今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

2019 砂の美術館 その4(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2019年07月27日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館 「砂で世界旅行・南アジア編」最終回

*紹介文は配付資料から引用
作品 15 「シギリアロックとフレスコ壁画」:ジル・ハリス/アメリカ



スリランカ中部のジャングルにある世界遺産。5世紀末にシンハラ王朝のカッサパ1世により建造された



王宮への入口には石造りのライオンの巨大な前足があり、ライオンが王宮を背負うようであったことから「シンハ・ギリ」(獅子の山)と呼ばれた



高さ195mの頂上には王宮などの遺跡がみられ、中でも中腹の壁に描かれたフレスコ画の美女たちは「シギリア・レディ」と呼ばれ有名



1500年もの間、風化に絶え鮮やかな色彩でやさしい笑みを浮かべている



作品 16 「タケツァン僧院とチベット仏教」:スー・マクグリュー/アメリカ
ブータンの国教であるチベット仏教の聖地タケツァン僧院
標高約3000mの断崖絶壁に張り付くように1692年に建築された



タケツァンは虎の棲み処を意味し-



8世紀末に高僧パドマサンバヴァが虎の背に乗って現れ、近くの洞窟で瞑想したことに由来する



横から見るとこのような空間を設けている



断崖絶壁に張り付いているタケツァン僧院



作品 17 「バーミアンの大仏」:ヤン・リドン/中国
アフガニスタンのバーミアンにある世界遺産



1世紀頃から石窟仏教寺院がつくられ始め、5~6世紀頃には高さ55mと38mの2体の大仏を含む多くの巨大仏像が彫られた



西遊記のモデルになった玄奘三蔵もかつて巡歴する途中、この地を訪れたという



残念なことに2001年、イスラム教における偶像崇拝にあたるとしてタリバンによって破壊された



作品 18 「仏陀の出現と悟り」:ト-マス・クォ-ト/アメリカ
紀元前5世紀頃、ネパールの釈迦族の王子として生を受けたゴウダマ・シッダルダ



ある日、城を囲む四門より外出しようするがそれぞれの門で、「老い・死・病・修行僧」に出会う



これによって生老病死について自問するようになり、その答えを求め王族の地位を捨てて出家する



出家したシッダルダは苦行など様々な修行を繰り返すが-



自分を苦しめるだけのものでは悟りに至らないことに気づく



苦行をやめ菩提樹のもとで瞑想をしていたそのとき、ついに悟りを開くのだった
仏陀の誕生、仏教の始まりとなった



作品 19 「仏陀の入滅」:マリエレ・ヒーセルス/オランダ
悟りを開いた仏陀は、人々に教えを説く決意をする



インド北部を中心に広く説法の旅を続け、立場や身分に関係なく多くの人々が帰依する
雨季になると1か所に留まって説法をし、その拠点として祇園精舎がよく知られている



仏陀は布教活動を45年間続け、80歳の時にインド北部クシナガラにある-



沙羅双樹のもとで横になり、最期の時を迎えた



涅槃図には菩薩や弟子たちだけでなく、様々な動物たちも仏陀の入滅を嘆き悲しむ様子が描かれている



館内の様子。3階から屋外に出る



この建物内に砂像が展示されている



作品 20 「インド洋の宝石モルディブ」:アンゲフォン・ディビット/ベルギー
唯一の屋外展示作品。モルディブという国を形成する約1200の島はサンゴ礁が隆起してできた環礁
作品01 「幸運の神ガネーシャ」制作者でもある









鳥取砂丘。有名な場所はこの右側500mの場所にある



撮影 令和元年5月23日
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2019 砂の美術館 その3(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2019年07月26日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館 「砂で世界旅行・南アジア編」その3

*紹介文は配付資料から引用
作品 11 「ムガル帝国 皇帝シャー・ジャハーンと王妃の愛の物語」:イリヤ・フェリモンツェフ/ロシア
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン
「世界の皇帝」の名にふさわしい豪奢な宮廷文化を開花させ、ムガル王朝の黄金時代を築いた



その繁栄の陰には最愛の妻ムムターズ・マハルの存在があった



深く愛し合っていた二人は遠征など宮中外でも行動を共にし14人もの子供に恵まれた



しかし后妃はデカン遠征中、産褥期に病に倒れ、36歳の若さで先だってしまった



悲哀に暮れる皇帝は深く愛妃をしのび、彼女の記憶を永遠に留めるため霊廟タージマハルの建設に没頭した






晩年、皇帝は白く輝く霊廟を眺め愛妃を思いながら生涯を終えた
二人の棺は霊廟のなかで寄り添うように並べられ、二人の愛は永く語り継がれている



作品 12 「ムガル帝国の行進Ⅰ・Ⅱ」:スザンヌ・ルセラ/オランダ
インド史上最大のイスラム国家、ムガル帝国
16世紀初頭から19世紀半ばまで300年以上も続いた大帝国で名前は先祖にあたるモンゴル帝国に由来している



第3代皇帝アクバルが基礎を築くと、宗教間の融和を図りながら領土を拡大し、第5代皇帝シャー・ジャハーンの時代に栄華を極めた



中央集権的な官僚機構を整え、禄位や給与、土地による税制を確立するなど種々の改革を行い安定した支配を実現した



軍事面では騎馬隊に加え-



神の乗り物・権力の象徴とされる象を使い兵力を増強した



作品 13 「霊廟タージマハル」:レオナルド・ウゴリニ/イタリア
世界一美しいとされるこの霊廟は、第5代皇帝シャー・ジャハーンの愛妃ムムターズ・マハルを埋葬するために建造された



総大理石で造られた白亜の霊廟
イスラムの建築家や世界中の技術者を招聘し22年の歳月をかけて完成した



ヒンドゥーとイスラムの互いの技術が融合して建てられたタージマハルはインド・イスラーム文化の象徴






作品 14 「小説 ジャングルブック」:シャーロット・コスター/オランダ
ラドヤード・キップリング作の小説「ジャングルブック」
南アジアに生息する動物達が登場する7つの短編で構成されている冒険物語



中でも狼に育てられた人間の男の子モーグリが主人公に話しが有名
熊のバルーからジャングルの掟を学び成長していく









撮影 令和元年5月23日
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2019 砂の美術館 その2(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2019年07月25日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館 「砂で世界旅行・南アジア編」その2

*紹介文は配付資料から引用
作品 05 「スターモスクと都市のにぎわい」:メリネイジ・ビュリガード/カナダ
バングラデシュの首都ダッカにあるスターモスク



星形が描かれたタイルが壁面を覆い-



正面の庭には星形の噴水が配置されている



作品 06 「インダス文明 モヘンジョダロ」:オスカー・ロドリゲス/スペイン
インダス川流域で紀元前2500~1800年頃に発展した文明都市
パキスタンにある遺跡モヘンジョダロがよく知られている



上から見るとこのように壁面が傾斜していることがわかる



遠近法や影を利用することに全く違うものに見えてくるのも魅力の一つだ






文明は紀元前1800年以降突如歴史から姿を消した



作品 07 「ブルーモスク ハズラト・アリー廟」:ギー・オリヴィエ・ドゥヴォ/カナダ
アフガニスタン北部にあるイスラム教指導者の霊廟
アリーはスンニ派シーア派の両方から公認された唯一の指導者



作品 08 「カジュラホ ヴィシュワナータ寺院」:ダン・ベルチャー/アメリカ
インド中部にある世界遺産カジュラホ遺産群
10~12世紀にかけて建立されたヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院群



作品 09 「ヒンドゥー教神話」:ドミトリー・クリメンコ/ロシア



バラモン教と土着の信仰とが融合して発展したヒンドゥー教は多神教の宗教である



三大神ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァでそれぞれ宇宙の創造・維持・破壊を司るとされている
ヴィシュヌ神を最高神とする宗派においては、ヴィシュヌのへそからブラフマー神、ブラフマーの額からシヴァが生まれ世界が創造されたと考えられている



ヴィシュヌ神






ラクシュミーはヴィシュヌの妻で美と富と幸運の女神として知られている



作品 10 「ヒンドゥー彫刻 コナーラクの車輪」:スザサン・パタナイク/インド



インド東部コナーラクにあるスーリア寺院はヒンドゥーの太陽神スーリアを祀る石造寺院で13世紀頃に建築された
インド神話の中で「7頭の馬が引く戦車に乗り天空を駆けめぐる」とあり、寺院全体が大きな馬車に見立てられている









コナーラクの車輪の横にある「ガネーシャ像」






撮影 令和元年5月23日
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2019 砂の美術館 その1(鳥取県鳥取市福部町湯山)

2019年07月24日 | 博物館・美術館・記念館
砂の美術館 「砂で世界旅行・南アジア編」その1
北海道からは少し遠いが毎年のように訪れているのが「砂の美術館」だ
鳥取県の人気観光スポットの一つになっている



砂像彫刻家一覧
唯一の日本人、茶圓勝彦が総合プロデューサー



展示室入口



展示室の様子



霊廟タージマハルと皇帝シャー・ハーンと王妃の愛の物語



*紹介文は配付資料から引用
作品 01 「幸運の神ガネーシャ」:アンゲフォン・ディビット/ベルギー



ヒンドゥー教三大神シヴァの妻パールヴァディが人形に魂を吹き込み誕生した



作品 02 「独立の父 マハトマ・ガンディー」:パペル・ミリニコフ/ロシア



インド独立の指導者ガンディー。インドの植民地支配を強めるイギリスに対抗する国民会議派に加わり独立運動を進めた



激しい弾圧や投獄に屈することなく、「悲暴力・不服従」による徹底した反英運動を続け1948年に独立を果たす



マハ-トマ-(偉大なる魂)と尊称がつくほど多くの偉業を成し遂げた
今年度生誕150周年を迎える



作品 03 「古都パタン ダルバール広場」:アンドリュース・ペトクス/リトアニア
かつて王都として栄え「美の都」とも称されるネパール中部カトマンズ盆地にあるパタン



斜め上から見るとあまり奥行きがない彫刻なのだが-



正面から見ると立体的に見える工夫がなされている






作品 04 「聖なる河ガンジス 沐浴と祈り」:ミケーラ・チャピーニ/イタリア



ヒンドゥー教においてガンジス河は女神ガンガーとして神格化されている



ガンジス河岸にはガートと呼ばれる階段状の沐浴場があり多くの巡礼者が穢れを洗い清め祈りを捧げている



その側には火葬場がいくつもあり遺灰はそのまま河に流される
ガンジス河では生と死の情調が感じられ、神聖な雰囲気に包まれている



撮影 令和元年5月23日
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余部橋梁(兵庫県美方郡香美町香住区余部)

2019年07月23日 | 名所・旧跡
余部橋梁
十数年前に初めて鉄橋を見たときから、今回で6・7回訪れている
今は、道の駅も併設され休憩するには便利な場所になっている



不思議とこの場所に来るときは、いつも雨が降っている
と言うより、雨が降っても大丈夫な「砂の美術館」へ向かう途中にあるのだ



この日は雲一つない快晴ということもあり、カメラを持って車を降りた(2015年以来となる)
EVなども設置され約1分で「空の駅」へ。坂道を上り列車を待ちカメラを構えた頃が懐かしい






ホームにある小さな待合所には発着時刻表



訪れた人が記入した思い出のノートが何冊も置かれていた



私は文章が苦手なので、写真で記録した



餘部鉄橋「空の駅」
ここの線路は車両が通らないため自由に歩くことができる



私の父は国鉄職員だったので、子供の頃は線路でよく遊んだものだ



何故「空の駅」かというと、この場所は地上から約40mの場所にあるためだ
日本海の景色が美しい



高所恐怖症の私でも普通に歩けるような安全対策がとられている



写真を整理して気付いたが自分の目線より下方を撮した写真が一枚もない
自分で心の安全を保っていたようだ



EV内から撮った写真



昭和61年(1986年)12月28日午後1時25分頃、鉄橋を通過中の回送列車が日本海からの突風にあおられ、機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落、真下にあった水産加工場や民家を直撃した



転落事故を契機に、架け替えに向けた取り組みがなされ、平成22年8月に現在の余部橋梁が完成した



歴史の継承と観光拠点とするため、鉄橋の一部(餘部駅側の3橋脚3スパン)を展望施設として残した



旧鉄橋直下に自由広場等からなる公園施設とあわせ、平成25年5月に展望施設「空の駅」が完成した



展望施設へ行くには急勾配の上り坂(高低差約40m、延長約300m)を歩行する必要があったため、平成29年11月にエレベーター(愛称:余部クリスタルタワー)を整備した






「空の駅」開設記念碑と東屋









慰霊碑「聖観世音菩薩」



放浪の旅での相棒「ハイエース」



撮影 令和元年5月22日
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朝日山 岩屋寺(京都府京丹後市大宮町谷内)

2019年07月22日 | 神社・仏閣
朝日山 岩屋寺
神亀3年(726)年行基によって開創された真言宗寺院



500mほど離れた場所に路上駐車をしての参詣ということもあり、急いで廻ることにした



山門






二階部分に梵鐘が見える



本堂
通称「お不動さん」の名で親しまれている



大江山の鬼退治の伝説を描いた400年前の絵巻物が保存されており、毎年8月18日に一般公開されている



本堂の彫刻












真言宗の寺院で像があるということは、一般的には弘法大師空海像になる



本堂から山門をみる。奥の院があるらしいが時間の関係でやめた



境内にはいくつかの石仏が置かれている



一番気になったのは社に大切に祀られているこの小さな石仏






この日は最初に予定していた寺が道が狭く断念。二つ目は住職不在で仏像拝観できず。三つ目がここ「岩屋寺」だった
寺に向かうにはこの橋梁を通過しなければならないが、幅も高さも私の車では駄目
一時はあきらめて走り去ったが、迷惑にならない場所に路上駐車をしての参詣となった



撮影 令和元年5月22日
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満願山 意足寺(福井県大飯郡おおい町万願寺)

2019年07月21日 | 神社・仏閣
満願山 意足寺
重文の十一面観音像を所有していることを知り訪れた



曹洞宗の寺院。寺伝によれば延暦24年(805年)に心安宗隆大居士により開基され、規伯正模禅師勝が開山したと伝えられる



初めて訪れる寺なので境内の様子を確認する



地蔵菩薩



美しい像には青空が似合う






本堂
昭和28年(1953年)の台風13号で寺背後の山が崩れ、観音堂や庫裏が流出した
住職夫婦は亡くなったが、本尊は被害の直後、土砂の下から地元住民らによって発掘された



住民の多くが台風の被害に遭い、自宅に損害を受けた者も少なくなかったが、住民は本尊の救出を優先した
迅速な発掘作業の結果、散逸した脇手などもほぼ全て回収された



住職不在で、その時は仏像拝観ができない運の悪さを感じていたが、こうして歴史を調べると多くの住民の信仰心により護られてきたことに感動する



本堂の扁額には現在の山号の「満願山」(旧山号は湯谷山)



本尊は「十一面千手観音菩薩(重要文化財)」



撮影 令和元年5月22日
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棡山 明通寺(福井県小浜市門前)

2019年07月20日 | 神社・仏閣
棡山(ゆずりさん) 明通寺
この日の予定には入れていなかったが、急に国宝の塔や本堂内にある仏像が観たくなり立ち寄ることにした
同じ時間に観光バスから団体参詣者が降りたので駐車場で休憩し時間をずらして移動した



この石碑でもわかるように、国宝の本堂と三重塔がある名刹
大同元年(806年)、北陸地方を巡行中の坂上田村麻呂が創建したとされる



山門(小浜市指定文化財)



江戸時代の明和9年(1772年)再建、瓦葺、三間、二重門



金剛力士像(小浜市指定文化財)
鎌倉時代文永元年(1264年)造立









鐘楼



棡木(ゆずりぎ)
創建当時この棡木の大木によって本尊薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置した(焼失)
山号の棡山のいわれでもある



手水舎






本堂を目指し歩いていたときに団体客が参拝を終え降りてきた



三重塔(国宝)
この塔を拝観するのは4度目になる



いつも天気が良く、午後には塔の真上に太陽があがり写真を撮るには条件が悪い






足元にカメラを向けてみた
再建されて750年間、この塔を支えてきた



本堂(国宝)
正嘉2年(1258年)上棟、文永2年(1265年)落成



石垣の基壇上に建つ入母屋造、檜皮葺きの建物
平面は桁行5間(14.72m)、梁間(奥行)6間(14.87m)である



扉の開いているところから入ると担当者から寺のや仏像の歴史についての説明を受けることができる



堂内にある、「木造深沙大将立像」は日本に4体ある(しかない)重要文化財の一つ
『西遊記』に登場する流砂河の主・沙和尚(沙悟浄)のモデルとなった



木造不動明王立像(重要文化財)
平安末期の作。像高161.8cm。檜の一木造



明治5年に持仏堂が火災に遭い、本尊の不動明王も焼失したため、羽賀寺の不動明王を譲り受けて祀ったもの



樹齢500年の「かやの大木(小浜市指定記念物)」



撮影 令和元年5月21日
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大悲山 三方石観世音堂(福井県三方上中郡若狭町三方)

2019年07月19日 | 神社・仏閣
大悲山 三方石観世音堂
曹洞宗の観音堂。本尊は花崗岩の表面に彫られた磨崖仏の聖観世音菩薩

「弘法大師 一夜御作 三方石観音御霊場」と彫られた石柱



観音立像
横にある石碑には、御詠歌「身のあだも ほどけてのりの 三方山 たが手にえりし 石の御姿」



美しい観音様だ



左手奥に小さな社が見える



弘法大師像
「ようこそ 石観音さまは もうすぐです 願いがかないます様に
  弘法大師と同行 ありがたや ありがたや」






万葉歌碑
若狭なる 三方の海の 浜清み い行き帰らひ 見れど飽かぬかも



緩やかに上る参道を歩いてきたが、まだ続くようだ(駐車場から本堂までの距離750m)



参道横の枯れ木。歩き疲れていたせいか、恐竜に見えた



ここまで歩いてきて、山号寺号の石碑。竹の杖があるということは、まだ上るということか



弘法大師修行僧



妙法石(鶏鳴石)
昔、元旦に村人が石観世音に参拝したとき、この石から鶏鳴を聞いたという
それ以来、観音様の不思議な力が働いているといわれ妙法石と名付けられている



目の前に鶏が現れたときには違和感があったが、早朝弘法大師に時を告げた鶏だという(後に、この話しがつながる)



地蔵尊



この地蔵群は北側の山斜面にあったものを、この場所に移し安置したもの



妙法滝
この日は気温が高かったが、この小さな滝を見ているだけでも涼しさを感じることができた



岩の奥には毘沙門天が置かれている
落ちる水の流れを見ながらしばし休憩する



さらに先に進むと、社殿が見えてくる
普段歩く習慣がないので、随分歩いたという印象だ



力を振り絞って階段を上る



本堂
鶏鳴石の話しが続く…
弘法大師が若狭に布教の際、三方五湖を一望できる雲谷山山麓の花崗岩に一夜で彫ろうとしたが、完成する前に一番鶏が鳴いた為、右手首が未完成のまま下山した
このことから「片手観音」とも呼ばれている



扁額には寺号の「石観世音」



予備知識もなく訪れていたため、住職が二人の女性参拝者に説明をしているのを少し離れた場所で聞いていた



その話を参考に本堂裏に回ってみる



弘法大師が一夜で彫ったという「磨崖仏の聖観世音菩薩」を本堂が覆っているということがわかる



自由にお入り下さいという本堂に入る



毘沙門天王尊



前立観世音菩薩
本尊は不動岩に彫られた「観世音菩薩」、別名「片手観音」
手足の不自由な人や諸病をかかえている人にご利益があるという



本尊は秘仏であり、開帳は33年に一度で、次回の開帳は2026年10月である
観たい気持ちもあるが、元気でいられるかが一番の問題だ



不動明王尊



弘法大師像



奉納額



奉納提灯






鐘楼



御手足堂






開山春山■道和尚禅師像



西国三十三観音



奥の院参拝を目指したが距離もわからず途中で断念する(本堂から1km先にあるようだ)



撮影 令和元年5月21日
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白鬚神社(滋賀県高島市鵜川)

2019年07月17日 | 神社・仏閣
白鬚神社
近江最古の大社で、垂仁天皇の25年(第11代・2000余年前)、皇女倭姫命が社殿を創建
全国にある白鬚神社の総本社

鳥居
鳥居の後ろには交通量の激しい道路があり、いつのまにか横断禁止になっていた






湖中大鳥居
沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称される
鳥居は弘安3年(1280年)の絵図では陸上に描かれている。その後の琵琶湖の水位上昇に伴い水中に立つようになったと伝えられる



「境内案内図」



拝殿
拝殿は明治12年(1879年)の建築






手水舎



(社務所側から)拝殿と本殿(重文)






本殿(重要文化財)
豊臣秀吉の遺命を受け、秀頼の寄進により慶長8年(1603年)に建立
檜皮葺きで入母屋造り。桃山時代特有の建築で、片桐且元書の棟札も残されている






末社 若宮神社本殿(高島市指定文化財)



右から「外宮・内宮・三社(加茂・八幡・高良神社)」(高島市指定文化財)






右から「弁財天・寿老神・稲荷社・天満宮」



一番高い場所にある社が見えてくる



岩戸社



古墳の横穴石室前に祠が建てられ、天岩戸として祀られている



天岩戸の右側にある「磐座」



紫式部歌碑



撮影 令和元年5月21日
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戒光山 西教寺(滋賀県大津市坂本5丁目)

2019年07月16日 | 神社・仏閣
戒光山 西教寺
天台真盛宗の総本山。聖徳太子の恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建されたと伝えられている

山門
山門を入った所にTV局などで使用するようなカメラを持っている人などが集まっていた
十数分待ったが動く気配もなくこの角度になった



沢庵禅師の碑
慶長19年(1614年)沢庵42歳の時、京都を出発し石山寺、三井寺を参詣、琵琶湖を船で坂本へ渡り西教寺を訪れている



全日本仏教徒滋賀大会テーマ「出会い 縁を生き 伝えるわれら」



文学ゆかりの地 小説「細川ガラシャ夫人」



山門前にある各種の説明文を読み、碑を眺め、その内容を頭に入れ、山門から中に入る



この緑の木々に囲まれた参道を歩く



参道の両側に塔頭がある
禅明坊



蓮心坊



徳乗坊(国有形文化財)



聞證坊



実成坊(国有形文化財)






勅使門
参道奥の正面にある



波心庭






寺標石柱
明治11年(1878年)に「天台宗真盛派」の本山となった時に建立された
天台宗三派:延暦寺(山門)、三井寺(寺門)、西教寺(盛門)






この寺への参詣は今回が初めてで境内の配置を含め全く理解していない



この階段の上に何があるかわからないというのも楽しいものだ



宗祖大師殿
「唐門」



唐門の扉の彫刻



「宗祖大師殿」 真盛上人の木像を祀っている



「宝珠丸(真盛上人幼形像)」



「勅使門」の場所に戻る。真横から見るとこのようになっている



斜め後ろから。皇室への尊崇の念を感じ取ることができる



「石造十三重塔」



手水舎
本堂前に(この時点では)よくわからない人達が佇んでいる
写真を撮ることができないので、周辺を散策してみる









この辺りに来て初めて西教寺に「明智一族の墓」があることを理解した

芭蕉没後三百年記念碑
芭蕉が初めて女性に対する句を詠んだのが光秀の妻「煕子」である
「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」 芭蕉



H30年秋の旅で、称念寺(福井県坂井市丸岡町長崎)を訪れたとき光秀の妻「煕子」のことを知り感動したことを思い出した



聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像












明智光秀一族の墓



「辞世句」
修行の道には順縁と逆縁の二つがある。しかしこれは二つに非ず。実は一つの門である
即ち、順境も逆境も実は一つで、究極のところ、人間の心の源に達する大道である
而してわが五十五年の人生の夢も醒めてみれば、全て一元に帰するものだ



「名号石」



客殿(重要文化財)
桁行十二間、梁間八間、杮葺入母屋造、北面切妻の建築



桃山時代慶長3年(1598年)伏見城の旧殿を大谷行部らが移したものいわれている



真盛上人廟
客殿横にある急な階段の上にある



天保13年(1843年)の建立。桁行・梁間二間で一間の向拝を付けた本瓦葺の宝形造



堂内には真盛上人の五輪塔が安置されている



染殿(五輪塔)
鎌倉時代のもの。西教寺で最も古い石造品



本堂(重要文化財)
江戸時代元文4年(1739年)落成、桁行七間、梁間六間、総欅入母屋造
本堂の写真を撮りたかったのだが人が多すぎてこの1枚のみ
政治家か皇室のどなたかが来られているのかと思い、係の人に尋ねてみると俳優の「長谷川博己」だと



名前はわからなかったが顔は覚えていた
次の、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀役で主演することを、光秀の墓前で報告と参拝のため訪れたらしい



鐘楼(大津市指定文化財)



芸能人には肖像権があるとかで、カメラを構えただけでスタッフから高圧的に注意を受ける
腹がたったので、ポックリ出た腹にカメラを固定し撮ってみた(笑)



好みの女優なら注意をされても撮るが、男には興味がない
雲霧仁左衛門の「内山理名」、なつぞらの「比嘉愛未・貫地谷しほり」は撮ってみたい女優だ(脱線した)



撮影 令和元年5月20日
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阿星山 長壽寺(滋賀県湖南市東寺)

2019年07月14日 | 神社・仏閣
阿星山(あしょうさん)長壽寺
天台宗の寺院。常楽寺、善水寺とともに湖南三山の1つに数えられる
数年前、湖南三山巡りをしていた時、この寺で嫌なことがあって、二度と来ることはないだろうと思っていた



山門
この日の予定にも入れていなかったが、訪ねた「常楽寺」が閉門されていたため予定を変更した
小雨になるまで駐車場に待機し、いざ出発。額には山号の「阿星山」



内佛堂
子宝祈願のお堂で社には男性器に似た石が置かれている



小雨の中、傘をさしてこの参道を歩くのも趣がある



参道の所々に参拝者が笑顔になるような置物がある



このような心配りは嬉しい。置物が周囲の自然に溶け込んでいるのもいい



石造多宝塔(湖南市指定文化財)



聖武天皇の菩提を弔うために鎌倉時代に建立した。最大級の石造多宝塔とある



鐘楼






手水舎






本堂(国宝)
寄棟造、檜皮葺き。桁行(正面)、梁間(側面)とも五間
平安時代最末期ないし鎌倉時代初期(12世紀)の建立と推定



寺伝では、奈良時代に聖武天皇の勅願により、良弁が創建し、聖武天皇の皇女誕生に七堂伽藍を建立し長寿寺と名づけたという



扁額には山号の「阿星山」
前回は堂内にある仏像も拝観せずに退出したので、今回は時間をかけてゆっくり拝観することにした



堂内には「春日厨子(国宝)」や「阿弥陀如来坐像(重文)」「釈迦如来坐像(重文)」など魅力的な仏像がある



弁天堂(重要文化財)
室町時代建造。入母屋造、桁行一間、梁間一間






この堂内に「丈六阿弥陀如来坐像(重文)」が安置している



白山神社
長壽寺の鎮守社

拝殿(重要文化財)






本殿






三重塔址
天正3年頃、織田信長により安土城山中の摠見寺(信長菩提寺)に移築された



左が本堂(国宝)、正面が弁天堂(重文)



緑のトンネルを通り山門から駐車場へ



おもてなしの最後は、石斛(セッコク)



撮影 令和元年5月20日
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岩根山 善水寺(滋賀県湖南市岩根)

2019年07月13日 | 神社・仏閣
岩根山 善水寺
この日は朝から雨模様で、終日続くとの予報もあり過去に訪れたことのある寺院を選択した
善水寺は天台宗の寺院で、常楽寺、長寿寺とともに湖南三山の1つに数えられる
以前参拝した時は秋の寒い日で、石川県出身のモデルのような母娘と一緒に住職の説明を聞き、後にブログにコメントをもらった思い出がある

鐘楼



元三大師堂
江戸時代、正徳3年(1713年)の再建



「元三大師」の額



本尊の「元三慈恵大師良源大僧正」の等身大尊像を奉安



本堂(国宝)



木造入母屋造桧皮葺、桁行七間、梁間五間
大きすぎてカメラの枠からはみ出してしまう。写真でみると屋根が随分傷んでいる



「善水寺」の扁額。堂内に入ると住職から寺の歴史や仏像の説明がある
本尊の薬師如来をはじめ、三十余躯の仏像を安置している光景は壮観で、やはり仏像は仏殿で拝観するのがいいと感じさせる



南北朝時代、貞治五年(1366)再建



寺の歴史を少し
和銅年間(710年頃)元明天皇勅願、鎮護国家の道場として開創。和銅寺と号す
延暦年間(800年頃)傳教大師最澄上人、当山の霊水にて桓武天皇後病気平癒。善水寺の号を賜る
正暦4年(993年)本尊薬師如来造像はじめ梵天・帝釈天、四天王、不動明王、僧形文殊菩薩、兜跋毘沙門天、金剛力士の十二体の尊像造像









百伝池



善水元水






六所権現



伊勢、春日、八幡、賀茂、熱田、鹿島、の六所の神々を一所に奉安している



駐車場横の案内板(僧坊巡り)に従って歩いてみる



観音堂






僧坊巡りもいいなと心では思いつつ、足は駐車場に向かっている
善水寺周辺はこのように美しい緑に囲まれた場所にある



撮影 令和元年5月20日
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雪野山 龍王寺(滋賀県蒲生郡竜王町川守)

2019年07月12日 | 神社・仏閣
雪野山 龍王寺(通称「野寺」)
この日は初めて訪れる寺院ばかりを選んだ。4寺目となる龍王寺は重文の仏像を持つ
少し離れた公園の駐車場に駐めたが寺の前に大きな駐車場があった

山門
奈良時代初め(710年)に天皇の勅令で、行基により「雪野寺」として開山された。天台宗の寺院で創建1300年を迎えた古刹



山門から境内を眺める



手水鉢のようだが水も涸れている



受付所にも誰もいない
正面に大きなお堂(本尊は薬師瑠璃光如来)がある



小さな社がある



梵鐘(重要文化財)
境内に入り「梵鐘」が重文に指定されていることがわかった






「龍壽鐘殿」の額。下の穴から覗くと梵鐘が見える。早速レンズを突っ込んで撮る



梵鐘には美女と大蛇の伝説が残されている
火災時に鐘堂から水を噴いたり、旱魃時に雨乞いをすると慈雨に恵まれるなど、霊験あらたかな梵鐘として名高くなった



寛弘4年(1007年)一条天皇が「龍寿鐘殿の勅額」を下賜し「雪野寺」から寺号を「龍王寺」に改めたという



もう一つある重文の「十二神将像」



この白い建物に収蔵されているらしい。残念だが拝観することができなかった






個人で寺を廻るとこのように拝観できないことはよくある
琵琶湖周辺にはよく来るので次回の楽しみにしておこう



駐車場に戻り車内で冷たい飲料水を飲みながら「オークスの馬券」を検討して購入する
この日の寺社巡りと同じように、最後の瞬間に運の悪さが出た

撮影 令和元年5月19日
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遍照山 錦織寺(滋賀県野洲市木部)

2019年07月11日 | 神社・仏閣
遍照山 錦織寺(きんしょくじ)
真宗十派の1つ、真宗木辺派の本山である。院号は天神護法院。本尊は阿弥陀如来
寺の駐車場が満車だったため半キロ程離れた神社の境内に駐めた



「親鸞聖人御舊蹟」と刻まれた石碑がある
嘉禎元年(1235年)、親鸞が関東からの帰洛の途中、毘沙門天の霊告を受けて当寺に立ち寄り、「阿弥陀如来座像」を安置したとされる



表門(滋賀県指定文化財)
一間薬医門。18世紀前期の建立
物々しい雰囲気だと思っていたら、何と「門主継職式~法灯継承~」の記念すべき日であった



中門
境内には正装した関係者ばかりで、普段着は私ひとり。観光で写真を撮りに来たと告げると快く迎えてくれた



正面の築山の奥に「御影堂」があり、関係者が忙しく出入りしている



御影堂(滋賀県指定文化財)
元禄14年(1701年)の再建
記念撮影のベンチが置かれているということは、この場所が撮影ポイントということになる



親鸞が滞在中に「顕浄土真実教行証文類」全六巻の内最後の二巻、 真仏土・化身土之巻を作成した



鐘楼






天安堂
創建は天安2年(858年)、天台宗の慈覚大師円仁により、最澄が比叡山を開く際に霊木で作成した鞍馬寺の毘沙門天像と同木同作の像を、天安堂(毘沙門堂)を建立して祀ったことによる
境内の中では一番古い歴史を持つ



堂内に安置されている「毘沙門天像」を撮る
この後、資料を得るため休憩所に入ると湯茶の接待を受けた
一人の男性から、一眼のデジタルカメラについて質問を受け、応えているうちに意気投合し、天安堂内で撮りなさいと言ってくれた



再び戻り、事情を話し堂内で撮る許可を得た



像の特徴について、『阿婆縛抄第百二十六』に儀軌が書かれており、右手に戟、左手は腰とあるが、鞍馬寺は逆になっているという



邪魔にならないように素早く行動したためか像にピントが合っていない



天安堂襖絵(久保田米僊作)
襖絵制作のため、明治11年(1878年)錦織寺に逗留する



襖絵の前に椅子や座布団が置かれていたのを、係の人が片付けてくれた



さらに、お土産まで持たせてくれた。感謝したい






三王社



阿弥陀堂
阿弥陀堂は天保2年(1831年)の再建。本尊は一尺八寸の「阿弥陀如来像の座像」



堂内の様子









阿弥陀堂(手前)と天安堂(奥)



御影堂



講堂



手水鉢



撮影 令和元年5月19日
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