日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

くだらない話でもなさそうな話(その7、医療)

2013-08-06 10:49:30 | Weblog
 医療訴訟に関しては、小児科では、実際に裁判沙汰になったケースは産科や脳外科と比べると、明らかに少ないと思われます。しかし、弁護士を通じての裁判にはならなかったものの、患者さん側とのトラブルは、子どもに関しては多いのではないかと思っています。特に、親御さんとそれを診るドクターが初めて顔を合わせる感じの救急の現場では・・・?!
 大きな病院では、小児科専門医が24時間365日、小児科に関する患者さんを全て診ること、可能かも知れませんが・・・私にしても、そんな医療を2年7カ月したことがありましたが・・・確かに、いい医療が出来たと思っていましたが、5人で5日に1回の当直では、体力的にいつかは疲労困憊状態になってしまいます。ドクターが集まる広い医局で、午後にコックリコックリして寝ている姿の殆どは、当直明けの小児科の先生でしたが・・・。
 救急をしている大きな病院では、時間外の医師として、内科系と外科系と小児科系との3本立てでしているケースが多いと思われます。本当に救急を要するケースは、小児科の場合は少ないと言われていますが、来院するケースは、救急病院では、他の科と比較して明らかに小児科が多いのです(当院でも、内科の半分余が小児科)。しかも、今の時代、不景気で昼間休んで医療機関に掛かることも出来ずに、仕事から帰って慌てて時間外に医療機関を受診というケースも多い訳で、それに、小さな子どもでは、深夜でも、医療費が無料のケースもありますから・・・。
 しかし、小児科医の資源は限られています。200床足らずの病院では、当直医が全てをしないといけないケースが多いのですが・・・内科の先生でも、小児科以外に、簡単な外科の処置や整形外科の処置などもせざるを得ないことも多く・・・整形外科の先生が、今まで診察もしたことのない小児をいきなり赴任してきた病院で、当直医として診ないといけないケースだってありましたし(しかも、当直明けに手術のケースも)。
 医療訴訟を恐れて専門外だからと言って断れば、当直医としては安泰なのでしょうが、土日などで医療機関が遠くにしかない場合は、それも難しい訳で・・・→一番大事なことは、診る医師自身が、自分の限界をそれなりに自覚しておくことで、守備範囲を広げてしまうと、思わぬトラブルに巻き込まれることになります(働き過ぎて体を壊しても、医療訴訟に巻き込まれてしまっても、そのドクターの責任になってしまっている今の風潮、ホントに納得し難いですが・・・)!
 小さな子どもさんを時間外に連れて来られたケースでは、親が高熱だけでもパニック状態になっていることもあるので、その対処の仕方で苦慮することも多くなっています。
 第一線では、例えば、生まれて3ヵ月以内の子どもの熱や乳幼児が腹痛で来院した場合、永くいろんな経験を積んだ小児科医であっても確信が持てないケースもしばしばあります。そんな場合、経過を診れば分かることが多いのですが・・・検査をバチッとするべきか、点滴だけして帰すべきかなど、しばしば迷っているのが現状です。それに親御さんからいかに有用な情報を仕入れるかが一番大切になります。いつも見ている親御さんが付いて来てないケースや、他医院での治療の仕方がよく分からなくて来ているケースもあります。
 いい医療は、やはり、患者さん側と医療側の協力で為し得るものです。又、医療には、不確かさがあり、後で分かることが多いのです(時に、最後まで分からなくて終わることもありますが・・・)。それに、治療や検査でも、危険を伴うこともある訳で、何かあれば医療側の責任となってしまうと、医療側も医療をするのをためらいがちにならざるを得ません。
 漢方にしても、副作用はありますし、腸重積症にしても、整復中に腸が破れることもありますし、レントゲンを撮っても、骨折などが写っていないこともありますし、溶連菌やインフルエンザやアデノウイルスの検査をしても、陽性なはずが陰性なことも現にあります。
 自分の健康管理は、医療機関に頼るのではなく、原則的には自己責任で管理し、何かの時には、医療機関と上手に付き合っていくことではないでしょうか。

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原爆の悲劇を繰り返すこと勿れ(その2)

2013-08-06 09:05:37 | Weblog
 「ガタン。」、私の体に大きなショックがあったのだろうか?何となく変だ。右の眼は全く見えない。左眼でボーッとかすかに何かが見える。私は何をしているのだろうか?ここは一体どこなのか?私は普段は、柔らかいベッドで寝ている筈なのに、今の背中の下は硬い。すぐに当番兵を呼んだ。寝ている私の足下に二人の兵がぼんやりと立っているのが見えた。オオ、俺は大負傷している。私の体は全身血まみれで、ハエが蜜蜂の様にブンブンとくっついていた。私は生きていた。足下に立っている二人の兵に、「早く連れて行ってくれ!」と声を掛けた。 
 とたんに兵は、「上官殿は生きているぞ!」と言い、頭の傍に立っている兵に、「どうしようか・・・」と言っている。私は、生きているので、病院か本隊に連れて行ってくれるものと思っていた。「どうしようか」とは、何事ぞ。「とぼけたことを何を言うのか」、この野郎何を考えているんだ。気力のない私は、頭を左に傾けた。
 3、40メートル先に、赤々と大きな火の固まりが燃え上がっている。4人の兵は、茫然として立っている。
 わかった!私を死体置き場に運搬中なのだ。今にも火の中に投げ込まれる寸前であった。「おう神様仏様、人間、生と死の間は、どちらを取っていいのでしょうか。私は、生を取りました。生と死は、わずか2、3分間で決まりました。
  直ちに伝令が船舶司令部に飛んだ。直ぐにトラックで迎えに来てもらい、やっとのことで医務室で治療を受けることになった。司令部に帰隊する途中の木造の家々は殆ど焼失し、市内は丸焼けと化している。
 私が失神して、死体置き場にほおり込まれ様としている間に、何百発かの爆弾と焼夷弾が投下されたのであろうか?余りにも無惨である。
 まてよ、私が引率していた部下はどうなっているのだろうか?市内は、焼け野原になっているが、部下達には、全員助かって欲しい。心配でならない。1名でも生きてくれ。誰に聞いても情報がない。皆無事であって欲しいと祈るばかりだ。
 医務室の軍医殿に聞いて唖然とした。爆弾は唯の一発で、見た事も聞いた事もない新型の爆弾であると知らされて信じられなかった。私は、兵器や爆弾の専門の学校である陸軍兵器学校の卒業生であるのに、どんな爆弾なのか、皆目見当が付かない。
 陸軍技術軍曹の近本は、馬鹿であった。軍医は陸軍病院に入院せよとのことであったが、既に病院が焼失してないので、自分の隊に帰ることとなった。
 兵舎の中は、被爆で負傷した民間の人達が収容されて一杯であった。まさか、私の個室だけはとドアを開けて見ると、3名の娘さんが独占して寝ているではないか。
 軍務中負傷して帰った私は、何処に寝たらいいのか、直ぐに当番兵を呼び、「俺は死んで帰って来ないと思ったのか!」、腹立ち紛れに思わずビンタを一つくらわせた瞬間、当番兵はワッと涙を飛ばしながら私に抱きついて来た。
 「無事で帰隊される事を一生懸命に祈り、お待ちしていたのであります。」
 私の胸に顔を付けてワイワイと泣く。思わず私は、金山一等兵の両手を握り締めて私も泣いた。私が一番かわいがっていた金山一等兵である。
 「お前、俺が生きて帰って来るのを待っていたのか!」
 涙、涙である。
 「俺の部下は何名帰っているか!」
 「約12、3名、負傷して帰って来られております。」
 「その次は!」
 「まだ、はっきりとわかっておりません。」
 「上官殿が帰って来られたので、自分は、一番嬉しいであります。」
 又、私の腹に抱きついて泣く。
 「全員帰隊しているか調べて来い、俺はどうなってもいいんだ!」
 「ハイ。」
 これも上官命令である。私にはそれしか言えない。そのあとの部下はどうなっているのか、1名でも多く帰隊して欲しい。
 ふと私の寝る上段の畳を見る。3人の娘さんは、上半身を起こして、目を丸くしてこの有様を見ているではないか。軍人同士のこのよりとり、被爆している娘さん、どうも済みません。頭半分白い包帯をしている私から追い出されるのではないかと恐ろしがっている様子である。いや、絶対にここから出しませんから、どうぞ、そのままごゆっくりしていて下さい。
 当番兵である金山一等兵は、内務の成績が良く、私が第一線抜で一等兵にしたのである。真面目であった。同室の娘さんの面倒もよく看てくれた。私の個室は狭かった。机・椅子のある板の間は広かったが、寝る上段の畳は3枚だけで、私も負傷したので早く横になりたかった。3人の娘さん達は、「ここに居てもいいですか?」と聞いてきたので、「ハイどうぞ。」と言った。被爆者はお互い様である。生まれて初めて娘さんの横に休む次第である。残留部下が見舞いに来た。私は苦しいやら眠たいやら。
 隣の右兵舎・左の兵舎がバタバタしている。収容された被爆者がどんどん死んで行き、そして、死体置き場に運ばれて行く。次は私であろうか?横にいる3人の娘さんであろうか?衛生兵の話では、直前まで元気だった被爆者が、バタバタと死んでいると。恐ろしいことを言うな!30分前に会っていた松井中尉は死んだとのこと。「近本軍曹、お互いに死んではいかんぞ!」と言い合って、見舞いに行った直後の通報であった。「原子爆弾とは一体何物や?!」
 兵舎内の被爆者はバタバタと仏様になって行く。そして、死体置き場に運ばれて行く。次は私・・・、無になろう、このベッドの上で死にたくない。
  ふと、隣に寝ている前田美代子を見る。美しい可愛い顔して、安らかに眠っている。この娘さんよりも自分の方が早く死ぬであろう。さらばと、そっと右手を握った。
 ぞくぞくと死体が運ばれて行く。次は私か。「潔く梢離れて散る桜」「何くそ、ベッドの上で死んでたまるか!」私は職業軍人である。
 突然、隣に寝ていた前田美代子が、「おばあちゃんに会いたい、お母ちゃんに会いたい、お父さん・・・」 何を言っているのか?!容体が変になっている。
 「オーイ、衛生兵、金山一等兵、すぐに来い!」この美代子は、おばあちゃん子であったのか、さっきまで私と話をしていたのに。驚いて前髪を撫で挙げ、両眼を見た。目の玉が変である。直ぐに手を握った。微かに反応があり、目が開いているが、目玉を真上を見ているだけで、私の顔を見てくれない。「オイ、美代子、どうしたんだ!」 美代子の身体を揺さぶる。反応がない。「美代子!」ひどく揺さぶる。死んでいる。私より何故先に死んだのか。この馬鹿。 
 私が手を握って泣いている時、衛生兵が来た。「死んでいます。」 「直ぐに運びます。」と言った。とたんに、隣の2人の娘さんは、ワァーと大声で泣き出した。 
 「おい、一寸待ってくれ。」 衛生兵は無表情な顔をして出て行った。
 この俺を誰だと思っているのか、この馬鹿野郎! 
 遂に来る時が来た。美代子とお別れか。可哀相に。直ぐに運び屋の兵が4名来た。筵(むしろ)と紐を持ってきている。無言で筵で美代子を巻こうとする。 
 「オイ、少し待ってくれ、後で呼ぶから。」 隣の2人の娘は、益々大きな声で泣き叫ぶ。
 「死体は、直ぐに梱包して、桟橋に着いている船艇に積みます。隊長殿からの命令であります。」
 「オオ、そうか、この部屋は俺のものである。俺の命令を聞け、後で当番兵が知らせに行く、帰れ!」 私を睨み付けて4名の兵は出て行った。
 さあ大変、これからどんな事になるだろうか、天皇陛下の命令に叛逆したのである。「殺すなら殺せ、どうせ近い内に、俺も死ぬ身だ!」 腹をくくった。
 横の兵舎の・左の兵舎・右の兵舎からは、死体がぞくぞくと船艇に運び込まれて行く。似の島に運搬されて、火葬されるのではなく、防空壕の中に山積みされて、その上から土を被せて永眠にするのである。遺骨の内、果たして何名がちゃんと身内の元に帰られるのであろうか?誰が誰だかわからないので、それは不可能に近い。死んだ美代子をこのまま似の島に送ったのでは、あばあちゃん、御両親の元に帰る事は出来ない。もし私が生ありて御両親に会うことが出来れば、そして、何時私の身が死することがあっても、肌身から離さずあの世で再会しよう。
 静かに眠る美代子の遺髪を切り取り、胸に付けていた名札を封筒の中に入れ、御両親の住所氏名を書いて貴重品袋の中に納めた。
4名の兵が美代子を梱包して、私の部屋を出ようとする。隣にいた娘さんは立ち上がって、益々甲高い声をあげて泣き出す。
「もう、泣くのは止めなさい、静かにして手を合わせて送んなさい。」と言って、私も手を合わせた。
 船艇は、死体を山程運んで、似の島に消えた行った。美代子よ、その他の亡くなった皆さん、静かに眠って下さい。

 一番憎いのは、何とも知れないあの(原子)爆弾1発である。

http://www.youtube.com/watch?v=ne86Mbvhy08

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