今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

鳳凰山 甚目寺 その2(愛知県あま市甚目寺東門前)

2015年06月19日 | 神社・仏閣
甚目寺(じもくじ)を訪れた大きな理由は重要文化財の三重塔を見るためだ
好きなものは最後に残しておくという性格のため最後に紹介したい

本堂
推古5年(597年)、伊勢甚目村(いせはだめむら)の漁夫、龍麿という人が、江上庄の入り江で魚をとっていた
その網に黄金の聖観音像がかかり、歓喜した彼は入り江の北にお堂を建て像を納めた
これが甚目寺の始まりと言われている。法隆寺や四天王寺に次ぐ我国有数の古刹



本尊は聖観音。高さ一尺一寸五分の秘仏であり、本堂に安置される十一面観音像(50年に1回開帳の秘仏)の胎内仏



山号である「鳳凰山」の扁額。天智天皇より宝鏡を下賜され、続いて天武7年(679年)に天武天皇から鳳凰山の額を勅賜された



現在の本堂は平成4年に再建されたもの



撮影禁止の札はなかったが、近くに住職がいたため控えめにシャッターを押す



この時はこの寺の歴史や秘仏のことは知らなかったが、きっとこの場所に安置されているのであろう



境内にあるお堂を紹介していく

釈迦堂(本尊:釈迦如来)


 
明王堂(本尊:鳥枢沙魔明王)
下の病を治し、人に世話をかけずに済むというありがたい仏様らしい。念入りに拝んでおいた



弘法堂(本尊:弘法大師)
「南無大師遍照金剛」と唱えて参拝すると願い事が成就するという



弘法堂(手前)と明王堂が並んで建っている



秋葉堂(本尊:秋葉三尺坊大権現)
火防守護のご利益があるらしい



法花院(本尊:聖観世音菩薩)
出世幸福の利益が得られるそうだが、時すでに遅し



扉の隙間から内部を撮してみる



重要文化財の木造観音菩薩立像が塔頭の法花院に安置されていたが、2001年の火災で焼失した



この寺で驚くのが鳩の数の多さ。本堂で餌を買い袋を持って歩いていると鳩が寄ってくる
羽根の色が違っても集団で行動している。さすが平和の象徴の鳥だけある



本堂前には近くの幼稚園の元気な園児が
大きな声で挨拶されたがやはり子供は鳩以上に可愛い



六角堂と梵鐘



三重塔(重要文化財)
1627年(寛永4年)再建 高さ25m
縦横のサイズを誤ったようで、大きな写真になってしまったが、そのまま載せることにした



神社仏閣を廻りだしてから塔の存在が気になり、国宝・重要文化財の塔を探しては訪れる旅を続けている 



この塔も美しいのだが近くによると鳩の糞が、笑い話の「肥溜め地獄」を思い出す



塔には青空がよく似合う



10月9日に家を出て、この日は11月4日。この後、名古屋港から2日かけ苫小牧港へ向かう
長い旅になったが事故もなく無事終えることができそうだ。平和の塔に合掌し名古屋港へ



撮影 平成26年11月4日
コメント (4)
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鳳凰山 甚目寺 その1(愛知県あま市甚目寺東門前)

2015年06月18日 | 神社・仏閣
鳳凰山 甚目寺<通称「甚目寺観音」>
名古屋港到着後、この寺を最初に旅が始まるはずであったが、大型台風接近のため車の進行方向を変え、旅の最後に訪れることになった

南大門<仁王門>(重要文化財)
1196年(建久7年)再建。源頼朝の命により梶原景時が奉行となり建立



道路に面しているため正面から撮るには安全を確認して路上から。電柱・電線が気になる



仁王像(愛知県指定文化財)
1597年(慶長2年)福島正則の寄進


 
木造金剛力士(仁王)像 は 安土桃山時代作









梵鐘(愛知県指定文化財)
鎌倉時代作、建武四年(1204年)三月廿日の銘






六角堂
本尊は地蔵菩薩。千体の地蔵が奉られて、子供の育成を加護し、学業成就、身体健康にご利益がある
奥にある建物が「十王堂」



鳩が群れで行動している



十王堂(本尊:閻魔大王)の内部
人間の死後、生前の行いにより裁判を受ける十人の王を奉り、往生安楽のご利益がある



三途の川で服を剥ぎ取る脱衣婆も奉られている



小さな像ではあるが迫力がある。私ならどんな判決を受けるのだろうか



(落語の枕から)
ある男が死に、閻魔大王の前に突き出された
閻魔大王は「お前は生前数多くの悪事を働いたので地獄行きだ
しかし特別に行き先を三つの地獄から選ばせてやろう」と言い、男に三つの地獄を見せた



一つ目は灼熱地獄。亡者達は巨大な熱せられた鉄板の上に追い立てられ、熱さでのたうち回り続けている
これが永久に続くという。男は言った。「この地獄は勘弁してくれ」
二つ目は針山地獄。亡者達は針で出来た山の麓と頂上を血まみれになりながら未来永劫往復させられるという
男はさらに言う。「痛いのも嫌だ」



三つ目は肥溜め地獄。海のように広い肥溜めに亡者達が肩まで漬かり煙草をくわえている
男は考えた。気持ち悪いのさえ慣れてしまえば、熱さや痛さを感じない分だけこれは楽だ、と
男は閻魔大王に言った。「肥溜め地獄にします」
すると閻魔大王は「よろしい、ではさっそく肥溜め地獄へ」と男をつまみ上げて肥溜めの海に放り込んだ
早速煙草を貰おうとすると、見張り台の赤鬼が大声で叫んだ。休憩は終わりだ。さあ全員潜れ



東門(重要文化財)
1634年(寛永11年)再建






東門から見た本堂



撮影 平成26年11月4日
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高田山 専修寺<別称:本山専修寺>(三重県津市一身田町)

2015年06月16日 | 神社・仏閣
真宗高田派本山 専修寺(せんじゅじ)
専修寺を訪れるきっかけは五木寛之氏の百寺巡礼である
この日は月曜日で静かに参拝できると思っていたが、駐車場に入るまで多くの係員に誘導され、広大な駐車場ではあったが満車に近い状況であった

山門(重要文化財)
2階建で、間口20m、奥行9m、高さ15.5mの大門。正面の柱間は5間、2階内部には釈迦三尊像を安置 



俳優の火野正平氏が「にっぽん縦断こころ旅」という番組で偶然この山門前を自転車で通ったときに、その大きさに驚いていた



京都の東福寺三門を参考に建てられたようである



御影堂の正面に建つ門



唐門(重要文化財)
如来堂の正面に建つ門。屋根は檜皮葺で、正面と背面の軒に大きな唐破風があることから唐門と呼ばれる



進納所・茶所(重要文化財)
山門を入ってすぐ右手にある湯茶の接待所。建物は茶所(ちゃじょ)として重要文化財に指定



御影堂(重要文化財)
間口 42.72m 奥行33.50m 一重(単層)入母屋造 向拝三間付 本瓦葺
参拝者で境内は賑わっていたが奇跡的に人が入らない写真が撮れた



御影堂周辺を歩いてみる



国内の現存木造建築の中で五番目となる巨大な堂



 


堂内は自由に入ることができる。畳七百二十五枚が敷かれており、その広さと豪華さに圧倒される



堂内の撮影は認められているのも嬉しい



宗祖親鸞聖人の木像を中央須弥壇上に安置し、歴代上人の画像を両脇壇および両余間に



「納骨堂法会」開催日で境内には出店もでていて賑わっていた
昼食用に大好物の餅を購入するが、すこぶる美味であった



「太子堂」






鐘楼(重要文化財)
案内板には市指定有形文化財と記載されていたが、新たに国の重要文化財となる






「納骨堂法会」の行列を待っていると、係の人が丁寧に説明をしてくれる
法衣の色によって役割があるらしい



 


専修寺庭園(安楽庵)



御影堂から見た山門。時間の関係もあり山門を後にする 



玉保院



智慧光院



最後の一枚は御影堂



撮影 平成26年11月4日
コメント (2)
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皇大神宮別宮 瀧原宮(三重県度会郡大紀町滝原)

2015年06月13日 | 神社・仏閣
皇大神宮別宮 瀧原宮
温泉に近い道の駅を探し到着した駐車場に巨大な鳥居があった
道の駅で尋ねると由緒ある場所であることがわかった



朝6時に起床し早速参拝に出かけた
しばらく歩くと参道口に真新しい鳥居あり、「瀧原宮」ということを知った



参道の周辺にも巨木が生い茂り自然に囲まれた神域といった感じがする



先に進むと小さな橋が架かっている
この周辺の建物は新しく周辺の風景とは違和感がある



御手洗場
 


第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、天照坐皇大御神(天照大神)を祀る地を探し、「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので草木を刈り新宮を建てた
その後すぐに神意により現在の内宮のある伊勢市宇治館町に新宮(五十鈴宮)を建てたため、天照坐皇大御神御魂を祀る別宮となったとされる



案内板がないため使用目的は不明であるが、この建物も新しくまだ使われていない



さらに参道を先に進む



瀧原宮(たきはらのみや)と瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
両別宮ともに天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)
瀧原宮はその和御魂(にぎみたま)、瀧原竝宮は荒御魂(あらみたま)が祀られている 

参拝順序が示されている



ここでは私の歩いた順で紹介していく

瀧原竝宮(たきはらならびのみや)
簡潔に説明すると、その昔、天照大御神を祀っていたが、皇大神宮(内宮)に遷ったため、現在はその「魂」を祀っていることになる



参拝したときには、何の知識もなくただ手を合わせていた



瀧原宮(たきはらのみや)



天照大神を過去に祀っていた場所を元伊勢と呼ぶが、瀧原宮は別宮とされた






両別宮の本殿は内宮に準じ、内削ぎの千木と、偶数の6本の鰹木を持つ神明作りで、萱葺である



奥の屋根の部分が年月の経過でかなり傷んでいる



手前が瀧原宮、奥が瀧原竝宮。両別宮の社殿は同等である



若宮神社



瀧原宮本宮の右側に鎮座する。瀧原宮所管社3社のうち第1位である



社殿の左手に御船倉(みふなくら)、倭姫命が使用した御船が納められているとされる



正殿は神明造の萱葺、1重の瑞垣と瑞垣御門を有し、1基の神明鳥居が建つ



長由介神社



瀧原宮所管社3社のうち第2位である


 
「ながゆけ」の音が「長生き」に通じるとして江戸時代には長寿を祈願する参拝者で賑ったという
社殿は神明造の板葺、1重の玉垣と玉垣御門を有し、1基の神明鳥居が建つ



位置関係であるが、右手前が長由介神社、左奥に若宮神社
瀧原宮所管社3社のうち第3位である「川島神社」の正殿は中絶し、長由介神社に同座する 
 


式年遷宮
20年に1度の大祭、神宮式年遷宮は、正殿を始め御垣内の建物全てを新造
さらに殿内の御装束や神宝を新調して、神儀(御神体)を新宮へ遷す
我が国で最も重要なお祭りのひとつで、1300年にわたって続けられ、平成25年秋には第62回の神宮式年遷宮が古式のままに行われた



古殿地・新御敷地と呼ばれる式年遷宮のための空き地が所管社の脇にあり、伊勢神宮に準じて20年ごとに本殿が新築移動される



私が訪れた日が11月4日、この3日後の平成27年11月7日に20年に一度の式年遷宮が行われたことを後で知ることになった



境内の建物が新しい理由がやっと理解できた
昨年も遷宮前の伊勢神宮(内宮・外宮)に参拝したが、あまりにも厳格すぎて窮屈な思いをしたが、ここはとても居心地がよい



参道を歩きながら、何度も深呼吸していたことを思い出した



偶然訪れた場所ではあったが、大切なものを見つけることができたという感動があった

 

撮影:平成26年11月4日
 
中断していたブログを何とか再開することができた
作業手順もすっかり頭から抜けてしまい2日間も要してしまった
コメント (2)
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