今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

豊山 神楽院 長谷寺 その1(奈良県桜井市初瀬)

2021年06月30日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月23日

豊山 神楽院 長谷寺 その1
真言宗豊山派の総本山の寺院



全国に約3,000寺、僧侶(教師)数は約5,000人、檀信徒数は200万人



源氏物語や枕草子などにも登場し長谷詣として知られる



仁王門(重要文化財)
長谷寺の総門で、三間一戸入母屋造本瓦葺の楼門



両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置
「長谷寺」額字は、後陽成天皇の御宸筆



仁王像撮影は困難。奥に見えるのが登廊



仁王門(登廊側)の彫刻









登廊5棟(重要文化財)



本堂へと続く、399段もある階段
高さは無いが奥行きがあって比較的楽な階段のように思えるが……



年齢を増すと、これが、ボディー‐ブローのように効いてくる



「道明上人御廟塔」
寺伝によれば、朱鳥元年(686年)、道明が長谷寺を創建した



「歓喜院(かんぎいん)」



登廊(のぼりろう)をローアングルで



「清浄院」



「慈眼院」



登廊を上から



繋屋(重要文化財)
初めて訪れた時ここで終わりかと思っていた



右側は本堂へ、真っ直ぐ行くと開山堂へと続く
開山堂下の「嵐の坂」の文字を見た瞬間、膝が痛みだした(笑)



一度経験のある本堂へ続く登廊を選択



右手に見えるのが「蔵王堂(重文)」



「蔵王三鈷」
「お手を触れて、七難即滅(世の中の七つの大難はたちどころに消滅し)七福即生(七つの福が生まれる)を願い難を滅ぼして福を招きましょう」と書かれているが……
コロナの影響で「お手を触れて」の部分が隠されていた



「蔵王権現像」



「紀貫之 故里の梅」
 人はいさ 心も知らず ふるさとは
    花ぞ昔の 香ににほひける(古今集)



最後の登廊となる



右から「住吉宮・八幡宮・馬頭夫人宮」



三百余社(重要文化財)



本堂前にたどり着いた



次回に続く

撮影 令和3年5月23日
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大神神社(奈良県桜井市三輪)

2021年06月29日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月23日

大神神社(おおみわじんじゃ)
本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという我が国最古の神社
駐車場が無いと思い込んでいたが、大阪に住む友人から大きな駐車場があるということを聞いた



「二の鳥居」
参拝者が多いので早い時間帯が良いと聞いたので7時過ぎに駐車場に着いた
隣の車の人から北海道からですかと声を掛けられ、初めてだと言うと親切に場所など教えてくれた
駐車場から100m程歩くと鳥居がある



鳥居の額には「三輪明神」
旧来は「美和乃御諸宮、大神大物主神社」と呼ばれ、中世以降は額にある「三輪明神」
そして、明治時代になり「大神神社」と改名された



参道を歩く



「祓戸神社(はらえどじんじゃ)」
二の鳥居から参道を進むと最初に鎮座する神社
祭神:瀬織津姫神、速秋津姫神、気吹戸主神、速佐須良姫神



諸々の罪、穢れを祓う祓戸の四柱を祀る
神社参拝は清浄を期すことが大切で、心身ともに清らかになって参拝するために最初にこの神社で参拝する



「夫婦岩」



古くは神様が鎮まる磐座で中世の古絵図には「聖天石」と描かれていた



『古事記』に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)と活玉依姫(いくたまよりひめ)の恋物語である「三輪山説話」を伝える古蹟
この伝説は調べていくと面白く「箸墓古墳」にもつながっていく



朝日が差し込む階段下からの景色は独特の世界観がある



二本の柱が注連縄で結ばれている
記憶を辿っても、これまで見たことがない






拝殿(重要文化財)
拝殿は鎌倉時代に創建された
現在の拝殿は寛文4年(1664年)第4代将軍 徳川家綱により再建



三輪山をご神体とするために本殿がなく、拝殿を通して三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留める



拝殿奥に「三ツ鳥居(重文)」が、神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立つ
本殿にかわるものとして神聖視されてきた



全国各地に大神神社・神神社(三輪神社、美和神社)が分祀されている
その分布は、山陽道に沿って播磨(美作)・備前・備中・周防に多い



建物は横が約17m(桁行9間)、縦が約8m(梁行4間)の切妻造で、正面には唐破風の大きな向拝がつき、屋根は檜皮葺 



「巳の神杉」
大物主大神の化身とされる白蛇が棲むことから名付けられた樹齢500年のご神木
蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされている






「参集殿」



駐車場に戻る途中、勤務に向かう神社関係者らしい人達から挨拶をされ、とても気持ちの良い朝になった
名物の三輪そうめんでもと思ったが8時過ぎでは店は開いていない



撮影 令和3年5月23日
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宀一山 室生寺(奈良県宇陀市室生)

2021年06月28日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月22日

宀一山 室生寺
「女人高野」室生寺への参拝は久し振りになる
いつもの利用している駐車場から太鼓橋までの間の土産屋の多くが店を閉めている



写真家 土門拳氏が室生寺撮影の際の定宿だった「橋本屋」である
当時の住職の「全山白皚々(はくがいがい)たる雪の室生寺が第一等であると思う」の言葉から
雪の室生寺を撮らなければならないと思った時から、女将との感動的な物語が始まる



いつ降るか分からない雪を待って橋本屋に何日も泊まる訳にいかないので
御所市の病院に2月19日から雪が降ったら写真を撮るのが目的で入院



3月9日入院生活を切り上げ橋本屋に移った
3月12日朝、廊下をバタバタと走ってくる音が聞こえた



女将の初代さんが寝間着姿のまま部屋にとびこんできた
「先生、雪が……、早く起きてください」とぼくの手を引っぱった
「降りましたか」とぼくは大声で叫ぶ



ぼくと初代さんは「とうとう降りましたねと」と互いにてをとりあってうれし泣きした
*土門拳「寺と仏像手帳」より抜粋



雪の室生寺の写真のエピソードである



いつの間にか「宝物殿」なるものができていた
そして、私が室生寺を訪れた目的である日本一美しい「十一面観音像」が安置されているようである



「仁王門」



見慣れた風景だが大きく違うのは参拝者の姿が余りにも少ないということだ



額には「室生山」とある
山号の「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという



「仁王像」






これは帰りに撮ったもの






「梵字池」
燃えるような赤色だが季節は春






仁王門と梵字池



「鎧坂」
いつもは参拝者の姿を入れないように坂の下で無人の状態になるまで待つのだが……



この日は土曜日で梅雨の間の晴れの日なのに自由に撮ることができる



金堂(国宝)
鎧坂を上がると正面に国宝の金堂が目の前に現れる



この金堂の内陣の左奥に「十一面観音像(国宝)」が安置されていた
また、表情豊かな十二神将像も宝物殿に移され堂内はスカスカ状態になっている



「軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)」



岩に彫られた明王像






弥勒堂(重要文化財)
入母屋造、杮葺き、桁行3間、梁間3間、鎌倉時代前期の建築



本尊:弥勒菩薩立像(重要文化財)
右側の釈迦如来坐像(国宝)は宝物殿に移された



室生寺の興味深い所は各お堂の姿を「下から、目線で、上から」撮ることができることだ






この季節は緑に囲まれとても美しい



本堂<灌頂堂>(国宝)
鎌倉時代後期、延慶元年(1308年)の建立
入母屋造、檜皮葺き、桁行5間、梁間5間



この堂は「灌頂堂」とも称され、灌頂という密教儀式を行うための堂である



内陣中央の厨子には如意輪観音坐像(重要文化財)を安置



本堂奥に五重塔が見える



五重塔(国宝)
延暦19年(800年)頃の建立
屋外にある木造五重塔としては、法隆寺塔に次ぎわが国で2番目に古い



国宝・重要文化財指定の木造五重塔で屋外にあるものとしては日本最小である
高さは16メートル強、初重は1辺の長さ2.5メートルの小型の塔で、高さは興福寺五重塔の3分の1ほど



平成10年(1998年9)月22日、台風7号の強風で高さ約50mの杉が倒れた際に屋根を直撃、西北側の各重部の屋根・軒が折れて垂れ下がる大被害を受けた
私が初めて訪れたのは復旧工事後ということもあり朱塗りの塔が目立ち、昔の方が良かったという声が周囲から聞こえていた



「修円廟」



この近くから五重塔を撮るいい場所があったのだが、木の枝が伸び塔の姿を隠していた






今度は塔を上から撮ってみる



台風の被害を受け修復後に訪れた時は朱色の塔がやけに目立っていたが
今は周囲の環境と一体化しているような感じがする



この塔では、最上部の九輪の上にある水煙の代わりに宝瓶(ほうびょう)と称する壺状のものがある
その上に八角形の宝蓋(ほうがい)という傘状のものが乗っている珍しい形式






奥の院に続く石段
昔は駆け足で上ったものだが、今は気力も体力もすっかり衰えてしまった



ということで、上がってきた道を下りる



国宝の本堂



国宝の金堂



鎧坂を慎重に下りる



仁王門と梵字池



最後に「宝物殿」へ
「十一面観音立像(国宝)」「釈迦如来坐像(国宝)」「十二神将立像のうちの6体(重文)」「地蔵菩薩立像(重文)」のほか、多くの文化財を収蔵展示している
私が観た全仏像の中でも一番美しいと思っている「十一面観音像」を間近で拝観できるのはとても嬉しい

撮影 令和3年5月22日
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楊柳山 大野寺(奈良県宇陀市室生大野)

2021年06月26日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月22日

楊柳山 大野寺
20年程前になるが、室生口大野駅から室生寺行きのバスを待っている間に有名な磨崖仏を観たことがある
と言っても何も見えなかったという記憶しか無い
駐車場があるということが分かったので訪れることにした



無人の受付箱に料金を入れ中に入る



樹齢300年の枝垂桜が有名らしいが、その季節は既に過ぎている



「鐘楼」



新緑の季節、緑で溢れている



「石仏」






本堂
伝承では白鳳9年(681年)、役小角の草創
天長元年(824年)に空海が堂を建立して「慈尊院弥勒寺」と称したという
本尊は木造弥勒菩薩立像(秘仏)



寺は明治33年(1900年)の火災で全焼した
現存する建物はすべて火災以後のものである



「霊牌堂」






「礼拝所」



宇陀川をはさんだ対岸に「石仏」がある



史跡 大野寺石仏
興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始
同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われた



過度の近視に加え乱視、一層酷くなった飛蚊症の私には全く見えない
カメラのレンズの力を借りても標準ズームではよく見えない



礼拝所に貼られていた石仏のお姿



宇陀川の対岸に位置する高さ約30mの大岩壁に刻まれた弥勒磨崖仏
24-70mmのレンズで最大にしてもこの程度だったので、望遠レンズを取りに車に戻る



この弥勒磨崖仏は、笠置寺の磨崖仏を模して造られたといわれている
200mmで撮ると石仏の線刻が見えてくる



目線と同じ高さに石仏があるのも偶然では無いはず
800年前の完成したころには、綺麗に彫られた対岸の石仏を優雅に眺めていたのだろう



近くから撮ってみようと思い、境内を出ることにする






庫裏だと思うが人の気配がしない



駐車場の近くに川に降りられる場所があったので移動する



礼拝所とは見え方が全く違うところが面白い



梵字のようだが上からでは見えなかった部分である



岩壁を高さ13.8mにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5メートルの弥勒仏立像を線刻で表す



国内で最も高い磨崖仏だという
神々しく見えてくる



撮影 令和3年5月22日
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都祁水分神社(奈良県奈良市都祁友田町)

2021年06月25日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月22日

都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)
都祁(つげ)も水分(みまくり)も全く違った読み方をしていた
日本語が難しいのか私が無知なのか



この旅で初めて雨の降っていない朝を迎えたので、寺社巡りをしようと考えた
とても雰囲気のある境内、トイレが驚くほど綺麗というある女性の口コミでここを決めた



「社務所」
参道で清掃をしていた宮司に挨拶をしたが、その時は反応がなかった
その後、カメラで何を撮ろうとしているのかと声を掛けられた
有名寺社の写真を撮って発信していると話すと簡単な歴史などを話してくれた



「手水舎」
境内の目に見える所には落ち葉一つ落ちていないほど清掃が行き届いている
確認のためトイレも使わせてもらったが口コミの通りであった



鳥居からの参道も素晴らしいが、私はここからの眺めが好きでしばらく見入っていた



「舞殿(能舞台)」



本殿・拝殿・舞殿・鳥居が一直線にある



「拝殿」



大和国水分四社(都祁・宇陀・吉野・葛城)の一つで、古来から水の神として崇拝されてきた
奈良朝時代に聖武天皇の行幸された堀越頓宮の伝承地であり、平安時代には伊勢齋宮の皇女が宿られた都介頓宮の跡でもある






額には「水分大明神」
水分神は田畑の潅漑(水の分配)を司る神と理解しているが……



飛鳥時代の創祀と伝えられている
天禄3年(972年)9月25日、荘園の中央である友田(現社地)へ遷座した



拝殿内部



本殿(重要文化財)
室町後期 明応8年(1499年)の造営
一間社春日造、檜皮葺






祭神は「速秋津彦神、天水分神、国水分神」の三柱の神
古く本地垂跡説によると阿弥陀三尊と呼ばれている



拝殿から舞殿を見る。舞殿の奥に小さく鳥居が見える



「直会殿」



「山辺の御井」



標識から左手へ100mほど進むと、山辺の御井に達する



山辺の御井とは、山に近いところにある聖水という意味で、山辺の御井とされる井戸または泉がある



宮司から教わった場所で昔から水が湧いていたという



社名から想像するに、神聖な場所の一つだと感じた



参道の雰囲気、玉砂利の音が心地よい



撮影 令和3年5月22日
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普門山 観菩提寺<正月堂>(三重県伊賀市島ヶ原)

2021年06月24日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月21日

普門山 観菩提寺「正月堂」
降り続いていた雨もあがり、この日の最後に寺社に参拝したいと思い訪れた寺である



説明によると
正宝3年(751年)奈良東大寺の実忠和尚により開創された古刹
東大寺二月堂のお水取り(修二会)に先駆けて行われる正月堂の「修正会(しゅしょうえ)」が発祥の地といわれている



楼門(重要文化財)
室町前期(1333-1392年)三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺



扁額には山号の「普門山 」寺号の「観菩提寺」
神域と現世を隔てる結界の役割を持つ注連縄が印象的である



金剛力士像(伊賀市指定文化財)









楼門の本堂側の像(詳細不明)












本堂(重要文化財)
室町前期(1333-1392年)桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝三間、檜皮葺



本尊は「木造十一面観音菩薩立像(重要文化財)」33年に一度の開帳されている秘仏



「正月堂」の額
本尊の十一面観音の修法会が旧正月におこなわれることから、正月堂の呼び名が広がった
毎年2月11日、12日にかけて開催される修正会は庶民的な行事と厳粛な儀式が合わさったもので三重県指定無形民俗文化財



額にはご詠歌「松風や 清水を結ぶ 袖よりも 菩提の植木 涼しかるらん」



賓頭盧尊者(伊賀市指定文化財)






境内にある石塔



本堂から楼門(重文)を見る









撮影 令和3年5月21日
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伊賀流忍者博物館 その2( 三重県伊賀市上野丸之内)

2021年06月23日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年5月21日

伊賀流忍者博物館<忍者資料館・忍者伝承館>
からくり忍者屋敷から地下に抜ける場所に「忍者資料館」がある
忍術書に描かれた「忍具」を製作して展示している

「七方出(しちほうで)」
忍者は敵地に潜入するとき正体と目的を隠すために変装した
変装は「虚無僧・出家・山伏・商人・放下師(曲芸師)・猿楽師・常の者(農民や武士)」の七つとされた
忍術伝書では「七方出で立ちの事」または「七化(ななばけ)」と呼ばれた



「水蜘蛛」「水掻き」
足にかかる重さを分散して、(水上ではなく)泥の上を渡れるようにしたもの



「登器」
忍者は状況に応じて「巻梯子・竹梯子・縄梯子」を使い分けた
携帯に便利な金属製のくさび「六膳(りくぜん)」や五寸釘などを用いて石垣や岩を登った



「苦無(くない)」「坪錐(つぼぎり)」
土を掘ったり、土壁・土蔵などに丸い穴を開けるための道具



「くろろ鍵」「枢(からくり)鍵・万能鍵」「たたみのみ」
錠前を開けるための鍵



「忍び装束」
忍者が着ていたのは、伊賀・甲賀地方の農民が着る「クレ染め」という濃紺色の野良着
毒蛇よけ、虫除けにもなり、水をこして飲むのにも利用した



「仕込み杖」
杖や錫杖に剣を仕込んだ



「忍び甲冑」「鎖帷子(くさりかたびら)」
戦時中は一種の鎖帷子である「忍び甲冑」を衣裳の下に着ることもある
折りたためるため携帯に便利



「忍び刀」
角鍔のついた直刀。さやの先端を地面に突き立て、鍔に足をかけて塀をよじ登る



「手裏剣」
暗殺用の武器で、刃にトリカブトの毒汁を塗るのが定法
手裏剣に火縄を巻き付け中心に火薬を盛る
照明用や放火用に使用した






「まきびし」
ひしには「木びし・天然びし・鉄びし」の3種類がある



「鉄砲」「火矢」「百雷銃」
鉄砲は戦国大名に重宝された
火矢の先端に火薬を詰めた筒を付け、敵のかく乱を狙った
百雷銃は爆竹に類似した花火で連続的に轟音を発する



資料館を出ると目の前に米倉を改築した「忍者伝承館」がある
忍者の歴史や生活を紹介した施設になる(撮影禁止場所が多い)



「忍者の一日」「火術・火縄」



「忍者屋敷・武家屋敷のからくり」



忍者の生活が続くが参考になる事柄も多い





















「賀の道」というのは初めて知った






「忍者曼荼羅」
伊賀・甲賀の忍者が信仰した神仏を描いている
魅力的な歴史上の人物が並んでいる
忍者の奥深さを感じた曼荼羅(満足した)



実に充実した忍者博物館(忍者屋敷・資料館・伝承館)であった
雨が降っていなければ立ち寄ることはなかっただけに「恵みの雨」となった
足元を見ると歩道に「手裏剣」が刻まれている



芭蕉翁記念館
伊賀出身の松尾芭蕉に関する記念館



松尾芭蕉の正体は忍者で、奥の細道は幕府の密命を受けた隠密の旅だったという説がある
忍者の里で知られる伊賀国に生まれ、伊賀流忍術の祖とされる百地丹波の子孫ということも影響している



「芭蕉翁紀行足跡図」
芭蕉の足跡を辿る旅も面白いと思って本なども購入しているが決断できないでいる



撮影 令和3年5月21日
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伊賀流忍者博物館 その1( 三重県伊賀市上野丸之内)

2021年06月22日 | 博物館・美術館・記念館
訪問日 令和3年5月21日

伊賀流忍者博物館<からくり忍者屋敷>
幼い頃から忍者に興味を持っていた
漫画では横山光輝の「伊賀の影丸」や「仮面の忍者 赤影」
映画では市川雷蔵の「忍びの者」などに熱中していた



農家を移築・復元し忍者屋敷として開館した



忍者屋敷というより、茶室のような佇まいだ



忍者屋敷のような雰囲気がでてきた
入り口はかなり狭く、大勢の敵の侵入を制限しているようにみえる



「どんでん返し」
屋敷内に入ると桜色の衣装を纏った「くノ一」が説明をしてくれる
入館者は私一人で、仕方なく太った爺の下忍の役を担うことになった(笑)
右側の壁板だがある場所を押すと壁板が180度回転し、身を隠すことができる



「隠し階段」
見かけは普通の棚だが、紐を操作することにより



棚が床に下がるとあっという間に階段になり、2階に逃げることができる
これは、現代の建築技術にも活かされている



「地下道への隠し扉」
この扉も、ある場所を押すと開くようになっているとヒントを与えられた……
悔しいが、数カ所押しても全く反応しなかった



業を煮やした「くノ一」に扉の左端の上を押すように言われた
何とびっくり、簡単に扉が開き写真のようになった
敵が戸惑っている間に逃げ出すというからくりだ



「見張り」
これは、あっと驚くというより地味なしかけになっている



押し入れの3本の横木に隙間があり外の様子を見張るというものだ
閉所恐怖症で頻尿の私には絶対無理だと瞬間思った



「刀隠し」
忍者屋敷で一番驚いたのがこれだ。通常は床板で刀が隠れて見えないのだが……
「くノ一」が足でトンと床を押すと床板が外れ、居合い抜きのような速さで切られてしまった
太った爺の下忍の役と思っていたのだが、いつの間にか敵になっていた(笑)



縁側の床下には、今でいうこと隠し金庫があり、金品が甕に入れられている
紹介が遅れたが案内役の「くノ一」
刀隠しの実演でカメラも驚き動かなくなってしまったが、十数分の間、世間話をしながら待ってくれた
下忍の爺にも優しく親切に対応してくれたことが嬉しい



からくり忍者屋敷だがこのように眺めもいい
お茶でも飲みながらゆっくりしたい気分にさせてくれる



気配がしたので上を見ると、もう一人の「くノ一」に見張られていた
忍者屋敷にはあまり期待してはいなかったが、そうではなかった
案内役のお蔭で楽しい時間になった



撮影 令和3年5月21日
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伊賀上野城(三重県伊賀市上野丸之内)

2021年06月21日 | 
訪問日 令和3年5月21日

伊賀上野城(白鳳城)
この日も、終日雨予報ということもあり屋内で観光ができる場所を探す
上野公園の駐車場に駐めるといくつかの施設を巡ることができることを知った



いつもはGW後に出発し、梅雨に入ったら帰るという計画なのだが
家庭の事情で出発が遅れ、梅雨が例年より早くきてしまった
公園内の歩道もこのような状態になっている



初めて訪れる城なのでどこに何があるのかもさっぱり分からない
案内表示の通り歩いてみる



「城代屋敷跡」らしいがどのような建物があったのか想像もつかない






「台所門跡」も同じく想像がつかない



小さな石垣から城を眺める



上野台地の北部にある標高184mほどの丘に建てられた平山城である
現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の天守



近くに石垣があったので歩いてみる



「高石垣」が有名なようであるがここではなさそうだ



三つの天守閣についての説明があった
1. 筒井定次の城
 天正13年(1585年)に筒井定次が平楽寺・薬師寺のあった台地に伊賀上野城を築いた



2. 藤堂高虎の城
 慶長13年(1608年)徳川家康は、宇和島城主であった藤堂高虎に、22万石を与え国替えさせた
 家康の信任が厚く、築城の名手でもあり、大坂・豊臣方との決戦に備えるための築城であった



3. 現在の天守閣
 現在の復興天守閣は、代議士 川崎 克 が多くの支援者の協力を得ながら私財を投じて藤堂氏の天守台に建てたもの
「伊賀文化産業城」と名付けられた。その優雅な姿から「白鳳城」とも呼ばれている



映画『影武者』(1980年 監督 黒沢明)の舞台ともなった



甲賀と伊賀のみち『街道をゆく』(司馬遼太郎)より
徳川家康が大坂城の豊臣秀頼を攻める計画をたてたとき、万一敗北した場合の手当もしておいた。
その場合、嫡子の秀忠を近江の彦根城まで交代させ、自分はこの伊賀上野城まで後退して、攻撃再開の準備をするつもりだった。
その秘策も藤堂高虎にあかし、高虎をして堅固な城をつくらせた。
高虎は、信頼されたことをよろこび、五層の天守閣という、伊賀のような小国には大きすぎるものをつくった。



高石垣
藤堂高虎が本丸の西に築いた石垣
高さ約30メートルの高石垣は大阪城と並んで日本一の高さを誇っている
もっと良い場所があったのかも知れないが、高所恐怖症なので……



初めて訪れる城なので城内に入ることにした
登閣料は600円



「天守閣」は伊賀市有形文化財に指定されている



城内に入ると藤堂高虎像が迎えてくれる



「兜」も市の文化財



藤堂高虎の兜(三重県指定文化財)
現代でも通用するデザインの「唐冠形兜(とうかんなりかぶと)」
藤堂高虎が豊臣秀吉から拝領した兜で、高虎から藤堂玄蕃良重に与えられたもの









徳川葵御紋入軍扇



最上階



「天井絵巻」
1メートル四方の色紙 最上階の格天井には46枚の書画の色紙がはめ込まれている



天守閣竣成を祝って日本画家の横山大観はじめ著名な画家、書家、政治家などから寄贈されたもの



昭和10年(1935年) 衆議院議員であった川崎克の私財により模擬天守が建設された



撮影 令和3年5月21日
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敢國神社(三重県伊賀市一之宮)

2021年06月20日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月21日

敢國神社(あえくにじんじゃ)
伊賀国一宮である神社が車中泊した道の駅の近くにあることがわかり訪れた



社伝では、斉明天皇4年(658年)の創建になる
天正9年(1581年)の天正伊賀の乱では、織田信長の侵攻に伴って社殿を焼失
江戸時代に藤堂高虎が伊賀に入国した後は、藩主により上野城の鬼門として崇敬をうけ、慶長14年(1609年)に本殿が再興された



神社に伝わる「黒党祭」は、伊賀忍者の頭領、服部一族の私的な祭りである
私の母方の姓が伊賀ということもあり、小さい頃から忍者には興味を持っていた



駐車場から表参道を歩いていくと鳥居が見えてくる



鳥居



「手水舎」



手水鉢には「敢國津社」とある
元々の祭神は1座で、国史に「敢国津神」とあるように「敢の国津神」が本来の祭神であったと見られている



参集殿



絵馬殿



社務所・崇敬者会館



「桃太郎岩」






「延命井戸」



拝殿
拝殿・本殿へは石段を上がることになる






拝殿の扁額には「敢國大神」



拝殿内の様子



主祭神 大彦命(おおひこのみこと)
配 神 少彦名命(すくなひこなのみこと)  - 右座
    金山比咩命(かなやまひめのみこと) - 左座



雨が降り続いている。足元に注意をしながら石段を下りる



写真を整理して気付いたのだが本殿の写真がなかった
記憶を辿っても思い出せない。昨日から降り続いている雨のせいにしておこう



雨に濡れた「狛犬」



撮影 令和3年5月21日
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油日神社(滋賀県甲賀市甲賀町油日)

2021年06月19日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月20日

油日神社(あぶらひじんじゃ)
重要文化財の社殿があるということで訪れた
油日神社境内は国指定史跡にもなっている



表参道も所々に雨が溜まり、歩く場所を選びながら進まなければならないような状態
南北に本殿・拝殿・楼門 が一直線に並び、楼門の左右から廻廊が延びている



元慶元年(877年)12月3日油日神に神階を授けられたことが国史三代実録にある
聖徳太子が社殿を建立し油日大明神を祀ったとの伝承もある



予備知識も無く訪れたのだが説明文を読むと「甲賀の総社」として信仰されていたようだ
苦手な朱色の社殿でないのも趣があっていい



楼門(重要文化財)
雨が強くなり楼門で雨宿り
楼門の左右に廻廊が延びている



拝殿(重要文化財)
安土桃山時代の再建。入母屋造妻入、檜皮葺






「鎮護」と書かれた額の近くで贅沢にも雨宿り



奥に進み、楼門を見る







本殿(重要文化財)
明応2年(1493年)再建、三間社流造、檜皮葺
主祭神 - 油日大神(あぶらひのおおかみ)



真横に移動する。左は拝殿、右には本殿









廻廊(重要文化財)
廻廊が取り付く中世の神社建築は、滋賀県内でも油日神社だけ



規模が大きく意匠に優れ質も高いもので、中世の神社景観を今に伝える貴重な文化財である



後に知った事だがロケ地としても有名だそうだ
確かに時代劇などには合っている感じがする



調べてみると真剣に視ていた番組もあり、どのシーンで使われたのか見直してみたい気もした
NHK(平清盛、ごちそうさん、一路、鶴瓶の家族に乾杯、ブラタモリ)



映画(駆け出し男と駆け込み女、武士の献立、顔、必殺仕事人2017、居眠り磐音、るろうに剣心)



滋賀県選択無形民俗文化財「奴振(やっこぶり)」の様子が案内板の写真にあった
写真の左上には忍者の姿が……



土砂降りの中の参拝でかなり動きが制限されてしまった
蟇股の彫刻や鐘楼など見逃している場所も多く再訪したいと考えている

撮影 令和3年5月20日
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福生山 自性院 櫟野寺(滋賀県甲賀市甲賀町櫟野)

2021年06月17日 | 神社・仏閣
訪問日 令和3年5月20日

福生山 自性院 櫟野寺(らくやじ)
この寺を知るきっかけとなったのは、東京国立博物館の特別展「平安の秘仏-滋賀・櫟野寺の大観音とみほとけたち」 を観たことだ
約20体の重要文化財の仏像を持つ寺のことが、ずっと頭に残っていたのだ



今回の車旅で最初の訪問先として選んだ理由でもある
大規模寺院を想像していたが、違っていたようだ



「十一面観音坐像石仏群」



興味はあったが事前に調べている訳でもなく、案内板により知識を得る



仁王門
仁王像の姿が見えた時には喜んだが、ガラスにより護られている



「仁王像」ガラスの反射で仁王像を撮ることができない
そこで考えたのが雨傘を使うということ



面白い写真ができたと思っている(笑)









額には「南無観世音菩薩」



「手水舎」



仁王門から本堂へと続く参道



「鐘楼」



櫟野寺(いちいの観音)の略縁起
比叡山の開祖伝教大師 最澄が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄に巡錫の折、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下、謹刻安置された
日本最大坐仏十一面観音菩薩が御本尊(総高5.3m 像高3.12m)



本堂
延暦21年(802年)、征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が蝦夷征討に赴いた際に、当寺の十一面観音を参詣してから出陣したところ、蝦夷を平定
これにより、田村麻呂は当寺を祈願寺とし、大同元年(806年)に七堂伽藍を建立したうえ、自ら等身の毘沙門天像を彫刻し安置した



「奉納額」



本堂内の様子
本堂奥に収蔵庫があり重文の仏像群が安置されている
本尊の「木造十一面観音坐像(重要文化財)」のみ秘仏で拝観できなかった
何故これだけ重文の仏像があるのかと対応してくれた女性に尋ねると、周辺の廃寺になったご本尊が集まったのだという



「天井画」



奉納仏画







賓頭盧尊者



コロナ対策をしている写真



収蔵庫での仏像の配置や説明などとてもわかりやすい
東京国立博物館で拝観した秘仏が巨大で印象に残っていたが、丈六の木造薬師如来坐像も存在感がある
歴史的には、木造毘沙門天立像も貴重だ



撮影 令和3年5月20日
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2021春 放浪の旅 24日目(最終日)

2021年06月15日 | 旅日記
2021春 放浪の旅 24日目(最終日・青森県)
道の駅「よこはま」
前日に大間発ー函館着のフェリーを予約したため、早朝5時前に道の駅を出発(早すぎた)
40~50km走ったが対向車3台に山猿が10匹程見かけただけ



仏ヶ浦
15年前に訪れた場所で、見たことのない奇岩が印象に残っている



当初、下まで降りようと早めに道の駅を出たのだが…
今の体力では往復するのに1時間以上は必要だなどと考えてしまった



その時、ポツリと雨が落ちてきた(ほんの一瞬)



これが旅の途中なら間違いなく降りて行くのだが、最終日なので無理はしたくなかった



上から眺めても凄い風景だが、下から奇岩を見上げたときの感動は今でも忘れない
この場所には、遊覧船で行くこともできる



ドライブ途中の海岸線の風景






大間崎



フェリー出航4時間前に到着した
土曜日ということもあり、短波放送を聴きながら馬券を購入し時間を有効に活用



ここが「本州最北端の地」になる



特務艦豊国丸の慰霊碑



石川啄木歌碑






この明るい若者達に記念写真を頼まれた



大間と言えばマグロだが値段も高級すぎた



函館港行きのフェリー「大函丸」



約90分の所要時間、エンジェルス大谷選手の試合を視ているうちに着岸した
あと2~3日、道南周辺を回るつもりでいたが、自宅に戻ることにした
函館からは約300kmあり、睡魔と戦いながら夜の9時過ぎに着いた



走行距離 2806.3km
燃料 366.17㍑
燃費 7.7km/㍑
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2021春 放浪の旅 23日目

2021年06月11日 | 旅日記
2021春 放浪の旅 23日目(青森県)
道の駅「いなかだけ」
東北地方に入ると入浴施設が多く、入浴料も安い
この日は川部温泉(330円)を利用した。湯温の高さがネットで話題になっていたが本当だった



最勝院
国内最北の重要文化財の五重塔の姿が急に観たくなった



早い時間帯だったので係の女性が、参拝者が触れるであろうと思われる場所の清掃・除菌作業中であった



太子堂



五重塔(重要文化財)






長勝寺
2度目の参拝になる。初回との違いは参拝者の姿がほとんど見当たらないことだ



かなり苦労して撮っている



「嘉元鐘」(重要文化財)



庫裏(重要文化財)



本堂内の仏像



一番印象に残っているお堂



このお堂に100体近い仏像が安置されている






津軽家の菩提寺である
津軽家霊屋(重要文化財)



斜陽館
太宰治記念館(重要文化財)






十数年ぶりの入館になるが随分様子が変わっている









太宰治像



母親の部屋だが太宰の勉強部屋でもあった



襖に貼られている右から3枚目の文字を拡大してみた
最後の文字に「斜陽」と書かれている



学生時代に太宰の「人間失格」を胸に自殺する若い女性が数人いた
私も読んでみたが何も感じるものがなかった
自分の性格に合っていると思ったのが「トカトントン」という作品



近くにある「津軽三味線会館」


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2021春 放浪の旅 22日目

2021年06月10日 | 旅日記
2021春 放浪の旅 22日目(青森県)
道の駅「鷹巣」(写真略)
静かな道の駅で爆睡してしまった
今日は、重要文化財を有する4カ所を選んだ。3カ所は初めて訪れる場所である

弘前八幡宮
初めて訪れる場所で駐車場を探すのに苦労した(分かれば簡単)
狛犬がマスクをしている



拝殿で早期のコロナ収束を願った



重要文化財の社殿へに入り口
社務所に申し込むと戸を開けて入って下さいと笑顔で言われた



「唐門」(重要文化財)



「本殿」(重要文化財)



弘前城
予定にはなかったが近くにあったので立ち寄った。以前もそうだったがここは駐車場探しに苦労する
今回は民家のおばさんが小遣い稼ぎでやっているという場所に駐めた
バレーボールの強豪校である弘前工業高校前から入る



桜で有名な公園だが今の季節も十分美しい
絵を描いている人が絵になる風景である



「蓮池」 ある人物の顔が浮かんでくる(笑)
周辺では工業高校の生徒が測量実習に励んでいる
元気に挨拶ができる、実に礼儀正しい高校生達である



木々に囲まれた「櫓」



ここまでは無料区域である



道に迷いながらやっとたどり着いた



この角度から見ると城に見えるが、違う角度からは倉庫に見えるようになっていると前回説明を受けた
城の左手に見えるのが「岩木山」



有名な「桜のトンネル」



革秀寺(かくしゅうじ)
最初の場所だけに仕方がないが、駐車場を探すのに周辺を数周走った



山門から本堂を見る



見事な茅葺きの屋根の「本堂」(重要文化財)
藩祖 津軽為信公の菩提寺






重文の「霊屋」



岩木山神社
鳥居の奥に見えるのが岩木山



緩やかに上がっていく参道の奥に門が見えてくる



「楼門」(重要文化財)



このような狛犬は初めて見た



「中門」(重要文化財)



「拝殿」(重要文化財)



「本殿」(重要文化財)


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