今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

那智山 青岸渡寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

2015年03月18日 | 神社・仏閣
世界遺産 青岸渡寺

本堂(重要文化財)
熊野信仰の霊場として那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離


 
明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃された



熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、青岸渡寺として復興した
寺号は秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来すると言われる
秀吉から寄進された日本一大きいという「鰐口」



西国三十三所第一番札所ということもあり堂内には沢山の参拝者で落ち着かず、静かな場所に移動することにした



伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという



宝篋印塔(重要文化財)
元亨二年(1322年)の銘がある






鐘楼



 


如法堂(大黒天堂)



 


堂内の提灯の赤が綺麗だったので撮ってみた



御本尊の大黒天



水子堂



宝篋印塔と水子堂



尊勝院(和歌山県指定文化財)
中世以降天皇皇族の熊野詣の宿泊所にあてられた



現在の建物は江戸初期の再建



檜皮葺唐破風の四脚門は熊野三山では珍しい建築






三重塔
ここを訪れる前に那智大滝を眼前で見てきたため、以前ほど心ときめくことはなかった



「円月島」で写真を撮ってあげた女性の一人に偶然出会い声をかけたがどうも私のことは覚えていなかったようである
 


本来なら石段の途中で「那智大社と青岸渡寺」に分かれる案内があり、そこから山門を目指すのだが上でつながっているため順番が前後してしまった



山門



前面にはガラス張りで護られているが仁王像を安置






このように寺を護っている像を薄いガラス一枚で護っている



後ろ側にはなんと狛犬が。これは初めて見たかも知れない



再び本堂に戻る







 

撮影 平成26年11月3日
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熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

2015年03月17日 | 神社・仏閣
世界遺産 熊野那智大社
数年前に訪れたことがあるので、今回はキャンセルしようとしたが何故か向かってしまった

神からの贈りものか
帰り際になるが「平安衣装」の美少女2人に声を掛けられた……続きは最後に



以前参拝したときには無料だった駐車場も有料となり時代の流れを感じた
この案内板を左に折れると長い長い階段が続く



観世音菩薩
途中、休みながらと考えていたが、さっそく観音様が迎えてくれる






前回訪れたときは真夏で息が切れたが、今回は体力低下が加速しているにもかかわらず楽にここまで来ることができた
この場所から右に進むと「青岸渡寺」、左に進むと「那智大社」となる



鳥居






兒宮



手水舎



狛犬






神馬



鳥居
これが最後の石段となる。足腰に不安がある人は有料ではあるが青岸渡寺駐車場を勧める






天然記念物 ヤマザクラの名木(和歌山県指定文化財)
樹高15m、幹の周囲2m 藤原秀衡が熊野詣の時に奉納したと伝えられ別名「白山桜」といわれている



ヤマザクラの奥にあるのは社務所



何かの儀式の後だが、この日は明治天皇の誕生日









手水舎



滝宮(重要文化財)
拝殿の奥には鈴門・瑞垣を挟んで本殿があり、向かって右から滝宮(第一殿)、証誠殿(第二殿)、中御前(第三殿)、西御前(第四殿)、若宮(第五殿)が並んでいる 



























宝物殿



天然記念物 那智の樟(和歌山県指定文化財)
この樟(くす)の樹齢は800年 樹高27m、幹回り8.5m 枝張25m 根幹部は空洞化している



空洞化部分の「胎内くぐり」



鳥居をくぐり駐車場に戻る



駐車場から帰ろうとしたときに、この二人の美少女に那智大社への道を尋ねられた
「高校生?」と聞くと、「若く言っていただいてありがとうございます、大学生です」と
数分の会話ではあったが、とても純真で聡明な女性であった
薬学部に通う大学6年生で国家試験受験前に記念でこの衣装で参拝にきたようである
勢いで「撮らせて下さい」というと「私たちでよければどうぞ」と
後ろ姿だけで申し訳ないが是非想像してほしい



「おもてなし」の心を持った二人、大学を卒業している時期だが、薬剤師として活躍していることを願っている
神様からの贈りものか、那智大社での思い出になった

撮影 平成26年11月3日
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飛瀧神社(和歌山県那智勝浦町那智山)

2015年03月16日 | 神社・仏閣
世界遺産 飛瀧神社
テレビ番組で「飛瀧神社」の存在を知り、訪れてみたいと思ってきた



那智大社へ向かう途中にある神社で、補陀洛山寺住職から一番近い無料駐車場の場所を聞いていたので迷わず駐めることができた






熊野那智大社の別宮である



私の記憶では坂を下って神社仏閣に向かうのは初めてだ



途中にある亀山上皇が弘安4年(1281)に建てた牌の写しを建てたもの(県史跡)



テレビ番組で視た光景が視界に入ってくる



那智滝自体が御神体であり、本殿は存在しない
拝殿もなく、直接滝を拝むこととなる









延命長寿の水
写真手前の霊水を飲むと延命長寿になるという






私も100円なら安いと思い飲んでみた。今、生きているのが効能の証しか



有料になるがこの場所からは障害物なしで滝を拝むことができる












風の向きによっては、滝の飛沫に触れることができる



滝の飛沫に触れることによって、延命長寿の霊験があるという



この場所に1時間ほど佇んでいたが、滝にも表情があり飽きることがない









祈祷所があり、護摩木・絵馬札が置かれている



祈祷所の内部、正面の白く見えるのが滝である






この日は11月3日、「天長節・明治節」明治天皇の誕生日である。その準備をしていた






朝の7時過ぎにこの場所に来たが、帰る時間には参拝者も多くなってきた



撮影 平成26年11月3日
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熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町本宮)

2015年03月15日 | 神社・仏閣
世界遺産 熊野本宮大社
熊野本宮は熊野三山の中心で、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮
参道入り口の鳥居は、神が宿る神域と人間が住む俗界を分ける結界を表す



杉木立の石段参道には「熊野権現」の奉納幟が立ち並ぶ



158段の石段を登ることで神の宿る神域に近づく



祓戸大神
神殿に進む前に、参道石段の中腹左側にある祓戸大神に参り、身を祓い清める






手水舎









神門
 








神殿の参拝順路
参拝に順番順番があることを知ったのは、雨宿りをしていたときにガイドが話していたのを耳にしたときだ
左から順番に参拝・写真、参拝・写真と繰り返していたが間違いていたようだ



ここでは正しい参拝順で紹介したい(神門前に案内板がある)
左から第一殿~第四殿になっているが、3→2→1→4の順となる



ガイドの話によると、本宮①は本宮大社の神、結宮②③は速玉大社の神、若宮は… 聞き逃してしまった

本宮 ①第三殿 家津御子大神(重要文化財)



 


 
結宮 ②第二殿 速玉大神(重要文化財)






 


結宮 ③第一殿 夫須美大神(重要文化財)






若宮 ④第四殿 天照大神(重要文化財)








 
⑤ 満山社 (結ひの神 八百萬の神)



雨が小降りになると参拝者が動きだし増えてくる。服装から熊野古道を歩いて来た人も多いようだ



拝殿



宝物殿
宝物殿に近づいた時、急に雨足が速くなり雨宿りも兼ねて入る
速玉大社と比較すると内容的に物足りない感じがしたが、雨が止むまで係の人からこの土地の歴史について学ぶことができた



近くの駐車場が満車で河原に車を駐めた。そこからの風景



撮影 平成26年11月2日
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熊野速玉大社 その2(和歌山県新宮市新宮)

2015年03月14日 | 神社・仏閣
参拝者は多いのだが、この日は時折強い雨が降り雨宿りをした場所から撮した



拝殿






雨が止むと参拝者がどこからともなくわき出てくるという感じだ



七五三のお参りの家族



拝殿奥の本殿に国宝の神像(結宮:熊野夫須美大神、速玉宮:熊野速玉大神)が祀られている



拝殿を横から見る



鈴門
証誠殿 






左から、証誠殿・若宮・神倉宮と続く












新宮神社



熊野恵比寿神社



武蔵坊弁慶



車旅でもすっかり馴染みとなった「弁慶」伝説、芭蕉と共に全国各地で活躍している



神宝館



質・量ともに充実した内容の展示物、一見の価値有り



撮影 平成26年11月2日
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熊野速玉大社 その1(和歌山県新宮市新宮)

2015年03月13日 | 神社・仏閣
世界遺産 熊野速玉大社
熊野の神々は神代の頃、「神倉山のゴトビキ岩に降臨」、その後、景行天皇58年、現在の社地に真新しい宮を造営して遷り「新宮」と号した

下馬橋



入口鳥居



佐藤春夫句碑






八咫烏神社と手力男神社






熊野速玉大社参詣曼荼羅



熊野詣 奉八度の祈念碑






天然記念物「熊野速玉神社のナギ」
神木「梛」 高さ20m、幹周り6m、推定樹齢1,000年(850年)、ナギとしては国内最大






狛犬









神門












大禮殿



撮影 平成26年11月2日
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熊野山 補陀洛山寺(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮)

2015年03月12日 | 神社・仏閣


「補陀洛山寺」は訪れてみたい寺の一つで、念願がかなった



世界遺産 熊野山 補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
「補陀洛」とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳



紹介する写真の空の色が青空と曇り空の2種類あるが、2日間訪れたためである
仁徳天皇の治世にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝える古刹



平安時代から江戸時代にかけて人々が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼「補陀洛渡海」で知られる寺



私がこの寺を訪れたかった理由でもある

補陀洛渡海
補陀洛は『華厳経』ではインドの南端に位置するとされる
これを目指して船出することを「補陀洛渡海」と称した
 


渡海船



船上に造られた屋形には扉が無い



屋形に人が入ると、出入り口に板が嵌め込まれ外から釘が打たれ固定されるためである



屋形の四方に4つの鳥居が建っている 



これは「発心門」「修行門」「菩薩門」「涅槃門」の死出の四門を表しているとされる



狭い入口があるが、下に置かれている板が嵌め込まれ釘が打たれ外に出ることはできない



内部は畳2枚ほどの狭い空間
記録に明らかなだけでも日本の各地(那珂湊、足摺岬、室戸岬など)から40件を超える補陀洛渡海が行われている
そのうち25件がこの補陀洛山寺から出発している



本堂
江戸時代まで大伽藍を有していたが、文化5年(1808年)の台風により主要な堂塔は全て滅失



その後長らく仮本堂であったが、1990年に現在ある室町様式の高床式四方流宝形型の本堂が再建された



堂内で住職から寺の歴史と補陀洛渡海についての説明を30分程受ける
補陀洛渡海に興味がありこの寺を訪れたことを告げると、更に説明を加えてくれた
比叡山で千日回峰行を満行した阿闍梨などは死の恐怖すら無かったのではないかと話してくれた



住職から突然「仏像好きですか」と尋ねられ「大好きです」と応えると
秘仏の木造千手観音立像(三貌十一面千手千眼観世音菩薩)<重要文化財> を拝観させてもらえることに

熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわしゃ)
夫須美大神・家津美御子大神・速玉大神の三神を主祭神とすることが名称の由来とされる



『平家物語』巻10に平維盛が一艘の舟に命運を託して出向するさまが描かれたり
那智参詣曼荼羅に社前の浜から渡海船で出航する渡海僧が描かれているように
補陀洛山寺とともに補陀洛渡海の伝承地である






熊野古道振分石
住職の説明では補陀洛山寺が世界遺産になったのは、寺の横にある熊野古道が重要な役割を果たしているとのこと



この寺を2日間訪れたのは初日写真を取り忘れたため。2日目は晴天に恵まれ気分も爽快



万治元年(1658)建立の板碑



住職との会話が楽しく、貴重な体験をした。興味ある知識を得ることもできた



旅の醍醐味は人との出会いだ



撮影 平成26年11月2日・3日
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南方熊楠記念館(和歌山県西牟婁郡白浜町)

2015年03月11日 | 博物館・美術館・記念館
雨天時は外での行動が制限されるため、博物館や記念館を訪れることにしている
南方熊楠については息子が好んで読んでいる「美味しんぼ」という漫画で知った

無料の駐車場から坂道、石段を上ると門が見えてくる。ここに至るまで植物に囲まれ爽やかな気持ちになってくる 



昭和天皇陛下御製記念碑
昭和天皇が「神島」に上陸され、南方熊楠の出迎えを受け生物の研究をされた時のことを詠ぜられたもの



「雨にけふる神島を見て紀伊の國の 生みし南方熊楠を思ふ」 



番所旧蹟碑
紀州藩が異国船の来航を見張るために番所を設け異国船の監視に当たっていた



記念館は小高い場所に位置し周辺の海を見張る場所に適している



南方熊楠記念館
南方熊楠は、和歌山県が生んだ博物学の巨星
南方熊楠の遺した偉大な業績と遺徳をしのびその文献、標本類、遭品等を永久保存
一般に公開するとともに博物学の巨星を後世に伝え、学術振興と文化の進展を目的として昭和40年4月に開館



人物と記念館の案内をテレビで視聴してから入ると理解しやすい



展示物の内容は専門的で理解できないが、南方熊楠の生き方には大変興味を持ち多くの人に訪れて欲しいと思った



館内の様子












特に研究者でもあられた昭和天皇への説明の場面については感動した



記念館の屋上は展望台にもなっている。写真中央の左にあるのが「神島」



昔「番所」があった場所だけにここからの眺めは最高だ



前回紹介した観光船(グラスボート)が出港していく



歴史に名を残す人物の実家は酒屋



撮影 平成26年11月1日
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円月島(和歌山県西牟婁郡白浜町)

2015年03月10日 | 名所・旧跡
道成寺から南方熊楠記念館に向かう途中で少し変わった形の岩があったので、車を道路脇に駐め眺めていた



名勝 円月島(高嶋)
ネットで調べてみて、国指定文化財になっていることを初めて知った
正式名称は高嶋(たかしま)。南紀白浜のシンボル、夕景の名所としても知られるそうだ



島の中央に海蝕による円月形の穴(海蝕洞)が開いていることで、これが名称の由来になった



島の大きさは南北130メートル、東西35メートル、高さ25メートル



島に船が近づいてくる



望遠レンズに替え撮ってみると観光船のようである



船の底がガラスになっていて、海の中の世界を覗くことができ、船の側面にある丸い小窓からは、白浜名物「円月島」を間近に見ることができるようである



道路脇に4人程度島を眺めるスペースがあり、そこから写真を撮っている



島を背景に記念写真撮影を頼まれることが多い
声を掛けてくるのは美人が多いのも経験上知っている
道路を歩いている二人の女性にも頼まれたが、思い出の一枚になってくれると嬉しい






この地域は私でも知っている「南紀白浜」、島の反対側には観光ホテルが並んでいる



この日は雨模様で夕景の名所を体験できなかったが、何が気に入ったのか90分もこの場所に佇んでいた



撮影 平成26年11月1日
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天音山 道成寺 その2(和歌山県日高郡日高川町大字鐘巻)

2015年03月09日 | 神社・仏閣
三重塔(和歌山県指定文化財)
宝暦13年(1763)創建時の塔があった所にこの塔が再建された



雨宿りをした本堂から撮影



高さ20m、総桧造り












二代目鐘楼跡
釣鐘で有名な道成寺だが釣鐘が無いことでも有名。二代目梵鐘は京都の妙満寺に安置






道成寺7不思議 ④「鐘楼の位置」
千年前、清姫が安珍を追いかけてきて安珍が隠れている鐘楼ごと焼き殺した
最近の発掘調査で、鐘楼がここにあった事がわかり、この桜の周りで焼けた土も出土 



十王堂(閻魔の廰)
江戸時代 宝永4年(1707年)築






堂内の様子



十王堂右前にある石仏



念仏堂
平成17年(2005年)再建



初代念仏堂は宝永6年(1709)に建てられたが、大正4年(1915)に老朽化のため解体された



五劫思惟阿弥陀如来像
宝永5年(1708) 
若いころの阿弥陀如来は全ての人々が救われる道を求めて瞑想を続けた
その間に髪が伸び放題になった姿を表している



道成寺を建てた文武天皇、歴代紀州藩主、当地方の戦没者の位牌を祀る



念仏堂から見た本堂(重要文化財) 扉前に七不思議の案内板がある



道成寺7不思議 ⑤「御開帳の不思議」
扉の中には33年に一度だけ御開帳される秘仏千手観音像がまつられている
秘仏とは見えない所から心を導いてくれる仏様。次の御開帳は平成50年

道成寺7不思議 ⑥ 「娘道成寺の人気」
「娘道成寺」は舞踊の最高作とされ、毎春、この場所で奉納公演が行われている

道成寺7不思議 ⑦「無き鐘ひびく道成寺」
初代の鐘は「道成寺縁起」で毎日絵解きされ、二代目の鐘は「道成寺物」の舞台でその名を轟かせている
道成寺の二つの鐘は、耳ではなく、心に響く鐘となった

案内札の字が判別できなかったが、柵で囲まれているということは重要なものか

 

護摩堂
江戸時代 弘化4年(1847年)築



鎮守三社(絵馬奉納所)



大宝殿
 降雨ということで道成寺参拝を決めた訳だが、その目的は大宝殿内に安置している仏像拝観と絵とき説法






境内には沢山の参拝者がいたが、この日は大宝殿と縁起堂までは足を運んではこない
今回は二度目になるが仏像の説明が15分ほど加わり、私一人のために係員と住職が嫌な顔をせず約1時間行ってくれた
大宝殿の国宝・重要文化財指定の仏像も素晴らしいが、住職が収集したという古代インドの石仏も必見である



最後に境内を一回りして、本日3回目の拝観となる特別公開中の千手観音像を目に焼き付けた



仁王門(重文)



7不思議の一つである62段の石段を下る。参道横には土産物店が並んでいる



雨が降っていなければ高野山に向かっていたと思うが、私としては雨天でも十分満足できる内容であった

撮影 平成26年11月1日
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天音山 道成寺 その1(和歌山県日高郡日高川町大字鐘巻)

2015年03月08日 | 神社・仏閣
この日は朝から降雨
終日雨という予報もあり、道成寺宝仏殿の仏像拝観と絵解き説法なら雨でも問題なしということを思い出し車を走らせた

天音山 道成寺
大宝元年(701年)、文武天皇の勅願により、義淵僧正を開山として、紀大臣道成なる者が建立した
道成寺創建にまつわる「髪長姫伝説」(「宮子姫伝記」)や、「安珍・清姫伝説」で知られている

仁王門(重要文化財)
元禄4年(1691)建立  昔能楽「道成寺」の乱拍子を生んだとされる62段の石段と仁王門



道成寺には7不思議があるという。案内板からそのいくつかを紹介する

道成寺7不思議 ①「石段の不思議」
石段の左右の土手が「逆ハ字」型。遠近法の逆利用で上からは長めに、下からは短めに見える
参拝者に対するおもてなしの心が込められている



「天音山 道成寺」の扁額  金文字が輝いている



金剛力士像






道成寺7不思議 ②「仁王門の不思議」
本堂、本尊、門、参道が一直線に配置。仏様(千手観音)が人々を見守って下さるようにとの願いがこめられている
この配置は1300年以上変わっていない



仁王門を反対側から見る



安珍塚
安珍と釣鐘を葬った場所



道成寺といえば釣鐘で有名であるが、釣鐘がない寺としても有名






本堂(重要文化財)
入母屋造、本瓦葺き。桁行(間口)7間、梁間(奥行)5間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数)



承平12年(1357)建立。大宝元年(701)頃に創建された講堂を650年ほど使い、南北朝時代にこの本堂に立て替えられた



本堂前に「本堂特別拝観」の案内板



堂内の様子
千手観音立菩薩(重要文化財)
仏像に感動することはそうあるわけではないが、この仏像には魅力を感じた



道成寺は2度目の参拝になるが、今回、特別拝観期間で本当によかった



手の欠損部分も多いが、それもまた歴史の流れを想像できる
の2枚と色が違うのはカメラの違い。実際はこちらの色に近い






三重塔(和歌山県指定文化財)
道成寺7不思議 ③「三重塔の不思議」
この塔の垂木は1・2階が平行垂木、3階だけ扇垂木になっている
大黒柱に使う良材がみつからず、隣町の妙見神社の御神木のヒノキを心柱に使った



撮影 平成26年11月1日
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鷲峰山 興国寺(和歌山県日高郡由良町大字門前)

2015年03月06日 | 神社・仏閣
この日は朝から雨が降っていたため、屋内で仏像を拝観できる道成寺に向かうため車を走らせていた
その途中、道路標識に「興国寺」の案内があったため立ち寄ったみた

鷲峰山 興国寺
安貞元年(1227年)、高野山金剛三昧院の願生(俗名・葛山景倫)の主君、源実朝の菩提を弔うために創建した



山門から緩やかな石畳の坂を上っていく



龍王社
龍王とは仏教の護法神 雨乞いの本尊、農業の神









本堂
葛山景倫は承久元年(1219年)、実朝の暗殺を機に出家
実朝の生母・北条政子は願生の忠誠心に報い、願生を西方寺のある由良荘の地頭に任命



願生は親交のあった心地覚心(法燈国師)が宋から帰国すると、正嘉2年(1258年)に西方寺の住職に迎えて開山とした



後醍醐天皇より寺号の興国寺を賜った



天正13年(1585年)、羽柴秀吉の紀州征伐によって伽藍の大部分を焼失、慶長6年(1601年)に紀州藩主・浅野幸長により再興



鐘楼









この像が印象に残っている






天狗堂



堂内の様子












陸上交通の先駆者「由良守応の墓」






撮影 平成26年11月1日
コメント (2)
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紀三井山 金剛宝寺 護国院<別称:紀三井寺> その2(和歌山県和歌山市紀三井寺)

2015年03月05日 | 神社・仏閣
六角堂
長い石段を上りきった正面にあるのが六角堂



江戸時代・寛延年間(1750頃)初代・二代目雑賀弥左ェ門建立  西国三十三カ所御本尊を祀る



仏殿
 


十一面観音公開中ということで楽しみに入ったが…



キンピカすぎて愕然とした



鐘楼(重要文化財)
安土桃山時代・天正16年(1588)建立



入母屋造・本瓦葺き・袴腰(腰板張りの下層)



全体に軽快な感じで、鐘楼建造物中の白眉とされている



鐘楼の横にある「幸福観音」



大師堂



本堂(和歌山県指定文化財)
江戸時代・宝歴9年(1759)建立  観音堂とも称す









柱間は正面側面とも五間で、千鳥破風を付し、正面には唐破風形・三間の向拝を設ける












開山堂



多宝塔(重要文化財)
室町時代・文安6年(1449)建立  






和様を基調としつつ、唐戸、花頭窓などを用いている



本瓦葺三間多宝塔。下層は四本柱の方形、上層は十二本の柱を立て高欄をめぐらせた円形



室町中期様式・五智如来を祀る






多宝塔側から見た本堂



 





本堂周辺の石仏を撮りながら歩く





















撮影 平成26年10月31日
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紀三井山 金剛宝寺 護国院<別称:紀三井寺> その1(和歌山県和歌山市紀三井寺)

2015年03月04日 | 神社・仏閣
正式名:紀三井山金剛宝寺護国院
紀三井寺は、奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(770)、唐僧・為光上人によって開基された
紀三井寺とは、紀州にある、三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれている

楼門(重要文化財)
室町時代・永正6年(1509)建立



建立以来たびたびの修理を受けているが、高欄付きの縁をめぐらせた通路や和様三手先腰組など桃山時代の様式を残す






金剛力士像を安置するが、金網が障害となりピントが合わない






さて、これから長く続く石段を上る。両脇の建物を紹介していくが、その名称は定かではない

扁額には「七鈴観音」と書かれている



次の建物は地蔵菩薩と聖徳太子の提灯が



長い石段が続く。この日は雨天で時間も午後4時と参拝者は少ないが安全確保のため右側通行となっている



上から楼門の方を見ると急な階段だということがわかる



「波切不動明王祈祷所」






紀三井寺の三井水
紀三井寺の名の起こりである三井水の一つ「清浄水」の湧水



その昔、開山為光上人が紀三井寺開創の頃、上人の前に忽然として出現した美女が、身を投じて龍に化身したと伝えられるのがこの清浄水の井水



「芭蕉句碑」



「白瀧大明神」



女厄除坂(33段)






「厄除十一面観世音菩薩」



「身代わり大師」



男厄除坂(42段)



堂内に小さな多宝塔が見える






還暦厄坂(60段)



石段を上りきった所にあるのが六角堂



撮影 平成26年10月31日
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一乗山 大伝法院 根來寺 その2(和歌山県岩出市根来)

2015年03月03日 | 神社・仏閣


大伝法堂(和歌山県指定文化財)
江戸時代後期の文政10年(1827年)再建



本尊三尊像は宗祖覚鑁上人が大伝法院を開山以来の尊格であり、新義真言宗の法灯を伝える根本尊像で、重要文化財に指定されている



室町時代末期の最盛期には一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁した



根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧衆による鉄砲隊が作られた



信長没後、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の戦いにおいて徳川方に通じ留守の岸和田城を襲ったほか南摂津への侵攻を図ったことで秀吉の雑賀攻めを招くこととなった



大塔(国宝)
前回、予告したとおり大塔の基部には秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕が残されている



火縄銃の弾痕と言われて注視すると何となくこれかなとわかる程度であるが…



雑誌か何かに掲載されると参拝者はそれを探しだし…



指を突っ込みここまで大きくなったようである



大きく分厚い扉にも歴史の跡が残っている



鐘桜門



常光明真言殿(和歌山県指定文化財)
「御影堂」 江戸時代後期の享和元年(1801年)建立



中央に興教大師覚鑁上人の尊像を安置し、左右に紀州徳川家のご位牌を祀っている



閼伽井
仏にお供えする水の他、宗門僧侶の水垢離用としても使う



この水は当山第一の清水で河川が濁っても、この水は濁らないという。金剛清水と呼ばれている



行者堂(和歌山県指定文化財)
この角度でしか拝観することができないが…



中央には「役行者」が安置されている


 
聖天堂(和歌山県指定文化財)
聖天堂の他に「雨宝楼」と呼ばれている。「根来塗」の 修法壇伝わっている



聖天堂内から見た「聖天池」



自然の滝と池を取り入れた池泉式蓬莱庭園の池庭(江戸時代作庭)



国の名勝に指定されている庭園












外に出てもう一度建物を確認してみる
常光明真言殿



行者堂



聖天堂



ここからの眺めは実にすばらしい



鐘桜門を通り駐車場に戻る



撮影 平成26年10月31日
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