鞆を巻いた左手には弓を執り,右手を大刀の柄にかけ,完全武装の東国武人の姿を表している



 


銅鐸(国宝)
銅鐸は弥生文化を特徴づける国産青銅器である
この銅鐸は様々な原始絵画が描かれた銅鐸として著名なものである
こうした絵画は,銅鐸が農耕祭祀と深い関わりを持った祭器であるという解釈の重要な拠り所ともなっている



ハート形土偶(重要文化財)



銅鐸(重要文化財)
20センチ前後の大きさの「かね」として誕生した銅鐸は,徐々に音を奏でることのない大型で装飾性のきわめて高い祭器へと変質した
それは「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」への変貌というにふさわしい
この銅鐸は最も新しい型式に属し,高さ・重量ともに日本最大の銅鐸である



斜縁二神二獣鏡(重要文化財)



三角縁神獣鏡(重要文化財)



変形方格規矩文鏡(重要文化財)



画文帯同向式神獣鏡(重要文化財) 



三角縁同向式神獣鏡(重要文化財) 



神人車馬画像鏡(重要文化財)  



狩猟文鏡(重要文化財)



埴輪 腰かける巫女(重要文化財)
両肩に襷を掛け,意須比と呼ばれる右前合わせの衣に,幅広い帯を締める
髪は島田髷に結い,輪状の髪飾りをつける
二重の頸玉・足玉に,手玉・耳飾と盛装し,左腰には鈴鏡と香袋を帯にとめる



腰掛けは古墳に副葬される石製品や埴輪の椅子に似ており,この埴輪が神に仕える神聖な巫女を表現したものであることを窺わせる



須恵器 蓋坏、堤瓶残欠(重要文化財)






王者の武装(国宝)
1 金銅龍文帯金具 2 金製品残片 3 刀装具



横矧板革綴短甲(国宝)



竜文素環頭大刀(国宝)



鉄剣(国宝)



中国鏡と国産鏡(国宝)



金銅製沓(国宝)






埴輪 猿(重要文化財)



蔵王権現像(重要文化財)



押出蔵王権現像(重要文化財)



鴟尾






撮影 平成28年11月9日
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三縁山 広度院 増上寺 その2(東京都港区芝公園)

2017年03月04日 | 神社・仏閣
最初に訪れたのが火曜日で「増上寺宝物展示室と徳川将軍家墓所」が休館日であった
宿舎に戻り気持ちがすっきりしなかったため、翌日再訪することにした
宝物展というのでかなり期待していたが「お宝はこれだけですか」と係の人に尋ねてしまった

鐘楼堂



この日は天気が良く、前日には薄暗くて見えなかったため、見逃してしまった部分を撮ってみた



宝物展示室から出ると隣にある安国殿前の広場から炎が見えた
古くなった仏壇を「仏壇閉眼供養式」後に「お焚き上げ」をして供養している



年に1回実施しているようだが、運良くその日に出くわすことができた



徳川将軍家墓所「鋳抜門」
増上寺は上野の東叡山寛永寺(天台宗)と共に徳川将軍家の菩提寺
「鋳抜門」は旧国宝で、もと文昭院殿霊廟(六代将軍 徳川家宣公)の宝塔前『中門』であったもの



左右の扉に5個づつの葵紋を配し、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれている






墓所「鋳抜門」の横にある小さな入口から墓所に入る
昭和20(1945)年3月10日に北廟被災、5月25日に南廟被災と二度にわたる空襲直撃でほとんどが焼失、南北に配していた墓所は一か所にまとめられ現在地に改葬された

二代秀忠公・崇源院(二代秀忠公夫人 江)



秀忠公とお江の方の墓。説明を聞くと夫婦揃ってというのは珍しいとのこと



六代家宣公



七代家継公



九代家重公



十二代家慶公 



十四代家茂公



皇女和宮(十四代家茂公夫人)



団体客のガイドの説明によると「葵と菊」の紋が刻まれている



合祀塔



女性グループに説明する寺の僧。説明も簡潔で話しも実に面白い



墓所から東京タワーがはっきり見える。私の世代では東京のシンボル、淡い思い出もある



幕府の財政状況によりお墓が豪華になったり、質素になったりしているという
皇女和宮の墓は何故か惹きつけられる



墓所側からの「鋳抜門」 



「鋳抜門」を背に墓所を撮る



撮影 平成28年11月9日
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三縁山 広度院 増上寺 その1(東京都港区芝公園)

2017年03月02日 | 神社・仏閣
三縁山 広度院 増上寺
箱根駅伝で走者が三門前を通過する姿を数十年テレビで見ているが、足を運んだのは初めてである
安土桃山時代、徳川家康が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれた(天正十八年、1590年)



三解脱門(三門)<重要文化財>
増上寺が江戸の初期に大造営された当時の面影を残す唯一の建造物
三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門
上層部(楼上)には、釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されている



聖観世音菩薩



「ホテルニュージャパン罹災者のみたま とこしえに安らかんことをお祈りして」と刻まれている



仏足石



聖観世音菩薩周辺から三門を見る



ブッシュ槇(コウヤマキ)
ブッシュ大統領が副大統領として来日、増上寺参詣記念として、この樹をお手植えされた






水盤舎
清揚院殿(徳川家光三男)の霊廟にあったものを移築



徳川将軍家霊廟建築を伝える数少ない遺構のひとつ






 


鐘楼堂
寛永10年(1633)年に建立されたが焼失、現在の鐘楼堂ほ戦後に再建されたもの



大梵鐘は、延宝元(1673)年に鋳造を経て完成(東日本で最大級)、江戸三大名鐘の一つに数えられている
江戸時代の川柳「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」



聖鋏観音像



大殿
昭和49(1974年)年、浄土宗大本山の念仏の根本道場として、あらゆる儀式法要が行えるよう再建された






法然上人幼少期の銅像



徳川将軍家墓所「鋳抜門」



両脇に昇り龍・下り龍が鋳抜かれている(拡大したもの) 



四菩薩像(普賢・地蔵・虚空蔵・文殊)
西向の観音像に対し東向きであった。正嘉2年(1258年)の作と伝えられる古像



安国殿
平成23(2011)年法然上人八百年御忌を記念し、念仏信仰の拠点として徳川家康が成し遂げた"天下泰平の世(安らかな国づくり)"を願い、新しい安国殿が建立された



西向聖観世音菩薩
鎌倉時代、執権・北条時頼が観音山に辻堂を建て、鎌倉街道に向けて安置した石像の観音






光摂殿



平成12(2000)年、「心を洗い、生きる力を育てる」ための講堂、道場として完成



経蔵(東京都有形文化財)
徳川幕府の助成により建立された。内部中央に八角形の輪蔵を配する






慈雲閣(開山堂)
平成元年(1989)増上寺開山・酉誉聖聰上人の550年遠忌記念事業の中心として、戦災で焼失した開山堂を再建






黒門
慶安年間(1648~1652年)、三代将軍家光の寄進・建立






貞恭庵
十四代将軍徳川家茂正室、皇女和宮ゆかりの茶室
「貞恭」とは和宮の法号。 四畳半二間の茶室からなる建物






大納骨堂(舎利殿)
昭和8(1933)年に建立、本尊は地蔵尊像






圓光大師堂
 




法要か何かで大殿内部へ入ることができなかったが、帰り際に開扉されたので一枚



大殿から三門方向へ、帰路につく



撮影 平成28年11月8日
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