訪問日 令和3年6月12日
大間崎
大間崎に着いたが、雨が降っていたので車内で休憩し遅い朝食を摂った
予約していたフェリーの出航時間まで3時間もある
日本海軍特務艦「豊国丸」戦死者慰霊碑
太平洋戦争中「豊国丸」は、横須賀鎮守府所管特設運送艦として、北海道ー横浜間の石炭輸送に従事した艦船
昭和20年7月、大間沖から大湊へ向かっていた豊国丸は函館市街の攻撃を終えた戦闘機の標的となる
135名もの死者を出し、今なお約90名が大間崎沖の海で眠りに就いている

石川啄木歌碑
代表作の「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」
この「東海歌」が詠われた舞台は大間崎ではないかという説がある

東海といえば函館の海岸が一般的だが……
大間啄木会では「啄木が大間の光景を東海歌に詠んだのはほぼ間違いない」として平成10年7月、大間崎に石川啄木歌碑を建立した

いやいや、東海はK国だと隣国からクレームがくるかも(笑)

大海にむかひて一人 七八日 泣きなむとすと家を出でにき
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
大といふ字を 百あまり砂に書き 死ぬことをやめて 帰り来れり

「日本最北端 宗谷岬、日本最東端 納沙布岬、本州最北端 大間崎」
日本全国の主だった岬が地図で紹介されている
これを見て、岬巡りも面白いと思った

「ここ本州最北端の地」

マグロのモニュメントの前で5人組の若者に記念写真の撮影を頼まれた
喜んでもらえたようで笑顔で気持ちの良い礼をされた
海岸に下りて行こうとする彼らに声を掛けるとポーズをとってくれた

大間の漁師に一本釣りされた440キロのマグロがモデルになっているという

マグロでも食べて帰るかと思っても値段を見てびっくり
年金生活者には無理だと思ってしまう



弁天島と大間埼灯台
弁天島は、大間崎から沖合およそ600m、約2万羽のカモメ類の大繁殖地


津軽海峡フェリー「大函丸」
大間ー函館間航路の一文字をとった船名だと想像できる「大函丸」

大間ー函館間航路はノスタルジック航路と名付けられている
90分間の所要時間は最も短く、運賃も安い

これにて、2021年春の放浪の旅も終わりになる
出発時には四国にでも行こうかと思っていたが、いつのまにか日本海側を北上していた

撮影 令和3年6月12日
大間崎
大間崎に着いたが、雨が降っていたので車内で休憩し遅い朝食を摂った
予約していたフェリーの出航時間まで3時間もある
日本海軍特務艦「豊国丸」戦死者慰霊碑
太平洋戦争中「豊国丸」は、横須賀鎮守府所管特設運送艦として、北海道ー横浜間の石炭輸送に従事した艦船
昭和20年7月、大間沖から大湊へ向かっていた豊国丸は函館市街の攻撃を終えた戦闘機の標的となる
135名もの死者を出し、今なお約90名が大間崎沖の海で眠りに就いている

石川啄木歌碑
代表作の「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」
この「東海歌」が詠われた舞台は大間崎ではないかという説がある

東海といえば函館の海岸が一般的だが……
大間啄木会では「啄木が大間の光景を東海歌に詠んだのはほぼ間違いない」として平成10年7月、大間崎に石川啄木歌碑を建立した

いやいや、東海はK国だと隣国からクレームがくるかも(笑)

大海にむかひて一人 七八日 泣きなむとすと家を出でにき
東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる
大といふ字を 百あまり砂に書き 死ぬことをやめて 帰り来れり

「日本最北端 宗谷岬、日本最東端 納沙布岬、本州最北端 大間崎」
日本全国の主だった岬が地図で紹介されている
これを見て、岬巡りも面白いと思った

「ここ本州最北端の地」

マグロのモニュメントの前で5人組の若者に記念写真の撮影を頼まれた
喜んでもらえたようで笑顔で気持ちの良い礼をされた
海岸に下りて行こうとする彼らに声を掛けるとポーズをとってくれた

大間の漁師に一本釣りされた440キロのマグロがモデルになっているという

マグロでも食べて帰るかと思っても値段を見てびっくり
年金生活者には無理だと思ってしまう



弁天島と大間埼灯台
弁天島は、大間崎から沖合およそ600m、約2万羽のカモメ類の大繁殖地


津軽海峡フェリー「大函丸」
大間ー函館間航路の一文字をとった船名だと想像できる「大函丸」

大間ー函館間航路はノスタルジック航路と名付けられている
90分間の所要時間は最も短く、運賃も安い

これにて、2021年春の放浪の旅も終わりになる
出発時には四国にでも行こうかと思っていたが、いつのまにか日本海側を北上していた

撮影 令和3年6月12日