今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

鼻顔稲荷神社(長野県佐久市大字岩村田字鼻顔)

2019年01月26日 | 神社・仏閣
鼻顔(はなづら)稲荷神社
鼻顔を「はなづら」とは読めなかった
調べてみると地名からきていることがわかった
稲荷神社のシンボルである朱色の鳥居を通るのが普通であるが、駐車場の関係で公園から入った



伏見稲荷大社・豊川稲荷・祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)・笠間稲荷神社(茨城県笠間市)とともに日本五大稲荷のひとつに数えられるようだ



御姿殿



足元に「子狐」がいる



社殿
「鼻顔稲荷大神」の扁額
崖に社殿があるため、一般的な神社の造りとは違っている



社殿は懸崖造り。湯川に臨む断崖に朱塗りの柱を下ろし、社殿を支えている



社殿奥では、七五三の祈祷が行われていた
参拝するため社殿内の額を撮りながら待っていた



結局参拝することを諦め駐車場に戻ることにした。

聖徳太子像
「鼻顔公園」内にある太子像






撮影 平成30年10月14日
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成田山 薬師寺(長野県佐久市大字原)

2019年01月25日 | 神社・仏閣
成田山 薬師寺
「ぴんころ地蔵尊」が有名と、旅行途中に何かで読んだ記憶があり訪れてみた

山門
龍岡城五稜郭の東通用門を移築したという



扁額の文字が難しくて読めない



長寿地蔵尊
佐久地方は、日本でも有数の長寿の里だという



長寿地蔵は「健康で長生きし(ぴんぴん)楽に大往生(ころ)を願い「ぴんころ地蔵」の愛称で親しまれている



高齢者に人気で「ぴんころ地蔵」の周囲には終末を意識してか爺婆が集まってくる
若いつもりでいたが、私も周囲と違和感のない年齢・風貌になってきた



「佐久平の地下水」は、八ケ岳山麓の地下水を原水としている。長寿に効く感じがする



不動堂



コスモスが咲いていたので入れてみた



堂内では法要か何かで近づくことができなかった



控えめな文字で「不動堂」と書かれた扁額






撮影 平成30年10月14日
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洞源山 貞祥寺(長野県佐久市前山)

2019年01月23日 | 神社・仏閣
洞源山 貞祥寺
大永元年(1521年)、前山城主の伴野貞祥が、祖父と父の追善のために開山した曹洞宗の寺






「不許葷酒入山門」が一般的であるが、「禁葷酒」の三文字は初めて見た
「葷酒、山門に入るを許さず」と読み、臭いの強い野菜やお酒は持ち込み禁止の意



惣門(長野県指定文化財)
一間一戸草葺切妻造薬医門で、承応2年(1653)に建立された寺最古の建物



扁額には山号の「洞源山」



手水鉢



緑に囲まれた参道の先に「山門」が見える



山門(長野県指定文化財)
一間一戸草葺入母屋造楼門で、寛文12年(1672)に建立



仁王像



茅葺の山門には増長天と持国天の仁王を左右に配している



金堂












三重塔(長野県指定文化財)



この寺を訪れたのは、この三重塔の存在を知ったからだ









塔好きの私だが組み物等には興味がないのだが、彫刻があるのが珍しいので撮ってみた












鐘楼堂






回天之碑






撮影 平成30年10月14日
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妙義神社(群馬県富岡市妙義町妙義)

2019年01月22日 | 神社・仏閣
妙義神社
道の駅「みょうぎ」に車を駐め、緩い坂道をしばらく歩く
疲れを忘れさせる風景が眼前に広がる。「期待できる」と瞬時に感じた



総門(重要文化財)
境内は上部の神域と下部の旧寺域に分かれている。この総門は、旧白雲山石塔寺の仁王門



仁王像






銅鳥居(群馬県指定文化財)
鳥居の額には旧石塔寺の山号「白雲山」



帰り際に偶然発見したのだが、大鳥居の最下部の装飾は大変珍しい



手水舎



男坂か女坂か
普段は楽な道を選ぶのだが、今回は男らしく165段の「男坂」を上ることにした。



随神門(群馬県指定文化財)
途中、何度か呼吸を整えるため休憩し、やっとたどり着く






上ってきた道を振り返る



唐門(重要文化財)
唐門は妻を唐破風にした銅茸平入りの門



宝暦6年(1756)の建造






唐門内上部にある龍の画



拝殿(重要文化財)
創建は、宣化天皇2年(537年)と伝わる。現在の社殿は、宝暦年間(1751年 - 1764年)の改修



繊細或いは雄渾な彫刻技術は日光東照宮の彫刻師がここに来て彫りあげたと伝えられている






拝殿内部の様子



拝殿の天井画






竹林七賢人



中国の晋の時代、世の中のわずらわしさを避けて、隠者七人が竹林に集まり、清談にふけった故事を云う









拝殿・幣殿・本殿(重要文化財)



本殿






他の参拝者から天狗がいるとの情報があり、本殿裏側に行ってみた









波己曽社殿(群県指定文化財)
波己曽社社殿(旧妙義神社社殿)
本殿、幣殿、拝殿からなり、旧本社と伝えられ、明暦2年(1656)の建造



拝殿内部の様子



旧宮様御殿



社務所



撮影 平成30年10月13日
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一之宮貫前神社(群馬県富岡市一ノ宮)

2019年01月21日 | 神社・仏閣
一之宮貫前神社
一之宮貫前(ぬきさき)神社は上野国一宮。安閑天皇の元年(531年)が創建にあたる



総門



唐銅製燈籠(富岡市指定文化財)
慶応元年の作で総門前両脇に立つ



狛犬






「下り宮」・「下り参りの宮」
社殿の配置は独特で、本殿が境内入り口よりも低い位置にある
このような配置の神社は「下り宮」・「下り参りの宮」と呼ばれている

これまで多くの神社を廻ってきたが、石段を下ってから本殿に参拝するのは初めてである



末社 月読神社
楼門への石段の横に鎮座する。社殿は寛永12年以前の本社の旧拝殿



斎館



楼門(重要文化財)



手水舎



楼門前に置かれていた「無事かえる」






拝殿・本殿(重要文化財)
徳川家光により寛永12年(1635年)に造営された
元禄11年(1698年)、綱吉により大規模な修理で極彩色の漆が塗られ、現在の華麗な造りとなった



本殿(重要文化財)
単層2階建てで「貫前造」と呼ばれる独特な造りである
内部は2階構造になっていて上段に神座が据えられ、稲含山に向けて「雷神小窓」が設けられている



拝殿(重要文化財)



拝殿内部の様子



場所を移動し極彩色の社殿を眺める



貫前神社では12年ごとに式年遷宮が行われる
仮殿敷地に仮殿が築かれ、申年の12月12日に仮殿遷座祭が、翌酉年の3月13日に本殿遷座祭が催される

万寿2年(1025年)以前から行われており、古くは30年毎であったが、のちに7年毎になり、天正18年(1590年)から現在の形式となった



末社 日枝神社・伊勢内宮・外宮



末社 二十二社
社領内に祀られていた各社を、寛永12年の造営時に一棟にまとめたもの



末社 日枝(ひえ)神社
社殿は寛永12年以前の本社の旧本殿と伝わる



何と、ここにも「三猿」がいるという



前日に日光東照宮で三猿を観たばかりだ



拡大してみると確かに例のポーズをとっている






撮影 平成30年10月13日
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富岡製糸場 その2(群馬県富岡市富岡1番地)

2019年01月19日 | 名所・旧跡
世界遺産 富岡製糸場

社宅群
官営時代から民営化され、入札の結果「三井家」に払い下げが決定した



三井家時代の役職者用の社宅である



国宝の「東置繭所」を通り奥の方に進んでみる。赤い花が美しい



さらに奥に進む



繰糸所(国宝)
繭から糸を取る作業が行われていた建物



創設時にフランスから導入した金属製の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の器械製糸工場だった
透明のビニールにより器械を保護している



現在の日産自動車である



車好きならわかるプリンス自動車(スカイラインを製造)製の器械である



小屋組みに「トラス構造」を用いることで建物の中央に柱のない大空間を作りだしている



精密・繊細で機能的なデザインが美しい









横田(和田) 英
明治6年15歳で官営富岡製糸場の伝習工女となる
翌年、日本初の民営器械製糸場の技術教師。後に長野県営製糸場の製糸教授となった。

「富岡日記」は富岡製糸場で働いた武士の娘の貴重な記録である。



診療所






首長館(重要文化財)
指導者として雇われたフランス人 ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居



ブリュナが去った後は工女の寄宿舎や教育・娯楽の場として利用された



寄宿舎



妙義寮。創業当初から3代目となる工女寄宿舎。左下には川が流れる



北側に廊下が付き、部屋は1室15畳、1棟16部屋



榛名寮



女性従業員のための寄宿舎






この辺りは観光客も少ない



影響されやすい私は売店で「富岡日記」を購入(まだ読んでいない)



女工館(重要文化財)



日本人工女に器械製糸の糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居
後に改修され食堂や会議室として使用された



シルクギャラリーの展示品



撮影 平成30年10月13日
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富岡製糸場 その1(群馬県富岡市富岡1番地)

2019年01月18日 | 名所・旧跡
世界遺産 富岡製糸場
世界遺産に登録された直後、駐車場が近くになく不便だとの情報があったが、有料駐車場が点在していた
私はナビで検索し、少し離れたところにある無料駐車場に駐めた

片倉工業の経営者は、富岡工場(旧富岡製糸場)を閉業した後も一般向けの公開をせず、
「売らない、貸さない、壊さない」の方針を堅持し、維持と管理に専念した



富岡製糸場は、明治5年(1872年)に明治政府が日本の近代化のために設立した模範器械製糸場である

政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決めた
こうして富岡製糸場が建設され、現在までほぼ変わらぬ姿で残されている



初めて訪れた場所でどこに何があるのかもわからずに歩いてみる

上記写真のアーチ北側には、富岡製糸場の歴史を映像等で紹介している



アーチ南側では、平日は「フランス式繰糸器実演、土日では「座繰り実演・体験」が行われている



この日は土曜日で「座繰り実演・体験」が行われていた



東置繭所(国宝)
1階は事務所・作業所などとして使い、2階は乾燥させた繭を貯蔵した



建物は、木材で骨組みを造り、壁に煉瓦を用いた「木骨煉瓦造」という工法で建てられた






2階内部 「変形トラス構造」



天気の良い日は窓を開けて風を通して乾燥を完成させていた



乾繭を袋詰めにして保管していた



ブリュナエンジン(復元)



横型単気筒蒸気機関(エンジン)
繰糸器と揚返器の枠を回転させる動力として蒸気釜所に置かれていた



富岡製糸場の設立指導者であるブリュナによって導入されたため、ブリュナエンジンと呼ばれた



煙突









西置繭所(国宝)



現在修復中。1階部分は蒸気機関燃料用の石炭を置いていた
2階部分は繭の貯蔵庫として使用






鉄水溜(重要文化財)



明治8年頃に造られた製糸に必要な水を溜めておくための巨大な水槽



鉄水溜の製造には軍艦の造船技術であるリベット止めが使われ、およそ400トンの水を溜めおくことができる



撮影 平成30年10月13日
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日光東照宮 その3(栃木県日光市山内)

2019年01月16日 | 神社・仏閣
世界遺産 日光東照宮 その3
「眠り猫」のある坂下門をこえると奥宮に通じる長い階段が続く
参詣者が多く途中で立ち止まって休むこともできない



奥社唐門(重要文化財)
慶安3年(1650)鋳工 椎名伊豫の作で唐銅製(金銀銅の合金)
扉以外の柱や梁などが1つの鋳型作られていることから「鋳抜門」と呼ばれている



奥社宝塔(重要文化財)
御祭神徳川家康の墓所

家康は元和2(1616)年、75歳で亡くなる間際に側近を集めてこう遺言した
「遺体は久能山に葬り、葬儀を増上寺で行い、位牌は大樹寺に納め、一周忌が過ぎてから日光山に小さな堂を建てて勧請せよ」



NHKの歴史番組でも紹介された、東照宮を巡る聖なる3本のライン
1本目 - 御前崎から久能山東照宮を線で結んだ延長上には富士山
    更に延長上に群馬県の世良田東照宮、更に延長すると日光東照宮に至る
2本目 - 久能山東照宮から真西には駿府城、更に延長すると鳳来山東照宮
    更に延長上には、家康が生まれた岡崎城、更に延長すると京都に至る
3本目 - 日光東照宮の真南には江戸城、南面に立つ陽明門の真上には不動の北極星が輝き、星々はこれを巡る
    江戸城・日光東照宮・北極星を結ぶ南北線を中心に、この世の総てが運行する



奥社拝殿(重要文化財)
「御宝塔」に参拝するための社殿。将軍のみ昇殿参拝が許された



奥社銅神庫
承応3年(1654)建造。外部は銅板で包まれている。朝廷から贈られた家康の位記や宣旨、具足などが収蔵されていた

右側の「奥社鳥居」も重要文化財



石狛犬2躯(重要文化財)






石段を下りる。小学生の話だと106段あるそうだが、定かではない
この建物の裏に「眠り猫」がある。平日でこの混雑である



「陽明門」付近まで戻ってきた



神興社(重要文化財)
3基の神輿が収められている



中央に家康、右側には豊臣秀吉、左側に源頼朝の神輿



御仮殿(重要文化財)
本社を修理する際に御祭神を一時的に移すための御殿



現在の社殿は寛永16年(1639)の建立
仮の社殿は修理が終わると取り壊されるのが一般的であるが、日光東照宮では本社の修理が頻繁に行われたために仮殿が常設されている



五重塔(重要文化財)



最後になったが、東照宮を訪れた大きな目的の一つである五重塔



受付所近くにあるのだが、他の社殿に意識がいってしまい、すっかり忘れていた



「宝物館」で時間を過ごした後に再来



帰り際、異国の女性に母国語で「(たぶん)写真を撮ってほしい」とスマホを渡された
私も北海道弁で「そだね~」と応え、一枚撮らせてもらった



投稿にあたり色々調べていると撮り忘れている場所がある
近いうちにまた訪れてみたい

撮影 平成30年10月12日
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日光東照宮 その2(栃木県日光市山内)

2019年01月15日 | 神社・仏閣
世界遺産 日光東照宮 その2
日光東照宮は、陰陽道に強い影響を受け「陽明門」と その前の鳥居を中心に結んだ上空に北辰(北極星)が来るように造られているという
さらに、主要な建物を線で結ぶと北斗(北斗七星)の配置と寸分違わぬよう設計されているという

平日の午前中であるが「陽明門」から中に入る参詣者はこのようなお祭りのような賑わい



現在の社殿群は、鎮座から20年後の寛永13年(1636)に建て替えられたもの
平成11年12月「世界文化遺産」に登録された



廻廊(国宝)
陽明門の左右に延びる建物で、外壁には我が国最大級の花鳥の彫刻が飾られている






一枚板の透かし彫りには、極彩色がほどこされている



鐘楼(重要文化財)



陽明門の右横にある「廻廊・鐘楼」周辺は閑散としている
一旦休憩して記憶メディアを入れ替える



陽明門(国宝)
門の名は平安京大内裏外郭十二門のうちの陽明門に由来する
建築形式は三間一戸楼門で、規模は桁行(間口)が約7m、梁間(奥行)が約4m、棟までの高さが約11m



建物全体が極彩色の彫刻で覆われ、一日じゅう見ていても飽きないということから、「日暮の門」とよばれている



正面唐破風下には後水尾天皇宸筆の「東照大権現」の勅額



故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされている






一枚だけ写っていたピンボケの龍、陽明門を通過する際天井にあったものか(記憶にない)



背面から上層



唐門(国宝)
全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父」や「舜帝朝見の儀」など細かい彫刻がほどこされている






透塀(国宝)



神楽殿(重要文化財)



眠り猫(国宝)
左甚五郎作と伝えられている。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたた寝をしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われている



眠り猫の裏面にいる雀たち。裏で雀が舞っていても「猫も寝るほどの平和」を表しているという。



撮影 平成30年10月12日
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日光東照宮 その1(栃木県日光市山内)

2019年01月14日 | 神社・仏閣
世界遺産 日光東照宮
日光は観光客が多いと聞いていたので道の駅を早朝に出発
雨の中ではあったが日光杉並木街道は別世界に走って行くような感じがした
市営の駐車場に駐め、輪王寺・二荒山神社に続き東照宮に入る



石鳥居(重要文化財)
元和4年(1618)黒田長政によって奉納された
石材は、九州から船で小山まで運ばれた後、陸路を人力により日光まで運ばれた



表門(重要文化財)
東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれている



参詣者が多く、同じ場所に留まることができず「仁王像」の写真もこの一枚だけ



外国人観光客が多いのには驚く



三神庫(重要文化財)
上神庫(写真)・中神庫・下神庫を総称して三神庫(さんじんこ)



春秋渡御祭「百物揃千人武者行列」で使用される馬具や装束類が収められている



上神庫屋根下には「想像の象」(狩野探幽下絵)の彫刻がほどこされている



神厩舎・三猿(重要文化財)
神厩舎は、神馬をつなぐ厩



昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されている
「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名



1 母親が子供の未来を遙かに望んでいる場面
 枇把と朱色の雲は「バラ色で実り豊か」な子供の未来を暗示している



2 幼いうちは純真で周囲の影響を受けやすい
 世の中の悪いことは見聞きせず、悪い言葉も使わせず、良いものだけを与えよ
 この時期に、良いものを身につけておけば、悪いものに触れ(対し)ても正しい判断(行動)ができる



3 一匹の座った猿(未だ立っていない)。
  どことなく寂しそうなのは、孤独に耐えつつも、これからの人生(将来)を考えている
  やがて立ち上がれば「自立・一人立ち」(精神的にも肉体的にもレベルアップ)する



4 二匹の猿が上方を見上げている。希望をもって上を見上げる青年期のイメージ
 右側に星雲が配され「星雲の志」を抱いた若い猿と解釈できる
 御遺訓にいう「上を見な・身の程を知れ」である



5 右側の猿は樹の上で前方を凝視している
 左側の二匹は岩の上にいる。中央の猿は崖からの転落を免れた状況か
 左側の猿は、中央の猿の背中に手を当てている
 友達を慰める、或いは励ましているように見える



6 右側の猿は座って腕をお腹の前で交差させ、正面を凝視している。左側の猿は何かを考え、決断を迫られている
 右側の猿は結婚の決心を固めた猿。一方の猿は未だそれに至っていない状況なのかもしれない



7 右下に渦巻く波、右側の根本には薔薇の花。右側の猿は長い左手を波に差しのべ、左側の猿は腕組みをしている
 二匹とも波を見つめ、右側の猿の上には赤い雲
 二人で力を合わせれば「人生の荒波」も乗り越えられる



8 結婚した二人が協力して荒波を乗り越え、平安な家庭環境を整え、子宝に恵まれ、子供が生まれれば、親となり、最初の面の子育てへと辿ることになる
 永遠の生命が受け継がれていく



東照宮社殿で唯一極彩色が施されていない神厩舎



8枚で猿の一生が描かれており、ひいては人間の平和な一生の過ごし方を説いたものとなっている



「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿は「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えである



東照宮は学生時代に一度訪れたことがあるが、何一つ記憶に残っていない



御水舎(重要文化財)
水盤は元和4年(1618)佐賀藩主鍋島勝茂によって奉納された



輪蔵(重要文化財)
天海版に一切経を収めた建物で経蔵という
内部には輪蔵といわれる八角形の廻転式大書架がある



銅燈籠(重要文化財)
オランダ国からの奉納



目の前に国宝の陽明門が見える。平日の午前でこの参詣者。一方通行になっている



撮影 平成30年10月12日
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