訪問日 令和5年5月23日
與止日女神社(よどひめじんじゃ)
創建は、欽明天皇25年(564年)
肥前国一宮
「淀姫神社」とも表記され、別称として「河上神社」
三の鳥居(佐賀市指定文化財)
佐賀初代藩主 鍋島勝茂公が慶長13年(1608年)に寄進した鳥居
柱や貫、笠木が三本継ぎになっていて、柱の下部が太くなっている形状は「肥前鳥居」の特徴を示している
與止日女神社の楠(クスノキ)
樹齢1400年
樹高20m 幹回り7.2m 枝張り22m
河上神社金精さん
手水舎
龍の彫刻の口から水が出ている
與止日女神社略記
狛犬1
狛犬2
拝殿
拝殿内に入ることができるとの案内があった
過去を振り返ってみてもこのようなことは珍しく貴重だ
副島種臣公揮毫扁額「火国鎮守」
祭神:與止日女命(よどひめのみこと)
神功皇后の妹という。また一説に、豊玉姫であるとも伝える
拝殿内部
三十六歌仙絵札額
平安時代の和歌の名人三十六歌仙の人物画に代表的な和歌1首ずつを書き込んだ絵札
天井絵馬
祭神の與止日女命は一節によると豊玉姫ともいわれ
豊玉姫と関係ある「山幸彦海幸彦縁起絵巻」と境内社の天満社にちなむ「菅原道真公絵巻」の2巻から構成された250枚からなっている
元々、江戸時代後期に奉納されていた三十六歌仙絵札が老朽化していたため、新たに描きなおし2015年(平成27年)に奉納された
奉納額
拝殿内から
佐賀県を中心とする北九州地方には、與止日女神(淀姫神)を祀る神社が多数あり、そのうち当社を含めた6社が嘉瀬川流域にある
本殿
延長5年(927年)の『延喜式』神名帳では肥前国佐嘉郡に「與止日女神社」と記載され、式内社に列した
弘長元年(1260年)に最高位の正一位の神階を授けられた
応保年間(1161年~1163年)には肥前国一の宮になる
(千栗八幡宮も一宮を称している)
西門(佐賀県指定文化財)
本殿西北方に建つ四脚門
元亀4年(1573)年の建立
大楠の由来
境内社 與止日女天満宮
菅原道真像
社殿全景
撮影 令和5年5月23日
與止日女神社(よどひめじんじゃ)
創建は、欽明天皇25年(564年)
肥前国一宮
「淀姫神社」とも表記され、別称として「河上神社」
三の鳥居(佐賀市指定文化財)
佐賀初代藩主 鍋島勝茂公が慶長13年(1608年)に寄進した鳥居
柱や貫、笠木が三本継ぎになっていて、柱の下部が太くなっている形状は「肥前鳥居」の特徴を示している
與止日女神社の楠(クスノキ)
樹齢1400年
樹高20m 幹回り7.2m 枝張り22m
河上神社金精さん
手水舎
龍の彫刻の口から水が出ている
與止日女神社略記
狛犬1
狛犬2
拝殿
拝殿内に入ることができるとの案内があった
過去を振り返ってみてもこのようなことは珍しく貴重だ
副島種臣公揮毫扁額「火国鎮守」
祭神:與止日女命(よどひめのみこと)
神功皇后の妹という。また一説に、豊玉姫であるとも伝える
拝殿内部
三十六歌仙絵札額
平安時代の和歌の名人三十六歌仙の人物画に代表的な和歌1首ずつを書き込んだ絵札
天井絵馬
祭神の與止日女命は一節によると豊玉姫ともいわれ
豊玉姫と関係ある「山幸彦海幸彦縁起絵巻」と境内社の天満社にちなむ「菅原道真公絵巻」の2巻から構成された250枚からなっている
元々、江戸時代後期に奉納されていた三十六歌仙絵札が老朽化していたため、新たに描きなおし2015年(平成27年)に奉納された
奉納額
拝殿内から
佐賀県を中心とする北九州地方には、與止日女神(淀姫神)を祀る神社が多数あり、そのうち当社を含めた6社が嘉瀬川流域にある
本殿
延長5年(927年)の『延喜式』神名帳では肥前国佐嘉郡に「與止日女神社」と記載され、式内社に列した
弘長元年(1260年)に最高位の正一位の神階を授けられた
応保年間(1161年~1163年)には肥前国一の宮になる
(千栗八幡宮も一宮を称している)
西門(佐賀県指定文化財)
本殿西北方に建つ四脚門
元亀4年(1573)年の建立
大楠の由来
境内社 與止日女天満宮
菅原道真像
社殿全景
撮影 令和5年5月23日