今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

三徳山 三仏寺(鳥取県東伯郡三朝町三徳)

2013年10月31日 | 神社・仏閣
名所旧跡を訪ねる旅

兵庫県のご夫婦に感謝の意を込めて 

最近老化現象が進行し足腰が弱ってきている。歩けるうちにもう一度「三仏寺 投入堂」に参拝したいと以前から考えていた。
2・3日前にこれからどこに放浪しようかと考えていた時に、三仏寺のことが頭に浮かんできた。
餘部鉄橋から鳥取砂丘と意図を持って三仏寺の方に向かってきている。



三仏寺で一番困ることは単独では入山できないことだ。
今回、車から降りたときにご夫婦が歩いてきたので「ご一緒できないか」と声をかけてみた。
ご快諾いただいたので入山できることになり感謝している。
ご夫婦にブログのことを伝えているので、投入堂まで順を追って紹介していく。旅の思い出になってくれると大変嬉しい。

宿入橋 



十一面観音堂



役行者



かづら坂



くさり坂
目の前に文殊堂が見えるがここにたどり着くには、鎖の力を借りることになる。



文殊堂(重要文化財) 









地蔵堂(重要文化財) 






地蔵堂から見える景色。
美しさより回廊から転落するのではないかとの恐怖が。文殊堂の屋根が見える。






鐘撞堂 



鐘は自由に撞いて良いのだが、体が自由に動かず撞くのに苦労する。



馬の背、牛の背
 





納経堂(重要文化財)









観音堂



裏側は暗く胎内くぐりを体験できる。






元結掛堂






投入堂(国宝)
以前来たときは「ああっ」と大きな声が出たほど感動したが、今回は冷静でいられた。



ここまで来るにはかなりの苦労があるが、やはり一見の価値は十分ある。






足場も悪く移動できないため同じような写真しか撮れないのが残念である。






今回が最後と決めて入山している。



本堂






地蔵堂と七福神



馬を掲載するとその週の競馬の馬券が的中するのでこれは私のために。



宝物蔵
展示物の見せ方としては最悪である、蛍光灯の光がガラスに反射して重要文化財である仏像もまともに観ることができない。本当に残念である。



小さな石仏たち



最後の一枚は遙か遠くから見える投入堂




撮影 平成25年10月31日
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<若狭おばまの寺> 霊応山 神宮寺(福井県小浜市神宮寺)

2013年10月30日 | 神社・仏閣
名所旧跡を訪ねる旅「若狭おばまの寺 その2」 

昨日報告した明通寺同様、神宮寺にも過去に訪れたことがある。
やはり早朝で受付前ではあったが住職が門を開けてくれ拝観料はあとで係の者に払うようにと言い、その場からいなくなってしまった。  
寺については五木寛之氏の百寺巡礼のDVDを視ていたので、暗い堂内でお目当ての仏像を必死に探したことを記憶している。

 

霊応山 神宮寺 
福井県小浜市にある天台宗の寺院。山号は霊応山、本尊は薬師如来坐像。
東大寺二月堂への『お水送り』が行われる寺である。  

拝観料を払う前にブログ用ということで周囲の状況を確認することが最近習慣化されてきている。
そのおかげで仁王門を発見することができた。

仁王門(重要文化財)  
駐車場の近くに受付所があり、仁王門は受付所から約100m程離れているため、前回来たときは見逃してしまった。



鎌倉時代末期再建。間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mの単層屋根、切妻造、二軒和様こけら葺八脚門。



仁王門は北門とも呼ばれ一対の金剛力士像が安置されている。



至徳2年(1385年)造立の木造金剛力士像



仁王門の横には民家、畑に囲まれた道が参道になっている。



神宮寺本坊



表門(受付所) 
桃山時代再建。シンプルだがとても雰囲気がある。



本堂(重要文化財) 
前回訪れた時から数多くの寺院を回っているが、この本堂の記憶は鮮明に残っている。
室町時代天文22年(1553年)越前国守護朝倉義景による再建。建築様式は、和様を主体とする折衷様。



元正天皇の勅願により奈良時代は和銅7年(714年)、若狭国一の宮(若狭彦神社)の神願寺として泰澄大師の弟子沙門滑元による開創されたと伝わる。
鎌倉時代初期に寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改めた。



茶室









閼伽井戸 



井戸の存在を知っていたのでポットに湧き水を入れ、翌日の朝、その水で珈琲を入れた。 



本堂の回廊から赤装束の僧が大松明を左右に振りかざす達陀の行が行われ、大護摩に火が焚かれる。
そして、山伏姿の行者や白装束の僧侶らを先頭に、大護摩からもらいうけた火を手に、三千人ほどの松明行列が、2Km上流の鵜の瀬へ向かう。「お水送り」の始まりだ。



境内に神様も祀られている



次の寺に向かおうと腰を下ろし休んでいると、受付所の女性から「団体客が入ったのでよかったら一緒に説明をお聞き下さい。
内陣も開けますのでお近くでお参り下さい」とそばまで走って来てくれた。
観たかった仏像があったので「ありがとうございます」と一緒させてもらった。
やはり、ここには神様も仏様も居る。

最後の写真の前に
この寺のすべての建物の前に「しめ縄」があったのを気づいてくれただろうか。




撮影 平成25年10月27日 
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<若狭おばまの寺> 棡山 明通寺(福井県小浜市門前)

2013年10月29日 | 神社・仏閣
名所旧跡を訪ねる旅「若狭おばまの寺 その1」

台風27号も去り今日は久しぶりに青空が見える。
道の駅の案内所で小浜市内に約130ある寺院の中から、国宝・重要文化財のある8つの寺を厳選してあるパンフを入手した。
苦労して作成したと思うので、今回はこの情報を有効に活用することに決めた。



棡山 明通寺
福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺院。山号は棡山(ゆずりさん)。本尊は薬師如来。
大同元年(806年)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる。本堂と三重塔は国宝に指定されている。



山門(仁王門) 
江戸時代の明和9年(1772年)再建、瓦葺、三間、二重門






金剛力士像






鐘楼



階段を上がると本堂が見えてくる



本堂(国宝) 



堂内に入ると若い僧侶から「明通寺」の歴史、建築物や仏像について丁寧な説明がある。
堂内の仏像は旧国寶と書かれているが現在は重要文化財になっている。
このお寺の良いところは目の前で仏像を拝観できるということだ。



実は明通寺には過去に一度来たことがある。
ただ、早朝であったため受付には誰もいなく、階段を風のように駆け上がり三重塔の写真を撮りそして風のように去った。



本堂が国宝ということは今日知ったが、実に堂々としている。



さて、大好きな塔であるが、三脚を置きカメラを構えている人がいた。



三脚を置かれると圧迫感があり居なくなるまで待つしかない。
再び本堂に上がり少し高い位置から塔を撮してみる。



三脚の彼は居なくなったが、撮っていた場所が気になり、おなじ場所から1枚撮ってみる。



いろいろ歩き回ったが、塔全体を撮影できる場所はここだけということがわかった。



それでも周囲を散策し、違う角度から撮ってみた。



塔をよく見ると装飾など一切ない極めて珍しい塔である。



人間や塔もそうだが、ズッピンでも美しいということは、元々の質が高いということだ。






天気も良く久しぶりに仏像や塔を堪能した。



いつものように振り返って最後の一枚を。




撮影 平成25年10月27日
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福井県立恐竜博物館(福井県勝山市村岡町寺尾)

2013年10月28日 | 博物館・美術館・記念館
名所旧跡を訪ねる旅

人気スポットなのか大型駐車場も満車状態。
県立の博物館なのでそれなりの期待を持って入った。
写真を撮っているうちに子供時代の心に戻っていく感じがする。
今回は展示物が多すぎてメモを取ることもできず、写真のみになる。
館内には子供の数も多く活気があるが、一番楽しんでいるのはお父さんなのかも知れない。 


















































































撮影 平成25年10月26日 
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越前大野城(福井県大野市城町)

2013年10月28日 | 
名所旧跡を訪ねる旅

ダム見学後、近くの道の駅にて休憩、昼食を購入した。もみじ祭りの日と重なり駐車場は満車状態。
道の駅のパンフをなにげなく見ると越前大野城の写真が掲載されていた。
雲の上に天守閣が見えるという幻想的な写真で急に行きたいという気持ちが強くなりナビの目的地に設定した。



土井利忠は大野土井家7代目藩主。幕末期に藩政改革に着手、優秀な人材を登用し財政再建を成し遂げた。



天守閣が見えてきた。
1575年(天正3年)、織田信長より越前一向一揆を平定した恩賞として越前国大野郡の内の3万石を与えられた金森長近がその翌年、最初に居城とした戌山城の近くの亀山に城郭を築いたのが越前大野城の始まりである。



その後、越前松平家が3代続いた後天領となり、土井氏で定着するまで目まぐるしく城主が替わった。






城内の資料のなかで特に印象深かったのは「藩店 大野屋」を全国各地に展開させたことだ。



その他にも財政再建のため手を尽くしたが、もう一つ藩校明倫館にて人材を育成したことも重要だ。



そのようなことを考えているうちに、なぜここに来たのかということをすっかり頭から抜けてしまっていた。



あの雲の上に浮かぶ天守閣を見るには下に降りねばならない。



下から望遠レンズに換え撮ってみたが……。



今日はここでは終わりたくない。
同じパンフから面白いものを発見、新ジャンルに挑戦することにした。 


撮影 平成25年10月26日 
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九頭竜ダム(福井県大野市長野)

2013年10月28日 | 名所・旧跡
名所旧跡を訪ねる旅

九頭竜川沿いの道路はとても景色がきれいで車を止めたい衝動にかられるが、道路幅が狭く駐車スペースがないため我慢することになる。



この白い橋からの景色が良かったので車から降りてはみたが。



まもなく九頭竜ダムの駐車場があったので立ち寄ってみた。



生まれて初めてダムにきたと思う。ただ、高所恐怖症なのでダムの写真は苦手だ。



もちろん人造湖だが水面が特に美しい。気温は10℃北海道と大差ない寒さだ。木々も色づいてきている。






屋内の建物内ではダム建設についてのビデオが「プロジェクトX」風に流れている。



短期間で完成したダムのようだが、その分困難も多かったようである。









寒風降雨のなか命綱を張って作業している人がいる。電気を無駄には使いたくないものだ。




撮影 平成25年10月26日 
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有楽苑<国宝茶室 如庵>(愛知県犬山市御門先)

2013年10月27日 | 名所・旧跡
名所旧跡を訪ねる旅

体の幅はこれ以上広げる訳にはいかないが、知識の幅が広がると人生が豊かになる。
豊かな人生を送るために国宝の茶室を見学することにした。入場前に案内板を撮る。
この内容を後で振り返りながらブログの参考にしている。
横幅の広い人影が映っているがそれが私だ。



国宝の茶室を見るのに入苑料1,000円は高い。
お茶はいかがしますかと聞かれたが「いらない」とはっきりことわった。
 
入ってすぐ、自分が予想していたものとはずいぶん違う感じがした。
歩道の左右には美しく手入れされた木々が続き、国宝の茶室がぽんと置かれていると思っていただけに、この先何があるのか読めず、しかも茶室という未知の世界というこのもあり精神的に不安になった。



「有楽苑」と書かれた門が見えてきた。ここが入り口になる。



旧正伝院書院の裏手を通る。



歩道の左右の緑がとても美しい。



含翠門をくぐる



弘庵 
茶会のために新築された茶室。



水琴窟(すいきんくつ)といい水の音が琴のような音に聞こえる。
音楽が流れているのかと思うほどの音色だ。



国宝茶室 如庵
雰囲気のある萱門をくぐると如庵が見えてくる。ここまでくる道が長く感じられたがやっと到着した。



「如庵」何と洒落た名前ではないか。
一説によれば庵主織田有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」または「Johan」から付けられたという。






「有楽好み井筒」



「せっかくですから、こちらでお休みになりませんか」と係の女性から声をかけられた。
(ここは500円で抹茶を飲むところだが)
「お休みいただくだけでも結構ですから、おかけ下さい」と更にすすめられた。
女性の親切には本当に弱い。
「ありがとうございます」と言って、ついお茶を注文してしまった。



この係の女性は私がお茶を飲んでいるこの場所「旧正伝院書院(重要文化財)」と「如庵(国宝)」の歴史について30分近く説明してくれた。
忙しい日は、1時間に80回お茶の注文が入るようだが、空いているときにはこのように直接説明することを大切にしているようである。



もう一人の女性も途中から説明を聞いていたが、別れ際に「ご一緒に話を聞かせていただきありがとうございました」と一礼して去っていった。
会話をしたわけでもないのになかなか言えないことばである。

「萱門」は古風でとてもすばらしい。






旅の醍醐味は人との出会いだが、今日はいい人と出会えた。




撮影 平成25年10月24日
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犬山城(愛知県犬山市大字犬山字北古券)

2013年10月26日 | 
名所旧跡を訪ねる旅

以前犬山城を訪れたときは名古屋駅から電車で犬山駅まで。
駅から天守閣が見えたので川沿いを歩いて犬山城を目指した。
ところが、歩いても歩いてもなかなか城が近づいてきてくれない。
神社を越え坂を上ったところに城の入り口が見え、感激したことを思い出す。
今回は案内によると城まで5分という駐車場に車を駐めることにした。
あの苦労をしなくて済むなら500円は安い。駐車場の係員の対応がすばらしかったことも付け加えておく。

さて、入り口側がやけに騒々しい。何かなと思い輪に加わると和服を着た3人の女性が昔言葉で観光客に問いかける。
一瞬、モデル撮影会を思い出し、バシバシとシャッターを切っていた。気分が高揚してくる。



今日は城見学に来たのだと、気持ちを切り替えた。さて、この石の記憶が全くない。



城の石垣は日本の技術の高さを感じる



廃藩置県の際に払い下げられた建造物として城の門が各寺院に移築され現存している。 



入場券を購入して中に入ると「何と、工事をしている」ではないか。



天守閣から見える景色であるが、テンションが下がっているのがよくわかる。






工事をしていても入るのだが、事前にそのことを伝えてほしかった。



城の周辺を散策すると石碑が建っていた。徳川家から贈られたものらしい。



四季桜も咲いていた



工事は来年2月に終了するということで、その時を楽しみに、また来たいと思う。



ボランティアの人にこの周辺でいいところはないですかと尋ねると、国宝の茶室である「如庵」を紹介してくれた。 




撮影 平成25年10月24日 
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応夢山 定光寺(愛知県瀬戸市定光寺町)

2013年10月26日 | 神社・仏閣
名所旧跡を訪ねる旅

永保寺の後にもう一つ気になっていた寺があったので、そこを訪ねることにした。寺の名前は定光寺。



定光寺の歴史 
愛知県瀬戸市定光寺町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は応夢山(おうむざん)。
本尊は延命地蔵願王菩薩(地蔵菩薩)。尾張徳川家の菩提寺である。

本堂<通称 無為殿>(重要文化財) 
南北朝時代、明応2年(1493年)建立






鐘楼 



庫裡(聚星寮) 
猫の鳴き声が屋根の方から聞こえてくる。



客殿(敬霊閣) 



経蔵 



源敬公廟(重要文化財) 
尾張徳川家初代徳川義直の廟所。源敬公(げんけいこう)は義直の諡号。



慶安3年(1650年)に尾張徳川家初代徳川義直が没すると、その翌年から3年をかけて源敬公廟(徳川義直廟墓)が造営され、尾張徳川家の菩提寺となった。






殉死者の墳墓(重要文化財) 
源敬公に殉じた家臣の碑 5基(前列)、陪臣の碑 4基(後列)。



家臣の碑



帰る途中に入場券に使用しているアングルからの写真がなかったので戻って撮ったものである。



帰り際に振り返ると本堂の屋根の一部が破損していた。

 

撮影 平成25年10月24日
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虎渓山 永保寺(岐阜県多治見市虎渓山町)

2013年10月25日 | 神社・仏閣
名所旧跡を訪ねる旅

昨日は熱田神宮、興正寺、龍泉寺と巡り、ある意図をもって道の駅「志野・織部」に宿泊することにした。
この長旅における最初の車中泊となる。 なお、この道の駅は2度目の利用となる。



1度目は永保寺を訪れるため舞鶴港から深夜の2時過ぎに到着して、早朝、出発という仮眠のために利用した。
今回も目的は永保寺を訪れるためだが時間にも余裕があるので一宿一飯のお礼として少しお金を使おうと思っている。

虎渓山 永保寺
平成23年8月31日付けブログで最初に訪れた時の様子を写真で報告。3年前、そして季節も違うので見比べていただきたい。

観音堂(水月場)国宝



観音堂といえば屋根の反ったところが見ていても気持ちがよい。









紅葉になりかけのこの季節もとても落ち着いた感じだ。



周辺を散歩した帰りに遠くに見えた観音堂だがとてもよい。



無際橋
雨予報であったが陽が射してきた。









臥龍池の中心にある橋だけにどのように撮っていいのか迷ってしまう。


















六角堂・梵音巌 



雨の後なので滝の水量が増えているのかと思っていたが、夏に来たときとあまり変化がなかった。



六角堂の周囲には多くの石仏が安置されている。






岩の上にある六角堂



開山堂(国宝) 
前回訪れた時は工事中でその建物を見ることができなかった。



観音堂と同じように日本刀のように反った感じの屋根がとても印象的だ。



周囲に柵があり狭い空間を移動しながら撮ってみる。






あまりに夢中になりすぎ足を滑らし転倒してしまった。とっさに守ったものは自分の身ではなくカメラだった。
人間は時間が経てば完治するがカメラは金がかかる。
瞬間の判断力の凄さには我ながら感心する。それにしても、すっかり足腰が弱くなった。
転倒しながら開山堂の屋根を見ていると何とオーラが。



ある瞬間強い日差しが射し込んできたため水蒸気が発生したものだが、「建物が生きている」と強く感じた瞬間でもあった。

鐘楼
この鐘楼も転倒しなければ発見できなかった。転んでもただでは起きない。



僧堂 座禅堂 



臨済宗ではこの禅堂は食堂、浴堂とともに三黙堂とされており無駄な会話は許されない。









永保寺開山 佛徳禅師 御手植銀杏樹 



名勝 池泉回遊式庭園 






永保寺最後の一枚 




撮影 平成25年10月24日  
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八事山 興正寺(愛知県名古屋市昭和区八事本町)、松洞山大行院 龍泉寺(名古屋市守山区竜泉寺)

2013年10月24日 | 神社・仏閣
名所旧跡を訪ねる旅
雨が強く降り出したので熱田神宮の近くの寺を検索すると「興正寺」という寺があった。
五重塔もあるということがわかり直行する。
しかし、立体駐車場の高さが2mまでの車のみしかなく、駐車禁止区域に許可をもらって駐めることができた。

興正寺の歴史
愛知県名古屋市昭和区八事本町にある高野山真言宗の別格本山。
山号は八事山。通称は八事観音。
境内は本堂などがある西山普門院と奥之院がある東山遍照院に分かれており、全域が興正寺公園として開放されている。

西山中門
かつて女人禁制だった東山との境にあった女人門を移築。
寺全体が大規模な工事をしているためか重機の音が鳴り響いている。
雨が強く、左手で傘を持ち、右手で重いカメラを構える。
手ぶれには強いが、腕全体がふるえているためピンボケ写真が多い。



大好きな塔が目の前に現れる。
五重塔(重要文化財)



東海地区に現存する唯一の木造五重塔として1982年に国の重要文化財に指定された。
すばらしい塔であるが、今まで見てきた塔とは何か違和感がある。



観音堂
左手の階段を上ると観音堂が見えてくる。階段横には石仏が置かれている。



徳川二代目藩主・光友より寄進された慈覚大師作正観世音菩薩(秘仏)を本尊として安置している。



ただならぬ雰囲気を感じたのでもう一度階段を下り撮ってみた。



鐘楼 



圓照堂
気になった堂であったが雨と工事で足下が悪く、近くまで行く気持ちになれなかった。



平成26年度に大仏が安置される予定。



最後にも一度五重塔。文化五年(1808年)に建立され、高さは30m。



まだ時間に余裕があったので、さらに近くの寺を検索すると「龍泉寺」があった。徳川家と関係があるらしい。

龍泉寺の歴史 
「松洞山大行院」と号する。名古屋城を鎮護する尾張四観音のひとつ。「竜泉寺」とも表記する。本尊は馬頭観音。

仁王門(重要文化財)
慶長12年(1607年)建立。入母屋造こけら葺きの楼門。



弘法大師空海も、熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したといわれ、これより龍泉寺は熱田の奥の院とされてきた。



仁王像
 





本堂
龍泉寺は庄内川を望む高台にあり、濃尾平野を一望できるため、戦闘の際には軍事的価値を認められて陣を置かれることが多かった。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの前には、清須城北東方面の防衛線を築くために織田信長が一隊を龍泉寺に派遣している。



天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際には、小幡城に進出した徳川家康を討つべく羽柴秀吉が陣を張ったが(このことが後に「一夜堀」の伝説を生んだ)、秀吉が退却するときに放火されて本堂も焼失した。



多宝塔
 


鐘楼 



この馬を見ていると秋競馬のGⅠシリーズが頭をよぎる。競馬歴30年、死ぬまで馬券を買い続けるだろう。
この馬の勢いが私の「つき」に向かってきてほしいものだ。



寺を去るときにはいつも振り返って1枚撮ることにしている。




撮影 平成25年10月23日
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熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区神宮)

2013年10月23日 | 神社・仏閣
名所旧跡を訪ねる旅
10月21日苫小牧発名古屋行きのフェリー「きそ」に乗船。
今年最後となる長旅の始まりだ。



今回は台風27号・28号の接近により、雨風を避けて移動しなければならず、これがいつもと違うところだ。
船内で最初の訪問地として選んだのは「熱田神宮」だ。
三種の神器の「草薙の剣」が祀られている。

東駐車場に車を駐め、最初の大鳥居。



小雨の天候ということもあるが、薄暗い参道が期待感を高める。



最初に目にした光景は大きな楠の前で、深々とお祈りをしている女性の姿だ。
境内には楠が多く、特に大きな7本を「7本楠」と呼び古くから有名だそうだ。



この楠は弘法大師お手植えともいわれ、樹齢は千年以上。



本宮
七五三詣でのため若い夫婦に子供の姿が数多く見られた。






最近神社の千木に興味をもつようになってきた。



最近はこの角度からの写真が多くなってきている。



祈祷殿


 
こころの小径を歩くと
一之御前神社
天照大神の荒魂(活動的勇猛的ご神威)をお祀りしている。



お清水
湧き水の中にある苔むした石は楊貴妃の石塔の一部との説もある。
熱田大神が楊貴妃になったとの言い伝えがある。



三度水をかけて祈念すると願い事が叶い、この水で肌を洗えば綺麗になるといわれている。



清水社 
平家の武将平景清が目を患った折、この神に祈り湧き水で清めたところ霊験あらたかであった事から、目の神様として信仰されている。



土用殿
神剣が明治の御社殿改造まで奉安されていた御殿。 



神楽殿 



宝物館
謳い文句はすごいが展示物は寂しい。古事記の写本(重要文化財)には興味があったが……。



上知我麻(かみちがま)神社



参拝者は少ないが知恵と商売の神様に熱心にお祈りする姿はとても印象に残る。






別宮 八剣宮
この八剣宮は凛とした雰囲気がある。
警備員の監視の目も厳しく写真を撮ることさえも制限されそうな感じがする。

 

少し離れたところから撮る



悪いことをしているようで嫌だが、警備室の裏側からも



二十五丁橋
板石が25枚並んでいるところから二十五丁橋と呼ばれている。



西行法師もここで休んだと伝えられている。名古屋で一番古い石橋。



熱田神宮を出る頃には小雨が大粒の雨になり、台風の影響が出てきているのかもしれない。
このあと2つの寺に立ち寄るが写真など撮っているような感じではなかったが、その様子は明日、報告したい。

今日から、このブログは車の中で作成することになるが家にいるときとは勝手が違い慣れるまで時間がかかりそうだ。


撮影 平成25年10月23日
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車中泊旅行 東北編 その8(遠野、奥入瀬渓流)

2013年10月18日 | 車中泊
新車を購入して初めての車中泊による7泊8日の東北地方への旅の報告もこの回で終わる。
寝具も持たずに家をとびだしていった行った旅だけに反省点も多くあったが、旅の楽しさを体験し、その後、形を変えながらも8年後の今日につながっている。 

遠野昔話資料館
遠野と全国の昔話の歴史を紹介。



大正時代の遠野が再現されている。

 




2階では語り部による昔話を聞くことができる。



阿部屋敷(別名 屯館)



カッパ淵
かつてカッパが多く住み、人々を驚かしたという伝説がのこる場所。



全国唯一のカッパ狛犬で知られる常堅寺の裏手を流れる小川の淵をいう。



ただの小川だが昔話を思い出しながら佇んでいると、それなりの雰囲気をもっている。



常堅寺 仁王像 



慈覚大師作の仁王像(総丈3.5m)安置。



伝承園 
遠野地方のかつての農家の生活様式を再現し、伝承行事、昔話、民芸品の製作・実現などが体験できる。









撮影 平成17年7月29日

奥入瀬渓流

奥入瀬渓流は十和田湖から流れ出し、途中様々な景観を見せてくれる。



途中、多くの滝があり、渓流沿いの道は「瀑布街道」と呼ばれている。



車を道路脇に駐め散策路を歩きはじめたが、新車だけに何かあったら困ると勝手に判断し車で移動することにした。



駐車スペースがある路肩に駐め、近くの散策路に移動する。






風景写真など意識して撮したことなどなく、きれいだなと思ったところだけシャッターを押した。









これが、当時、所有していた車で、このように路肩に駐めながら移動していた。
朝陽に反射し、光り輝いている車であったが、悲しいことに、6ヶ月後には事故で廃車になる運命になっていた。



 


 


 





散策路の中では一番規模の大きい「銚子大滝」






十和田神社






高村光太郎 「乙女の像」
十和田湖の湖畔に、左手を合わせて向かい合う2体の乙女像。
その姿は、はちきれんばかりの生命力に満ちている。



顔は智恵子をかたどり、光太郎が7年間の沈黙の末に作り上げた生涯最後の大作。



この後、八戸港で苫小牧行きフェリーの空席があったので予約し、出港までの時間を利用して「小川原湖」まで足を伸ばすことにした。

さて、この旅は8年前の記録になるが、振り返ると愛用していたキャノンのデジカメも車も手元には無く、廃車寸前の自分だけがかろうじて残っている。
しかし、この東北旅行をきっかけに、旅への思いだけは年々強くなり、今年度は5月に続き2回目の長期の車中泊旅行に間もなく出発することになる。


撮影 平成17年7月30日
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車中泊旅行 東北編 その7(中尊寺、白山神社)

2013年10月17日 | 車中泊
最大級の台風が北海道にも大きな爪痕を残した。
さらに、この台風が寒気まで呼び込み道東では季節外れの積雪をもたらした。
札幌近郊にある手稲山にも初冠雪がみられた。
根雪になるまではまだ時間が必要だが、昨年は初雪が根雪になったこともあり北海道に住む人間にはこれからは嫌な季節になる。

車中泊による東北旅行に戻る。出発前に設定した3つの目的地もすでに訪問した。
あとは家に帰るだけになったが、この時期NHKの大河ドラマで「義経」が放映されていたこともあり中尊寺に立ち寄ることにした。

関山 中尊寺の歴史

中尊寺は天台宗の東北大本山。創建は嘉祥3年(850)に慈覚大師円仁によって開山された。
その後奥州藤原氏初代の清衡が長治2年(1105)から中尊寺の再建に着手し、天治元年(1124)に金色堂が竣工、基本的な伽藍が完成したのは21年後の大治元年(1126)の時。
吾妻鏡によると中尊寺の規模は「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」とされ、平泉では毛越寺に次ぐ大きさだった。 

駐車場から「月見坂」と呼ばれている参道を上がっていく。
しばらく歩くと左側に小さな建物が見える。

八幡堂



明治の神仏分離で八幡宮から八幡堂と称し、阿弥陀如来尊像も合祀。



弁慶堂



義経と弁慶の木像を安置している。文政9年の再建。



地蔵堂






薬師堂 



慈覚大師作と伝えられる薬師如来が安置され、脇仏として日光・月光菩薩、十二神将も併置されている。



本堂
中尊寺というのはこの山全体の総称であり、本寺である「中尊寺」と山内17ヶ院の支院で構成される一山寺院。 



本堂は一山の中心となる建物で、明治42年(1909)に再建された。古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められる。



本尊は丈六の釈迦如来。像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像。
本尊の両脇にある灯籠には、宗祖伝教大師最澄以来灯り続ける「不滅の法灯」が護持されている。






不動堂 
中尊寺の祈祷道場。本尊は不動明王。



大日堂



鐘楼






阿弥陀堂






金色堂
須弥壇内部には中央に初代清衡、左に二代基衡、右に三代秀衡の御遺体(四代の泰衡公首級も共に)が安置されている。

学生時代に訪れたときには「キンピカ」が気になっていたが、年齢を重ね再び訪れたときには、この黄金色に輝くすべてが神聖なものに思われてきたから不思議だ。



内陣内部には中央に御本尊である阿弥陀如来を安置し、観音菩薩、勢至菩薩、地蔵菩薩、持国天、増長天などの仏像が並び当時の文化の高さを感じる事ができる。



釈迦堂






旧金色堂(旧覆堂)(重要文化財)



芭蕉翁像
源義経が平泉に自害し、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、松尾芭蕉は門人の曽良と2人、「奥の細道」の旅に出る。芭蕉46才、曽良41才。 
平泉を訪れた芭蕉は、義経の居館があった高館の丘陵にのぼる。
丘の頂きに忽然とあらわれるのは悠然と横たわる北上川と、それに合する衣川。

夏草や 兵どもが 夢の跡 



続いて中尊寺を訪れた芭蕉は金色堂に参詣した。
鎌倉北条氏によって建てられたといわれる覆堂の中で、朽ち果てた金色堂はかろうじて光を投げかけていた。

五月雨の 降残してや 光堂



白山神社(重要文化財)



仁明天皇の御代嘉祥3年(850)中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請し自らは十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号した。



現行の能舞は天正19年時の関白豊臣秀次と藩主伊達政宗が当社参拝の節、観覧に供し今日に至っている。



神楽殿は茅葺の寄棟屋根で欄干で囲まれた本舞台や鏡の間を繋ぐ橋掛かり、鏡板に描かれた「老松」など見所の多い建物。






撮影 平成17年7月29日 
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車中泊旅行 東北編 その6(松島、ベイシー、厳美渓)

2013年10月16日 | 車中泊
この旅の記録は今から8年前のものである。

日本三景 松島
大学2年の時、実家に帰省する途中にこの松島にきたことがある。
港内の海水が汚濁していてがっかりして立ち去ったことを今でも覚えている。



当時は「公害日本」と呼ばれ汚染物質に国民が曝露されていた時代で、隣国、中国の今のような状況であった。



遊覧船に乗り周囲の島々を見ても、とてもきれいで学生時代の嫌な思いが消え去りよかった。



震災の影響が点在している島々に与えたのだろうか。





















遊覧船に乗っていた、若いこの二人も今は30代になっているはずだ。
当時はカモメにも注目されていたが、いまはどのような人生を送っているのだろうか。



「あぁあぁ鴎にもわかりはしない(松尾和子「再会」より)」
それから、カモメを間近で撮りたい人はこの観光船を薦める。



東北旅行の3つの目的地。① 恐山、② 土門拳記念館、そして最後になるのがこの喫茶店だ。



日本でも有数のジャズ喫茶である一関の「ベイシー」
その迫力ある音を聴こうと日本はもとより世界中からジャズファンが訪れるという。
店主が気に入った音がでるまで開店しないという店であったが、幸運にも入ることができた。
コーヒーを注文しさっそくその音を聴く。



大音量で、床から体に響いてくる低音は家庭では再生することはできない。
金管や打楽器などは目の前で演奏しているような感じでもあった。
何か評論家みたいな口調になったが、オーディオが好きで機器を購入するためにローン地獄になったほどの歴史がある。
ジャズコンサートもよく聴きにいったし、レコードもかなりある。
事情があってしばらくオーディオを封印していたのだが、解くきっかけになればいいと思って訪れた。



コーヒー2杯、レコード4枚分を聴いて店を出る。
心は満足感、体はリズミカルになっている。

撮影 平成17年7月28日

昨夜は、道の駅「厳美渓」に泊まる。
学生時代にこの地を訪れたときに厳美渓が「きれいな風景」という記憶があったからだ。

天然記念物 厳美渓



店の対岸に吊るされているかごに代金を入れて合図をすると、かごがスルスルと上り、団子が入って戻ってくる。
渓流をかごが行き来する「空飛ぶだんご」は名物だそうだ。



車で移動しながら撮ってみる。



途中で朝のラジオ体操をしていたということは、相当早い時間だ。 




撮影 平成17年7月29日
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