今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

萬松山 泉岳寺(東京都港区高輪)

2016年12月15日 | 神社・仏閣
萬松山 泉岳寺
今から40年前、大学を卒業し故郷北海道へ戻る最後の日に訪れた思い出の場所でもある
師走のこの時期になるとテレビなどでも赤穂浪士の討ち入りに関する番組が増えてくる
忠臣蔵の物語は興味深く毎年のことだが、テレビの前に座り見入ってしまう

中門
泉岳寺には三門(総門・中門・山門)があったが、現在は中門と山門のみが残っている
現在の中門は天保7年(1836年)に再建されたもの



「萬松山」の額は、中国明時代の禅僧・為霖動霈(いりんどうはい)による書
萬松山は松平の松より、「松萬代に栄ゆる」の意



山門
天保3年(1832年)に再建されたもので、二階部分には釈迦三尊及び十六羅漢が安置されているという



「泉岳寺」の額は、晋唐の墨跡研究者であった大野約庵による書



一階部分の天井には「江戸三龍」のひとつ、銅彫大蟠龍がはめこまれている



大石内蔵助吉雄銅像
浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願により鋳造され、泉岳寺に寄進され、大正10年12月14日に除幕したもの



内蔵助が元禄羽織を身につけ、連番状を手にして東の空(江戸方向)をじっとにらんでいる姿を表したもの



山門の横から入る



東京は周囲に近代的な建物があり、それが入らないように撮るのに苦労する



本堂
旧本堂は第二次世界大戦で空襲にあい消失。現本堂は昭和28年12月14日に落成した鎌倉様式の建築
歴史を調べると、寛永18年(1641年)の大火によって伽藍が焼失、三代将軍家光の命により現在の高輪の地に移転再建されたという



「獅子吼」の額。母校の校歌の一節に「世に先駆けて獅子吼する」があり、水墨画家の渡邊ちょんとさんの獅子を描く姿を母校で見てきた直後だけに感慨深いものがあった
仏教用語で、相手が誰であろうとひるむこと無く、正しいことを言う勇気ある姿勢の意



澤木興道老師像
坐禅をもって生涯を貫いた20世紀にもっとも活躍した禅僧の一人



凜としたこのお姿、見とれてしまった



梵鐘・鐘楼堂
大正2年に造られた鐘で、朝の坐禅の時と夕方の閉門の時に撞かれている。



江戸から明治まで使われていた梵鐘は、ウィーンの国立民族博物館に所蔵されている



義士墓入口の門



水琴窟。水を流してみると確かにいい音が響いてきた



血染めの梅、血染めの石
浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石



首洗い井戸
義士が本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれている



史跡 浅野長矩墓および赤穂義士墓

浅野長矩公之墓



長矩公夫人之墓



赤穂義士墓地の配置。細川家17人、松平家10人、毛利家10人、水野家9人
討入り以前に自害した萱野重実(三平)の供養墓を含め48基。戒名はすべて最初の文字が「刃」となっている



大石内蔵助良雄之墓






大石主税良金之墓(左)と十三回忌碑



行年十六逝。死んで名を残したが若すぎるだけに生きていればと考えてしまう



線香の煙が絶えないのは日本人の心に触れるものがあるのだろう









本堂の獅子吼の額を確認し帰路につく



撮影 平成28年11月8日
コメント (4)
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小袖海岸(岩手県久慈市宇部町)

2016年12月14日 | 名所・旧跡
あまちゃんの舞台「小袖漁港」
NHK朝ドラ「あまちゃん」の舞台となった「袖ヶ浜」が小袖漁港である
毎日欠かさず視ていたので東北旅行を計画したとき訪れてみたい場所であった



「じぇじぇじぇ!」は2013年の流行語大賞にもなった
「今でしょう!」「お・も・て・な・し」「倍返し」の時代である



1959年(昭和34年)11月にラジオドラマ「北限の海女」が放送され、その題名が海女を指す名称として用いられるようになった



駐車場から一番離れている場所へ。監視小屋である。歩くと太腿筋に負荷がかかる、少し高い場所にある
途中、老いた女性に逢ったので、挨拶がてら距離と時間を尋ねるが、話している言葉がまったく理解できなかった



「監視小屋」:ドラマで使われた場所でもある。



ここからの眺めはよく、監視場所に選ばれている理由がよくわかる






防波堤の先にドラマのオープニングにでてくる灯台が見える



下に降り小さな港の周辺を歩いてみる



大きな岩が視界に飛び込んでくる



小袖海岸を代表する「柱状節理」と呼ばれる現象の岩石で、三陸ジオパークのジオポイントにも選定されている。



小さな鳥居の赤磯大明神



「夫婦岩」:2つの岩に結ばれた注連縄は東日本大震災の津波でも切れなかったという



防波堤から夫婦岩を見る。山の上にあるのは監視小屋



ドラマでアキが走った防波堤をゆっくり歩いてみたかったが、立入禁止になっていた
走って海に飛び込む輩がいたとか…



ドラマではこの場所と灯台が大切な役割を果たしているが、これまでみてきた灯台では一番小さく、形も変わっている



駐車場には私の車が一台だけ。前日、温泉で聞いた話しだが「ブームは去った」と



震災の時はこの漁港の船も流され、大きな被害に遭ったという



被害に遭った「海女センター」も新築された



中に入ってみると、簡単な資料館のような役割を果たしている



屋上からの景色が一番綺麗な感じがする。目の前で海女さんたちによる素潜り実演が行われる



食堂で「まめぶ汁」を食べた
ドラマ同様、不味くもなければ美味くもない「微妙な味」だ



駐車場に戻ると山口ナンバーの軽乗用車から若い女性が降りてきた
車内の様子が私と同じなので声を掛けると、車中泊の旅をしているという
仕事を辞め、昨年の10月に出発。途中、住み込みのアルバイトで貯金し、また旅を続ける
「私って変ですよね」と聞かれたので、「いや、とても素晴らしい人生を送っている」と思っていたことを口にした
「まめぶ汁」が美味しいので食べるようにと別れ際に言って車を走らせた



撮影 平成28年5月30日
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北山崎(岩手県下閉伊郡田野畑村北山)

2016年12月06日 | 名所・旧跡
北山崎(三陸復興国立公園)
半年前のことではあるが、どうしてここを訪れたのか思い出せない
計画を立てて旅をしている訳ではないので、きっかけとなった出来事があったはずだが






大きな駐車場から2~3分歩くと展望台のような場所があった



ガイドの説明では晴れた日でもこのように遠くまで見えることは少ないそうだ。「運がいい」と言われた
5~6人に記念写真撮影を頼まれた。きれいに撮ってくれとの注文もある
風景だけならきれいに撮れますが…と応える



団体客が近づいてきたので、階段を下りた所にあるという展望台を目指すことにした
年齢のせいか最近では下りでも息が切れる



少し下ると見え方も違ってくる。断崖絶壁の自然景勝地



海面からの高さ200mの断崖絶壁が連なる景色は、JTB全国観光資源評価の「自然資源・海岸の部」で唯一の特A級に格付けされた



遊覧船による観光もできるようだ



北山崎断崖は、粉砕された火山砕屑岩の堆積層が厚かったため、削り残された奇岩の多い断崖となった



さらに階段を下りるともう一つ展望台があるようだが、膝が「駄目」と言っている
最初の展望台に戻る。しばらく景色を眺め駐車場に戻る



撮影 平成28年5月29日
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平井賀川の水門(岩手県下閉伊郡田野畑村)

2016年12月05日 | 名所・旧跡
車旅を続けていると突然驚く光景を目にすることがある
特に震災後の東北地方を見てきただけになおさらである
車を止め車窓から眺めて見たが、状況が理解できないので、近くにあった駅に車を駐め、来た道を戻ることにした

  

なんと三陸鉄道の車両がレールに載っている。乗客は無事だったのか、様々な情景が頭をよぎった
後で調べてみようと思い、場所の確認のため駅名を記録して、先を急いだ

 

その後、調べてみると、予想とは違う結果に
三陸鉄道北リアス線「田野畑駅」の近くにある「水門」であることがわかった
震災前からある、「平井賀川の水門」で、車両は水門を運用するための施設
「三陸鉄道」の車両と同じ色に塗っている


 
「田野畑駅」の愛称は「カンパネルラ」。宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』に登場する人物に由来
また、NHK朝ドラの「あまちゃん」のロケ地で「畑野駅」として登場している

撮影 平成28年5月29日
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浄土ヶ浜(岩手県宮古市)

2016年12月03日 | 名所・旧跡
名勝 浄土ヶ浜
東日本大震災による津波で指定区域が大きな被害を受け、震災からの復興および被害の伝承を目的として、陸中海岸国立公園から現在の「三陸復興国立公園」の名称に改められた



観光船を降りると観光客の流れが駐車場ではない方向に進んでいく



何があるのかまったくわからないが、ついて行くことに



観光船で見た風景とは違った景色が目の前に現れてきた



写真右中央のトンネルの向こう側が観光船乗り場になる



私は人間が創り出したものには興味があり感動するが、自然美についてはかなり鈍感である



浄土ヶ浜の由来は、宮古山常安寺の霊鏡竜湖が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと伝わる



海の色が見る位置によって変わっていくのが面白い



入り江を利用した海水浴場は環境省による「快水浴場百選」に選定されている



宮沢賢治はここに訪れ、「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という歌を詠んでいる



この日は5月末で海水温は低いはずだが、楽しそうに泳いでいる少年がいる
テレビゲームに熱中している子供と比較すると、実にたくましいではないか



 


先ほど乗っていた観光船が新たな客を乗せ航行していく
 





私は幼い頃から海の側で育っているため海を見ても心は動かないが、この海岸の海の色には興味を持った



駐車場から10分ほど歩くが、周囲の景色を眺めて歩くとあっという間に着いてしまう
家族連れ、カップルが時間を過ごすには最適の場所だ



撮影 平成28年5月29日
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みやこ浄土ヶ浜遊覧船「浄土ヶ浜周遊コース」(岩手県宮古市)

2016年12月01日 | 名所・旧跡
みやこ浄土ヶ浜遊覧船「浄土ヶ浜周遊コース」
東北6県の車旅も終わりに近づいている。これまで触れてはこなかったが、震災の状況を撮り投稿することを目的とした旅でもあった
ところが、仮設住宅や黒いビニール袋の山、廃屋と化した商店や住宅にレンズを向けることができなかった



生死の境で難を逃れた方々の話も聞いてきた。そのようななか、道路地図に浄土ヶ浜の地名があった
「浄土」という文字目が止まり、行かねばという気持ちが強くなって訪れることになった



近くで上船待ちをしている人に挨拶をすると、写真を撮るならいい場所があると船尾のデッキの席を確保してくれた
小舟による観光では洞窟の近くまで案内してくれるらしい



船内放送によりそれぞれの場所の見所や歴史など、時には船を止めて説明が加えられる



その中でも記憶に残っていることがある



その一つは乗船している船が、観光を終え港に戻ろうとしたときに、3.11の大地震で津波が発生したという



船員のとっさの判断で港には戻らず、沖に向かったそうだ
とてつもないことが起こっていることは想像できたが情報がまったくない
さらに食料もないなか、ウミネコの餌づけ用のエサで飢えを凌いで3日後に港に戻ったという



会社が所有していた三艘あった観光船の二艘が破壊され、沖に逃れたこの船だけが残った
その時乗船していた船員の一人がこの船を動かしていると放送されると、船内から大きな拍手が起こった



話しは変わる。観光船ではウミネコの餌づけを行っているため、観光船の周辺を群れをなして飛んでいる
ウミネコとカモメの区別はつかないが「ジョナサン」を撮ってみた



私に席を確保してくれたご夫婦は大変親切な方でいろいろ話しをしてくれた
地元の方らしく震災のことも語ってくれた



娘さんが結婚するらしく、相手の方を連れての観光のようだが船酔いに耐えている様子がおかしかった



もう一つ記憶に残っていることが、この島にある



岸壁のいくつにも重なった層で、その年代が判断できるという



私にはさっぱり理解はできないが、とても貴重とのこと



普段、観光船にはあまり乗らないのだが、新しい出会いもあり楽しい一時を過ごすことができた



何事もなかったような穏やかな海と島



日常を取り戻しつつある



親切にしていただいたご夫婦に感謝の言葉をのべ、挨拶をして別れた
文字では表現できないが東北人の強さ、優しさをつよく感じた



撮影 平成28年5月29日
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