日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

くだらない話でもなさそうな話(その9、煩悩)

2013-08-08 09:07:21 | Weblog
 大分県のある(有名な)太鼓チームのリーダーが、「太鼓の曲が何とか苦労して出来た時、初めは・・・→今度は、今までにない感じの曲で、今ままでで一番受けそうないい曲になっている、受けるぞ・・・と思っていても、しばらくすると、たいしたことない、いつもとさほど変わっていない・・・と思ってしまう。どんなにいい曲が出来たと初めに思っていても、しばらく経つと、いつも満足出来ない、だんだんつまらい曲になってしまう・・・何故でしょうか?」と言われていましたが・・・。
 そうですね、人間って、ついつい何事にも慣れてしまう生き物なんでしょうね。電気が付くのが普通になり、戦争のない平和が普通になり、皆保険が普通になってしまいました。
 スポーツをするのに、お金を出してする時代になり、若い人でも、新車を持つ時代になっています(アメリカの若者の多くは、中古車が普通ですが・・・)。日本ほど、格差の少ない国は極めて少ないのですが(海外で、見ると、経済的なレベルが直ぐに分かるケースが大部分ですが?!)、日本人は、そう思っていない人の方が多い様で、又、幸せ感もさほど高くない状態です。
 何事も、いつも頂点にいる訳でなく、いつかは、どんなものも、次第に低下して来ます。じっとしている状態は、何事にもありません。
 生まれる時に、既に、死ぬ運命があり、この世でどう「自己実現して生きる」かは、人それぞれいろんな条件で違っています。
 いい大学に入ればと思って入学出来ても、実際は、五月病になったりしていますし(京都大学生に自殺が多いそうですが・・・)・・・いい会社に就職出来ても、しばらくすると、他の会社の方が良かったのではと思ったりしていますし(←高学歴でも、その頻度は、関係ない様で?!)・・・定年近くになって退職後のバラ色人生を考えていても、実際は、そうでなかったり・・・苦労して育てた子どもも、親が思っている方向に進んでいないケースが多かったりして・・・それに、両親の死や病気やお金の苦労が続くと、何の為に生きているのかって感じにもなってしまって・・・皆が皆、こんな感じではありませんが・・・→人間って、どこまで行っても、なかなか満足出来ないのでは・・・?!
 そんな中で、林修先生が言っている様に、「今でしょ!」って感じで、今をどう生き、どう考えるかが大切だと思っています。空海も言っています、自分の考え方で幸せにも不幸にもなってしまうと。
 この世は、「無」、物事に囚われてはいけませんね。身の丈に合わない欲がいつまでも覆いかぶさっていると、最後まで、苦しみますね。
 今を満足できない人は、この先も、満足できないのではないでしょうか?その瞬間瞬間の積み重ねが一生となります。何時死んでもいい様に生きるってこと、凡人にはなかなか出来ないことですが、せっかくこの世に生まれて来たのですから、出来るだけその心境に近づける様に、今後も、努力して行こうと思っています。

 8月の演奏予定は・・・→
佐伯では、8月12日(月)(鶴望園)、13日(火)(弥生の郷)、14日(水)(本庄の郷)、15日(木)(清流の郷)、それに、14日~16日まで、盆踊り太鼓となっています。
 天草では、8月9日(金)(きららの里の夏祭り)、31日(土)(松朗園)での演奏となっています。

http://www.syojoji.com/paper/name/ta/ta-4.html(←20年程前、開業している時に記載した内容ですが・・・)

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原爆の悲劇を繰り返すこと勿れ(その4)

2013-08-08 08:53:19 | Weblog
 ふと部下から起こされた。もう夜は明けていた。朝の5時半である。直ぐに火葬場を見る。あの赤くて燃えていた火は消えて、白い煙が静かに立ち登っている。場所を替えて、次の火葬の準備を部下に命じる。
 まてよ、防空壕の中で一緒に寝ていた被爆者の方達の様子はどうなっているのだろうか?皆横になってまだ寝ている様である。中に様子がおかしい方がいる。さてはと、一人一人の肩を揺さ振ってみる。4人程、反応がない。瞼を開けて目の玉を見る。瞳孔は開き切り、4人共、死んでいる。これ以上死なせたくない。1人でも助けたい。
 直ちに救助隊に伝令を飛ばす。昨夜、お互いに話をしたばかりなのに、火葬をするのが4人、突然に増して来た。可哀相に、又、涙が出て来た。
 10時頃であったろう。本隊に至急に帰隊せよとの伝令が自分に来た。何の要件かわからない。とっさに、負傷している私を休ませようとして、中野隊長殿が気を使われたのであろうか?その事であれば、私はまだ頑張るつもりであるが、命令とあれば、致し方ない。
 浅川兵長に後のことを宜しく頼み、兎に角、伝令と一緒に本隊に帰隊して驚いた。「海田市にある特別隊に編入転属を命ず。」被爆する前から、船舶司令部の名簿の中に私の名前は載っていたのである。
 急いで海田市にある特別隊に赴任する。遂に来た、沖縄決戦の名誉ある特別攻撃隊員である。それも幹部員である。
 船舶司令部の特別な秘密兵器である艇体は、総ベニヤ製にて長さ約6メートル、エンジンは貨物自動車エンジン60馬力、速度15ノット、艇3分の1先は、爆薬がぎっしり詰まり、先端には大きな信管が付いていて、所謂人間爆弾艇で、敵艦船手前500メートルで舵を固定し、搭乗者は、艇外の海中に飛び出し、艇だけが敵艦隊に体当たりして爆発する仕組みになっているが、敵の発見が早ければ、艇もろともに撃沈する恐れが大いにある。
 翌日より、敵艦船に突っ込みする特訓が始まった。遂に念願の原爆被害者の仇を取ることが出来る。500メートル手前で艇外に脱出しても、帰還の望みは先ずない。敵艦船のど真ん中に艇諸共に突っ込めば、私一人で見事に撃沈させることが出来る。最早決死の覚悟は出来ていた。
 いつ出撃なのか待機中である。今、8月15日の午後である。隊本部が急にざわめき出した。待ちに待った出撃出発かと歯を噛みしめて両拳を握った。
 どうも様子が変である。隊員達も頭を傾ける中、隊長が悲愴な顔をして全隊員集合を命じた。
 「・・・・・・、全隊員の諸君、戦争は終わった。ご苦労さんでした。」
 日本が勝ったのか、休戦になったのか、・・・ああ、日本は負けたのである。
 全隊員泣いている。隊長も泣いている。
 国の為に一生懸命に勉強して、陸軍兵器学校に入学し、卒業し、船舶司令部に配属され、過去4年半軍務につき、今正に特攻隊員として出撃瞬前に、終戦となってしまった。
 残念無念である。

http://www.youtube.com/watch?v=PW_kP5uwp7A

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