訪問日 令和元年10月29日
本格的に寺社巡りをする十数年前に一度訪れたことがある
弥彦競輪場の近くにあった神社との記憶だけが鮮明に残っている
越後一宮 彌彦神社
この日は競輪開催日のため周辺駐車場は満車状態で、少し離れた場所に車を駐めた
周囲の風景を注意深く見ながら歩いてみたが、寂しい場所にあったという感じではなく近くは商店街になっていた
彌彦神社は創建から2400年(紀元前392年)以上の歴史を有する神社
一の鳥居(登録有形文化財)
高さ約6mの両部鳥居。かつて社殿が朱塗であったと伝えられており、その名残りから朱塗になっている
彌彦神社(いやひこ)が正式名だが、一般的には「やひこ」と呼ばれている
石橋の下を流れる川
境内では毎年11月1日から始まる「弥彦菊祭り」の準備をしている
当日は雨天のため屋内での実施となったが、屋外ではこのような準備が整えられていた最高の皇室儀礼
「即位の礼」を菊花で表現している
丹精込めて育てられた菊の花
二の鳥居(登録有形文化財)
手水舎(登録有形文化財)
神馬舎
彌彦神社の神馬は木像で、近代の彫刻家として名高い高村光雲の高弟・山本瑞雲の作
随神門
昭和15年(1940)、紀元2600年を奉祝して建立された
左右には紀伊国熊野から伊夜日子大神に随行し宮居を警護する長気(おさげ)・長邊(おさべの兄弟神を奉祀している
拝殿(登録有形文化財)
現在の本殿以下の諸殿舎は明治末の焼失後、5年の歳月をかけて大正5年(1915)に再建された
祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)で、越後開拓の祖神である
「伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)」とも称される
摂社・末社
伊夜日子大神の御子神をはじめ六代の御子孫神(六王子)を奉祀する摂社と、所縁深い神社である末社が境内外に合せて十八社ある
末社 十柱神社(重要文化財)
十柱神社(とはしらじんじゃ)大穴牟遅命をはじめ山川草木等の十柱の神を奉祀している
いつ見ても茅葺きの屋根は趣がある
舞殿(登録有形文化財)
伊夜日子大神に奉納する神楽を奏するための建物
楽舎と橋掛かりで連結され一体となっている
斎館(登録有形文化財)
撮影 令和元年10月29日
本格的に寺社巡りをする十数年前に一度訪れたことがある
弥彦競輪場の近くにあった神社との記憶だけが鮮明に残っている
越後一宮 彌彦神社
この日は競輪開催日のため周辺駐車場は満車状態で、少し離れた場所に車を駐めた
周囲の風景を注意深く見ながら歩いてみたが、寂しい場所にあったという感じではなく近くは商店街になっていた
彌彦神社は創建から2400年(紀元前392年)以上の歴史を有する神社
一の鳥居(登録有形文化財)
高さ約6mの両部鳥居。かつて社殿が朱塗であったと伝えられており、その名残りから朱塗になっている
彌彦神社(いやひこ)が正式名だが、一般的には「やひこ」と呼ばれている
石橋の下を流れる川
境内では毎年11月1日から始まる「弥彦菊祭り」の準備をしている
当日は雨天のため屋内での実施となったが、屋外ではこのような準備が整えられていた最高の皇室儀礼
「即位の礼」を菊花で表現している
丹精込めて育てられた菊の花
二の鳥居(登録有形文化財)
手水舎(登録有形文化財)
神馬舎
彌彦神社の神馬は木像で、近代の彫刻家として名高い高村光雲の高弟・山本瑞雲の作
随神門
昭和15年(1940)、紀元2600年を奉祝して建立された
左右には紀伊国熊野から伊夜日子大神に随行し宮居を警護する長気(おさげ)・長邊(おさべの兄弟神を奉祀している
拝殿(登録有形文化財)
現在の本殿以下の諸殿舎は明治末の焼失後、5年の歳月をかけて大正5年(1915)に再建された
祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)で、越後開拓の祖神である
「伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)」とも称される
摂社・末社
伊夜日子大神の御子神をはじめ六代の御子孫神(六王子)を奉祀する摂社と、所縁深い神社である末社が境内外に合せて十八社ある
末社 十柱神社(重要文化財)
十柱神社(とはしらじんじゃ)大穴牟遅命をはじめ山川草木等の十柱の神を奉祀している
いつ見ても茅葺きの屋根は趣がある
舞殿(登録有形文化財)
伊夜日子大神に奉納する神楽を奏するための建物
楽舎と橋掛かりで連結され一体となっている
斎館(登録有形文化財)
撮影 令和元年10月29日