今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

東京国立博物館 その7(東京都台東区上野公園)

2015年11月23日 | 博物館・美術館・記念館
東京国立博物館 東洋館
「東洋美術をめぐる旅」をコンセプトに、中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示している

インド・ガンダーラの彫刻
2世紀~5世紀のガンダーラ(パキスタン北西部)とマトゥラー(インド北中部)の仏像を中心に紹介していく。
 
作品23
仏像の顔は東洋というより、鼻筋のとおった西洋人の顔立ちをしている



作品24



作品25



作品26



作品27



作品28



作品29



作品30



作品31



作品32



作品33



作品34



作品35



作品36



作品37



作品38



作品39



作品40



作品41「ミイラ」
ミイラを見るのは初めてで、とても興奮した。









撮影 平成27年10月14日

 
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東京国立博物館 その6(東京都台東区上野公園)

2015年11月22日 | 博物館・美術館・記念館
東京国立博物館 東洋館
「東洋美術をめぐる旅」をコンセプトに、中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示している

中国の仏像
インドから中国に仏教が伝わったのは紀元前後頃
南北朝時代に入ると、寺院の造営が行なわれるようになり、仏教は中国でも大いに隆盛した
東洋館では壁際に置かれ展示されている



作品11



作品12



作品13



作品14



作品15



作品16



作品17



作品18



作品19



作品20






作品21



作品22



撮影 平成27年10月14日
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東京国立博物館 その5(東京都台東区上野公園)

2015年11月21日 | 博物館・美術館・記念館
東京国立博物館 東洋館
「東洋美術をめぐる旅」をコンセプトに、中国、朝鮮半島、東南アジア、西域、インド、エジプトなどの美術と工芸、考古遺物を展示している

本館の親切な係員から「東洋館」の存在を聞き、限られた時間ではあったが入ることにした
この日は午後6時に羽田空港から千歳空港へ帰る予定で、遅くても午後4時30分には博物館を出なくてはならない
残された時間は30分

中国の仏像
インドから中国に仏教が伝わったのは紀元前後頃
南北朝時代に入ると、寺院の造営が行なわれるようになり、仏教は中国でも大いに隆盛した

作品01
時間がなかったため、駆け足で目の前にある仏像を撮っていく。したがって、作品名や年代など記載することができない
最初の仏像は上品でとても美しく、記憶に残っている



好みの仏像は、掲載する写真も多くなる






作品02



他の作品にもみられるが、鼻が損傷している仏像が多い感じがする



作品03 如来三尊立像(重要文化財)
 


写真では分かり難いが、仏像に厚みがないため、横から見ると違和感がある



作品04
中国の仏像とは思われない顔立ちをしている



仏頭というと興福寺に展示されている、山田寺の仏頭を思い出す



作品05



作品06



作品07



作品08



作品09 


 
作品10
十一面観音立像には人を惹きつける不思議な魅力がある



木には木の質感がありすばらしいと思っているが、石を削ってこれだけ細密にできるこの当時の中国の技術は凄い



横からみると分かると思うが、この薄さを感じさせない作品



撮影 平成27年10月14日
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東京国立博物館 その4(東京都台東区上野公園)

2015年11月20日 | 博物館・美術館・記念館
東京国立博物館
日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館

金銅能作生塔(国宝)
鎌倉時代、13世紀。能作生珠を納める塔
能作生珠は如意宝珠のことで、これが仏舎利に通ずることから、この塔も舎利塔と同じ意味を持つ



松喰鶴長方鏡<線刻観音鏡像>(重要文化財)
平安~鎌倉時代、12~13世紀



男衾三郎絵巻(重要文化財)
鎌倉時代、13世紀。関東に住む武士の兄弟の物語



絵巻の一部である



山水図(重要文化財)
岳翁蔵丘筆、天隠龍澤賛。室町時代、15世紀



一重口水指 銘 柴庵(重要文化財)
安土桃山時代、16世紀。信楽水指の代表作で、千利休の所持と考えられている作品



黒漆太刀(重要文化財)
鎌倉時代13~14世紀。獅子王の太刀に付属する黒を基調とした拵。すべてを黒漆塗りとする



太刀 福岡一文字助真(国宝)
鎌倉時代。備前国(岡山県)福岡庄に住した一文字派の代表工の一人



緋威五十二間四方白星兜(重要文化財)
南北朝時代、14世紀
ガラスに反射して映っているのが私である



金小札紅糸中白威腹巻(重要美術品)
安土桃山時代、16世紀



ここから先は展示してある絵を撮ったものである
展示室が暗く色彩がぼんやりしていたため、彩度を変えてみた
実際目にする作品よりも明るく、色彩をはっきりさせている。多くは重要美術品である

東州斎写楽









歌川豊国












歌川 国芳









日本画についてはまったく知識はないが、見ているとつい夢中になってしまう



4回にわたったが博物館「本館」の展示物の一部である
仏像や彫刻に興味があると係員に話すと「東洋館」をすすめられた

撮影 平成27年10月14日
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東京国立博物館 その3(東京都台東区上野公園)

2015年11月19日 | 博物館・美術館・記念館
東京国立博物館
日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館

火焔型土器
伝新潟県長岡市馬高出土。縄文時代中期、前3000~前2000年
把手が燃え盛る焔のようにみえることからこの名がついた



埴輪 盛装の女子(重要文化財)
群馬県伊勢崎市豊城町横塚出土。古墳時代、6世紀
女子像を表した人物埴輪としては、まれな全身像



袈裟襷文銅鐸(重要文化財)
滋賀県野州市小篠原字大岩山出土。弥生時代後期、1~3世紀
近畿式銅鐸とも呼ばれるように近畿地方を中心に分布する



遮光器土偶(重要文化財)
宮城県大崎市田尻蕪栗字恵比須田出土。縄文時代晩期、前1000~前400年
大きな目が、雪原の照り返しから目を守るイヌイットの遮光器に似ているところから遮光器土偶と呼ばれる



壺(重要文化財)
愛知県名古屋市熱田区高蔵町出土。弥生時代後期、1~3世紀
大きく開く口縁部と下膨れの胴部をもつ壺



須恵器 脚付長頸壺(重要文化財)
三重県鳥羽市答志町 蟹穴古墳出土。古墳(飛鳥)時代、7世紀



薬師如来立像
和歌山県那智勝浦町那智山出土。飛鳥~奈良時代、7~8世紀
霊山として知られる那智山で、経典類埋納する経塚から出土した金銅仏。蓋付きの薬壺を持つことから薬師如来とわかる



銅造聖観音菩薩立像(模造)
薬師寺東院堂安置の「聖観世音菩薩(国宝)」を模造したもの
日本屈指の美しい観音像の一つといわている



薬師寺の聖観世音菩薩像は、私の好きな仏像の一つである
模造品で表面の色(肌の色)の違いはあるが、美しさに魅了されてしまう



金銅大盤<興福寺鎮壇具のうち>(国宝)
奈良市興福寺中金堂須弥壇下出土。奈良時代、8世紀
盤とは大きな皿状の容器。この盤は径が50cmを超す大型。五穀を盛っていたと推測される
 


金銅鉢(重要文化財)
奈良時代、8世紀。鉢は応量器とも称し、僧侶が常に携行すべき比丘(びく)六物の一つ
この鉢は仏への供養の食器として用いられたもの



愛染明王坐像(重要文化財)
鎌倉時代、13世紀。明治で廃絶した奈良・内山永久寺に伝わったとみられる像
展示室入り口中央に置かれ、入館者を出迎えてくれるが、その姿・形には圧倒される



全身の鮮やかな彩色から、光背や台座、装身具に至るまで、制作当初の姿をとどめている



仏像好きの私だが、密教特有の憤怒相を主とする明王像は好きになれない
とはいえ、3枚も掲載しているのだから、どこかに魅せられているのだろう



撮影 平成27年10月14日
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東京国立博物館 その2(東京都台東区上野公園)

2015年11月18日 | 博物館・美術館・記念館
東京国立博物館
日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館



「BVLGARI」の至宝展が開催されていた。



「太刀」:長船長光(国宝)
長光は、鎌倉時代後期の備前国(岡山県)長船派の刀工。長船派の祖・光忠の子とされる。



「太刀」:古備前友成(国宝)
古備前派は、平安時代中頃に興った備前国の日本刀刀工一派の総称
一条天皇に召し出された「友成」が祖と伝わり、平安時代の中頃である永延頃から興ったと伝えられる



金銅五種鈴(重要文化財)



金銅火焔宝珠形舎利容器(重要文化財)



千手観音菩薩坐像・四天王像






虚空菩薩立像(国宝)
国宝だがここでは自由に撮影できる



寺で撮影禁止の理由を尋ねると「文化財に指定されているから」とか「仏様には魂が入っているから」と応える



本当のところはどうなんだろう



阿弥陀如来立像






地蔵菩薩立像(重要文化財)



地蔵菩薩立像



博物館が所蔵しているものについては撮影が許可されているが、それ以外の展示物については撮影が禁じられている
 


撮影 平成27年10月14日
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東京国立博物館 その1(東京都台東区上野公園)

2015年11月17日 | 博物館・美術館・記念館
東京国立博物館
日本と東洋の文化財(美術品、考古遺物など)の収集保管、展示公開、調査研究、普及などを目的として独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館

「老人の首」:高村光太郎
日本を代表する彫刻家であり、画家でもある。『道程』、『智恵子抄』等の詩集が著名
智恵子がモデルとされる「乙女の像」(青森県十和田湖畔)に惹かれていた時の記憶が甦ってきた



展示している作品が多いため、気に入ったものだけ撮った






「鷲置物」:鈴木長吉(重要文化財)
獲物を狙う岩上の鷲を写実的にあらわした青銅製の置物



この鷲の置物は、米国シカゴ・コロンブス世界博覧会の日本側博覧会事務局の依頼で製作したもの



この作品を見たとき、鳥取県の水木しげるロードにある「妖怪のブロンズ像」を思い出した



「烏有先生像」:平櫛田中
田中(でんちゅう)は写実的な作風で、近代日本を代表する彫刻家の一人
ケース内に展示されているため、室内灯が反射してしまう



浅草寺の雷門の背面(境内側)にも、田中による天龍像が設置されている



「執金剛神立像」:竹内久一
明治時代の彫刻家。岡倉天心に協力して東京美術学校が開校すると、久一は彫刻科の教師となり3年後に教授に任命される
そこでの仕事はおもに古彫刻の模刻と修復であった



シカゴ万国博覧会に『伎芸天』を出品して好評を得る
今にも動き出しそうな見事な作品である



優雅な作品にふさわしい女性が来るのを待っていた



「短刀」:小野繁慶(重要美術品)
重要美術品は、日本政府(文科大臣)が、日本国外への古美術品の流出防止を主目的として認定した有形文化財のことである



「漁舟図鐔」(重要美術品)



「短刀」:相州貞宗(国宝)
貞宗は、鎌倉時代末期の相模国(神奈川県)の刀工で、正宗の子、または養子と伝えられ、現存在銘刀はないが相州伝の代表的刀匠とされている


 
貞宗の現存作刀には在銘物は皆無である



撮影 平成27年10月14日
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彰義隊の墓(東京都台東区上野公園)

2015年11月16日 | 名所・旧跡
彰義隊
鳥羽・伏見の戦いの後、徳川慶喜は、新政府に対する恭順の意を表し、翌12日上野寛永寺に蟄居した
徳川慶喜の警護などを目的として結成されたのが彰義隊。「大義を彰(あきら)かにする」という意味」
そこには徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士などが集まり、上野の山を拠点として新政府軍と対峙した

彰義隊の墓
大村益次郎が指揮する政府軍は、寛永寺一帯に立てこもる彰義隊を包囲し総攻撃を行った
新政府軍が優勢に戦闘をすすめ、1日で彰義隊を撃破、寛永寺も壊滅的打撃を受けた



手向けられている花の石柱には「尽忠報国」「彰義隊」と刻まれている



戦闘後、上野には200名を超える彰義隊士の遺骸が残った
芝増上寺、縁故者等が引き取りを申し出たが、官はこれを容れなかったという
戦死者を上野で荼毘に付したうえ、官許を得て遺骨を南千住円通寺に埋葬した



しかし1874年(明治7年)、元彰義隊士小川興郷などの願が許可され、激戦地であり隊士の遺体の火葬場となった上野に彰義隊の墓を建立



以後、120年余りに渡り、小川一族によって墓所が守られてきた



現在、上野公園入口付近にあるこの墓所の管理は東京都に移されている



撮影 平成27年10月14日
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黒田記念館(東京都台東区上野公園)

2015年11月15日 | 博物館・美術館・記念館
黒田記念館(有形文化財)
洋画家の黒田清輝は、没する際に遺産の一部を美術の奨励事業に役立てるよう遺言した
これをうけて昭和3年に竣工したのが黒田記念館
遺族から寄贈された遺作を展示して画家を顕彰するために黒田記念室が設けられた



入館無料という甘い誘いに、ついのってしまった。
黒田清輝の代表作「湖畔」の制作過程などもDVDで視ることができる。



黒田清輝像。画家というより政治家・実業家の堂々とした風貌である



この椅子に座り多くの作品がつくりだされた



館内に展示されている作品



嬉しいことに館内の撮影は許可されている。私の経験では初めてである



展示されていた作品の中で一番好きな「瓶花」という作品
この作品が気になり、何度もこの絵の前に来てしまう



私は芸術家ではないが、旅の記録写真をこえた一枚を撮ってみたいと強く思った



撮影 平成27年10月14日
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東叡山 寛永寺 その6(東京都台東区上野桜木)

2015年11月14日 | 神社・仏閣
東叡山 寛永寺
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した

根本中堂 
公園内の案内板を見ながら、寛永寺では最後となる根本中堂についた


 
元禄11年(1698)、現上野公園内大噴水の地に建立された根本中堂は、慶応四年(1868)彰義隊の戦争の際に焼失



現在の堂は、寛永寺の子院・大慈院のあった敷地に、明治12年(1879年)、川越喜多院の本地堂を移築したもの






歴史研究風の老人達が十数名集まっていた程度で、参拝者はほとんどいない
幼稚園と中学校に挟まれているため、時折子供たちの甲高い声が響く



本尊は、伝教大師最澄自刻とされる薬師瑠璃光如来像(国指定重要文化財)を秘仏として祀っている



銅鐘
かつては将軍家霊廟の儀式鐘であったが、明治維新以降に当所に移された
除夜の鐘や重要な法要の際に使用されている

 

旧本坊表門・根本中堂 鬼瓦
寛永寺旧本坊表門(重要文化財)に据えられていたもの






慈海僧正墓
墓石の正面中央に、聖観世音菩薩像を彫り込んでいる
 


すべての石仏に花が飾られている。日本人の信心深さを知ることができる


 
朝9時過ぎにJR上野駅から上野公園へ、寛永寺を廻ろうと心に決めてここまできたが、既に4時間が経過している
昼食抜きで何とか廻り終えることができた
空腹よりも足首が痛くなってきた。根本中堂の横を歩き、博物館の方へ戻る



木陰からスカイツリーが遠くに見える。あれも塔だが、まだ興味が湧かない



撮影 平成27年10月14日
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東叡山 寛永寺 その5(東京都台東区上野桜木)

2015年11月13日 | 神社・仏閣
東叡山 寛永寺
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した

徳川歴代将軍御霊廟(重要文化財)
根本中堂を目指して歩いてきたのだが、様子が変だ
いつものように道を間違ったのかと悔やんでいると、目の前にカメラを持った老夫婦が歩いていった



その後をついて歩くと、見事な建築物が見えてくる

常憲院殿(五代綱吉公)勅額門(重要文化財)
案内板には「徳川綱吉霊廟勅額門(重要文化財」の記載がある。常憲院は法名である



勅額門の形式は四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、銅瓦葺



寛永寺の霊廟には六名の将軍(四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定が埋葬されている



天璋院篤姫の墓所
五摂家筆頭近衛家の娘として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第13代将軍徳川家定御台所となった。天璋院は戒名
一瞬喜んだが、残念ながら非公開。周囲を歩いても外観すら見ることができない



周辺の様子









了翁禅師顕彰碑
生前に作られたもので、了翁禅師の業績を刻んでいる
  


了翁禅師像
江戸時代前期、教育文化、社会福祉、公共事業など各種の社会事業に貢献した黄檗宗の僧



撮影 平成27年10月14日
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東叡山 寛永寺 その4(東京都台東区上野公園)

2015年11月12日 | 神社・仏閣
東叡山 寛永寺
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した

旧寛永寺五重塔(重要文化財)
寛永寺を訪れた大きな目的は、東京に二つある重要文化財の五重塔の一つがあるからである
上野公園に着いて途中寄り道をしたが、3時間後、やっと目的の場所にたどりついた



事前に地図を見て気付いてはいたが、確認のために「五重塔を見るには動物園に入らなければいけないですか」と係員に聞く
やはりそのようだ。違和感があるが、拝観料だと思い600円の入園料を払った。



目の前に低い柵があり、狭い範囲でしか見ることができないのかと落胆していると
五重塔拝観者は柵内に入ることができるという、小さな注意書きがあった



柵内に入り塔の周囲を歩いてみたが、距離が近すぎて全体が見えない



第一層には釈迦・薬師・阿弥陀・弥勒の四方四仏が祀られていた(東京国立博物館に寄託)



寛永八年(1631)に初建されたこの塔は、第五層のみが銅板葺で、他は瓦葺、高さは地上から先端の宝珠まで36m
現在の塔は寛永十六年(1639)の再建



1958年に寛永寺が東京都に寄付、現在の所有者は東京都
名称に「旧」とつくのはそのため

さて、上野動物園といえばナンダ、そうパンダである
この日は陽射しが強すぎ五重塔を撮るには条件が悪すぎたので時間つぶしにパンダをみることにした



どうもこちらも条件が悪そうだ。日中友好のパンダもケツを向け寝ている



これからはインドの時代だ。つまらないことを考えながら五重塔へ戻ったがあまり条件は変わっていなかった



動物園を出て歩いていくと、大きな銅像が見えた。誰かなと思い、その場所に進んでみた

小松宮彰仁親王銅像
この時代の歴史に疎く、まったく知らない人物である
鳥羽・伏見の戦に征東大将軍として参戦
ついで会津征伐越後口総督となり、戊辰戦争に従事したという



西南戦争負傷者救護団体の「博愛社(後の日本赤十字社)」の総長に就任



旧因州池田屋敷表門(重要文化財)
因州池田家江戸屋敷の表門(黒門)



後に「東宮御所」として使用され「高松宮家」に引き継がれる



屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風造の番所を備えており、大名屋敷表門として最も格式が高い



撮影 平成27年11月14日
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上野東照宮 その2(東京都台東区上野公園)

2015年11月11日 | 神社・仏閣
透塀の内側の社殿へ行くには、500円の拝観料が必要となる。
 
 

 御神木「大楠」
 樹齢600年以上、幹の太さは8m以上で上野公園一。

 

 透塀(重要文化財)
 1651年(慶安4年)造営。菱格子の向こう側が透けて見えるのでこの呼び名がある。 社殿の東西南北を囲んでいる。

 

 社殿(重要文化財)
 1651年(慶安4年)造営。金色殿とも呼ばれている。
 寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建。現在の社殿は慶安4年(1651年)に徳川家光が改築したもの。

 本殿
 参道側から拝殿、幣殿、本殿の三つの部屋から構成される権現造り。
 透塀内に入ると、眼前に黄金色に輝いている本殿の外壁が目に入ってくる。

 

 徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀る。組み物の先までみごとに装飾されている。

 

 外壁の豪華な彫刻。
 
 

 拝殿の横に移動する。

 

 拝殿

 


 

 若い頃は金色に輝く豪華絢爛な建築物に違和感があった。
 しかし、中尊寺の金色堂を見たときも感じたことだが、年齢を重ね、人生経験を積み重ねていくと、その考え方、感じ方も変化してくる。

 

 「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」 全国にこれだけ祀られている歴史上人物もいないのではないか。

 

 唐門(重要文化財)

 

  内側の透彫は諫鼓鳥(かんこどり)という中国の故事に由来し、天下泰平の願いを込めて彫られたと考えられている。

 

 この唐門は内側から見てはじめて四脚門ということがわかる。

 

 拝殿全景

 

 銅燈籠(重要文化財)
 全48基。諸大名から奉納されたもの。
 唐門両側の6基は、内側より紀伊・水戸・尾張の徳川御三家より2基ずつ寄進されたもの。

 

 撮影 平成27年10月14日
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上野東照宮 その1(東京都台東区上野公園)

2015年11月10日 | 神社・仏閣
 上野恩賜公園内を注意深く歩いていると、動物園近くに大きな鳥居が視界に入ってきた。

 上野東照宮(重要文化財)
 正式名称は東照宮であるが、他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれている。
 徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀る。

 石造明神鳥居(重要文化財)
 石材には備前の御影石を使用。関東大震災の折にも少しも傾かなかったことが当時大変驚かれたそうだ。

 
 
 参道の左右に燈籠、中央に門がある。

 

 門の上部に「東照宮」の金文字

 

 門をこえると右側に、「寛永寺五重塔」が見える。この塔を見るために上野公園にきた。

 

 金属柵のため先に進むことができない。ここからでは五重ではなく四重になってしまう。

 

 神楽殿
 屋根の勾配の美しさは都下随一といわれている。毎年お花見の時期には御神楽の奉納が行われる。

 

 手水舎

 

 狛犬

 

 正面に唐門と社殿。参拝者が多く苦労して撮った一枚。

 

 唐門(重要文化財)
 1651年(慶安4年)造営。正式名称は「唐破風造り四脚門(からはふづくりよつあしもん)」
 柱内外の四額面には左甚五郎作の「昇り龍・降り龍」の彫刻があり、 毎夜不忍池の水を飲みに行くという伝説がある。

 

 偉大な人ほど頭を垂れるということから、頭が下を向いている方が昇り龍と呼ばれている。
 向かって右が「昇り龍」左が「降り龍」

  

 豪華絢爛の一言。

 

 門扉の格子模様

 

 燈籠も透塀も重要文化財。ここまでは無料、この先に見える社殿に入るには有料となる。

 

 次回に続く

 撮影 平成27年10月14日
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東叡山 寛永寺 その3(東京都台東区上野公園)

2015年11月09日 | 神社・仏閣
東叡山 寛永寺
徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に寛永寺を建立した

上野大仏(パゴダ)
現在の上野恩賜公園内にあった大仏



像高約6メートルの釈迦如来坐像



第二次大戦時には軍の供出令により胴体を徴用された



度重なる罹災により損壊し、現在では顔面部のみがレリーフとして保存される
*洞爺湖ぐるっと彫刻公園の作品「月の光」を思い出す



数々の災難を乗り越えた大仏、顔を残す様子が「これ以上落ちない」ということから、「合格大仏」として親しまれている


 
大仏殿の跡地にはパゴダ(仏塔)が建立された






本尊として旧薬師堂本尊の薬師三尊像が祀られている



前回紹介した「不忍池辯天堂」から歩いてきた途中に

時の鐘
「花の雲 鐘は上野か 浅草か」(芭蕉)



芭蕉の詠んだ句は、この鐘である
「日本の音風景100選」に選ばれている



五條天神社
第十二代景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐の為、上野忍が岡を通った時、薬祖神の大神に御加護を頂いた事に感謝し



この地に大己貴命(大国主命)と 少彦名命の両神を祀った



上野大仏見物後、次の目的地となる場所にさらに歩いていく
 


お化け燈籠
高さ6.06m、笠石の周囲3.63mと巨大で、その大きさゆえに「お化け燈籠」という



京都南禅寺・名古屋熱田神宮とともに、日本三大燈籠に数えられる



撮影 平成27年10月14日
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