今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

裏磐梯 五色沼湖沼群(福島県北塩原村)

2016年07月20日 | 名所・旧跡
学生時代、東京から北海道へ帰省中、途中下車し五色沼を歩いたことがある
自然の美しさにはあまり興味がなかったのか、途中で止めてしまったと記憶している

今回の東北の旅で「九十九島」を歩き、「湯沢ジオパーク」を友人に案内され、車旅の幅を少し広げようと思い訪れた。

五色沼湖沼群
大型駐車場に車を駐め車外に出ると、モーターボートで島巡りをしないかと声を掛けられた。歩いて見たいのでと断る
ここが「五色沼自然探勝路」の出入口になる
 


「柳沼絶景園」  絶景となる季節はいつなのか。どうも新緑の季節ではなさそうだ



雰囲気を出すために違った角度から撮ってみた



遊歩道
ここから五色沼巡りが始まる
この日は夏日であったが新緑の木々に囲まれあまり暑さを感じない



遊歩道の左手にある木々の隙間から、沼の姿を眺めることができる



青沼
私の体型が歩きに不向きなのか、息切れが始まり歩くのが嫌になった時に最初の沼が見えてきた



五色沼湖沼群の中でも最も青白色に光っているそうだ
北海道の「青い沼」とは比べものにならないほど美しいと、側にいた人が大声で話していた



北海道が侮辱されたようで腹立たしかったが、実際「青い沼」を見ていないので反論できずに我慢した



瑠璃沼
遊歩道の右手に入った所にある。遠くに磐梯山の姿が眺望できる



五色沼湖沼群の中で最でも神秘的な沼で、見る場所により水の色が変わるという



目の前の草が視界を遮っているため、肉眼では色の変化を確認することはできなかった
だが、写真で見ると確かに変わって見える



目の前に流れている水は透明だが沼に入ると変色する
科学的に証明されていると思うが、夢が壊れそうで調べるのを止めた
7月16日放映の「ブラタモリ」も興味はあったが視聴しなかった



弁天沼
遊歩道の左手に見えてくるのが弁天沼。遠くに吾妻の山並みが眺望できる
福島競馬場で開催されるレース名に「吾妻小富士賞」「磐梯山特別」そして「五色沼特別」などがある
自然を楽しみながらも、大好きな競馬のことを考えてしまう



五色沼の中で2番目に大きい沼になる



遊歩道から見える沼も美しい



写真からも、色が連続的に変化するグラデーションを楽しむことができる



赤沼
囲の草木は赤い鉄錆色に染まり、赤沼という名前の由来もそこからきている



五色沼巡りといっても片道3.6kmもある。往復することを考えると気が重くなる
告白するが、歩き出してすぐ、いつ引き返すかを考えながら歩いていた



ところが後期高齢者と思われる方々が杖をつき必死に歩いている姿を見て考えが変わった
決心すると急に足が軽くなったような感じがした。数十メートルだが…



純真な若者が、自分の色を創り出していくのか、世間の色に染まっていくのか… 写真を見ながら考えてしまった



毘沙門沼
「五色沼自然探勝路」最後の沼となる



高台からの風景



毘沙門沼から望む磐梯山は裏磐梯を代表する景観の一つだ



五色沼最大の毘沙門沼からは、磐梯山の荒々しい火口壁が目に入ってくる



裏磐梯ビジターセンターがゴールになる(出発口ともなる)
復路はバスもあるらしいが自分に厳しく歩いて戻ることにした



撮影 平成28年5月20日
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松岬神社(山形県米沢市丸の内)

2016年07月18日 | 神社・仏閣
上杉神社の摂社。米沢城二の丸世子御殿跡に建つ

松岬(まつがさき)神社
松が岬公園(米沢城址)に位置し、上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続、細井平洲、竹俣当綱、莅戸善政を祀る



手水舎
参拝者の姿もなく苦手な野良猫が居座っていた



上杉神社に合祀された米沢藩中興の大名・上杉鷹山は、明治35年(1902年)に上杉神社が別格官幣社に列せられるに際し、「松岬神社」へ遷されることとなった



米沢市制施行50周年にあたる昭和13年(1938年)には、景勝の家老である直江兼続、鷹山の師・細井平洲、鷹山の下で活躍した竹俣当綱・莅戸善政を合祀し、現在に至る



拝殿
上杉家は、借財が20万両(現代の通貨に換算して約150億から200億円)に累積
初代藩主・景勝の意向に縛られ、会津120万石時代の家臣団6,000人を召し放つことをせず、家臣も上杉家へ仕えることを誇りとして離れなかった



新藩主に就任した治憲は、産業に明るい竹俣当綱や財政に明るい莅戸善政を重用した
1500両であった江戸仕切料(江戸での生活費)を209両余りに減額し、奥女中を50人から9人に減らすなどの倹約を行った



曾祖父・綱憲(4代藩主)が創設し、後に閉鎖された学問所を藩校・興譲館として再興させ、藩士・農民など身分を問わず学問を学ばせた
これらの施策と裁決で破綻寸前の藩財政は立ち直り、次々代の斉定時代に借債を完済した
文政5年3月11日(1822年4月2日)の早朝に、疲労と老衰のために睡眠中に死去した



伝国の杜(米沢市上杉博物館)
公園内に立派な建物が。上杉景勝と書かれていたので近づいてみると博物館であった



時間が遅かったこともあり残念ながら入館することはできなかった
エントランス付近にあった「能舞台」



ブロンズ像も展示されていた



 


屋外の公園内にも



昼食も食べずにここまできたが、米沢牛の串焼きの匂いが公園内に…
名物と書かれたコロッケと「毘」と書かれた帽子を購入し公園を後にした



撮影 平成28年5月19日
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上杉神社(山形県米沢市丸の内)

2016年07月17日 | 神社・仏閣
林泉寺出たときに近くに上杉神社があることを知った
午後4時、神社なら参拝時間を気にしなくていいと思い車を走らせた
駐車場に着いて吃驚、観光バスを含め大型駐車場が満車状態。少し歩いた所にその神社があった

上杉神社
一般参拝者に加え、修学旅行生の元気の良い姿と声が境内に響いていた



鳥居
松が岬公園(米沢城址)に位置し、上杉謙信を祀る






手水舎



「影虎」の虎からきているのか



殺風景な神社の建物に意識をして花を入れてみた



鳥居の奥に拝殿が見える



写真ではわからないが、午後4時を過ぎても参拝者が途切れることはない
参拝者の多さと逆光に苦労した記憶が甦る



これは逆光対策のひとつ



拝殿
 


謙信が信仰していた毘沙門天は「勝負事に利益あり」として崇められるため、私もギャンブルで利益をと願った



本殿
米沢藩中興の名君である上杉鷹山を合祀していたこともあったが、明治35年(1902)再び謙信のみを祀ることとなった



参拝者の姿が少なくなってきた



名残惜しいが、私も帰路につくことに






招魂碑
戊辰戦争・西南戦争の米沢藩戦死者を慰霊するために建てられた
その後、日清・日露戦争戦死者も合祀されている



上杉謙信祠堂跡
江戸時代、謙信の遺骸を安置した御堂が建っていた場所



上杉景勝公と直江兼続公像(天地人像)
NHK大河ドラマ天地人の主役。現在の真田丸にも重要な場面で登場している



上杉謙信公之像



「草木塔」  山林伐採や木流しに関わった人々が、草や木にも魂があることを感じとり建立した



上杉鷹山之像
米沢藩の第9代藩主。領地返上寸前の米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られている
修学旅行の女子中学生もこの像の下で、同じポーズで記念写真を撮っていた



「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」
東京五輪女子バレーボールの大松監督もこの力強い「なせば成る」の言葉を引用した



アメリカ35代大統領 ジョン・F・ケネディは政治家で最も尊敬する人は上杉鷹山公であると述懐したことは有名
娘のキャロライン駐日米国大使も平成26年に米沢市を訪問し、父の言葉を紹介している



午後5時も過ぎ参拝者もいなくなってきた
ふらっと立ち寄った神社ではあるが場所もよく、良い記憶だけが残った



撮影 平成28年5月19日
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春日山 林泉寺(山形県米沢市林泉寺)

2016年07月15日 | 神社・仏閣
退職後、最初の車旅で訪れたのが新潟県上越市の林泉寺
上杉謙信愛にふれ、米沢にも行かなければならないとずっと思っていた

春日山 林泉寺
駐車場の入り口がわからず無駄に寺の周りを走ってしまった
近くのコンビニの店主が丁寧に教えてくれ、やっとたどり着いた



堂内と境内の拝観が別料金。堂内ではお参りの後に説明が始まる
説明は簡潔でわかりやすく、クイズなどで参拝者にも答えを求めたり、結構楽しむことができる
上越市には「春日山」があり「謙信の墓」もあるが、ここには位牌だけが…



堂内は撮影禁止。外に出て隙間から仏像を撮ったもの



境内の拝観に移るがお墓が中心となる

武田大膳大夫信清の墓(山形県指定文化財)



武田信玄の六男で、上杉景勝へ嫁いだ菊姫の弟
武田氏滅亡後は菊姫の縁故により上杉家へ身を寄せた



高さ2.3m、地輪の一辺77cm の五輪塔。各輪に一字ずつ「祖師西来意(そしさいらいい)」と刻まれている



「侍大将 長尾権四郎之墓」



直江兼継夫婦の墓(山形県指定文化財)



米沢藩の基礎を築いた直江兼継と妻お船の墓
 


五輪塔を覆う万年堂(塔)の正面にくり抜いた亀甲形は直江家の家紋「三盛亀甲花菱紋」を象っている



兼継は60歳で江戸屋敷にて死去、米沢徳昌寺に葬られたがお船とともに林泉寺に改葬された



「甘糟備後守景継の墓」



上杉家廟所






上杉鷹山側室お豊の方の墓



正室ではなく側室の墓というのがすごい



良き理解者と内助の功は昔も今も日本の男を成長させるもの



仙洞院
謙信公の姉君の墓



「上杉駿河守勝周の墓」



近寄って覗いてみると内部はこのようになっていた



会津夫人媛姫の墓
四代綱勝公室、老中保科正之の娘



甲州夫人菊姫の墓



武田信玄の娘。上杉景勝の正室



信玄と謙信の子供同士が結婚するという歴史の面白さ



廟所から見える本堂



「ふれあし観音」






「歴代住持の無縫塔」



「竹俣當網家老の門」



門の先には本堂が見える



「春日大明神」






「まんさくに 風めざめけり 雑木山」 行方虎次郎



撮影 平成28年5月19日
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瑞宝山 慈恩寺(山形県寒河江市大字慈恩寺)

2016年07月14日 | 神社・仏閣
慈恩寺には多くの仏像があるとの話しを聞き、一度訪れたことがある
その時は「山寺」で多くの時間を要し、慈恩寺に到着したときには既に拝観時間が終了。今回は朝一番で訪れた

史跡 瑞宝山 慈恩寺(じおんじ)
少し離れた駐車場に車を駐め、歩いて参道を進む
しばらく坂道が続き、動悸・息切れが激しくなったときに山門が見えてくる



この石段は本来の参拝道であるが、近くに駐車場があるため利用している人は少ない感じがする



電柱や電線は可能な限り撮らないように努力しているが、ここではあきらめることにした
見事な山門だけに残念だ



山門(山形県指定有形文化財)
元文元年(1736年)築造。3間1戸の楼門造で、入母屋造、八脚門で銅板葺(もと茅葺)
山号「瑞宝山」の扁額



「那羅延(ならえん)金剛」



口径の大きなレンズでも苦労することなく撮ることができた



「密迹(みっしゃく)金剛」 






本堂側から見える山門



手水で清め本堂へ



本堂(重要文化財)
元和4年(1618年)最上氏により築造。桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、茅葺



本堂内陣には拝観料が必要になる
京都や奈良とは違い、ただ拝観するだけではなく、料金以上の説明が加わる



柱に「重要文化財 慈恩寺本堂」と刻まれている
本堂外陣の天井画は寺にふさわしくないほど艶めかしく必見である
「琴・笙・菊」の画であるが、説明では大相撲の大関「琴奨菊」と覚えるといいと説明された



寺名「慈恩寺」の扁額



堂内は多くの貴重な仏像が安置されている
私が一番注目したのは一木造りの割れている部分に金属の鎹を打ち付けていたこと
仏様に鎹を打つなど考えられないが、それを観ることができる



本堂の次に案内されたのが右横にある薬師堂



薬師堂
この狭い空間に11駆の仏像(重文)が安置されている



室生寺の十二神将を観たときと同じような衝撃が…



これまで花など意識することはなかったが、これからは少し変えていきたい



阿弥陀堂






手前から阿弥陀堂・薬師堂・(不動堂)・本堂が並んでいる



不動堂






お堂の内部







  

天台大師堂






釈迦堂



三重塔(山形県指定有形文化財)



当初、慶長13年(1608年)築造されるも、文政6年(1823年)焼失



文政13年(1830年)再建。本尊木造大日如来坐像



鐘堂






参道の石段に咲く花



寅さんも有名になったものだ



子安地蔵尊



お堂の彫刻



宝蔵院表門(山形県指定有形文化財)









撮影 平成28年5月19日
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出羽三山神社 その3(山形県鶴岡市羽黒町手向)

2016年07月12日 | 神社・仏閣
出羽三山神社社殿を目指すには徒歩かバスや自家用車で行く方法がある
私は自家用車を選択。ナンバーによって料金が設定されている有料道路を通り専用駐車場へ

出羽三山神社
鳥居の額には、右から出羽神社・月山神社・湯殿山神社



「手水舎」



世界平和塔
台座に乗る球は地球、縦と横の線は日本人と外国人が手をつなぎ平和であるようにとの願いが
球は開祖蜂子皇子を羽黒山に導いた三本足の八咫烏を戴く



鐘楼・梵鐘(重要文化財)
萱葺き屋根の鐘楼。この形も珍しい



建治元年(1275)の刻銘






「出羽三山神社参集殿」  伊勢神宮より下附された御神宝が無料で公開されていた



「儀式殿」



羽黒山三神合祭殿(重要文化財)
この工事中のシートを見て愕然としたが、工事中だから見られる景色もあるはずと考え方を変え進む



萱葺きの屋根と朱色が美しい社殿と記憶していた



「月山神社」  覆われているシートの内部に三神合祭殿がある



「湯殿山神社」



「出羽神社」



工事中のパイプに注意して上を見ていると…



新たな発見があった



社殿内部の様子
三山の祭典はすべてここで執り行うため、ここを参拝すれば三山を巡ったことになるとされる



蜂子社(はちこしゃ)






祭神 「蜂子命(はちこのみこと)」



第32代崇峻天皇の皇子で出羽三山の開祖を祀る



厳島神社



羽黒山鳥居
参道を徒歩で上ってくるとこの場所に出てくる
汗だくの若者の姿を頼もしく思える一方、この日は夏日で車で来てよかったと思った



鳥居の額は羽黒山



萱葺きの屋根の葺き替えを行っている



鏡池
山中にある池や沼は神誕生の聖地として、鏡池・御手洗池と呼ばれる
この池も羽黒神が姿を顕す池として「鏡池」と呼ばれている



この池から190面の銅鏡(重要文化財)が出土した



霊祭殿
祖霊安鎮の山として先祖の御霊を祭る



「東日本大震災犠牲者慰霊之塔」



東照宮前手水鉢(鶴岡市有形文化財)
東照宮建立にあたり、第50代天宥別当が自作し奉納



東照社(鶴岡市有形文化財)






祭神 東照大権現  徳川家康を祀る









神輿社(みこししゃ)
羽黒山・月山・湯殿山の三山の神輿が納められている



大雷神社(おおいかづちじんじゃ)



建角身神社(たけつぬみじんじゃ)
神武天皇を大和に導いた神で八咫烏ともいう



旅の安全と健脚の神徳がある。何故かゴミ箱行きの履き物までが置かれている



稲荷神社



大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)



白山神社 



思兼神社(おもいかねじんじゃ)  



八坂神社



まったく同じ造りの社が一列に並んでいる




 

中央にあるのは土俵。奥に鐘楼や三神合祭殿が見える



天宥社(てんゆうしゃ)



羽黒山中興の祖 第50代天宥別当を神として祀ったもの



平成4年(1992)開山1400年を記念して再建された



帰り道の有料道路から月山を眺望することができた



撮影 平成28年5月18日
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出羽三山神社 その2(山形県鶴岡市羽黒町手向)

2016年07月11日 | 神社・仏閣
出羽三山神社に向かう参道の途中に、国宝の羽黒山五重塔がある

羽黒山五重塔(国宝)
参道から左手に美しい五重塔が見える。側にいた人からも感嘆の声が聞こえる
ここが塔が美しく見える場所のひとつである



久し振りにその美しい姿を見ることができた



塔の高さは29m。全体を撮るには歩いて場所を探さなければならない



少し奥に入りしゃがんで撮ったが、周囲からは不審者のように思われている可能性が高い



もうひとつの参道から見える塔も美しい。中年の夫婦だが、それ以上の年齢になると石段もあるので厳しい



平安期平将門の建立とされ、慶長十三年(1608)に出羽山形藩主、最上義光が修造したという歴史を持つ



東北地方における唯一の国宝五重塔



子守神社(こもり)
右に見える参道を進むと、出羽三山神社の社殿へと続くらしい



天満神社(てんまん)・保食神社(うけもち)



大直日神社(おおなおび)



目的は五重塔だと自分に言い聞かせ、来た道を戻ることにした



この塔のもつ質朴さが周囲の風景と溶け込んでいる






漆や朱塗りの装飾が無く、白木のままの状態の建築法である「素木造り」が安心感を与える






五重塔を訪れ既に1時間が経過



塔が大好きだということがわかってもらえるだろう



次回があれば、この参道を歩いて出羽三山神社の社殿を目指したい



撮影 平成28年5月18日
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出羽三山神社 その1(山形県鶴岡市羽黒町手向)

2016年07月09日 | 神社・仏閣
再び山形県に。山形県といえば山寺が有名である
あの石段を上る気力は今の私にはない。ということで、久し振りに国宝の五重塔を訪ねることにした
  
出羽三山神社(三神合祭殿)
出羽三山は、月山・羽黒山・湯殿山の総称



「天拝石」
その昔修験者の行法を行った場所の石と思われる



随神門
明治時代までは二王門と呼ばれ、二王尊が祀られていた



門に祀られる随神は門から侵入する災厄・疫病などを除く神



羽黒山のスギ並木(国特別天然記念物)
随神門から羽黒山山頂までの1.7Kmの参道の両側に立ち並ぶスギ並木
この石段は慶安の前後(1648~)13年の歳月をかけ築かれた



磐裂神社(いわさく)



根裂神社(ねさく)



五十猛神社(いたける)



大年神社(おおとし)



天神社(てん)



豊玉姫神社(とよたまひめ)



「神橋」



「祓川と須賀瀧」
川や滝の水音が耳に心地良い



下居社(おりいしゃ)



「注連掛け桜(しめかけざくら)」
祓川で禊をするとき、この桜の木に注連を掛けたときから注連掛け桜という



岩戸分神社(いわとわけ)と須賀瀧



祓川神社(はらいがわ)と須賀瀧



須賀瀧
滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた






再び参道に。記憶が正しければ、間もなく塔が見えてくるはず。その前に…



「爺杉(じじすぎ)」
樹齢一千年以上の杉。側に立っている人と比較すると、その大きさがわかると思う



28mmのレンズでも入りきらないほどの高さ



右手に国宝「羽黒山五重塔」が見える



撮影 平成28年5月18日
 
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