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設計とデザインのチカラで
暮らしの空間を上質に整えてみませんか?
やまぐち建築設計室ホームページ
※橿原神宮・織田家旧柳本藩邸の表向御殿を移築、復元した文華殿
皆さんは何の為に家を建てるのですか?
それは大事な部分・・・・・。
家づくりの全てのゴールに繋がる根本。
家を建てるのが目的ですか?
それとも家を建てる事によって
得る事の出来る「何か」ですか?。
文学に触れる時間は建築をやっているから
という訳では無くて「普段から」思考の鱗片に
それらが損愛する事でデザインとして
反映する事の出来る奥行が存在しますよね・・・・。
※橿原神宮・織田家旧柳本藩邸の表向御殿を移築、復元した文華殿
そもそも何故、
目下の令和の状況下、
ボーダレス化が進む国際社会の中で
谷崎潤一郎みたく明治生まれの、
古典と化した作家の随筆に拘るのか?
という自身への問いもあるのですが
とある住まい手さんとお話しをしてたこともあったので
少しその辺の思考を・・・・・。
そもそも、西洋建築史の
モダニズム(近代主義建築)の延長上にある、
現在の建築を学ぶためにも
先ずその広義での「近代」の概念が生まれた、
ルネッサンス期の建築を勉強せねば。
で・・・結局何が身に付いたか?
といえば歴史ディレッタントまがいの、
広範浅薄な「本箱知識」だけでした。
現在で言うと「ネット」の情報の都合のいい部分を
鵜呑みにするようなイメージですかね。
ネットで知った情報だけが
自分にとって正しい情報というか・・・・・。
古代から20世紀初頭までの
膨大な数の建築の成り立ちを
自身のデザインに植え込もうと考えていた頃は
西洋建築史の基礎を勉強していたことは
少なからず役に立ちました。
古典主義とロマン主義との相克という、
西欧独自の二項対立の概念から捉える、
という建築や美術の見方の基礎を
西洋建築史から学んでいたために
知らず見方が身についていたのですが・・・・・・。
やがて建築家として事務所を独立して
アトリエを開設、
変な意味でいうと正直良く分からないままのスタート。
色々な設計の仕事をしていて
実務を積み上げていくうちに
技術的なことは蓄積してゆく一方、
自身の方向性が漠然と見いだせないまま
ポツリ、ポツリとデザインを問われる
そんな仕事が舞い込んできました・・・・・。
でも・その頃はまだ自身のスタンスが特に無くても
設計の仕事は不思議と進められるので
割り切れば特に困らないのですが
住まい手さんからデザインはお任せいたします。
と云われた途端、
実は往生してしまうのです。
12年、13年前の話しですけど・・・・・・。
和の雰囲気を求める、
そのようなイメージでの暮らしを考える
住まい手さんが偶然たて続けに現われ
次々と竣工すると、
またそれを見た別の方が同じような内容の依頼をされる、
という循環が、生まれ始めました。
多分・・・・初期の段階で「ボックス型」の
ホワイト建築の依頼が続いていたら、
多分そういう設計が得意な人になっていたかと思います。
他者の実作を調べたり
古い社寺建築を観て廻ったりしているうちに
日本建築史が専門でもなかったのに
知識や見方は自然と身についてゆきます。
そしてハッと気づけば和風、
若しくは和モダンが得意、
というカテゴリーの中に自身が納まってしまっていた、
という訳です。
でもそこには「デザイン」だけではなくて
生活者の視線として「暮らし」も社会の中に
身を置き体験する事で暮らしの事実を「建築」に
反映する技術も・・・・・。
建築は文学と同じように
自身のアイデンティティを何処に据えるか、
此れが非常に大事な問題になります。
先天性のある天才は別ですが
凡人は自らの居場所を
自身で決めないといけないのです。
テクノロジーとは全く別次元の話しですよ。
空間をイメージする触媒、
の意識であり思考の部分です。
それがないと、アレもコレも器用に出来るけど
ただの「便利屋」的な「イエスマン」的な設計士で
終わることになります。
それが良いのか悪いのかは「相手次第」という事も有り
正解は分かりませんが・・・・・・・。
建築家としてはある種の「オールラウンダー」で
ありつつも
自身の美意識が那辺に在るかを突き詰め
頭を絞って考える必要が有り
単なる知識の寄せ集めるだけでは
ほとんど解決出来ないので
自身の源泉を辿る
地道な作業を自らに強制的に課さないことには
アイデンティティを見付ける、
なんてことは容易には出来ないのです。
極論ですが、
いったい自分は何のために生まれてきたのか、
という哲学的な問いにまで究極行き着きます。
それには文学しかありません。
そうした時、
学生時代に何度も読んだハズの「陰翳礼賛」に。
内容は確かに古いのですが
本質のみを「篩」に掛けて抽出すれば
読むほどに得心することばかり。
昔、何度か読んだはずが、
いったい全体、
何処を分かったつもりだったのだろうと
恥ずかしくなるくらい、
彼の言葉が新鮮に魂に突き刺さってゆきます。
昔、建築家の安藤忠雄さんが、
幸田露伴「五重塔」をたとえ話しとして
持ち出していましたが
そういう読み物にによる「気付き」においても「それ」は
蓄積されていくものだと思いますよ・・・・・・。
長年掛けて、実務を或る程度、
積んだ挙句に朧げながら考えていた思考と
奇しくもシンクロしていたことに
ハッと気付いたりもします・・・・・。
こういう時って、凄く嬉しいものです。
急激な西欧化で急速に喪われつつあった、
江戸情緒を何とか復活させようとの強い意志を以って、
敢えて日本文化論として
彼が世に問うた文章かと思います。
作家としての生活に入り
既に自己のスタイルが確立していた時期、
草創から四半世紀後に書き上げた論であり
耽美主義の究極の傑作「春琴抄」を著した時期と
ちょうど重なります。
小説の時代背景は明治の中・後期。
まだまだ江戸時代から引き継いだ、
日本伝統の美意識や
価値観が濃厚に残っていた時代です。
戦後の日本は谷崎氏の生きた時代よりも更に
グローバリズム化が進み、
W・G・I・P、すなわち
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの、
目論見通り、
戦後の長いながい時間を掛けて、
既に偏向しきった内容を通して
ある種の日本文化は次第に解体されてゆきます。
日本的情緒な時間の有意義性。
新コロナとポストコロナのパラダイムシフトの今
「古き佳き日本」の位置の見直して
過去に戻る訳ではありませんが
谷崎氏の思想の底流にある、
価値体系こそ見直すべきと捉えるのも
これからの暮らし方、
家での過ごし方を考えるヒントが
詰まっているのかも知れませんね・・・・・。
古色蒼然たる随筆を半世紀ぶりに、
古い文庫本も合わせて
本棚の奥から引っ張り出し
家で過ごす時間の価値を含めて
これからの生活の思想を
根本から考え直してみようという気持ちで
大急ぎで読み直してみた、
という次第です・・・・・・。
結果、これ迄の長年の設計活動を通して
積み上げてきたきた設計スタンスとの
近親性を改めて確認する作業となり、
自身の思考を補強する「テキスト」
にもなっている事を
再発見したという訳です・・・・・。
閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、
眼に青空や青葉の色を見ることの出来る日本の厠ほど、
恰好な場所はあるまい・・・・・・。
諸君はまたそう云う大きな建物の、
奥の奥の部屋へ行くと、
もう全く外の光が届かなくなった
暗がりの中に有る金襖や金屏風が
幾間を隔てた遠い遠い庭の明かりの穂先を捉えて、
ぽうっと夢のように照り返しているのを
見たことは無いか?。
その照り返しは、
夕暮れの地平線のように、
あたりの闇へ実に弱弱しい金色の明かりを
投げているのであるが、
私は黄金というものが
あれほど沈痛な美しさを見せると時は無いと思う。
沈痛な美しさって、
なんて耽美的なのだろうかと思うと同時に
此れこそが日本の美意識の根幹だと思います。
そんな想いを暮らしの空間に
生活の基盤に程よく埋め込むように
ある種の「パッセージ」は
今後・・・住まいという居所を
どのようにデザインするべきかの意味を問う
そんな作業であり時間であり。
なぜ自身でいま「陰翳礼賛」を読み直し
読み返すのか・・・・・。
デザインの奥行と提案で暮らし方を
意識してみませんか?
過ごす環境と
空間が生み出す意味を丁寧に。
良い意味での暮らしに影響がある
そんな場所にデザインして
設計で整えるように・・・・・。
暮らしの環境を紐解きながら
住まい手さんに見えていない
現実と理想のギャップを詰めながら
暮らしの「質的向上」をいつも提案中ですよ。
Produce Your Dream>>>>>
建て主目線+αの提案・・・・・。
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