マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

マクロスやロボット大好きなブログです。二次創作などを主にやります。

公式ではなく非公式です。

キャラアバター ゼントラーディ軍直衛艦隊

2018-01-29 23:20:34 | 日記




【作品名】ミリア・ファリーナと同じ遺伝子組



【作品名】ゼントラーディ人のクールっ娘メフィアさん



【作品名】人格変化フェアリさん



【作品名】お母様



【作品名】ミツルさん

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アバター作成戦国姫 第1期

2018-01-29 17:45:22 | 日記


貞姫




亀姫



北条夫人



瀬名姫



望月千代女



愛姫


義姫



阿南姫
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北条夫人

2018-01-29 15:41:06 | 戦国武将・戦国姫図鑑
北条夫人
【氏族】
北条氏
【生没】
1564年ー1582年
【父親】
北条氏康
【母親】
松田殿
【兄弟】
北条新九郎
北条氏政
北条氏照(大石定久養子)
北条氏邦(藤田康邦養子)
北条氏規
北条氏忠(佐野宗綱養子)
北条三郎(上杉謙信養子、上杉景虎)
北条氏光
浄光院殿(足利義氏室)
七曲殿(北条氏繁室)
長林院殿(太田氏資室)
蔵春院殿(今川氏真室)
尾崎殿(千葉親胤室)
種徳寺殿(小笠原康広室)
菊姫(里見義頼継室)
娘(千葉利胤室)
【旦那】
武田勝頼
【子息】
武田勝親
貞姫(宮原義久室)
【解説】
北条氏康の6女として生まれる。
今川義元が討たれ、姉早川殿が嫁いでいる今川家に武田信玄が攻撃。
これのより甲駿相三国同盟が崩壊。
兄氏政に嫁いでいた信玄の娘黄梅院が返還されるなど関係が険悪化した。
10年後、なんとか関係は改善されるが婚姻としての結婚はなかった。

そんな時、武田勝頼は美濃国の国衆である遠山直廉の娘で織田信長の養女・竜勝院が死没した。
そして信玄没後に起こった長篠の戦いで大敗した武田勝頼は、外交強化すべく。
本格的に婚姻同盟を結ぶ気になり。
北条夫人が勝頼正室になる。

だけど、上杉謙信没後跡目を巡って夫人の兄弟上杉景虎と謙信の甥上杉景勝が争う御館の乱が発生。
勝頼も当初は、夫人の実兄北条氏政の要請もあり上杉景虎を支持していたが。
勝頼が菊姫を景勝に嫁がせ、甲越同盟を結び、乱に敗れた景虎が自害に追いやられたことで甲相同盟の破綻を招く。

甲越同盟は軍事同盟として役に立たず、木曽義昌の造反から始まる甲州征伐では。
勝頼のために武田家の安泰を願い、武田八幡宮に願文を奉納している。
逆臣を糾弾し、それを呪詛するが勝頼の加護を祈っている。

岩殿城に勝頼と信勝と共に逃れるが、小山田信茂の裏切りにより自害に追い込まれる。
享年19歳
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亀姫

2018-01-29 15:12:31 | 戦国武将・戦国姫図鑑
亀姫
【氏族】
徳川氏
【生没】
1560年ー1625年
【父親】
徳川家康
【母親】
瀬名姫
【兄弟】
松平信康(母:築山殿)
結城秀康(母:小督局)
徳川秀忠(母:西郷局)
松平忠吉(母:西郷局)
武田信吉(母:下山殿)
松平忠輝(母:茶阿局)
松平松千代(母:茶阿局)
平岩仙千代(母:お亀)
徳川義直(母:お亀)
徳川頼宣(母:お万)
徳川頼房(母:お万)
二女・督姫(母:西郡局) - 北条氏直室のちに池田輝政室
三女・振姫(母:お竹) - 蒲生秀行・浅野長晟室
四女・松姫(母:お久)
五女・市姫(母:お梶)
【旦那】
奥平信昌
【子息】
奥平家昌
松平家治
奥平忠政
松平忠明)
1女(大久保忠常室)
【解説】
徳川家康と瀬名姫の長女として生まれる。
長篠の戦いで落城せず奮戦した奥平信昌の恩賞として、正室として嫁ぐ。
信昌は亀以外の側室を置かず4人の息子と娘を全部一人で出産している。
信昌と子の相次ぐ死を受けて孫の後見人を務め。
66歳で亡くなるが、家康の娘としては最後の生存者で。
4人いた妹は全員、亀姫が亡くなるまでにこの世を去っている。

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瀬名姫/築山御前

2018-01-29 14:49:52 | 戦国武将・戦国姫図鑑
瀬名姫
【氏族】
関口氏(今川氏)
【生没】
不明ー1579年
【父親】
関口親永
【母親】
今川義元妹
【兄弟】
関口正長
関口道秀、
大谷元秀室
【旦那】
徳川家康
【子供】
徳川信康
亀姫
【解説】
関口親永の娘として生まれる。
叔父に今川義元がいる。
1557年に松平元康と結婚し、2年後に信康と翌年に亀姫を産む。
桶狭間の戦いで義元が織田信長に討たれると夫は独立し。
命の危機に陥るが、鵜殿氏長・鵜殿氏次と家康の異父弟松平康俊で夫家康の元に戻るが。
康俊が今川滅亡後、武田信玄により甲斐に送られ。
家康の手配で脱出する際に両足の指を凍傷で失ってしまい。
家康と康俊の母於大の方から恨まれる。
息子の信康と織田信長の長女・徳姫が9歳同士で結婚し、瀬名は息子がいる岡崎城に留まる。
信康と徳姫夫婦には登久姫と熊姫が生まれるが、後継ぎの男子を産まず。
焦りからか元武田家家臣浅原昌時の娘および日向時昌の娘など側室に迎えさせるが。
徳姫に恨まれ父信長に武田に内通しているとして報告し。
信長は家康に信康と瀬名の殺害を命じている。

その結果

岡本時仲と野中重政により殺害、検使役は石川義房が務めた。
一方の、信康は9月15日に二俣城で切腹した。
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ミニキャラアイコン作成サイトで作る マイキャラ2

2018-01-29 14:03:06 | 日記


【名前】愛姫
【追記】伊達政宗正室



【名前】望月千代女
【追記】武田の忍び



【名前】カズマ・オダ
【種族】地球人



【名前】キチョウ・サイトウ
【種族】地球人



【名前】伊賀の初芽
【種族】地球人



【名前】トリィ・ティプ(AIB)
【種族】ピット星人
【出典】ウルトラマンジード



【名前】トリィ・ティプ(侵略者)
【種族】ピット星人
【出典】ウルトラマンジード
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望月千代女

2018-01-29 12:57:55 | 戦国武将・戦国姫図鑑
望月千代女
【生没】
不明
【氏族】
甲賀望月氏
【旦那】
望月盛時?
【子息】
望月信雅?
望月新六?
【解説】
清和天皇第4皇子の貞保親王の末裔で、信濃豪族望月氏の一族で。
平将門の乱で武功があったとされる望月三郎兼家から分かれ甲賀忍者の家系になった甲賀望月氏の娘。
甲賀望月氏は甲賀五十三家の一つに数えられる。
本家に当たる望月盛時に嫁ぎ、戦死後武田信玄の命令で歩き巫女頭になったという。
戦乱の世により家族が死に孤児になったり、貧しさから捨て子となった少女達数百人を集め。
歩き巫女を育成したと言われる。
相手が男性だった時の為に色香で男を惑わし情報収集する訓練を行っていたらしい。

これらの説は1930年に発売された中山太郎の『日本巫女史』が初出であり。
実在に関してはさまざまな説があり、実在が疑われている。

ただ歩き巫女は千代女に関わらずとも存在しており。
いろいろと回るので、誰にも怪しまれずに諜報活動できる要素はあり。
戦国大名が諜報に活用していないとは言い切れない。
果たして詳細はいかに?


【本ブログで扱う千代女】


(前世と後世の比較 前世.歩き巫女として潜入時.後世、非常事態勤務待機時)

本作で扱う望月千代の生まれ変わり望月千代女は重野なおき先生の望月千代女に順じている。
彼女の戦国時代の活動は信長の忍びの流れと同じであるが、細部は異なっており。
平行世界の同一人物と言う扱いになっている。



望月千代女(信長の忍びアナザールート版)
【氏族】
信濃望月氏
【生没】
1549年ー1575年
【父親】
望月盛時
【母親】
甲賀千代女
【兄弟】
望月信雅
望月新六
望月盛綱
【親族】
望月忠綱(兄盛綱の子)
初芽局(兄盛綱の子、徳川配下伊賀忍者.石田三成の監視等の任務担当.江戸幕府成立後、伊賀組に所属。)
【解説】
望月盛時と甲賀千代女の間に生まれた末娘。
幼い頃に、母甲賀千代女に忍者として育てられ母と同じ千代女と言う名が与えられる。
武田家に預けられ武田信玄の命令より諏訪四郎勝頼の監視役として仕える。
母が亡くなり、歩き巫女頭に任ぜられる。
数々の功績をあげるが・・・三方ヶ原の戦いで千鳥に武田軍が泥を塗られる事態になると。
千鳥に対し激しい憎悪を燃やし、潜入時に戦い。
捕らえると、思わず目を隠すような拷問をする。
脱走されると以後、見つけ出して殺すまでに狙うようになる。
長篠の戦いで千鳥と戦い傷を負わされ、満身創痍で本陣に戻るが道中織田家配下忍び楓に止めを刺され戦死。
死ぬまで、千鳥
死後、数百年が経ち彼女の生まれ変わり望月千代がいるが。
千鳥の生まれ変わりに関する復讐の大部分は忘れられているようである。
椎茸嫌いとワンマンアーミータイプスタイルなど受け継がれている。


甥忠綱は旗本になり、姪初芽は家康に伊賀組預けられ石田三成を監視している。
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愛姫

2018-01-29 11:12:53 | 戦国武将・戦国姫図鑑
愛姫
【生没】
【父親】
田村清顕
【母親】
於北(相馬顕胤の娘)
【旦那】
伊達政宗
【子供】
五郎八姫(松平忠輝室)
伊達忠宗(仙台藩2代藩主)
伊達宗綱
伊達竹松丸
【解説】
田村清顕の一人娘として生まれる。
名前の由来は愛らしいに由来するらしく。
東北では可愛らしいをめんこいと呼び、めんこい姫と呼ばれていたのが。
愛姫と呼ばれるようになり、別の呼び方では義母である義姫と同じになる。
12歳で伊達政宗に嫁ぐ事になる。
政宗とは又従兄弟の関係にある。
しかし政宗自身に毒殺事件が起こり。
政宗が田村家が送り込んだ内通者だと思い、乳母を始め愛姫付きの侍女を処断した事から夫婦仲はこの頃良くなかった。
その後、夫婦仲は改善されたようで。
京都聚楽第の伊達屋敷に移ると、長女五郎八姫(松平忠輝室)を出産した。
それから仙台藩2代藩主となる忠宗を始め宗綱・竹松丸と、政宗との間に計4人の子宝に恵まれる。
後に後継者を定めで忠宗に決まる事になる。
その一方で、先に生まれた秀宗は事実上の廃嫡され政宗と関係悪化する事になるのだが。

愛姫は伊達家の外交官的役割を持っており、ある時に政宗に


天下はいまだ定まっておりませぬ。殿は天地の大義に従って去就をお決め下さりませ。私の身はお案じなさいますな。匕首を常に懐に持っております。誓って辱めは受けませぬ

と言う書状を送っており。
娘婿で徳川家康の6男松平忠輝の高田城築城中の政宗に春秋の季節感や天然自然の草木、花鳥風月について、仏教の無常感を表した書状を送っている。
政宗の死後に出家し、1653年に86歳の長寿で亡くなる。

死後、奥州仕置きで改易され一族を出て片倉姓を名乗った田村宗顕に代わり
孫で忠宗の子宗良が田村家を相続し、一関藩主となり。
明治維新後は子爵に任ぜられる。(~1945年の大日本帝国憲法下)
本来の田村家の一族で片倉姓を名乗った一族の方は、子孫にイラク戦争時の外交官片倉邦雄がいる。

【先祖】
征夷大将軍坂上田村麻呂が先祖で有名だが、坂上氏は中国系の渡来人で。
遡ると後漢王朝霊帝に繋がれるとされる。

【エピソード】
伊達政宗は晩年期、愛姫の見舞いや世話を断っている。
理由は、死に近づく自分の姿を見せるわけにはいかないと言う理由から。
最終的に政宗は愛姫に会う事なく、死んでいくが。
恨みはせず、政宗の片目像と政宗の命日と同じ日に死ねる事を祈った。
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義姫

2018-01-29 10:50:59 | 戦国武将・戦国姫図鑑
義姫
【生没】
1548年ー1623年
【父親】
最上義守
【母親】
小野少将
【兄妹】
最上義光
中野義時
長瀞義保
楯岡光直
鮎貝忠旨の妻。
厳松院 (白岩広教妻)
【旦那】
伊達輝宗
【子息】
伊達政宗
千子姫
女子
【解説】
出羽寒冷最上義守の娘として出羽国山形城に生まれる。
義姫は兄の義光とは仲が良く、両者の間で手紙のやり取りをする程であり。
特に義光は義姫を可愛がった。
1564年に最上氏と対立していた奥州管領伊達輝宗に嫁ぐ。
19歳で政宗を産み、政道と二人の娘(残念ながら早世)を産む。
政宗を可愛がっていたが、疱瘡で右目を失うと疎み次男政道を溺愛するようになる。
上山城主・上山満兼が輝宗と連合し兄・義光を攻める。
伊達軍側は強力で義光は不利な状況に陥った。兄の危険を察した義姫は駕籠で陣中を突っ切り輝宗に抗議をし撤兵を決断させる。
政宗が伊達家の家督を継ぐが、周辺勢力潰しを開始し。
そうした中で、輝宗が二本松義継に殺され未亡人となった。
この死に、隠居したといえど影響力のある輝宗を疎んじた政宗が謀殺したのではないかと疑い政宗に関して不信感を抱いた。
そればかりか、政宗がどんどん周辺勢力を攻撃し。
最上家とは遠縁にあたる塩松氏や最上家の本家にあたる大崎氏に攻め込み、彼女に不快感を抱かせた。
無論.義光も政宗に警戒を強め、自らも庄内侵攻を開始し伊達・最上間の対立もより深刻化していった。
子政宗と兄義光の行動により、彼女の伊達家中での立場を悪化させ居場所を亡くしていき。
次第に孤独を感じ始めるようになる。
大崎合戦で、政宗が義光によって包囲され危機的な状況に陥った。
このような状況において、息子を見捨てるわけにはいかず義姫が戦場に輿で乗り込み両軍の停戦を促した。
義光は和睦は屈辱であると感じたが、大事な妹の頼みを断ることができなかった。
2ヶ月20日間の休戦の後に両者は和睦している。
義光は伊達・大崎間の調停に努めるが、伊達側は最上側に不信を抱き進展しなかった。
義光が義姫に間を取り持つよう哀願した書状を何度か送る。
これは義姫が兄から信頼され、かつ孤立化していたとは言え伊達家において発言権を持っている事を示している。
政宗が豊臣秀吉の小田原征伐に参陣する寸前に、義姫自身が毒入りの膳を政宗に差し出す事件が発生した。
政宗は毒を口にしたが、解毒剤のおかげで難を逃れたが。
政宗は激怒し、この件により母子の対立は頂点に達し弟政道を自ら斬殺した。
ただしこれは俗説とも言え、詳細は不明とされるのが定説である。
その後、義姫は伊達家に留まり母子は親しく文の遣り取りをしていた。
朝鮮で従軍中の政宗へ、現金三両と和歌を添付した手紙を届け政宗はこの書状に感激。
母への返礼の進物を探し回り、朝鮮木綿を入手すると書状と共に送った。
政宗の養育係を務め忠臣片倉小十郎景綱の姉で愛姫付きだった片倉喜多が蟄居を申付けられた。
この頃になり、義姫が岩出山から出奔して山形の最上家に戻ったとある。
義姫のいる、岩出山の留守をあずかる屋代景頼が上洛したその留守中のこと。
関ケ原の戦い東北戦線の慶長出羽合戦が勃発する。
政宗は最上義光より援軍を請われ、義姫も政宗に援軍を急かす書状を送った。
それに対し片倉景綱は政宗に、最上勢と敵軍が疲弊するのを傍観して待つよう進言した。

だけど、母の安否を気遣った彼はその言を退け援軍を派遣した。
とは言え、傍観する一方であったが。
戦後、東軍が大勝利し義姫は政宗と援軍で政宗の伯父留守政景に対して感謝の書状を送った。
兄義光の死後、最上家中がすっかり様変わりしたと嘆いていたという。
その後の最上騒動により最上氏が改易されると、義姫は行き場を完全に失う。
最後の望みと政宗を頼り、居城・仙台城に入り落飾した。
この頃の義姫は目と脚が悪くなっていたが、この時になり完全に息子と和解しており大切に保護された。
それでも江戸にいる政宗の正室愛姫に手製の下げ袋を贈り感激させている。
享年76年。

【余談】
確かに義姫は政宗を中々素直に認める事が出来ず、冷遇したが。
息子政宗も孫で宇和島藩主伊達秀宗と同等な結果になった事だから。
やはり親子かと言う見方が出来る。
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阿南姫(おなみひめ)

2018-01-29 10:21:32 | 戦国武将・戦国姫図鑑
阿南姫
【氏族】
伊達氏
【生没】
1541年ー1602年
【父親】
伊達晴宗
【母親】
久保姫
【兄妹】
岩城親隆
伊達輝宗
女子(伊達実元室)
女子(小梁川盛宗室)
留守政景
石川昭光
彦姫(蘆名盛隆室)
女子(佐竹義重室。宝寿院)
国分盛重
杉目直宗
【旦那】
二階堂盛義
【子供】
蘆名盛隆
二階堂行親
【解説】
伊達晴宗と久保姫との間に生まれた長女。
独眼竜と恐れられる伊達政宗は弟輝宗の子供であり、阿南から見れば甥。
須賀川城城主二階堂照行の嫡男盛義に嫁ぐ。
夫盛義が蘆名盛氏に追従すると、子盛隆が人質になるが・・・・・
盛氏の子蘆名盛興が子なく亡くなり、蘆名氏の当主になる。
夫が病死し次男行親が相続するも亡くなり阿南が須賀川城主に須田盛秀が実質的な城代になる事になる。
蘆名盛隆が大庭三左衛門に恨まれ暗殺される。
その後、実家で甥伊達藤次郎政宗が率いる伊達家と対立し。
蘆名・相馬連合軍の一員として郡山合戦に派兵する。
摺上原の戦いにおいて甥の伊達政宗により妹で義娘である彦姫が嫁いだ蘆名氏が滅亡する。
それ以降、政宗から幾度となく降伏を薦められたが阿南はこれを頑強に拒否。
佐竹氏・岩城氏の援兵とともに防戦した。
しかし、一族保土原行藤の内応と政宗の猛攻により壮絶な戦いの末須賀川城は落城。
阿南は助け出され、政宗により信夫郡杉目に移され厚く遇された。
阿南はこの待遇を嫌い、甥の岩城常隆を頼って赴いた。
常隆が死去すると、甥佐竹義宣の下へ身を寄せた。
関ケ原の戦いの影響で.佐竹家の転封に伴い出羽国に赴く途中、須賀川付近で病に罹り死去。
墓所は須賀川の長禄寺。
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