訪問日 令和元年6月7日
予報通り、朝から雨が降り続いている。この日の予定を立てていたとき、屋内の施設で興味深いところを見つけた
大河ドラマ「西郷どん」でも重要な場所となった宿陣跡である
西郷隆盛宿陣跡資料館
司馬遼太郎の小説「翔ぶが如く」や「竜馬がゆく」で登場する西郷が私の知る西郷隆盛である
「西郷どん」は最終話まで欠かさず視聴し、魅力ある西郷を知った
「和田越の決戦」に大敗北を喫した西郷隆盛軍が、北川に逃れた際に立ち寄ったゆかりの家
現在は、資料館として整備され、隆盛愛用の遺品や戦争資料が展示されている
西郷隆盛の肖像
西郷隆盛は写真が残っていない
写真嫌いだったとも周囲が暗殺を恐れたためともいわれている
「イタリアの画家 エドアルド・キヨッソーネ」の肖像画が有名だが、一度も会ったことがないという
西郷の遺族、親族列席の上にて「此こそ翁の真像」との決定を与えられ、イト子未亡人に贈呈されたのがキヨッソーネの西郷隆盛の肖像である
<展示室の資料の一部を掲載>
「西郷隆盛と山縣有朋」 外は雨、次の予定もないので、時間をかけてゆっくり回る
「西南戦争」
「和田越決戦」
「西郷札」
「西郷札(さいごうさつ)」は、松本清張の短編小説にもなった。清張の処女作でもある。
「延岡隊」
「西南戦争と延岡」
「西南の役陣中日記」
「薩軍に投降を促す木札」
木札には「官軍に降参する者ハころさず」
「敬天愛人の教え」
天を敬い人を愛し 天を知り 己を尽くし 人を咎めず 我が誠の足らざるを尋ねるべし
天は人も我も 同一に愛し給うゆえ我を愛する心を以って 人を愛するなり
「伝 桐野利秋(中村半次郎 )の刀」
天誅行動で鳴らし、「人斬り半次郎」の異名をとった
1867年9月、兵学者で自らの師でもある赤松小三郎を暗殺した。明治維新後、桐野利秋と名を改める
政府軍が城山を総攻撃したとき、西郷隆盛・桐野ら40余名は洞前に整列し、岩崎口に進撃した。途中で西郷が被弾し、島津応吉久能邸門前にて別府の介錯で自決
跪いて西郷の自決を見届けた桐野らはさらに進撃し塁に籠もって勇戦したが、額を打ち抜かれて戦死した。享年40
軍服焼却の地
西郷は解散布告令を出した後、軍の重要書類と陸軍大将の軍服を焼いた
和田越決戦で薩軍を圧倒する政府軍の戦力と立派な戦いぶりを目の当たりにしたとき、傍にいた桐野利秋に「これで日本の将来も大丈夫じゃ」と語った
西郷隆盛宿陣跡
「西郷隆盛と薩軍幹部最後の軍議」
「薩軍解散布告令≪訳≫」
我が軍は戦いに負け追いつめられた
今日より後はただ命をかけて最後の戦いをするだけです
この際、諸隊においては、降参する者は降参してもよいし、戦って死ぬ者は死んでもよい
幹部も部下も身分の差もなく自らの判断で好きなようにしなさい
撮影 令和元年6月7日
予報通り、朝から雨が降り続いている。この日の予定を立てていたとき、屋内の施設で興味深いところを見つけた
大河ドラマ「西郷どん」でも重要な場所となった宿陣跡である
西郷隆盛宿陣跡資料館
司馬遼太郎の小説「翔ぶが如く」や「竜馬がゆく」で登場する西郷が私の知る西郷隆盛である
「西郷どん」は最終話まで欠かさず視聴し、魅力ある西郷を知った
「和田越の決戦」に大敗北を喫した西郷隆盛軍が、北川に逃れた際に立ち寄ったゆかりの家
現在は、資料館として整備され、隆盛愛用の遺品や戦争資料が展示されている
西郷隆盛の肖像
西郷隆盛は写真が残っていない
写真嫌いだったとも周囲が暗殺を恐れたためともいわれている
「イタリアの画家 エドアルド・キヨッソーネ」の肖像画が有名だが、一度も会ったことがないという
西郷の遺族、親族列席の上にて「此こそ翁の真像」との決定を与えられ、イト子未亡人に贈呈されたのがキヨッソーネの西郷隆盛の肖像である
<展示室の資料の一部を掲載>
「西郷隆盛と山縣有朋」 外は雨、次の予定もないので、時間をかけてゆっくり回る
「西南戦争」
「和田越決戦」
「西郷札」
「西郷札(さいごうさつ)」は、松本清張の短編小説にもなった。清張の処女作でもある。
「延岡隊」
「西南戦争と延岡」
「西南の役陣中日記」
「薩軍に投降を促す木札」
木札には「官軍に降参する者ハころさず」
「敬天愛人の教え」
天を敬い人を愛し 天を知り 己を尽くし 人を咎めず 我が誠の足らざるを尋ねるべし
天は人も我も 同一に愛し給うゆえ我を愛する心を以って 人を愛するなり
「伝 桐野利秋(中村半次郎 )の刀」
天誅行動で鳴らし、「人斬り半次郎」の異名をとった
1867年9月、兵学者で自らの師でもある赤松小三郎を暗殺した。明治維新後、桐野利秋と名を改める
政府軍が城山を総攻撃したとき、西郷隆盛・桐野ら40余名は洞前に整列し、岩崎口に進撃した。途中で西郷が被弾し、島津応吉久能邸門前にて別府の介錯で自決
跪いて西郷の自決を見届けた桐野らはさらに進撃し塁に籠もって勇戦したが、額を打ち抜かれて戦死した。享年40
軍服焼却の地
西郷は解散布告令を出した後、軍の重要書類と陸軍大将の軍服を焼いた
和田越決戦で薩軍を圧倒する政府軍の戦力と立派な戦いぶりを目の当たりにしたとき、傍にいた桐野利秋に「これで日本の将来も大丈夫じゃ」と語った
西郷隆盛宿陣跡
「西郷隆盛と薩軍幹部最後の軍議」
「薩軍解散布告令≪訳≫」
我が軍は戦いに負け追いつめられた
今日より後はただ命をかけて最後の戦いをするだけです
この際、諸隊においては、降参する者は降参してもよいし、戦って死ぬ者は死んでもよい
幹部も部下も身分の差もなく自らの判断で好きなようにしなさい
撮影 令和元年6月7日