今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

西郷隆盛宿陣跡資料館(宮崎県延岡市北川町長井)

2020年01月31日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和元年6月7日
予報通り、朝から雨が降り続いている。この日の予定を立てていたとき、屋内の施設で興味深いところを見つけた
大河ドラマ「西郷どん」でも重要な場所となった宿陣跡である

西郷隆盛宿陣跡資料館
司馬遼太郎の小説「翔ぶが如く」や「竜馬がゆく」で登場する西郷が私の知る西郷隆盛である
「西郷どん」は最終話まで欠かさず視聴し、魅力ある西郷を知った



「和田越の決戦」に大敗北を喫した西郷隆盛軍が、北川に逃れた際に立ち寄ったゆかりの家
現在は、資料館として整備され、隆盛愛用の遺品や戦争資料が展示されている









西郷隆盛の肖像
西郷隆盛は写真が残っていない
写真嫌いだったとも周囲が暗殺を恐れたためともいわれている



「イタリアの画家 エドアルド・キヨッソーネ」の肖像画が有名だが、一度も会ったことがないという
西郷の遺族、親族列席の上にて「此こそ翁の真像」との決定を与えられ、イト子未亡人に贈呈されたのがキヨッソーネの西郷隆盛の肖像である



<展示室の資料の一部を掲載>
「西郷隆盛と山縣有朋」  外は雨、次の予定もないので、時間をかけてゆっくり回る



「西南戦争」






「和田越決戦」



「西郷札」 



「西郷札(さいごうさつ)」は、松本清張の短編小説にもなった。清張の処女作でもある。



「延岡隊」



「西南戦争と延岡」



「西南の役陣中日記」






「薩軍に投降を促す木札」 
木札には「官軍に降参する者ハころさず」



「敬天愛人の教え」
天を敬い人を愛し 天を知り 己を尽くし 人を咎めず 我が誠の足らざるを尋ねるべし
天は人も我も 同一に愛し給うゆえ我を愛する心を以って 人を愛するなり



「伝 桐野利秋(中村半次郎 )の刀」
天誅行動で鳴らし、「人斬り半次郎」の異名をとった
1867年9月、兵学者で自らの師でもある赤松小三郎を暗殺した。明治維新後、桐野利秋と名を改める
政府軍が城山を総攻撃したとき、西郷隆盛・桐野ら40余名は洞前に整列し、岩崎口に進撃した。途中で西郷が被弾し、島津応吉久能邸門前にて別府の介錯で自決
跪いて西郷の自決を見届けた桐野らはさらに進撃し塁に籠もって勇戦したが、額を打ち抜かれて戦死した。享年40



軍服焼却の地
西郷は解散布告令を出した後、軍の重要書類と陸軍大将の軍服を焼いた



和田越決戦で薩軍を圧倒する政府軍の戦力と立派な戦いぶりを目の当たりにしたとき、傍にいた桐野利秋に「これで日本の将来も大丈夫じゃ」と語った



西郷隆盛宿陣跡



「西郷隆盛と薩軍幹部最後の軍議」






「薩軍解散布告令≪訳≫」
我が軍は戦いに負け追いつめられた
今日より後はただ命をかけて最後の戦いをするだけです
この際、諸隊においては、降参する者は降参してもよいし、戦って死ぬ者は死んでもよい
幹部も部下も身分の差もなく自らの判断で好きなようにしなさい



撮影 令和元年6月7日
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大御神社(宮崎県日向市大字日知屋)

2020年01月28日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月7日

大御神社(おおみじんじゃ)
好天に恵まれ旅を続けてきたが、この日は朝から本格的な雨
雨の日は博物館や美術館に行くことが多いが、雨でも行きたかった神社があった

鳥居
鳥居を見ながら車内で小雨になるのを待つ



初めての参拝になるが「大御神社」の社号標を見て、かなり期待できると思った



少し歩くと神門が見えてくる



日地屋城趾の隣に鎮座する「日向のお伊勢様」
伝承では、創建は伊勢神宮よりも遥か先だという



神門



狛犬






手水舎






龍神伝説(龍神の霊)



水窪とさざれ石
神座(かみくら)前の水窪は人工的で、すり鉢状の丸い壁面には渦巻き状の線が刻まれている



水窪の底には長径1m短径70cmの卵型の「さざれ石」据えられている



神座
皇孫 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨し、絶景の大海原を眺めたという



5000年前の古代遺跡で、渦巻状の壁面は「龍」、卵型のさざれ石は「龍の卵」を表し、当時の龍神信仰を裏付けるものである



右側が「さざれ石」左側が「柱状節理(溶結凝灰岩)」



さざれ石






「神座」は周囲30m高さ4mのさざれ石



柱状節理(溶結凝灰岩)
今となっては笑い話になるが参拝前に何故この場所に来たのか……
ある女性が、雨の中岩場に降りていく姿が見えた
傘を置き靴を脱ぎ岩の上に立っていた姿に嫌な予感がした



写真を撮るふりをして近くで様子を見ていた
海を見ていた女性はしばらくして靴を履き、傘をさして戻っていった
普段なら岩の写真など撮らないのだが、この女性のおかげで龍神伝説を知った



遠くから社殿を眺める






国登録有形文化財 社殿(拝殿・幣殿・本殿)
生憎の雨だがこの社殿には雨が似合っているかも知れない



現在の社殿は、昭和13年(1938)10月に全面改築されたもの
木造銅板葺で切妻屋根を支える力柱を持ち、棟の両端にV字型に千木を突き出す神明造り



拝殿正面



拝殿内部



祭神は「天照皇大御神」
大御神社の社名は、天照皇大御神の「大御」をいただいて社名としたと伝えられている












鵜戸神社
美しい社殿を違う場所から撮りたいと歩いていると、この案内板が目に入った



鳥居



狭い幅の階段を降りていく



この岩窟は人工的につくられたものだという



鵜戸神社
岩窟の奥にある小さな祠。「入り口を振り返って下さい」とある。



昇り龍
この時は理解していなかったが、角度を考えて見ると「昇り龍」の姿になるという



訳も分からず撮ってしまった。



鵜戸神社の帰り道、美しい社殿を撮る






午前10時過ぎだが夜のように暗い



撮影 令和元年6月7日
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都農神社(宮崎県児湯郡都農町大字川北)

2020年01月27日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月6日

都農神社(つのじんじゃ)
宮崎神宮で入手したパンフを見て訪れた



鳥居



額には「日向國 一宮 都農神社」と独特な字体で書かれている



「石灯籠」



「敬宮愛子内親王殿下」の御誕生を祝しての寄進。敬宮(としのみや)は称号
天皇または皇太子の子女にのみ与えられる







石持ち神事
ここにある黒い石をひとつ持って参拝するとお願い事が叶うという



「あぶら石」



太鼓橋



大絵馬






手水舎



自祓所



茅の輪
若い女性が茅の輪潜りを熱心に行っていた。近づいてはならない雰囲気だったので、遠くから眺めていた
その女性から挨拶をされたので、茅の輪潜りを見ていた感想を述べた



宮崎市内居住の、この女性は病気で入院前に約50kmほど離れたこの神社にお詣り来た
この日は無事退院することができたので御礼参りに来たとのこと
信仰心の無い爺とは違い、立派な考え方を持ち、清々しい気持ちになった



祓所



神門(南大門)






拝殿






御神象






拝殿内部



創建されたのは神武天皇が宮崎の宮を発し東遷の折、此の地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し祭神を鎮祭されたと伝えられる。



拝殿・幣殿・本殿



本殿
祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)< 別名 : 大国主命>」



神の石納所
先に「石持ち神事」で、黒い石をひとつ持って参拝すると願い事が叶うと記した。
その石を納める場所がここである。



右側に回る。本殿に近い場所に剣が置かれている



少し高いところから社殿を眺める



下には「西神苑」



日向国の第一の大社であったが、島津・大友の争乱の兵火により社殿・宝物・古文書等全てを焼失、御神体は尾鈴山麓に避難され難を逃れた
元禄5年に秋月藩主 秋月種政が再興し、安政6年には篤志家の社殿の寄進があった
その後、社殿の老朽化に伴い、平成19年7月に現在の社殿が竣成された



悩みの元をメシ取る大杓文字
都農神社の杓文字といわれ、古来より病気平癒のご利益があると伝えられている
先の女性のお詣りと結びついた



願掛け太鼓



末社 熊野神社(旧本殿)



神楽殿・神輿庫(旧拝殿)









撫で大黒



草鞋絵馬掛所



小槌おみくじ



撫でウサギ









撮影 令和元年6月6日
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犬熊山 萬福寺(宮崎県東諸県郡国富町大字本庄)

2020年01月25日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月6日

犬熊山 萬福寺
初めて訪れる寺である。重文の仏像を所有しているとネットで調べて来た

山門
初代の山門は江戸時代後期に建立された。昭和4年と平成28年に改修し、現在に至る



収蔵庫と樹齢200年の石櫧樫(イチイカシ)






重文の阿弥陀如来像と脇侍像(観音菩薩、勢至菩薩)は、1本のカヤの木を彫って作られた
おそらくこの収蔵庫に安置されているのであろう



本堂
萬福寺は、伝教大師 最澄によって、延暦22年(803年)に開かれた名刹
法要があるということで、本堂内への立ち入りはできなかった



観音堂






楽山園
萬福寺の日本庭園である枯山水庭園



この桃山式庭園は昭和初期に造られた












残念ながら庭園の良さをまったく理解していないため早々に引き返す



昔、ここで熊が襲ってくるのを知らせるために吠えた犬を山幸彦(ホオリノミコト)が怒って殺した
その犬と熊を弔った所といわれ、これが山号「犬熊山」の由来となっている






樹齢200年の石櫧樫(イチイカシ)の数年前の写真を見ると、約2倍の高さがある。何らかの理由で切られたようだ



仏像拝観の目的を達することはできなかったが、こういうことも私の旅では日常的
本堂前の両側にソテツの木がある寺を見ることができただけでも良しとしよう



撮影 令和元年6月6日
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竹篠山 西方院 王楽寺(宮崎県宮崎市大字瓜生野)

2020年01月24日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月6日
ナビの案内通り進むと、何時ものように細い道を案内する。途中から舗装も無くなり急カーブの坂道で車が曲がれなくなってしまった
前にも後ろにも動くことができない。今回だけは正直駄目だと思った
何度か車から降り路肩から落ちないように距離を確認し、30分ほど要したがこれまでの旅で最大の危機を回避することができた

竹篠山 西方院 王楽寺
寺に着いたときは安心感からか、しばらくボッ~と車内にて時間を過ごしていた
帰りの心配もあったが、写真を撮らなければならないと車を降りた

鐘楼
この寺の素晴らしい所は境内が綺麗に整備されているところだ






手水舎






私の地元の北海道では目にすることのできない植物だ



本堂
天台宗の開祖伝教大師の開山と伝えられるが一説には養老年間の創建とも伝われ千古の歴史を有する古刹



「天孫瓊瓊杵尊、笠狭の宮に至りし時、この地朝日直射し、夕日の照る国、正に王道楽土の地なりと宜べ給えり」とあり、その故事に因んで王楽寺と名付けたと伝えられている



重文の本尊薬師如来、日光菩薩、月光菩薩の三尊は、毎年4月8日に開帳される



本堂周辺には墓石や碑などが置かれている



「本堂改築碑」と読める。王楽寺は、文政13年大火災で焼失、明治4年廃仏毀釈の法難で廃寺、明治16年再興され今日に至っている



山嶽仏教の據点として又修験道の本山として栄え12支院を擁していたが、現在は地区民の管理となっている



車の音が聞こえてきたので駐車場に移動する
聞くと、大きな道があるということがわかり一安心。再び境内に戻る



この近くにあった建物は宝物館なんだろうか



帰りの心配がなくなったので余裕を持って境内を散策する。有名無名の墓石が並んでいる



「鵜戸神宮 第二十八代別当 舜偏僧正の墓」



「十輪院聖瑜法印の墓」
聖瑜法印は綾城 地頭 長倉狭守の弟に当たる 若狭守は稲津越前守のざん訴により切腹の身となり、若年の2人の子供まで殺害される
聖瑜法印は立腹し、霧島御池に3、7日間の呪詛の立行に入る
呪詛の障碍により稲津家も断絶となる。聖瑜法印はその後、高野山に居住す



その後、鵜戸大権現社第34代別当となる
聖瑜法印は、晩年、山王楽寺にて遷化す






「鵜戸神宮 三十四代別当 實誉僧正の墓」
上記、聖瑜法印と同一人物である









福智神社
王楽寺の東隣りにある福智神社。神話の山彦(山幸彦)を祀っている



蔦の絡まる鳥居が何とも魅力的だ



竹篠山は天孫瓊瓊杵尊の御子彦火火出見尊御誕生の地と伝えられ歴史と伝説に富む由緒ある霊山である
眼下に大淀川、日向灘、宮崎市街を一望出来るこの場所が好きだという女性
駐車場で(ナビは細い道を戻れといっているので)、私が来た山道とは、違う道があるか尋ねた女性だ



しばらくすると、地元の男性もやってきて、宮崎の歴史の話しや北海道の自然の話しなど楽しく会話することができた
女性は、大きな道路に出るまで先導してくれた。親切に感謝したい。いい思い出となった



撮影 令和元年6月6日
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宮崎神宮(宮崎県宮崎市神宮2丁目)

2020年01月23日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月6日

宮崎神宮
初めて参拝するため勝手が分からず、駐車場探しから始まった



鳥居






祓所



東伏見宮依仁親王殿下 御手植 杉・願掛け絵馬



手水舎



神門



菊花紋章が光り輝いている



神社には巫女の姿がよく似合う



拝所
古くは、「神武天皇宮(社)」、「神武天皇御廟」などと称された。明治6年(1873年)に「宮崎神社」と改称し、更に同11年「宮崎宮」と改称
大正2年(1913年)に神宮号が許可されて現社名となった



主祭神は、神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこ の みこと、のちの神武天皇(初代天皇))
父神鸕鷀草葺不合尊と母神玉依姫命の2柱を配祀する



神殿(本殿)<国登録有形文化財>
本殿は方3間の切妻造妻入
前面に桁行4間の両下造の渡殿が接し、正面7間側面4間の幣殿に続く






参拝を終え、拝所から神門に移動する






神門から鳥居へ









古代船 おきよ丸
古事記や日本書紀にも登場する神武天皇にゆかりの ある古代船



神話ではこのおきよ丸で神武天皇が日向から大和へ出航されたと云われている(神武東征)
出航に備えていた折に急遽天候が回復し、予定を早め寝ていた村人を「起きよ!」と起こし廻った様からこの名が付いたという



撮影 令和元年6月6日
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青島神社(宮崎県宮崎市青島2丁目)

2020年01月21日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月6日

青島神社
宮崎県に入った。青島は3度目になるが、ずいぶん様子が変わっている
かなり離れた場所に無料の駐車場があり、そこから歩くことにした



周囲の景色を楽しみながら、海岸沿いの遊歩道を歩く
青島は全島が熱帯・亜熱帯植物の群生地として、国の特別天然記念物に指定されている



青島へ渡るための橋は大正9年(1920年)3月、昭和天皇が皇太子時代に行啓した折に架設されたのが起源で「弥生橋」と名付けられた。



鬼の洗濯板(国の天然記念物)



「鬼の洗濯岩(板)」と通称される周囲の隆起海床と奇形波蝕痕は昭和9年(1934年)国の天然記念物に指定された



まさに、自然が作った奇跡だ



鳥居



昭和中期には、新婚旅行先として絶大な人気を集めた場所の一つ



最初はタクシーの運転手の案内でこの場所まで、二度目は偶然であったが「裸参り」の日でこの場所まで来ることができなかった
青島神社への参拝は今回が初めてといってもいい



狛犬
沖縄県などでみられる伝説の獣像(シーサー)に似ている









「天の御柱巡り」 若いアベック(古い)が何やら楽しげにしていたので近寄ってみた






山幸海幸神話に因む神で、「縁結びの神」として信仰されているようだ



御祖(みおや)神社






手水舎






由緒書



修祓(しゅばつ)の儀






掃守(かもん)神事






神門



扁額には「鴨就宮(かもつくみや)」 青島は昔、鴨就島と呼ばれていたそうだ



拝殿



天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと)とその妃神 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、そして塩筒大神(しおづつのおおかみ)を祀る



拝殿内部



「ご縁継ぎ」



石神社(山の神)
婦人病の神様として信仰されている



海積(わだつみ)神社(海の神)



御成道(おなりみち)



「願掛け絵馬」



絵馬のアーチは壮観である



青島神社では印象に残る場所だ



先に進む。倒木がそのまま置かれていて、その下をくぐるのもいい



投瓫(とうか)所






平瓫(ひらか)投げにも作法がある
1 磐境(いわさか)に二礼
2 平瓫に小声で願い事を唱える
3 磐境に向け平瓫を投ず



元宮









再び「願掛け絵馬」のアーチを通り戻る



社務所と神門



拝殿に一礼










冬祭(成人の日)、「裸参り」の神事が行われ、氏子青年や信者がこの場所の海水に浴して、静かに祈願する



海岸から神社までは800mほどあるので、このような乗り物(トゥクトゥク)もある



瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花佐久夜姫(このはなさくやひめ)の家族団欒像



この施設の駐車場(無料)を利用させてもらった



撮影 令和元年6月6日
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札幌モーターショー2020 その2(会場:札幌ドーム)

2020年01月20日 | 北海道
札幌モーターショー2020 その2
トヨタTOYOTA
 “未来の愛馬”として紹介されたコンセプトカー「TOYOTA e-RACER」が未来の電動スポーツカー



外観はとてもシンプル。もちろん自動運転で車庫入れも人間より正確にAIがやってくれるのだろう



俄に観客が集まってきた
未来の服を着た無表情なモデルが登場、数カ所でポーズをとり退場して行った



「レクサスLEXUS」の日本人離れをしたスタイルのコンパニオン



アルファロメオAlfa Romeo



ジープJeep



瞳と笑顔の美しい女性です






「ルノーRENAULT」のコンパニオンは清純派タイプ。ドキドキしてしまう(笑)



マクラーレンMcLaren



スポーツタイプの日本車も昔はこのような流れるようなボディラインだった






午後にはいると一気に観客数が増えてきた感じがする。顔が写り込まないよう努力したが限界だ
これからは、コンパニオンの撮影に力を注ごうと考え行動した

真っ直ぐ向かったのがここ。確か輸入四輪のメーカーだが、会社名が思い出せない
この受付の二人、とても素敵なお嬢様という感じだ






たまには二輪車も









一枚お願いしますと声をかけると、「ダンロップ」のこの女性は仕事の手を止めて笑顔で応えてくれた



日産NISSAN
フロントには「R」のエンブレム。NISSAN-GTRだ



この円形のテールランプに憧れ、若い頃スカイラインを購入した



インディアンINDIAN
二輪展示車のなかで一番気に入った車がこれ



価格表を見てビックリ約500万円の二輪車



お仕事中、失礼しました



Tシャツに短パンといったらどこにでもいそうな感じがするがそうでもない



多くの男どもは必ず振り返って見るだろう



アウディAudi
金色に輝く「Audi A8」、会場では色ばかり目立ったが、よく見るとスタイリッシュでいい車だ






清楚な美人がいたので「スズキSUZUKI」のブースへ
カメラを向けると両手で何かの形を作ってポーズをとってくれる



尋ねると「SUZUKI」の「S」のマークだと。この女性を見て「素晴らしいのS、素敵のS」が頭に浮かんだ
誘いのSではなかったようだ(大笑)



スズキSUZUKI
スズキのコンセプトカー「HANARE」。室内には運転席もハンドルもない。



車中泊には最適かも知れない。車名のHANAREは日本語の「離れ」か。



日産NISSAN
「日産 フェアレディZ」には思い入れがある。スカGに乗っていたとき、Zの展示会に行った
座席に座り、ハンドルを握った瞬間「探していた車が見つかった」と即購入した



当時はまだ20歳代「280Z」は年収より高い車だった。長年、借金に苦しんだが、今ではいい思い出になっている



お嬢さん 「車には未来がありますね」



撮影 令和2年1月17日
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札幌モーターショー2020 その1(会場:札幌ドーム)

2020年01月19日 | 北海道
札幌モーターショー2020 その1
2年ごとに開催される札幌モーターショーに、今年もカメラをぶら下げてやってきた



会場は札幌ドーム。年々、階段の昇降がきつくなっている



観客の少ない初日を選んだ



GOODSMILE RACINGのレーシングカー
「SUPER GT」のGT300クラスで3度のシリーズチャンピオンに輝いているレーシングカー



SMS2020アンバサダー「雪ミク」が描かれている



二輪車の展示も行われている



大きな音量とともに美しい女性の声が聞こえる方に足が向く。日産NISSANのブースのようだ



さっそく笑顔が素敵な女性に迎えられたというより、こちらから近くに寄っていった(爺笑)



ポルシェPorsche
モーターショーの魅力は普段見ることのできないスポーツカーを間近で見ることができること






「911」の流れるようなボディラインの美しさは特別だ。



若い頃乗っていたフェアレディ280Zのロングノーズに少し似ていることを思い出した



後ろ姿のいい女ではなく、車だ






コンパニオンもポルシェPorscheに相応しい華麗な女性



こちらはマツダMAZDAの受付。カメラを向けると笑顔で応えてくれる



レクサスLEXUS



国産の高級車ブランド「レクサスLEXUS」
凄いんだろうなとは思うが、(買えないので)乗ってみたいと思ったことがない車でもある



レクサスLEXUS「LC500」よりも魅力的な女性






ホンダHonda
最近では環境に優しいとかで「NSX」のような夢のある車が姿を消しつつある



車を乗るために働いていた若い頃を思い出す
若者の車離れの原因の一つにカッコイイ車が少なくなっていることもあるのではないか



高級感あふれる室内



ホンダHondaの「e-car」 残念だが全く未来を感じない



走りを追求した究極の車(爆)






撮影 令和2年1月17日
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岩屋熊野座神社(熊本県人吉市東間上町)

2020年01月18日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月5日

岩屋熊野座神社
重要文化財の社殿があるということで訪れた
どこに車を駐めていいのか苦労したとのネットの書き込みと駐車場らしき場所までの道案内がとても参考になった



拝殿(重要文化財)
境内には茅葺きの建物が二つ建っている。その一つが、この拝殿である






説明書きによると、拝殿と摂社2棟がこの建物の中にあり、茅葺きの覆屋により保護されていることになる



手水舎



右側に移動する。奥に見えるのが本殿の覆屋である



拝殿と本殿の間の廊下



本殿(重要文化財)
中央殿、左殿、右殿が覆屋の中に確認することができる
祭神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)、相殿には応神天皇が祀られている



覆屋(重要文化財)
覆屋そのものが重文に指定されているのは珍しいのではないか
社殿は、平成24年までの3ヵ年かけ全解体修理を行い、享保12年(1727)当時の姿に蘇っている



本殿奥に、大蛇がすんでいると伝えられる場所があり、夜更けになるとほら貝を吹く音が聞こえるそうだ
この時は案内板にも記載は無く訪ねることができなかった



撮影ポイントを探すため移動
突然、イノシシが出たと思って驚いたが……違った(かなり焦った)



ここは社務所も無く、無人の神社。参拝者も私一人だった



ゆっくり、のんびりできていいと思うが、小心者の私には他に参拝者いる方が何故か落ち着く



撮り忘れていた重文の鳥居の横を通過したが、そのことさえ今日まで忘れていた



撮影 令和元年6月5日
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老神神社(熊本県人吉市老神町)

2020年01月16日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月5日

老神(おいがみ)神社
神社の駐車場があるのかも知れないが、カーナビが案内したのは方向転換のできない狭い道路
行き止まりの場所に路上駐車し駆け足の参拝となった

鳥居
車を駐めた場所の近くにあった鳥居。額には「老神神社」



鳥居
正式な参拝経路と思われる鳥居の方に移動する。額には「老神社」、神が抜けている



参道の正面に拝殿が見える



由緒書
鹿児島県の霧島神宮同体とある






参道の真ん中に石灯籠が立っている



八角形の石灯籠



寛延3年(1750年)の銘。神域との結界を表示している



拝殿
以前は、この拝殿と、右の神供所も茅葺き屋根だったという






重文の社殿を有しているが、人の気配はない






本殿(重要文化財)



よく見ると外側に見えるのが覆屋、その中に重文の本殿がある



大同2年(807年)に勧請された神社
現在の社殿は寛永5年(1628年)、相良藩主・相良長毎によって建てられた
社殿は正面3間、側面3間の柿葺き入母屋造り






撮影 令和元年6月5日
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蓬莱山 永国寺(熊本県人吉市土手町)

2020年01月15日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月5日

蓬莱山 永国寺
青井阿蘇神社で入手した「まちなかマップ」でこの寺の存在を知った
寺に伝わる幽霊の掛け軸から、幽霊寺の異名で知られている



西南戦争の際には、田原坂で敗れた西郷隆盛が33日間この寺に本営を置いていた



山門



寺号の「永国禅寺」



参道も整備されていて気持ちがいい。



千人塚石塔(耳塚)






鐘楼門



仁王門と鐘楼が一緒になった感じだ。



2階の扁額には山号「蓬莱山」 その下に梵鐘がある



仁王像






手水鉢






五重石塔(人吉市指定有形文化財)



人吉・球磨地方で最も古い在銘重層石塔









千手観音堂



額には「千手堂」



堂内の様子



西郷本営跡碑






この碑は、西郷本陣跡を記念して海軍大将山本善輔が揮毫したもの



本堂






本尊は釈迦如来像



「幽霊の絵掛軸」 幽霊より恐い太めの人物が写っている(笑)



寺伝によると、近郷のある男の妾が本妻の嫉妬に悩んで身投げした後、幽霊となって本妻を苦しめていた
実底超真和尚が、幽霊の醜い姿を描いて幽霊に見せると、驚いた幽霊は和尚の引導を請い、和尚の引導により成仏したという



「西郷隆盛書」






奥の間も開放しているのでどうぞと住職に勧められた






この部屋は居るだけで何故か楽しい






住職の人柄が理解できる









幽霊が出たという池。この伝説にちなみ、夏には「永国寺ゆうれいまつり」が開催される









廊下にかけられている西南戦争を描いた絵









実に居心地のいい寺であった。計画のない旅の良さか



撮影 令和元年6月5日
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青井阿蘇神社(熊本県人吉市上青井町)

2020年01月14日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月5日

青井阿蘇神社
道の駅「宇城彩館」にて国宝の社殿を有するこの神社の存在を知った
茅葺の社寺建造物としては初の国宝指定である

一の鳥居



禊橋(国登録有形文化財)



鳥居
社号石柱の「国宝」の文字が輝いている



台座に「皇紀二千六百年記念」と彫られているので、「正應」は元号なのか



楼門(国宝)
想像を絶する茅葺の楼門には驚いた
これまで訪れた神社を振り返っても茅葺の社殿は初めてかも知れない



慶長18年(1613年)に竣工した楼門は禅宗様に桃山様式を取り入れた寄棟造茅葺の三間一戸八脚門



上層四隅の隅木下に陰陽一対の鬼面を嵌め込む点が珍しく、これは当地方独自の「人吉様式」と呼ばれる






神額は人吉藩3代藩主相良頼喬が延宝5年(1677年)に奉納したもの。天台座主堯恕法親王の揮毫、林春常の裏書がある



「招霊木(おがたまのき)と一円玉」
天に向かって真っ直ぐに枝を伸ばすことから神霊を招く木とされてきた
玉串など現在では神事を「榊」をもちいるが、古来は「招霊木」が使用されていた。一円玉にデザインされているのが招霊木



手水舎









「教育勅語碑」






神社の守護神である「随身」






初層天井には「雌雄の龍」(心眼でも見えない)が描かれている



拝殿(国宝)



慶長16年(1611年)の竣工で、桁行7間、梁間3間、寄棟造平入茅葺
前面に1間の唐破風造銅板葺の向拝(こうはい)を付ける



参拝後、内部を撮る。「徳輝」の文字のような人物になりたいものだ



幣殿(国宝)
左側に移動する。幣殿・本殿と続く
幣殿は梁間3間、桁行5間の寄棟造妻入茅葺で前面は拝殿に接続する



幣殿外部の彫刻






幣殿内部の彫刻









本殿(国宝)
三間社流造銅板葺。この屋根だけが茅葺ではないのに驚いた



拝殿と本殿の間の「廊」(梁間1間、桁行1間切妻造銅板葺)も国宝である






右側に移動。相良氏入国より約400年前、今から1200年前の大同元年(806年)に神社が創建された



建磐龍命(たけいわたつのみこと)とその后神である阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)
両神の御子神である國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)を祀る



幣殿(国宝)



左側から、拝殿・幣殿・廊・本殿(国宝)



青井稲荷神社



この神社では有名な鶏だと聞いた



宮地嶽神社



興護神社



神木(青井阿蘇神社の楠)
人吉市天然記念物に指定されている
根回り18m、樹高19m、地上1mで2幹に岐れる



青井大神宮 内宮・外宮(人吉市指定文化財)



内宮の「天照皇太神」



外宮の「宇気皇太神」



青井大神宮から社殿を見る






熊本県は遠いが再訪することになるだろう



撮影 令和元年6月5日
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発星山 本妙寺(熊本県熊本市西区花園)

2020年01月09日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月4日

六条門流九州総導師 本妙寺
武蔵が籠って「五輪の書」を書いた霊巌洞から本妙寺を目指し、山道を走っている途中に駐車場の案内を発見
後続車に迷惑をかけたが、急左折し駐車場に入った

中門
調べてみると、有形文化財の仁王門、桜並木の参道、12の塔頭をカットした場所に車を駐めたことを今知った



扁額には、三條實美書の「浄池廟」
浄池廟(じょうちびょう)には肥後熊本藩の初代藩主・加藤清正が祀られている



浄池廟拝殿
寺に来ているのに神社のような違和感を持った



調べてみると
神仏分離令によって浄池廟と本妙寺は神社と寺として分けられ、1871年(明治4年)に社殿だけが熊本城内に移され、加藤神社となった



狛犬






中門の奥に熊本市街が展望できる



手水舎



寺務所



平和の塔
地震で土台部分が破損したのか、修復の協力を呼びかけていた



浄池廟本殿



加藤清正の遺言により、熊本城の天守と同じ高さの地に葬られて、浄池廟と称された



浄池廟は、正面に清正の木像を安置、その真下に清正が葬られている



栗毛堂
清正の栗毛の愛馬



「往来で江戸のならずものにぶつかったとしても帝釈栗毛は避けて歩け」というほど荒々しい馬であったと伝えられている



栗毛堂前の石造りの三猿






論語猿



「清正が論語を読んでいて、座をたった間もなく猿が朱筆で本を塗りたくった。そこで清正はその猿に論語猿と名づけたという」









拝殿と本殿の間の通路



金宦の墓
金宦とは文禄の役で、清正に連れてこられた被虜朝鮮人で、清正の近侍となって目をかけられた
200石を貰い日本人を妻として2人の子供に恵まれたという



清正が亡くなったとき腹を切ろうとしたが二人の子供から止められ失敗に終わった
しかし、七回忌を迎えた時、子供たちが油断したすきに切腹した



清正の眠っている横にある立派な墓をみて、往時の日本人の心を深く感じた



鐘楼






撮影 令和元年6月4日
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宝華山(別名岩殿山)雲巌禅寺(熊本県熊本市西区松尾町平山)

2020年01月08日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年6月4日

宝華山(別名岩殿山)雲巌禅寺
熊本県に入る。歴史上の人物の中でも大好きな宮本武蔵が晩年こもった場所にやって来た
駐車場の前には巨大な像が置かれている。三船敏郎の武蔵のイメージとは違う



寺号標
雲巌禅寺まで500m程緑のトンネル(最後に写真あり)歩くことになる



仁王像
最初に迎えてくれたのが仁王像
多くの木々に囲まれて寺の建物が視界に入って来ない









この美しい境内は、「熊本県指定史跡及び名勝」になっている



石段があるので上がってみる。境内には多くの石仏が置かれている



本堂



日本の南北朝時代、寧波より渡来した元の禅僧・東陵永璵(とうりょうえいよ)により建立されたと伝えられる



本堂正面



額には、寺号の「雲巌寺」



堂内の様子



境内にある「慈眼」と書かれた小さな祠



慈悲の心をもって衆生を見る仏が安置されている



眼病平癒に効くという観音様。私の目も少し曇ってきているので手を合わせた



ここから有料区域(200円)になる



五百羅漢
奥の院「霊巌洞」に向かう途中にある



安永8年(1779年から24年がかり)で、商人 淵田屋儀平が奉納した






武蔵の時代には、この「五百羅漢」は無かった






自分にそっくりな像があるというが……



焔魔洞



洞内は薄暗いが、閻魔様が睨みをきかせている



さらに石段が続く



この場所には歴史の流れを感じさせる、大きな石仏が安置されている






両脇侍の頭部が欠落している






すでに、自然界の一部になっている



緑が深くてよくは見えないが、目的地に近づいている感じがする



兵法「二天一流の由来」碑



石造十三重塔



霊巌洞



目的地に到着した。その前に足下にある仏様にご挨拶



予想していたより、はるかに大きい洞窟だ
晩年の5年間を熊本で過ごした宮本武蔵が、この洞窟にこもって兵法書「五輪書」を著した



洞窟内に入り、眼に入るものを撮っていく



墓石に自分の戒名を刻み朱を入れたりするのは何度も見かけてきたが、岩に刻むのは初めて見た
逆修(ぎゃくしゅ)の意味も初めて知った






本尊・石体四面の馬頭観音像
雲巌禅寺はご本尊にちなみ、「岩戸観音」と呼ばれている
寛永20年(1643年)から死の直前の正保2年(1645年)にかけて、金峰山にある霊巌洞で執筆されたという「五輪の書」
武蔵は巻頭にこう記している
「……九州肥後地岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前にむかひ、……天道と観世音を鏡として、十月十日の夜、寅の一てんに筆をとって書初るもの也」






岩窟上部に、元の禅僧・東陵永璵が彫った文字がわかるだろうか。右から「霊 巌 洞」とある



船頭石
楫を過った船頭が、観音菩薩の前に、その過ちを悔い、遂には石になったという



武蔵は、正保2年(1645年)に没した。1年以上洞にこもっていたことになる



帰り道、来るときには気づかなかった石仏がいくつかある。



すれ違った参拝者は6名。全員が外国人観光客だったことに驚く



延命地蔵尊






本堂付近に戻る。ガラスケースに入っている展示物を撮る
「五輪の書」は学生時代に読んだことがある









石灯籠
ここから水が流れ落ちている。口を漱ぎ、手を清め本尊にお詣りするということを最後に知った






本堂から駐車場に戻る。素晴らしい景色だ



撮影 令和元年6月4日
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