今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

玉祖神社(山口県防府市大字大崎1690)

2023年08月31日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月31日
久し振りに宇佐神宮にでも行ってみようかと思っていたが、強い雨が降っていたので止めた
2・3日雨予報だったこともあり九州を離れることにした

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)
周防国一宮ということで訪れた
「たまそ神社」と思い込んでいたが「たまのおや神社」という読むことを今知った
旅の途中でいつの間にか「一宮を巡る旅」が加わったがこれが結構楽しく気に入っている



雨上がりに訪れたが綺麗に清掃されていて気持ちがいい



狛犬1
制作年は分からないが風雨に曝され、穏やかでユーモラスな表情になっている









神門
体重過多による膝痛のためしゃがんで撮ることなどめったにないがこの景色が気に入ったのか撮っている



この時はまったく知らなかったが、神紋は、亀甲紋様の周りに曲玉が3つ
祀られている神は三種の神器の一つ八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作った玉祖命



狛犬2









黒柏鶏(国指定天然記念物)
境内に放し飼いされている鶏だと思っていたが違った
黒柏鶏(くろかしわけい)といい、長鳴鶏に属し鳴き声は7~10秒も続くという
日本古来の鶏で、何と日本神話「天岩戸」にも登場するという



天照大御神が天岩戸に引き篭った際、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談し、さまざまな儀式をおこなった
最初に「常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた」とあるが、これが「黒柏鶏」なのかも



拝殿
さらに古事記では
伊斯許理度売命に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八咫鏡(やたのかがみ)を作らせた
玉祖命に八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせたとある



天宇受賣命が岩戸の前で胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊ったことだけは記憶に残っている



玉祖神社の祭神である「玉祖命(たまのおやのみこと)」と黒柏鶏は重要な役割を果たしていたことになる






拝殿内部








本殿
創建時期については「あまりにも古く」て明らかではない
格式高い神社の場合、その起源は神話時代まで遡ることから証明することが難しい



延喜式神名帳によると、玉祖神社の祭神は二座となつている
しかし、わかっているのは、現在の祭神・玉祖命だけで、もう一座については不明である



何かの像かと思ったが木の幹であった
玉祖神社の社叢は防府市の天然記念物に指定されている



現地では何も知らず旅の記録として目の前にある建物を写真に撮っているだけだが
歴史的背景やその価値を知ると違った撮り方になるのだろうと思う



最初に天岩戸神社を訪れた時、長野県長野市の戸隠神社に天の岩戸が落下したと聞き、そこも訪れた
調べていくうちに当社も天岩戸と深い結びつきのある神社だという事を知った



玉祖神社の歴史を調べながら過去に訪れた場所を思い出してしまう
天岩戸を撮ろうとしたときデジカメが作動しなくなったこと
雪解けで足もとが悪い参道を歩き戸隠神社奥社に向かったこと









「黒柏発祥の地碑」



「御昇殿記念」と読める



境内に咲く花












撮影 令和5年5月31日
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柞原八幡宮(大分県大分市大字八幡987)

2023年08月30日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月29日

柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)
豊後国一宮
この神社を訪れる前に参拝した神社「西寒多(ささむた)神社」も同じく豊後国一宮
互いに豊後国一宮を主張していたというのも面白い



案内板の日暮門近くの駐車場を探したが、農道・林道に迷い込み酷い目にあった
この案内板の前に三度目に来たときにバイクに乗った女性に声を掛けた



近い場所に駐車場はあるが、初めてなら石段をお勧めしますと言われた



鳥居
地元の女性で毎月お参りに来ているという
20代だと思うが私のペースに合わせて歩いてくれる気持ちが嬉しい
鳥居の額には「菊の御紋」が掲げられている



南大門(重要文化財)
別名・日暮し門
この門の彫刻が素晴らしいと説明してくれた



西門(重要文化財)



私をここまで案内してくれた女性
久し振りにバイクに乗ることができたので感謝と安全祈願にきたという
この後も社殿の案内をしてくれた(感謝)



西門の彫刻



申殿(重要文化財)
西門から入ると正面に見えるのが「申殿(もうしでん)」



本殿・東宝殿・西宝殿(重要文化財)
残念ながら修復作業中であった



楼門(重要文化財)
中央の高い建物が案内図によると楼門になる



拝殿(重要文化財)
中央の小さな建物が拝殿になる



東回廊・西回廊(重要文化財)
楼門を境に東回廊・西回廊と分かれている



「獅子吼」と書かれた額
母校の寮歌に出てくる言葉で、足が止まってしまう



奉納額
回廊には多くの奉納額が掲げられている
























申殿・本殿(重要文化財)
東回廊から申殿・本殿を観る



拝殿前には若い女性が数分間手を合わせお参りをしていた



拝殿内部
天長4年(827年)延暦寺の名僧・金亀和尚が宇佐神宮の参篭にて神告を蒙り、柞原山に勧請したのを創設起源としている
祭神:応神天皇「誉田別命」(ホンダワケノミコト)
   仲哀天皇「帯中日子命」(タラシナカツヒコノミコト)
   神功皇后「息長帯比女命」(オキナガタラシヒメノミコト)



ここまで案内してくれた女性が、立ってお参りすると見えないが
座ると天狗の姿を拝めると教えてくれたので言葉に従った



大友宗麟奉納開運大太鼓



戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。キリシタン大名
洗礼名は、ドン・フランシスコ。豊後の王と称された



境内の写真
中に入ると全体像が把握できず写真整理に役だった



九州の神社の社殿配置(楼門・拝殿・申殿・本殿)は独特である



柞原八幡宮のクス(国指定 天然記念物
樹齢3000年を越えると伝えられる
伊能忠敬は全国の測量の途上で文化8年1月3日(1811年1月27日)に柞原八幡宮を訪れ
日記に「由原八幡宮境内に大楠あり周十四間」と書き残している



南大門<日暮門>(重要文化財)



日光東照宮の陽明門は いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれている



故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など多くの彫刻がほどこされている















実際は薄暗いのだがデジカメだと鮮明に撮ることができる
目視であれば懐中電灯が必要な場所もある
























熱心にお参りをしていた女性であるが、この南大門にいたる石段に佇んでいた
私が歩くと距離をとって歩き出す



額には「由原八幡宮」
「柞原」の文字を使っていない



石段を下りると例の女性が窓を開けた赤い車に乗っていた
目が合うと笑顔で一礼して去っていった
しばらくして気付いたのだが、短い足でヨロヨロしていた老人を見守ってくれていたのだと(笑)



撮影 令和5年5月29日
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西寒多神社(大分県大分市寒田1644)

2023年08月29日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月29日

西寒多神社
豊後国一宮
以前、訪れようとしたことがあったがたどり着くことができなかった
他の人も「ナビで着かない不思議な神社」と投稿していた



カーナビはパナソニックだが、今回はグーグルとヤフーナビを駆使して到着した
帰りはパナを利用したが酷い目にあった(汗)



駐車場に何が原因か分からないが神聖な場所に相応しくない看板



「萬年橋」から境内を眺める



社務所
看板にあるトラブルの原因を聞こうと思ったが無人であった



手水舎



鳥居



神楽殿



正面に社殿






鬼の歯形石






合併社






日露役記念



狛犬






拝殿
神功皇后が三韓征伐からの帰途、西寒多山(現 本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てたという
その後、応神天皇9年4月、武内宿禰が本宮山上に祠を建てたのが創祀であるという
本宮山を神体山として成立したと見られている



7世紀の中ごろ、藤原鎌足が百済救援のため豊前国仲津郡まで来た折、西寒多神社に参拝
老巧化した社殿を修築し、太刀一振りと八幡舞面を奉納した



応永15年(1408年)3月、大友家第十代の新世は尊崇のあまり社殿を山麓の現在の地に遷した






神木



本殿



主祭神:西寒多大神 (ささむたのおおかみ)
   <天照皇大御神、月読尊、天忍穂耳命の総称としている>



相殿神:応神天皇、神功皇后、武内宿禰



神庫(大分市指定文化財)
明治19年(1886年)の造営
校倉造りを特徴とした入母屋造り桟瓦葺き、高床式の建物






大分社



天神社









おみくじ・絵馬掛け



厳島神社



萬年橋(大分県指定文化財)
太鼓橋とも呼ばれる石造単アーチ橋



文久2年(1862年)に当時延岡藩領であった寒田村の庄屋らが発起し
岡藩領であった大野郡柴北村(現 豊後大野市)の石工2代目後藤郷兵衛ら20名によって同年に竣工した



撮影 令和5年5月29日
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大御神社(宮崎県日向市日知屋1番地)

2023年08月28日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月29日

大御神社
祭神:天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)から「日向のお伊勢さま」と親しまれている
前回、訪れた時に悔いを残したことがあったので再訪した

鳥居
この鳥居の周辺が駐車場になっている
天気はこれから悪くなる予報だったがまだ大丈夫だ



社号標
祭神の天照皇大御神の二字「大御」が社号になっている



案内板



鵜戸神社
悔いを残したというのは案内板の「白龍」の形が私の撮った写真と違っていたので気になっていた
この案内板を読んで理解していれば良かったのだが……



早速、鵜戸神社に向かう



由緒と祭神



参道の最後の部分は人が一人通れる程度の幅
手すりの右側は崖になっている



岩窟の入口にあるのは流木



岩窟は高さがある
岩窟は人工的につくられたものとホームページに記載があったが信じられない



奥の方に社らしきものが見えてくる
写真では明るいが実際は薄暗く、足もとも滑るので注意深く歩く






「ここから入口を振り返って下さい」と書かれているが、社の撮影に集中していて読んでいなかった
実際にはこの場所で振り返ると「昇り龍の姿」になるというが、違う場所を探してしまった



結果、前回と同じく太めの龍にも見えず、スリムな九州のようになってしまった



この後、うまく撮れたという人の写真を見せてもらうと確かに昇り龍の姿に
数分の距離だが戻る気持ちにもなれず諦めることにした



岩窟からの眺め
右の大きな岩の上にある手すりが参道



参道からの眺め



社殿が自然環境の一部になっているような感じがする



三代の亀



「親亀」






手前が「子亀」 奥が「孫亀」



社殿を真横から眺める



由緒と沿革



狛犬






社務所
ホームページをみると、毎月「巫女便り」が掲載されている



手水舎



社殿(国登録有形文化財)
皇祖天照大御神を祭神とする古社で、創建の年月は詳らかではない
「往古・皇大御神・日向の国高千穂に皇孫瓊瓊杵尊を天降し給うた節、尊は当地を御通過遊ばされ、
千畳敷の盤石にて、これより絶景の大海原を眺望され、皇祖天照大御神を奉祀して平安を祈念されたと伝えられ、
後世、此の御殿の霊石の在りし所に一宇を建て、天照大御神を勧請し村中の鎮守と崇敬し奉ると言う」



現在の社殿は、昭和13年(1938年)10月に全面改築されたもの



建物全体が直線形の木造銅板葺で切妻屋根を支える力柱を持つ
棟の両端にV字型に千木を突き出す神明造りが特徴



拝殿内部






竜神の霊(玉)






さざれ石



神座(かみくら)
国歌 君が代の「さざれ石の巌」である



「神座」は、天孫降臨として知られる天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が絶景の大海原を眺望されたと伝えられる岩



龍神の霊とさざれ石



杭の中心を分岐点として……



左側(海側)は火砕流による「柱状岩」



右側(山側)は「さざれ石」



ラグビー日本代表の必勝祈願
ラグビー日本代表がラグビーワールドカップを控えて行った宮崎での合宿に際して参拝したのち、歴史的快挙を2度も達成した
2015年:南アフリカ代表に歴史的な勝利
2019年:主将リーチマイケルらの発案でさざれ石の前で君が代を歌う(史上初のベスト8)
2023年7月3日~8月3日まで宮崎合宿<参拝したのか?>



撮影 令和5年5月29日

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都農神社(宮崎県児湯郡都農町大字川北13294)

2023年08月27日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月28日

都農神社
日向国一宮
創建は神武天皇即位の6年前、天皇が東征に向かう際に鎮祭したことに始まるという



あぶら石



絵馬には祭神の「大国主命」



茅の輪
素盞鳴尊が旅の途中で、蘇民将来(そみんしょうらい)巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟のところで宿を求めた
弟の巨旦将来は、豊かな生活をしていたのにそれを断った
兄の蘇民将来は貧しい暮らしをしていたが、素盞鳴尊を泊めて厚いもてなしをした
素盞鳴尊は再び蘇民将来の家を訪れて、「もし悪い病気が流行することがあったら、茅で輪を作って、腰につけていれば病気にかからないですむでしょう」 と教えた
茅の輪も、最初は人々が腰につけるほどの小さなものだったが、時代がたつにつれて大きくなり、これをくぐって罪やけがれを取り除くようになった



他に参拝者がいなかったので「茅の輪」を潜ってみた



手水舎



お祓い棒が手水舎に置いてあるのは珍しい
説明通り左・右・左と大きく振ってみた



神門



拝殿
正面5間側面3間平入の入母屋造で、背面中央に奥行2間の切妻造妻入の幣殿を付ける



日向国の第一の大社であったが、天正年間の島津・大友の争乱の際、大友氏の兵火により社殿・宝物・古文書等全てを焼失
御神体は尾鈴山麓に避難され難を逃れた



争乱後は長年社殿の再興も無く小さな祠があるのみであった
元禄5年に秋月藩主 秋月種政が再興し、安政6年(1859年)には篤志家の社殿の寄進があった
その後、社殿の老朽化に伴い平成14年に「御造営奉賛会」が設立され、平成19年(2007年)に現在の社殿が竣成された



拝殿内部









本殿
一間社流造銅板葺で、千木・鰹木を置く
旧本殿の造形を踏襲した



祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)< 別名 : 大国主命 > 



社殿後ろにある「神の石納所」






熊野神社
社殿は本社旧本殿






足摩乳神社、手摩乳神社
2社が1宇に鎮座する






素盞嗚神社



神楽殿(旧拝殿)



御神象








願掛け太鼓






厄除弓神事



撫でウサギ



撫で大国






参拝者は誰もいなかったのに振り返ると女性が……



鳥居の方に消えていった

帰りに境内を清掃していた女性に声を掛けられた
遠くからお参りに来てくれたと感謝された
ここは2回目だがいつも声を掛けられ歓迎される



撮影 令和5年5月28日
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霧島神宮(鹿児島県霧島市霧島田口2608番地5号)

2023年08月26日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月28日

霧島神宮
予備知識もなく地図上で鹿児島神宮の近くにあるということで訪れた
初めての場所で駐車場探しに苦労する

社号標
一の鳥居近くにある、駐車場に車を置き緩やかな坂を300m程歩く
80段の石段というがもっとあるように感じる



二の鳥居
ここが表参道になる



坂本龍馬・おりょう新婚旅行記念
坂本龍馬が日本最初といわれる新婚旅行で霧島連峰を訪れた
龍馬が妻のお龍と高千穂峰を訪れた際、何を思ったか「天逆鉾」を引き抜いて見せたという
このことは龍馬自身が手紙で姉に伝えており、手紙も桂浜の龍馬記念館に現存している



霧島神宮展望台



山頂付近に雲がかかりぼんやり見えているのが桜島だ



神聖降臨之詩碑






参拝者が多い神社で人の流れが落ち着いた頃合いをみて先に進んだ



三の鳥居
この先に足を踏み入れたときに、驚いた



参道は木に覆われ薄暗く、その先に社殿が明るく見える(幻想的)



その先に人が多く集まっている



近寄ってみると参拝の順番を待っている人だった
人気に驚きスマホで検索してみると何と社殿が国宝に指定されていた
寺社の国宝建築物は資料を作成しているが漏れていたようである



勅使殿(重要文化財)






登廊下(重要文化財)






拝殿(国宝)
登廊下の先には拝殿
現在の社殿は正徳5年(1715年)島津吉貴の奉納により再建したもの
令和4年に国宝・幣殿・拝殿が国宝に指定された



創建は欽明天皇元年(540年)とも
主祭神:天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(天孫降臨)



高千穂峰そのものを信仰の対象とする山岳信仰から始まったと考えられる
高千穂峰が天孫降臨の伝承地とされる事から、現在は日向三代にまつわる神々が祀られている



元の社地は、火口に近い場所であったため社殿は噴火でたびたび炎上し、延暦7年(788年)7月の火常峰(御鉢)の噴火で焼失
天慶3年(940年)あるいは天暦4年(950年)に性空上人により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に再興されるが、噴火の巻き添えで炎上
文暦元年(1234年)の火常峰(御鉢)の大噴火により社殿、僧坊等がことごとく焼失
現在の社殿は正徳5年(1715年)島津吉貴の奉納により再建されたもの



御神木
神木の杉は樹齢約800年と推定され、南九州の杉の祖先ともいわれている



社務所



参拝者が多すぎて他の建物を撮ることができなかった



この帰りに神橋でコンビニのカードを拾う
その手続きに時間がかかり予定が大きく狂ったが、後日、持ち主に届いたと連絡があった



撮影 令和5年5月28日
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鹿児島神宮(鹿児島県霧島市隼人町内2496)

2023年08月25日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月28日

鹿児島神宮
大隅国一宮
鹿児島市内にあると思っていたら違った



石造り太鼓橋



御門神社
境内への石段麓脇に2つの社が建つ






雨之社
祭神:豊玉彦命



菊の御紋がある



御神木
建久年間植樹、樹齢約800年と伝わる



手水舎



龍宮の亀石



鹿児島の地名発祥の地



勅使殿(重要文化財)
令和4年(2022年)本殿及び拝殿、勅使殿、摂社四所神社本殿が重要文化財に指定された






創始は社伝によると遠く神代とも
「神武天皇の御代に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる
和銅元年(708年)に現在地に遷座され、旧社地には現在摂社石体宮(石體神社)が鎮座している



彦火火出見尊 (別名:山幸彦)はこの地に高千穂宮(皇居)を営み、500有余歳の長寿に亘り間農耕畜産漁猟の道を開拓し国家の基礎をつくったという



扁額には「正八幡宮」
正八幡宮、国分正八幡、大隅正八幡等とも称し全国正八幡の本宮
八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れたと『今昔物語集』にも記載されている



拝殿(重要文化財)
慶長6年(1601年)に造営された社殿が白蟻よる被害がひどくなり
宝暦5年(1755年)島津重年の寄進により起工され、翌年、島津重豪の代に竣工
勅使殿は社殿入り口に相当し、北側に拝殿、本殿と並ぶ






拝殿内では巫女が祈祷の準備をしていた



天井画



一部を拡大してみた






彫刻



拝殿と本殿



本殿(重要文化財)
主祭神:天津日高彦火火出見尊(山幸彦)
    豊玉比売命(天津日高彦火火出見尊の后神)
相殿神:帯中比子尊(第14代仲哀天皇)
    息長帯比売命(神功皇后 - 仲哀天皇皇后)
    品陀和気尊(第15代応神天皇・八幡大神)
    中比売命(応神天皇皇后)



昭和59年(1984年)昭和天皇の行幸を仰ぎ、勅使皇族の御参拝は二十余度に及ぶ



本殿は規模が大きく、全体を彫刻や薩摩藩の画家 木村探元の壁画で装飾され、向拝の柱に龍の彫刻が巻き付く



四所神社(重要文化財)
祭神:大雀命、石姫命、荒田郎女、根鳥命






武内神社
祭神:武内宿禰






隼風神社
祭神:日本武命



絵馬堂



社殿を回り勅使殿に戻る






神馬



駐車場に戻る



桜島
道の駅から鹿児島神宮へ向かう道路から桜島を眺める



明日から雨が続くというので今日は忙しくなる



撮影 令和5年5月28日
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番所鼻自然公園・たまて箱温泉(鹿児島県)

2023年08月24日 | 名所・旧跡
訪問日 令和5年5月27日

番所鼻自然公園(鹿児島県南九州市頴娃町別府5202)
開聞岳の絶景を見ることができる観光スポットの一つに「番所鼻(ばんどころばな)自然公園」がある
番所鼻自然公園は、薩摩藩の番所があったことから名づけられた
走っていた道路から比較的近い場所にあることから立ち寄ることにした



海の池(ドラゴンホール)
番所鼻自然公園には火山活動と海の浸食によって岩礁がぐるりと円を描いている
海の池(ドラゴンホール)があり,竜宮城の入口だったという言い伝えもある
干潮時には池の周りを一周できる



幸せの鐘「吉鐘」
願い事に合わせて鳴らす回数がある
1回:幸運,2回:健康,3回:夫婦円満と縁結び,4回:子宝,5回:安産



遊歩道を歩く



南国の花?



花には興味はないのだが不思議と旅先では見入ってしまう



開聞岳は標高が924mで日本百名山の一つ
整った山頂となだらかな稜線が美しく「薩摩富士」とも呼ばれている



伊能忠敬・絶景の碑
日本地図作成のために立ち寄った伊能忠敬が「天下の絶景なり」と賞賛した
伊能忠敬が、測量の道に進むのは49歳のこと
日本全国を歩いて測量して回り、「大日本沿海輿地全図」を完成させた






目の前の「海の池」を歩こうと思ったが、潮風と塩水がカメラに悪いので止めた(理由付け)



特攻隊が見た「最後の本土」開聞岳
開聞岳の存在に興味を持ったのは「知覧特攻平和会館」を訪れてからだ
昭和20年(1945年)初頭には、最前線の沖縄はもちろん日本本土も連合軍から空襲を受けるようになった
日本政府は沖縄を本土の最前線と考えていたので、沖縄を守るために採られたのが、特攻作戦だった



特攻機の多くは、知覧(鹿児島県南九州市)や海軍鹿屋基地(鹿児島県鹿屋市)など九州南部の基地から飛び立った
遺書を残し、別れの杯を交わして知覧基地を飛び立った特攻隊員は2時間半かけて、一路沖縄に向かった
知覧基地を飛び立ち、開聞岳を見ながら海岸線を越えると「もう戻れない、行くしかない」と、何度も何度も振り返りながら覚悟を決めたという



出撃までの数日間を過ごす三角兵舎や基地周辺で、身の回りの手伝いをしたのが知覧高等女学校3年生の「なでしこ隊」だ
出撃の知らせがあると指揮所や滑走路の周りに並び見送った
敬礼して飛び立った飛行機が開聞岳に向かい、翼を3回振って、さようならの合図をしたという



ヘルシーランド露天風呂「たまて箱温泉」(鹿児島県指宿市山川福元3292)
旅の途中、本州の道の駅で声を掛けられた男性(温泉好きの宮司)に鹿児島に行くなら是非「たまて箱温泉」にと勧められた
入浴施設を探していた時にその事を思い出し調べてみた
「行ってよかった日帰り温泉&スパ」部門で4年連続1位に輝いた絶景露天風呂のようだ



竹山(別名:スヌーピー山)
垂直に突き出した岩肌が特徴的な「竹山」は古来から修験道の修行の場であったという



この山の麓に「たまて箱温泉」がある
小屋のような建物が入口(料金所510円)でそこから30m程歩く
2つの露天風呂は男女日替わりで、どちらも雄大で美しい大自然のパノラマを楽しめる
晴れた日には遠く屋久島や、竹島、硫黄島も見える



風呂に入って感動することなどないが、浴槽に浸かると目の前にある海と一体化した感覚になる
これを考えた人は凄いと思った
紹介してくれた宮司にお礼を言わなければならないと思い、帰りに管理している姫路市にある神社に立ち寄った



撮影 令和5年5月27日
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枚聞神社(鹿児島県指宿市開聞十町1366)

2023年08月23日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月27日

枚聞神社(ひらききじんじゃ)
薩摩国一宮ということで訪れたが、薩摩国には2つの一の宮がある
もう一つは同じ日に訪れた「新田神社」である
鎌倉時代以降、枚聞神社と新田神社は薩摩国一の宮の座を巡り激しく争っていたという

一の鳥居
鳥居中央には菊の御紋



手水舎






予備知識は薩摩一宮だけなので案内板記載事項を読んで確認する
主祭神の「大日孁貴命」は天照大神のこと



斎藤茂吉歌碑
昭和14年(1939年)10月 斎藤茂吉は枚聞神社を訪れている
たわやめの 納めまつりし 玉手筥 そのただ香にし わが觸るごと



二の鳥居






社務所



絵馬掛け



案内になっていない(笑)



神馬



勅使殿
社殿は、総朱漆塗極彩色の鹿児島地方独特の建物で、正面に唐破風の向拝のついた勅使殿、その奥に拝殿、幣殿、本殿と連なる



創建の年代は社伝によれば、遠く神代とされているが、神社の縁起には,和銅元年(708年)の創建と記されている
元々は社殿奥に見える「開聞岳」を神体とする山岳信仰に根ざした神社であったと考えられている



鎌倉時代以降は新田神社と薩摩国一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げるようになる
現在の社殿は慶長15年(1610年)に島津義弘が寄進したものを天明7年(1787年)に島津重豪が改築した



拝殿
拝殿内では祈祷が行われていたため正面から撮ることができなかった



主祭神:大日霎貴命(天照大神)
配祀神:五男三女神<天照大神と素戔嗚尊が行った誓約によって生まれた宗像三女神と五柱の男神>



舞殿か? 



奥に神輿が置かれている



勅使門天井画
無人の社殿を撮りたいと勅使門周辺で30分ほど待ったが駄目であった









勅使門奥に見える山が「開聞岳」である






撮影 令和5年5月27日
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マルス津貫蒸溜所(鹿児島県南さつま市加世田津貫6594)

2023年08月22日 | 蒸溜所・酒蔵
訪問日 令和5年5月27日

マルス津貫蒸溜所
嘉之助蒸溜所から数10km離れた場所にある
津貫蒸溜所訪問も九州に入った時から考え楽しみにしていた場所である



駐車場に入ると建物から受付の男性が笑顔で迎えてくれた
見学の予約はしていなかったので不安だったが「大丈夫ですよ」と



(ガイド無しだが)順路案内の通り行ってくださいとのこと



見学①「旧蒸留塔」
高さ26m、蒸留所のシンボルタワーが旧蒸留塔である



蒸留酒と共に歩んできた本坊酒造の歴史を伝える建造物
「協力一致の精神」「不屈の精神」など私の好きな言葉が並ぶ



小型蒸溜釜500L



錫蛇管(すずじゃかん)






見学②「ウイスキー蒸留棟」
本坊酒造が鹿児島を代表する特産物「さつま芋」を使って焼酎造りを始めてから百有余年
この土地の水と気候風土を知り抜き、酒造りの伝統を今に伝える津貫の地で、ウイスキー造りに取り組んだ



岩井喜一郎はマルスウイスキーの生みの親である
アルコール精製技術の第一人者として知られていた
竹鶴政孝をスコットランドへ派遣した人物でもある









ハイブリッド型スピリッツ蒸溜機 400L
ジンの「和美人」はここで造られる






発酵
甘い麦汁に酵母を加えることでアルコール発酵が始まる
3・4日の発酵によって麦汁はアルコール度数7%前後のモロミになる





ウイスキー蒸溜釜(初溜5800L、再溜2700L)



ウイスキーの蒸溜は2回行われる
初溜釜(右)でアルコール度数7%前後のモロミを蒸溜し20%の留液にする
再溜釜(左)で蒸溜してアルコール度数70%程度の原酒が生まれる



見学場所の部屋には蒸溜所で造られたボトルが展示されている









見学③「石蔵樽貯蔵庫」



津貫蒸溜所見学では大きな扉を自分の力で開ける楽しみがある
特に「石蔵樽貯蔵庫」は扉の中に入った瞬間空気が変わる



樽貯蔵庫に漂う香りはウイスキー好きにはたまらない






貯蔵・熟成(写真は明るく見えるが実際は薄暗い)



ニューポット(ニューメイク)とは蒸溜したてのウイスキーの原液
3年熟成(貯蔵期間中の樽からは毎年2~3%のウイスキーが蒸発し失われる<エンジェルズ・シェア>)



年数の経過した樽



一樽車に積んで帰りたかった(笑)



床に座りローアングルで



見学④「本坊家旧邸 寶常」



蒸溜所と隣接している



本坊酒造二代目社長 本坊常吉が暮らした邸宅



遠くから「いらっしゃいませ」の声が聞こえ、女性が迎えてくれた



現在はカフェバー・ショップとしてマルスウイスキーの試飲や蒸留所限定品の購入ができる



こちらがバーで有料で試飲ができる



バーテンダーの女性はとても親切丁寧に対応してくれて、とても気持ちが良い



こちらがショップ
人に親切にされ、気持ちが高揚しているとつい買ってしまう
「和美人」世界のコンテストで日本のジンでは初受賞と説明を受けた-購入



中央は「蒸溜所限定ウイスキー」 ピートは苦手だがバーテンダーの女性が好きだというので-購入
右の「津貫2022エディション」 もう入手困難というので-購入
ついでに「津貫2023エディション」も購入



最後にこのバーにあるウイスキーで一番貴重なウイスキー



マルスモルテージ MARS MALTAGE 3プラス25 28年 モルト
ネットで検索すると30万円超え



撮影 令和5年5月27日
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嘉之助蒸溜所(鹿児島県日置市日吉町神之川845-3)

2023年08月21日 | 蒸溜所・酒蔵
訪問日 令和5年5月27日

嘉之助蒸溜所
「嘉之助蒸溜所」は1883年創業の本格焼酎の蔵元、小正醸造が2018年よりウイスキーの製造を始めた小規模蒸溜所だ
製造工程の見学ほか、オリジナルグッズを販売するショップ、美しい海を一望にするバーもありYouTuberなどでも評判が良い



全国の蒸溜所巡りも旅の目的の一つに加えたこともあり、九州入りした時から訪れる予定でいた
前日、熊本県に入りホームページで調べてみると明日を逃すと2日間の休館日になることが分かった



「体験・見学」もあるが事前予約が必要だ
ガイドによる嘉之助蒸溜所の背景説明、ウイスキー製造工程の一連の見学
さらに、THE MELLOW BARでのテイスティングが体験できるという



予約は見学日の1週間前からとあったが、余市や宮城峡蒸溜所、白州蒸溜所などでは当日空きがあれば加えてくれた
そう言った甘い考えはここでは通用せず、あっさり断られた



ここへ来た目的は「蒸溜所現手ボトル」の入手であったが、「売り切れてありません」とあっさり
美しい海を一望にするバーに行きたいというと「見学者のみです」と



来場記念にウイスキーでも購入しようとショップを見てもそれらしいボトルはなく尋ねてみた
「シングルモルト 嘉之助 700ml」が2本あり、1本購入できるという



レジでは転売防止のためなのか住所・氏名等の記載を求められ、免許証による確認までされた
冷静を装ってはいたが精神的にはかなりイライラしていた
嘉之助蒸溜所の商品は酒販店から2本程購入し所有しているが、いずれもプレ値である



日本一美しい景色を見に行ったら土砂降りの雨だったという心境で蒸溜所を後にした(涙)



撮影 令和5年5月27日
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新田神社(鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2)

2023年08月19日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月27日

新田神社
薩摩国一宮
創建は神亀2年(725年)<三国神社伝記による>

二の両部鳥居
約800m先の川内川左岸土手近くに一の鳥居が建っている(知らなかった)
川内川から神社までまっすぐ伸びる「八丁馬場」と呼ばれた参道は桜の名所となっている



新降来橋
鳥居を潜ると大小二つの太鼓橋がある
大きいこの橋は昭和61年に架けられたもの



小さな方は明治25年に架け替えられた石造太鼓橋の降来橋(薩摩川内市指定文化財)
(写真右側に写っている橋だと思うが)この時はその価値も分からずにいた



太鼓橋を渡ると、石段の参道が見えてくる
石段参道入口脇には左右に門守神社が祀られている



東門守神社



西門守神社



旅の疲れもあり石段を上がるのは嫌だと思っていると、数台の車が上へ走って行く姿が見えた
駐車場に戻りその道を進むと石段上に駐車場があった

社殿の礎石
駐車場左側は承安3年(1173年)神火のため焼失した社殿跡地であった



焼失した社殿の礎石の一つ






境内社



末社 高良神社



末社 中央神社



末社 早風神社



新田神社の大樟(薩摩川内市指定文化財)
更に車で坂を上がると、伝承樹齢2000年、年輪生長平均率約650~800年と推定される大樟(おおくす)

与謝野鉄幹・晶子夫妻が参拝に訪れた際に詠んだ歌
「可愛の山の 樟の大樹の 幹半ば 
  うつろとなれど 広き蔭かな」 与謝野鉄幹




子だき狛犬(安産狛犬)









社殿が見えてくる



このような案内板は後のブログ発信のために役立つため撮ってはいるが内容は頭に入っていない



一般の神社では参拝者から見ると拝殿・幣殿・本殿だが
この神社は「勅使殿・舞殿・拝殿・幣殿・本殿」が一直線上に並ぶ



勅使殿(鹿児島県指定文化財)
鹿児島地方独特の建築様式で拝殿の前に勅使殿がある



彫刻



天井画



賽銭箱に菊の御紋






東回廊
この神社は中に入ることができ、間近で社殿を観ることができる
廊下には長椅子も用意されている



社伝によると
「川内の地に到来された天津日高彦火邇邇杵尊(ニニギノミコト)は、この地に千台(センノウテナ)すなわち高殿(高城千台の宮)を築いた
川内(センダイ)の名は、この千台→川内から来ているとされる



舞殿・拝殿(鹿児島県指定文化財)
やがて、ニニギノミコトが亡くなられたのでお墓が造られたがそれが今の「可愛山陵」
そのニニギノミコトの御霊を祀ったのが新田神社の創始である
“新田”という名称には、ニニギノミコトが川内川から水を引いて新しく田圃を作ったという意味が込められているとされる



本殿(鹿児島県指定文化財)
今から八百年程前、承安3年に火災で山の中腹にあった社殿が焼失
朝廷や幕府に伺いをたて現在の山頂に再興した
島津氏が歴代藩主の崇敬は殊に厚く、400年前の慶長年間に島津義久により現社殿のもととなるものが造られた



祭神:本祀一座 天津日高彦火瓊瓊杵尊
   配祀二座 天照皇大御神
        正哉吾勝々速日天忍穂耳尊






可愛山陵(えのやまのみささぎ)
社殿の背後にある墳墓は、明治7年(1874年)宮内省より
皇孫・天津日高彦火邇邇杵尊(アマツヒコヒコホノニニギノミコト、ニニギノミコト)の陵墓とされた



途中、地元北海道では見ることのできない果実の木



幹の内部が朽ち果てている老木などもある



新田神社のある神亀山の5分の4が陵墓の領域で、現在は宮内庁書陵部桃山監区可愛部事務所が置かれ管理している
陵墓と神社が一体となっているのは全国でも珍しいそうだ



大正9年(1920年)3月30日・昭和天皇(当時の皇太子)参拝
昭和37年(1962年)明仁上皇(当時の皇太子)及び上皇后美智子(当時の皇太子妃)参拝
皇族の参拝は9回にも及んでいる






撮影 令和5年5月27日
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雁回山 長寿寺 <通称:木原不動尊>(熊本県熊本市南区富合町木原2040)

2023年08月18日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月26日

島原半島から熊本港まで九商フェリーを利用した
6m未満の車両で5000円弱の運賃、約1時間の船旅を楽しんだ

雁回山 長寿寺 <通称:木原不動尊>
天台宗に属する比叡山延暦寺の末寺
熊本市南区富合町木原にあるため、「木原不動尊」の通称で親しまれている
成田山新勝寺(成田不動尊)、目黒区の瀧泉寺(目黒不動尊)と並ぶ日本三大不動尊の1つである



仁王門



仁王像
仁王像シリーズを投稿しているが、腹部が強調された面白い写真になった



表情も独特である



正面には柵があるが横には何もないのも珍しい



仁王像は筋骨隆々とした恐い姿を想像するが、人の良い中年の小太りのオッサンのような感じがする



鐘楼






観音堂



堂内



中央に「十一面観世音菩薩」



向かって右に「源為朝公」
平治の乱で平清盛に敗れる源義朝の弟で、源頼朝、源義経の叔父にあたる
乱暴者で勘当され九州の豊後国に追放された
九州では、鎮西八郎と名乗り、在地の豪族たちと合戦をし3年で九州を平定したといわれている



左に「十一面観世音菩薩立像」



手水舎



本堂
延暦年中(782~806年)伝教大師最澄の開基と伝えられる



鎮西八郎為朝こと源為朝が木原山の要害に城館を築き、鬼門の方角に当るこの寺の不動尊を深く信仰したという
文治年間には、源頼朝が堂宇を再興、祈願所とした
関ヶ原の戦いで小西行長が敗れた後は、行長の所領を引き継いだ加藤清正によって再興された



彫刻



奉納額
扁額には山号の「雁回山(がんかいざん)」
宇土藩第5代藩主・細川興文(月翁)の揮毫
源為朝が、自慢の弓で山上を飛ぶ雁を射落としていたので、雁が山を迂回して飛ぶようになったとの伝説による



本堂内部
本尊:不動明王立像<水引不動>(最澄が一刀三礼して刻んだと伝えられる)
像の胎内には最澄真筆の法華経寿量品が奉蔵されているという



左右に置かれている仏像






縁起



「火渡り」と「湯立て」(2月28日春季大祭)
自宅に戻り動画を検索して見てみた






宝篋印塔(ほうきょういんとう)
肥後の三筆ともいわれている、豪潮律師によって建立された






伝教大師堂






本堂外観






多分初めて見る植物だと思うが……






撮影 令和5年5月26日
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島原城 その2(長崎県島原市城内1丁目1183-1)

2023年08月17日 | 
訪問日 令和5年5月26日

島原城 その2
昭和39年(1964年)に天守が復元され、キリシタン資料・藩政時代の資料を展示する歴史資料館になっている
入館料:550円 写真撮影ができることを確認し入館する






1階 キリシタン展



島原城下絵図



キリスト教が島原へ伝わる
フランシスコ・ザビエルによって日本にもたらされたキリスト教は九州西部や東部に浸透
永禄6年(1563年)には島原半島にも伝わった












石像マリア観音







キリシタン火鉢
花十字模様がデザインされている



隠しマリア聖像
マリア聖像が描かれているというが……






影踏・踏絵
島原藩では「板踏」とともに「箱踏」といって穴を開けた箱に聖画像を入れた道具も利用していた

「箱踏」は島原藩オリジナル



「踏絵(レプリカ)」



鬼子母神に仮託された聖母子像



天草びな



島原の乱大手門の戦い



天草軍記
島原の乱では、天草四郎が3万もの一揆農民をまとめた



2階 郷土資料展
有馬、松倉、高力氏とめまぐるしく領主が変わったが、松平忠房が入国してからは200年近く安定した統治が続いた
領民の人心も安定し、文化や経済が発達する



人体解剖図
シーボルトに学んだ西洋科学の知識を元に、解剖を実行して記録したもの









「山水図」第七代藩主 松平忠馮 筆



島原藩印



3階 民族展
庶民生活上の文物を展示



島原地方の焼き物


















象と京美人



精霊流し
盆前に逝去した人の遺族が故人の霊を弔うために毎年8月15日に行われる伝統行事



5階 天守閣・展望所
天守閣からの眺め






島原半島を訪れたのは遠くに見える「雲仙普賢岳」を見たかったのもある



係の人の話ではここ数日天気が悪く、今日は久し振りに良く見えているとのこと



200mmの望遠レンズで撮ったものを拡大してみた
1991年6月3日に発生した大規模火砕流では43人が死亡
6月3日は犠牲者の追悼と災害の教訓を後世に伝えていくために「いのりの日」を実施している



悲劇のヒーロー・天草四郎がお見送りしてくれる



島原城御馬見所(国登録有形文化財)






撮影 令和5年5月26日
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島原城 その1(長崎県島原市城内1丁目1183-1)

2023年08月16日 | 
訪問日 令和5年5月26日

島原城
島原城は元和4年(1618年)から、松倉豊後守重政が約7年の歳月をかけて築いた
五層天守閣を中核に、大小の櫓を要所に配置した、安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城だった



寛永14年~15年(1637年~1638年) 初代 松倉重政、2代勝家の圧政により島原の乱が起こる
勝家は領内を騒乱に導いた責により斬首。松倉氏は改易となる
明治9年(1876年)廃城令により 天守以下建造物が破却される
昭和39年(1964年)天守復元。キリシタン資料・藩政時代の資料を展示する歴史資料館となる



景華園遺跡の支石墓撑石(島原市指定文化財)



弥生時代から鎌倉時代に至る約1500年の長期にわたる住居跡、墓域跡だったと推定される
この撑石(しょうせき)の重量は18.4t



初めて訪れる城で、周辺を歩きながら撮る






城の周辺は駐車場になっている



RVパークsmart島原城
事前予約が必要だが車中泊用のスペースもあった



15時~翌12時まで利用でき、設置されたAC電源を使用することができる
料金は1泊4000円(税込)



民具資料館(丑寅の櫓)



西の櫓



西望記念館(巽の櫓)



お城の鐘



彫刻家 北村西望 作品
長崎市の平和公園にそびえる「平和祈念像」の作者でもある
城の周辺に展示されている作品を撮ってみた

若き日の織田信長
ー力強く、たくましく、自由奔放ー



天草四郎
ー信念に燃える凛々しい姿ー









浦島
ー西望の浦島は戦後、力強く新たに生き抜く若者ー



狛犬
ーどの狛犬も表情や尾の形が異なるー



日蓮上人
ー辻説法の姿ー









獅子咆吼






人類の危機
ー平和を脅かす争い事に警告を発しているー






聖観世音菩薩
ー人類平和への祈願の精神が込められているー









聖火
ー東京オリンピック開催にちなんで制作ー



自由の女神
ー精神性の表現を主としたポーズー



青空無限
ー大正期の力感溢れる男性ー






北村西望87歳時の胸像






次回に続く

撮影 令和5年5月26日
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