訪問日 令和5年5月16日
瑞松山 景福寺
曹洞宗の寺院
創建は応安2年(1369年) 兵庫県川辺郡猪名川町に通幻寂霊禅師が開山
山門
慶長年間(1596~1615)荒尾隆重(姫路城主 池田輝政の家老)が景福寺11世大桂宗奕禅師に深く帰依
姫路城下に境内を移すと歴代荒尾家の菩提寺とした
その後、輝政を継いだ池田忠雄が元和2年(1616年)に岡山藩に移封
忠雄の跡を継いだ光仲が寛永10年(1633)に鳥取藩と移封すると荒尾家、景福寺ともども随行し現在に至っている
景福寺は猪名川町、姫路市、岡山市、鳥取市の(山号・寺号が同じ)4箇所に存在し「曹洞宗四景福」と呼ばれている
「史家 岡島正義の墓」
鳥取藩の御目付役を辞し、門尾村民婦女子弟の教育にあたりつつ、史書執筆に専念
天保の大飢饉時には、近隣の村々にまで備蓄米を供出したという
本堂
本尊:釈迦三尊
境内では庭師が木の手入れをしていて、全体を撮ることができなかった
この寺院には、戦国武将「後藤又兵衛」の墓が境内にあるということで訪れた
司馬遼太郎の歴史小説が好きで、その中の登場人物の一人が後藤又兵衛。魅力的な武将だと思っていた
NHK大河ドラマ「真田丸」では短時間ではあるが登場し懐かしさを感じていた
まさか、後藤又兵衛がこの地に眠っているとは知らなかった
後藤又兵衛の妻は池田家家臣三浦家の出身だった為、又兵衛の戦死後は実家に随行し鳥取に移った
中央が「又兵衛」右が「妻」左が「息子」
後藤又兵衛は、黒田如水の旧家臣、黒田家家臣時代は「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられた
大坂の陣では真田信繁(幸村)、毛利勝永、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、明石全登と共に「大坂城五人衆」と呼ばれた
「鳥取藩士 佐分利九之丞父子の墓」
島原の乱では鳥取藩から88名が参陣した
「剣豪 羽生郷右衛門の墓」
剣豪なだけに墓の形も刀に見える
「画家 島田元旦の墓」
谷文晁の実弟で円山応挙の弟子というだけで立派な絵師という感じがする
鬼瓦
享和3年(1803年)の銘がある
220年前のもので記念のため保存している
境内に咲いていた花
撮影 令和5年5月16日
瑞松山 景福寺
曹洞宗の寺院
創建は応安2年(1369年) 兵庫県川辺郡猪名川町に通幻寂霊禅師が開山
山門
慶長年間(1596~1615)荒尾隆重(姫路城主 池田輝政の家老)が景福寺11世大桂宗奕禅師に深く帰依
姫路城下に境内を移すと歴代荒尾家の菩提寺とした
その後、輝政を継いだ池田忠雄が元和2年(1616年)に岡山藩に移封
忠雄の跡を継いだ光仲が寛永10年(1633)に鳥取藩と移封すると荒尾家、景福寺ともども随行し現在に至っている
景福寺は猪名川町、姫路市、岡山市、鳥取市の(山号・寺号が同じ)4箇所に存在し「曹洞宗四景福」と呼ばれている
「史家 岡島正義の墓」
鳥取藩の御目付役を辞し、門尾村民婦女子弟の教育にあたりつつ、史書執筆に専念
天保の大飢饉時には、近隣の村々にまで備蓄米を供出したという
本堂
本尊:釈迦三尊
境内では庭師が木の手入れをしていて、全体を撮ることができなかった
この寺院には、戦国武将「後藤又兵衛」の墓が境内にあるということで訪れた
司馬遼太郎の歴史小説が好きで、その中の登場人物の一人が後藤又兵衛。魅力的な武将だと思っていた
NHK大河ドラマ「真田丸」では短時間ではあるが登場し懐かしさを感じていた
まさか、後藤又兵衛がこの地に眠っているとは知らなかった
後藤又兵衛の妻は池田家家臣三浦家の出身だった為、又兵衛の戦死後は実家に随行し鳥取に移った
中央が「又兵衛」右が「妻」左が「息子」
後藤又兵衛は、黒田如水の旧家臣、黒田家家臣時代は「黒田二十四騎」「黒田八虎」に数えられた
大坂の陣では真田信繁(幸村)、毛利勝永、長宗我部盛親、後藤基次(又兵衛)、明石全登と共に「大坂城五人衆」と呼ばれた
「鳥取藩士 佐分利九之丞父子の墓」
島原の乱では鳥取藩から88名が参陣した
「剣豪 羽生郷右衛門の墓」
剣豪なだけに墓の形も刀に見える
「画家 島田元旦の墓」
谷文晁の実弟で円山応挙の弟子というだけで立派な絵師という感じがする
鬼瓦
享和3年(1803年)の銘がある
220年前のもので記念のため保存している
境内に咲いていた花
撮影 令和5年5月16日