今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

金龍山 天徳院(石川県金沢市小立野4-4-4)

2022年06月30日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月17日

金龍山 天徳院(珠姫の寺)
曹洞宗の寺院
元和9年(1623年)加賀藩主前田利常が、24歳で亡くなった正室 珠姫の菩提を弔うために創建した

山門(石川県指定文化財)
元禄6年(1693年)建立の二重門



明和5年(1768年)の火災で主要伽藍を焼失したが山門は難を逃れた



仁王像












正面に見えるのが本堂
本尊:釈迦牟尼仏



珠姫について
珠姫は慶長4年(1599年)江戸幕府第二代将軍徳川秀忠の次女として生まれた。名前は珠子
母は浅井三姉妹三女のお江であり、家康の孫にあたる



前田家では藩祖利家が亡くなり、二代藩主利長が加賀の国へ戻り藩政を治めていた
その間に、前田が徳川を討つという噂が流れ、家康は軍勢を集めて前田を攻めようとした



利長はすぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に刃向かう計画は一切無いことを説明
その証として利長の母、お松の方(芳春院)を人質として江戸に送り、代わりに珠姫を利常の嫁として受けることを約束した
慶長6年(1601年)珠姫3歳のとき加賀の国(金沢)へ輿入れ、14歳で結婚、その後10年間に3男5女を育てた
珠姫は利常の妻として、将軍秀忠の娘として前田、徳川両家の融和のために心を尽くしたが、元和8年(1622年)春、夏姫出産後亡くなった



鎮守堂






魚板を通過して本堂に入る(この先は撮影禁止)
からくり人形「珠姫・天徳院物語」は一見の価値あり



前田利長・利常と浅井三姉妹に興味を持っている私にとっては重要な寺となっている



撮影日 令和4年5月17日
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芹谷山 千光寺(富山県砺波市芹谷1111)

2022年06月29日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月17日

芹谷山 千光寺
真言宗の寺院(浄土真宗の多い富山県にあって真言宗の寺院は珍しい)
大宝3年(703年)天竺の僧 法道上人の開基といわれ、彌勒山 安居寺とともに砺波地方でもっとも古い寺とされる
戦国時代には上杉謙信が戦勝祈願をし、江戸時代には加賀藩の保護を受けたと伝えられている



地蔵堂
案内図や参拝順路が各所に置かれ、迷うことなく歩くことができる



この参道を見ただけで期待できる寺院だと確信



山門(砺波市指定文化財)
寛政9年(1797年)の建立
間口6.9m、奥行4.2m、本瓦葺き、総欅造り



富山県内最古の禅宗様形式の三間一戸二階二重門
江戸時代後期の代表的建築



鐘楼堂側から



仁王像
解体修理の結果、この像はスギとヒノキが混用されており、非常に細かい部材で造られていることが判明した






山門から鐘楼堂と観音堂が見える



鐘楼堂



梵鐘を間近で見る
何を書かれているか理解できないところが残念なところだ



天女の彫刻も美しく芸術品だ



観音堂(砺波市指定文化財)
文政2年(1819年)井波大工により建築
総欅造りで間口11.8m、奥行14.3m



入母屋をT字型に上下にずらして組み合わせた総合入母屋造り
唐破風の向拝をとりつけた様式は大胆かつ雄大な建物






井波の彫刻
向拝の迫力のある龍の欄間や「竹に虎」の彫刻、室内の欄間の唐獅子彫刻が見どころ












本堂内
本尊:銅造観世音菩薩立像(秘仏)



視線が合い、儂を撮ってくれと言っているように感じた像(笑)






観音堂からの眺め
ボケ封じと思われる観音像



空海像



観音堂横に順路の札があった



閻魔堂
閻魔像を安置する寺としても知られるようだ



奪衣婆(だつえば)と十王像






閻魔大王



本堂内の様子






天井画



ピカピカに磨かれた床



駕籠



本堂から閻魔堂、観音堂へ続く廊下を歩くと違和感がある
火災の際に延焼を防ぐため簡単に取り壊すことができるようにしているという



外から見るとこの様になっている



本堂



「昭和天皇お休み所」
昭和40年5月 天皇皇后両陛下がお休みになった



御幸門(砺波市指定文化財)
高さ5.3m、幅5.5m。武家屋敷や大寺院の正門に多い「一間薬医門」様式
明治5年(1872)、高岡市の国宝瑞龍寺にあった裏門を移築
1969年に砺波市で全国植樹祭が開かれた際、昭和天皇が通られたことから御幸門という名前が付いた



撮影日 令和4年5月17日
コメント (2)
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高瀬神社(富山県南砺市高瀬291)

2022年06月28日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月17日

越中国一宮 高瀬神社
社伝によると祭神(大己貴命)が北国開拓の折、この地に守り神を祀り
国成りおえて後、自らの魂をも鎮め祀り、出雲へ帰ったと伝えられている






鳥居



初めての神社なので境内の様子を眺める
50mほど正面に社殿らしきものが目に入ってくる



「藤井秀直翁之像」
藤井秀直名誉宮司は、平成14年3月(享年97歳)に帰幽
長寿と功績を称えて平成8年「藤井秀直翁顕彰会」が設立され、銅像建立と記念誌「神のまにまに」を作製する事となった



手水舎
昭和45年に伊勢神宮外宮から移築されたもの






竹筒から水が流れる手水舎は初めてだ



水鉢は、新潟県只見川上流から運ばれた自然石でつくられた「洗心」の禊場
水鉢内には高瀬遺跡から発掘された柱を水中で保護している






狛犬






鳥居(拝殿前)



神馬









拝殿
戦国時代の戦乱により荒廃したが、江戸時代に加賀藩主・前田氏の崇敬を受け、手厚く保護された
昭和17年(1942年)より国費で再建が始まるが、基礎工事が完了した昭和20年(1945年)8月に終戦を迎えた



GHQの指令により国費による再建は中止
崇敬者有志により、昭和22年(1947年)に本殿(流造)、昭和23年(1948年)に拝殿(入母屋造)、昭和62年(1987年)に唐破風の向拝殿が完成した






なでうさぎ
祭神の大国主命は、神話「因幡の白うさぎ」において、過ちを犯し体に傷を負った「うさぎ」のケガを癒し、悪しき心をも改心させたと記述されている



自分が病んでる部位と同じ部位を祈念しながら撫でるとご利益があるという



本殿
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)別名:大国主神



境内に茂る樹齢数百年の杉の巨木



末社 功霊殿
日清・日露戦争から大東亜戦争まで、砺波地区から出征された護国の英霊と、当地方開拓の功労者あわせて6,400余柱を祀る






功霊殿本殿は高瀬神社の旧本殿で、天保7年に建立された井波彫刻の粋を尽したもの



さざれ石



末社 高瀬稲荷社
伏見稲荷大社の分霊を祀る



茶筅塚
使えなくなった茶筅への感謝と茶道の発展・普及を願い建立された



祈り(二紀展 文部大臣賞受賞作品)












撮影日 令和4年5月17日
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世界遺産 白川郷 その2(岐阜県大野郡白川村荻町)

2022年06月27日 | 名所・旧跡
訪問日 令和4年5月16日

世界遺産 白川郷
白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られる
独特の景観をなす集落が評価され、1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定
平成7年(1995年) 白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された



初めて訪れた時は民家が多く配慮をするよう求められた記憶があった









現在はすっかり観光地化し土産物店などが多くなった気がする



子供の頃、よく目にした懐かしい光景



長瀬家(有料見学施設)






この家の葺き替えの様子をテレビで視たことがあった
以前訪れた時には、茶をご馳走になりお話を聞かせてもらった



茅葺きの屋根の構造






歩を進めると大きな家が見えてくる



神田家(有料見学施設)
集落内は保存地区のため道路や水路に柵がない



横から見ると建物の3分の2を屋根が占めている



残雪がより景観を高めている



以前は日常生活を営んでいる人達に申し訳ないと思い歩いていた
それが嫌で、近くを車で走っていても立ち寄る気持ちになれなかった



時代の流れなのか、それを感じる家が少なくなっているように感じた(私感)



合掌民宿 丈六
マップによると集落には民宿が21カ所もある



高台にあるのが展望台。あの有名な眺望を楽しむことができる
遊歩道を上がるかシャトルバスに乗るかの選択になる









和田家住宅(重要文化財)
江戸時代末期の建築物と考えられている






白川郷の合掌造民家としては最大級の規模を持つ(桁行22.3m、梁間12.8m)







世界遺産白川郷の合掌造り集落を代表する民家






この日は朝から寺社巡りをして、ここが5カ所目となる
萩町合掌造り集落の一部を回ったところで体力を維持している電池が切れた(笑)



庄川の流れ



であい橋を渡り駐車場に戻る
駐車料金の記載はなかったが機械から請求された金額は1,000円だった



撮影日 令和4年5月16日
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世界遺産 白川郷 その1<松原山 明善寺>(岐阜県大野郡白川村荻町)

2022年06月26日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月16日

世界遺産 白川郷 その1
初めて訪れから何年経つのだろう、2・3度近くを走ったが立ち寄ることもなく通過していた
年齢的にもこれが最後の白川郷になると思う
駐車場は満車に近い状況でナンバーをみると全国各地から訪れている感じだ

であい橋
荘川に架かる約100m程の橋






渡り終えて振り返る



松原山 明善寺
真宗大谷派の寺院
本堂、庫裏、鐘楼が合掌造り
初めて訪れた時、急に強い雨が降り鐘楼門で雨宿りをしたことを覚えている






鐘楼門(岐阜県指定文化財)
茅葺の鐘楼門は享和2年(1801年)の建立



延べ人足1,425名で建てられたという
茅葺きの鐘楼門は全国でも珍しい



本堂(白川村指定文化財)
文政10年(1827年)の建築



間口8間、奥行7間、入母屋造、向拝1間、茅葺
延べ人足9,191人を要して建築された



庫裏(岐阜県指定文化財)
文化12年(1817年)の建立



合掌造りで作られた庫裏の内部は合掌造りや郷土資料を集めた明善寺庫裏郷土館となっている



庫裏2階の様子






昔の農機具などが展示されている






合掌造内部の構造






葺き替え作業の様子(展示写真)
以前訪れた時に聞いた話では、1日で葺き替え作業を行うとのこと



世界遺産登録では、建物や景観だけではなく
地域に根付く住民同士の相互扶助の営みが高い評価を受けたといわれている



庫裏2階からの眺望
本堂の屋根






1階の本堂内に移動する
白川村の光明山本覚寺が延宝8年(1680年)に真宗大谷派から本願寺派へ転派した
大谷派本山は本覚寺の阿弥陀如来と名号を取り上げて村内の大谷派の門徒に与えた



本尊:阿弥陀如来
元文元年(1736年)玄西が大谷派の寺院を創建した際にこの名号と本尊が下付されて、寺の本尊となっている
延享元年(1744年)に本山より寺号を許されて松原山明善寺を名乗る



襖絵






囲炉裏
この日は気温が高かったが観光用に火をつけていたと思われる



部屋中燻されて衣服にも燻製の匂いが付くほどだった






次回に続く

撮影日 令和4年5月16日
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白豹山 本光寺(岐阜県飛騨市古川町弐之町)

2022年06月25日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月16日

白豹山 本光寺
浄土真宗本願寺派の寺院
天文年間に照蓮寺11世了教の法嗣、教了が結んだ草庵が起源
慶長8年(1603年)3世住持、了賢の代に現在の寺号を定める

山門
飛騨で人気の観光・お出かけスポット30選の1位ということで訪れた
明治37年(1904年)の古川大火で焼失し、山門は平成7年(1995年)に再建された



親鸞聖人像






小説『あゝ野麦峠』文学碑
明治から大正にかけて、岐阜県飛騨地方の農家の娘(多くは10代)たちが、野麦峠を越えて長野県の諏訪、岡谷の製糸工場へ働きに出た
吹雪の中を危険な峠雪道を越え、懸命に就業した



富国強兵の国策において、有力な輸出貿易品であった生糸の生産を支えた
日本の貧しく苦しい時代を懸命に生き抜いた人々を、その時代背景と共に浮き彫りにするように描かれている



鐘楼






本堂
現在の本堂は大正2年(1913年)の再建
木造建築では飛騨地域で最も大きく、市内随一の存在感を誇る



飛騨古川に、200年以上も前から続く独特の伝統風習『三寺まいり』
毎年1月15日の夜、親鸞聖人のご恩を偲び、町内の3つの寺「円光寺・真宗寺・本光寺」を詣でるならわし



その昔、野麦峠を越えて信州へ糸引きの出稼ぎに行った年頃の娘たちが着飾って瀬戸川の川べりを歩いて巡拝し、男女の出逢いが生まれたという
『縁結びが叶うおまいり』として、恋の御利益があるということでたくさんの若者が訪れる



扁額には山号の「白豹山」



本尊:阿弥陀如来
浄土真宗の寺院は来る者拒まずで扉は開いていると思ったがここは閉じていた



寺だけみていると人気スポットという理解はできなかったが、歴史的背景を知るとなるほどと思う



撮影日 令和4年5月16日
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太平山 安国寺<別称・飛騨安国寺>(岐阜県高山市国府町西門前)

2022年06月24日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月16日

太平山 安国寺<別称・飛騨安国寺>
臨済宗妙心寺派の寺院
足利尊氏・直義が、後醍醐天皇や南北朝の動乱で戦死者の慰霊の為、国毎(66ヶ国2島)に一寺一塔を建立させたのが始まり
貞和3年(1347年)瑞巌和尚によって創建された



山門



扁額には山号の「太平山」



石仏



本堂
戦国時代、上杉派の三木氏と、武田派の広瀬氏との抗争に巻き込まれ、天正年間と永禄年間に二度に兵火を被った
経蔵、開山堂、および鎮守社の熊野神社以外の堂宇が焼失した



現在の本堂は江戸時代初期の寛永元年(1624年)、飛騨高山藩第三代藩主の金森重頼により再建されたもの
木造平屋建て、入母屋、銅板葺、平入、桁行7間、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、花頭窓付
本尊:釈迦牟尼仏(岐阜県指定文化財)



薬師堂






開山堂
重要文化財の「塑造瑞巌和尚坐像(頭部木造)」が安置されている
明徳3年(1392年)の作
塑造は日本では奈良時代に盛行した技法で、中世には珍しい






経蔵(国宝)
応永15年(1408年)の建立で、飛騨における唯一の国宝建造物
全体的に禅宗様が中心だが、所々に和様が加わった折衷式の建物となっている



階段前に柵があり「立入禁止」とある
残念だが、コロナ禍で内部の拝観(予約制)もできなかった



時間に余裕のあるときには、堂宇の位置関係を記憶(記録)するために数枚撮ることにしている
本堂と経蔵との配置がこれで分かる



戦国時代の戦禍でも焼失しなかった経蔵と開山堂



薬師堂と石造十三重塔



石造十一面観音像も美しい



本堂と庫裏



境内は多くの花で飾られている



花の名前は知らないが綺麗だ



鐘楼



車に戻り次の目的地をナビで検索し50mほど走ると、車では通行できない道を案内された
これには愕然としたが、驚くことに目の前に国宝の経蔵が現れた



案内板(駐車場にある)



周囲を確認し立入禁止の札がなかったので少し近づいて撮ることにした



扁額の文字は読めなかった
内部の八角輪蔵は国内における現存最古の輪蔵(回転式書架)
この輪蔵には当時、明から入手した元版大蔵経(現存2000帖余り)が納められている



この墓地のある場所は色々な高さから撮ることができる



国宝の質感を近くで感じることができたことはとても嬉しい



撮影日 令和4年5月16日
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荒城神社(岐阜県高山市国府町宮地)

2022年06月23日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月16日

荒城神社(あらきじんじゃ)
日本三代実録に「清和天皇貞観9年(867年)10月5日庚午、授飛騨国五位下荒城神従五位」と記されている
室町時代以降は「河伯大明神」と称されていたが、江戸時代の文化年間に荒城神社であることが調査で判明した

境内入口の鳥居



手水舎



社殿前の鳥居



樹齢約400年の荒城神社「前立杉」



拝殿



拝殿内の様子



拝殿と本殿



本殿(重要文化財)
現在の本殿は明徳元年年(1390年)の再建
三間社流造 杮葺



案内板



祭神:大荒木之命(おおあらきのみこと)
『古事記』において、天と地が分かれた開闢の時、高天原に最初に生まれた三柱の神々の一つ「高皇産霊尊」の13世の孫






末社
秋葉神社・津島神社・荒神社・稲荷大明神・金毘羅大明神



忠魂社前の鳥居






拝殿内部



荒城神社遺跡 (岐阜県指定史跡)
境内からは4基の縄文時代住居跡、縄文土器(縄文中期 - 後期)、石器が発見されている



風情のある忠魂社



撮影日 令和5年5月16日
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阿多由太神社(岐阜県高山市国府町木曽垣内)

2022年06月22日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月16日

阿多由太神社(あたゆたじんじゃ)
創祀年代は不詳
貞観9年(867年)に従五位上を授けられており、古くから位の高い神社であった
江戸時代には「権現宮」と称していた

鳥居
境内入口の鳥居



狛犬






拝殿






拝殿と本殿




本殿(重要文化財)
室町時代後期の建立。三間社流見世棚造、柿板葺
よく観ると覆屋で保護されている



本殿説明文



祭神:大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)






撮影日 令和4年5月16日
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醫王山 飛騨国分寺(岐阜県高山市総和町1-83)

2022年06月21日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月15日

醫王山 飛騨国分寺
高野山真言宗の寺院
天平13年(741年)、聖武天皇は国分寺建立の詔勅を下し、諸国に国分寺と尼寺を造立した
飛騨国分寺は、開基を行基菩薩とし、天平18年(746年)に草建されたという

表門<山門>(高山市指定文化財)
室町時代の建立(上層は江戸時代)



猿ぼぼ人形の供養
「さるぼぼ」は、飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形
飛騨弁では、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」の意味



貴族の間で”産屋のお守り”として正絹で作られたものが流行し
その後民間に広がっていく中で「安産」や「良縁」・「子供の成長」・「無病息災」などを願うお守りとされていった
平成19年(2007年)庚申堂の横に「なでさるぼぼ堂」が建てられた



六地蔵



国分寺の概要



悲母観世音菩薩像






祠のなかに石仏が祀られている



不動明王と目と目が合った



三重塔(岐阜県指定文化財)
天平の大塔の後、斉衡元年(854年)五重塔を再建
寛政3年(1791年)の烈風で吹倒。その後、文政4年(1821年)現在の三重塔が完成した



屋根は柿萱であったが、大正11年(1922年)塚越斧太郎居士の寄進で銅萱に改めた
白木造りの雄姿は山都高山の風物詩になっている



本尊に大日如来を安置し、心柱には仏舎利を納めている



一願観音像



鐘楼門(高山市指定文化財)
鐘楼門は重層入母屋造りで、下層は旧高山城の一部遺構を移築したもの



上層は宝暦11年(1761年)に梵鐘の改鋳に際し増築したもの



本堂(重要文化財)
奈良時代当時、七重塔、金堂、仁王門などを備えた壮大な伽藍があったと伝わる





「弘仁10年(819年)8月 飛騨国分寺災」とあるが、その後近世まで記録がない
昭和29年(1954年)の本堂解体修理時に建築様式はと手法は室町時代中期以前
正面向拝と東側は桃山時代の修理であることがわかった



現存する国分寺中、創立当初の建築を保存するものは一つもない
国宝、重文の建築物を有するのは、東大寺と讃岐、土佐、信濃、飛騨の四寺のみ



扁額には「醫王殿」
本尊:薬師如来像(重文)






大銀杏(国指定天然記念物)
推定樹齢1250年、幹周10メートル、高さ37メートル



寺に担当者の話によると創建当初から本堂と大銀杏はこの場所にあったとのこと



本堂内拝観受付所(拝観料300円)
行基菩薩一刀三礼の作と伝える「本尊薬師如来像(重文)」
聖観世音菩薩(重文)、阿弥陀如来(市文)
弁財天(円空上人作)、不動明王、如意輪観音



三重塔近くに駐車場がある



撮影日 令和4年5月15日
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大悲山 円教寺<白谷観音>(岐阜県関市板取)

2022年06月20日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月15日

大悲山 円教寺<白谷観音>
「モネの池」を見終えて駐車場に戻る途中に、参拝してくださいといった内容の案内板があった
天台宗の寺院で、旧美濃三十三観音霊場1番札所



手水舎



正面に本堂がある



由緒



鐘楼






本堂
伝説では奈良時代に泰澄が当地を訪れて行基作の十一面観音菩薩を本尊として開いたとされる
文政11年(1828年)の再建



人の気配が感じられず無住の寺かも知れない



享保年間に八事興正寺の温泉良円上人により中興された
本堂には三十三観音が祀られている



堂内を撮っていたら仏像らしきものが見えたので場所を変え撮ってみた
今、写真を整理していて気付いたのだが仏像ではなく自分の姿だった(笑)






本尊は平安末期作の「十一面観音菩薩」(開帳は7年もしくは15年毎)






十王堂



中興開山温泉大師 寛保庵



駐車場横にある板取川の清流



撮影日 令和4年5月15日
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モネの池・根道神社(岐阜県関市板取448番地)

2022年06月19日 | 名所・旧跡
訪問日 令和4年5月15日

名もなき池(通称:モネの池)
「モネの池駐車場」の住所をナビに入力すると目的地に着いているのに違った場所を案内する
岐阜の旅ガイドによると、池の前にある施設の「フラワーパーク板取」をナビに登録するようにと書いているのを後で知った
混むと予想されたので、早めに道の駅を出て8時過ぎに到達した
駐車場から池までは100m程の距離



普段の私ならこのような景勝地は選択しないのだが、大学の後輩から勧められたので訪れてみた
池の中を優雅に錦鯉が泳ぐ姿は、まるでモネの代表作「睡蓮」のようだと
名もなき池が「モネの池」と呼ばれるようになった



太陽の当たり方によって池の色が変化する
場所によっては普通の名もなき池になる






小さな池で周囲を歩いて水の透明度が高く綺麗に写る場所を探してみた



やはり、人の集まっているところが、この時間帯では良い場所のようだ



最も美しいのは睡蓮の咲く初夏の頃の午前中と言われている



根道神社
「モネの池」は根道神社の境内にある池



拝殿と本殿



本殿の保護のために屋根が覆われている



明治39年(1906年) 合祀の勅令により、周辺諸社を合祀
明治42年(1909年)1月、根道神社となる



本殿の彫刻



岐阜県関市の美しすぎる池
情報では、午前10時前までに行くとバスツアーと重ならず、静かに撮影できるという



撮影日 令和4年5月15日
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大矢田神社(岐阜県美濃市大矢田)

2022年06月18日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月14日

大矢田神社
社伝によると、創建は孝霊天皇の時代
深山に悪竜が棲み付き、困った里人が喪山の天若日子廟所に加護を祈ったところ、建速須佐之男命を祀るよう夢告があった
その通り勧請を行うと、建速須佐之男命が現れ、悪竜を退治してくれた
平和を取り戻した里人は、建速須佐之男命と天若日子命を祀る祠を建てた

養老2年(716年)、泰澄大師は、この地(天王山)一帯を開基
天王山禅定寺号した。祠はその一部となり、牛頭天王として習合される
禅定寺は7坊を有したが、弘治2年(1556年)に戦火で焼失
明治3年(1870年)、神仏分離・廃仏毀釈により牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀、大矢田神社に改称した

鳥居









楼門(美濃市指定文化財)
神仏分離・廃仏毀釈により、護摩堂・鐘楼・観音堂など仏教施設は廃されたが、唯一、楼門(仁王門)が残された
このため神社の中に仏教式の門が残っている



楼門は享保8年(1723年)の再建
額には社号の「大矢田神社」



仁王像












人気のある神社なのか、参道横の駐車場は満車状態
だが、その出で立ちは山登りをするようなスタイル、準備運動までしている(一瞬不安に)



夫婦樹
同じ根元から杉と桧が生育した珍しい樹。家庭円満と子宝に恵まれるという



眼前に階段が現れたが社殿の姿が見当たらない



入口近くの「百度石」 社寺の入口から拝殿・本堂まで行って参拝し、また社寺の入口まで戻るということを百度繰り返す



太鼓橋









太鼓橋の先に長い階段が見える
満車状態の駐車場であったが参拝者の姿が見当たらない



階段の先に社殿が見えてきた



途中、社があったが近寄って確認する気力は残っていなかった



拝殿らしき建物が見えてきた



直毘の滝
案内板によると凄い滝を想像してしまう……



実際は……このような感じ(笑)



経験者なら分かるが目的地は見えてからが長く辛い



手水舎



手水舎から最後の階段になる



拝殿(重要文化財)
拝殿は寛文11年(1671年)の再建



拝殿内



天井画らしきものがあった形跡



無人の神社に加え参拝者もいなかったため、普段とは違いゆっくり撮ることができた



拝殿と本殿



本殿(重要文化財)
祭神:建速須佐之男命、天若日子命



江戸時代初期の寛文12年(1672年)の再建



降り続いた雨も上がり、青空も見えてきた



苦労して上がってきたきた辛さを忘れさせるような景色だ






雄建(おたけび)神社
日清・日露及び大東亜戦争戦争における大矢田地区の殉国の英霊百十八柱を祀る



伊勢神宮 遙拝所
120km先に伊勢神宮がある



三社神社・華堂神社・新宮神社



新宮神社の説明文に
「参拝される方は最初にこの神社にお参りして心身を清め御本殿に向かいます」とあった
順番を間違えた。辛かったのは心身穢れた状態だったためか



ここは紅葉の名所として有名で11月下旬が見ごろだという
また、周囲にいくつかの山があり登山コースにもなっているようだ

撮影日 令和4年5月14日
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大日山 日龍峰寺(岐阜県関市下之保)

2022年06月17日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月14日

大日山 日龍峰寺(別称:高澤観音)
高野山真言宗の寺院
海抜283m高沢山の中腹に位置している
寺伝によると仁徳天皇の時代、飛騨の国に両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族がいた
『高沢の山脈に池あり、神龍住みて近郷の村人に危害を及ぼす』と聞き、神龍を退散させこの峰に寺を開創したという



仁王門
亨保3年(1718年)の建立



*実際には仁王門は最後に回ったのだが、脚に自信の無い人は門の前に駐車スペースがあるので
仁王門と像、天井画を観た後に第1駐車場に向かうことを勧める




金剛力士像
典型的な江戸様式阿吽の金剛力士像だという












江戸時代の天井画



鐘楼
昭和11年(1936年)の再建
参拝者は、いつでも鐘を撞くことができる



薬師堂
貞亨5年(1688年)の建立



薬師如来坐像、日光菩薩、月光菩薩が安置されている






金比羅堂
文政3年(1820年)の建立



豆千代家先祖の寄進



多宝塔(重要文化財)
鎌倉尼将軍(北条政子)の御代天下大いに旱して五穀稔らず尼公或夜の夢想に何処からともなく神龍飛来
『日龍峯寺に池あり法華経を書写し供養して彼の池に入れば多雨たちまち降りなん』と云って池に飛入するを見て夢さめり
尼公は道運と云へる沙門に命じ法華経十部を書写し供養して池に入れ祈り給ふ、
即忽にして霊雨あり五穀実るとその謝礼として将軍家より荒廃しつつある七堂伽藍残りなく再興され寺領として八拾町歩の所領を給ふ



室町時代、応仁の乱によって多宝塔を残し堂宇の大半を焼失した
この多宝塔は将軍家建立になる唯一の建造物









参道沿いの少し高い所に建っている



霊木千本檜
両面宿儺(りょうめんすくな)が登山の折杖として使用された檜杖
千本の枝葉群立し往時の面影を偲ぶ霊木
左横の人物と比較するとその高さが分かる



左が本堂、右が籠堂(こもりどう)



籠堂(岐阜県指定文化財)
文化3年(1806年)の建立
籠堂とは、信者や行者等がこもって祈願、修行する堂



本堂(岐阜県指定文化財)
鎌倉尼将軍北条政子寄進の本堂は惜しくも応仁文明の乱により焼失
現在のものは、江戸時代前期の寛文10年(1670年)建立
五間四面入母屋造り桧皮葺で山頂傾斜地の岩山に建つ



前方は舞台づくりで京都の清水寺によく似ており、「美濃清水」の異名で世に知られている



階段で上がる



本堂から籠堂へ移動する
建物の老朽化による軋みに高所恐怖症も加わり長居はできなかった



本堂前の様子



明治時代の奉納額









天女



大黒天



本堂奥にある「みたらしの霊水」



撮影日 令和4年5月14日
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吉田山 新長谷寺(岐阜県関市長谷寺町)

2022年06月16日 | 神社・仏閣
訪問日 令和4年5月14日

吉田山 新長谷寺(しんちょうこくじ)
通称「吉田観音(きったかんのん)」
真言宗智山派の寺院
貞応元年(1222年)、後堀河天皇の勅命により、空海の四世護認上人の開山
本尊は十一面観世音菩薩。三重塔、本堂など、重要文化財が多く、美濃の法隆寺といわれている

仁王門(関市指定文化財)
宝暦3年に徳川家により再建された






ここまでは普通であるが、仁王像の撮影は禁止と書かれている
事前にネットの口コミなどを読んでいたが本当の話だった



総門
総門前には「境内全域撮影禁止」と「境内全域、カメラ・ビデオ等の撮影は固くお断りいたします。
源氏一族ゆかりの八百年以上の歴史を持つ寺です、公園ではありません。」の札が立っていた。



境内に入ると「境内全域撮影禁止 観光地ではありません。
信仰の場であり仏さまの聖地です。お守りください。No photo」が各所に
写真を撮ることを目的としている私にとっては何とも居心地が悪かった

本堂、三重塔、薬師堂、釈迦堂、阿弥陀堂、大師堂、鎮守堂、客殿は重要文化財に指定されている
室町時代の建立で、屋根は檜皮葺き
別世界に迷い込んだような雰囲気を写真で伝えることができないのが残念なほど素晴らしい

三重塔(重要文化財)
駐車場から撮る
源頼朝の持念仏が祀られている



関市役所が発信している関市での観光で新長谷寺が紹介されている(寺側は観光地ではないと)
他に「珍しく感じが悪いと思った名刹」とのタイトルのブログを発見、とても共感できる内容であった

全国の寺社巡りをしているが建築物の撮影禁止は初めての経験で色々考えさせられた

撮影日 令和4年5月14日
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