日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

還暦での挑戦(その23、日々新たなる発見)

2009-06-25 08:29:43 | Weblog
6月3日(水)
 シャネル校(中学校)で、6回クラスを代えてデモした。太鼓が3つもあると、全く違った感じになっている。半分は、自分のオンステージって感じで、半分は、上手な子をリーダーにして、子どもが主役って感じで進めたせいか、実に上手く行った感じだった。スライドも利用したし、比較言語学も話した。皆、楽しそうだった。自分も、楽しんだ。ここに来てやっと教えるコツが分かった感じだ。
 この学校に来て、日本語教師で、友好協会のウェンディーさんが入院していることをはっきりと知った。自分のことで、無理をされたのではと思って心配。経過はいいとのことで一安心。
 ずっと世話をしてくれる男の子と女の子がいて、昼食の時にも、一緒にずっと話してくれた。将来何になりたいですかと質問すると、二人とも、医師になりたいと目を輝かして言われた。二人共、とても賢そうな顔をしている。
 達成感を充分に味わって、終わった。太鼓の搬送が3つもあると不可能なので、10年前に持ってきた重たい太鼓は、(今日、搬送でお世話になった)トニーさんに頼んで、ルイスさんの方に返してもらうことにした。
 夜は、タイ料理店に行く時、リンダさんから、近道を教えてもらった。何と、それまで、遠回りをしたのだ。それだと、バックパッカーズからタイ料理店まで、アッと言う間に着いてしまう。こんなこと、今までも、何度もあったかなあ。(車を運転しない自分の場合、試行錯誤しながら自分なりに学んだ近道として、・・・大川に佐伯から行く場合も、西鉄大牟田線を利用するよりも、鹿児島本線JRで羽犬塚→バス利用での近道や、龍ヶ岳から本渡に行く場合も、フェリー船を利用して、御所浦港→本渡港の方が時間敵に短くなっているけど)
 水不足のオーストラリアでは、3分間砂時計がシャワー室にあって、その3分間で出来れば済ませなさいってことらしい。又、洗った食器に泡が付着していたことが多かったが、日本の様にじゃんじゃん水を出して洗うことはなく、使っている洗剤も、人体に無害とのこと。
 ここでは、毎日、新たな発見の連続って感じだ。
(写真は、オーストラリアの国花)
 

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還暦での挑戦(その22、誕生日ケーキ)

2009-06-24 15:00:35 | Weblog
6月2日(火)
 パワーポイントを使って、日本の文化がよく紹介できたと思った。スライドの中で、書道で3通りに書いた「夢」の字を見せて、子ども達の夢を尋ねてみた。10年前の新聞を見せて、夢が叶ってこんな感じで今まで海外7カ国で演奏できていると言う話もした。
 子ども達の多くは、将来の夢をしっかりと持っていた。科学者やパイロットや音楽家や野球の選手やサッカーの選手などは、日本と同じ感じだが、女の子にナースや保母さんが少なくて、男の子に軍人が多かったのは、意外であった。第一次世界大戦の時、それで最も死傷者を出した国は、オーストラリアの兵隊だったとか。それをオーストラリア人は、誇りに思っているとか。
 日本地図をフリーハンドで描いて、日本での70万人以上の政令都市に、多い順に印を付けていった。その前に、知っている都市を尋ねてみると、大きな子は、長崎や広島を知っていた。日本に行った時に、時間があれば、是非、そこにある原爆記念館に行って欲しいとお願いした。又、日本人の多くは、核を落としたアメリカを恨んでいないと言う話もした。(ダッカでは、どうして日本人は、アメリカ人を恨んでいないのかと何人もの人から尋ねられたが、ここでは、そんな質問をする人は、皆無であった)
 自分の太鼓演奏が少なかったせいか、7回もクラスを交替していつものスピードでどんどん進んでいったのに、汗は出ていてシャツはびっしょりだったが、あまり疲れていなかった。
 帰りに、明日演奏予定のシャネル校に寄ると、自分が今回持ってきた太鼓が2つ、袋に被われていた。明日は、3つの太鼓で演奏しよう。
 バックパッカーズに戻ると、リンダさんが、「遅くなってご免なさい、知らなかったので・・・」と言って、誕生日ケーキを持ってきてくれた。そこにいた息子さんと宿泊客のイギリス人とインド人とフィリピン人と一緒に美味しく食べた。その美味しさよりも、リンダさんの優しさに心打たれた。折しも、この日は、日本にいる私の次女の誕生日だった。忙しさで、忘れるところだった。
 今日はとてもいい日だったと思った。月が大きく輝いて、星が見えにくくなってはいるが、そんな中でも、南十字星は、しっかりと輝いて自分を見ている感じだった。

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還暦での挑戦(その21、スライド使用)

2009-06-24 12:51:49 | Weblog
6月1日(月)雨のち晴
 ブローレン校→サウス校と行った。ブローレン校では、前回、(90分間)あまり上手く行かなかったが、今回、スライドを使って、前回と全く違った感じでした為か、同じ90分だったが、生徒が皆、一生懸命に聴いてくれた。やはり、生徒の問題よりも、教え方が問題だなあと思い、深く自分を反省した。
 サウス校でもスライドを使用したかったが、音楽室だったので、スライドが使えなかった。で、そこでの黒板も上手く使えなくて、悔やまれた。まずい内容で、生徒は先生から叱られていたが、本当は、自分が叱られるべきだった。ホント、申し訳ない内容だったなあと思った。
 予定表が○ロ○さんに届いていて、見ると、金曜までビッチリと詰まっていた。6月8日は、女王の誕生日で祝日、6月9日は準備で出来ない。つまり、今週の月~金までで、終わりなのだ。木曜日は、初めて行く遠方の学校で、朝の7:30に迎えが来ることになっていた。
 この日、例のブリスベンで止められた太鼓がやっと送られてきていると連絡があった。遅かったなあ、2つだったら、どんなに良かったかなあ・・・。


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独り言・・・

2009-06-23 16:08:24 | Weblog
 オーストラリアのグラッドストーン市を5月11日に去り、ブリスベーンで1泊して、12日に日本に着いた。グラッドストーンでは、まだ、新型インフルエンザの感染者はいなくて、170万人のブリスベーン市でも、(帰る時の早朝のタクシーの運転手さんに尋ねた時に)20名程とのことだった。しかし、その時、既に、ヴィクトリア州などの寒い所では、1000人を突破し、今では、オーストラリア全土で2000人を越えている。が、実際は、その数倍以上と思われる?!もう、こなると、まず、(WHOが示した様に、フェーズ6の通り)止められないと思う。
 日本に帰る前の日に、ブリスベーン市内の一番の繁華街を通ってみたが、咳をする人なんていなく、マスクをしている人もいなかった。オーストラリアは、今から冬に向かい、どんどん増加して行くだろう。
 私の場合、病院と相談して、6月15日(月)から勤務の予定を1週間ずらして、22日(月)から勤務している(もちろん、風邪症状は全くない)。マスコミや行政が、外国から帰ってきた高校生を、(検査で陽性が出たと言うことで)よってたかって変な風に取り上げているのを見ると、気の毒でならない。
 先に結論を言ってしまうと、私なりの推測では、今から3~4年間だけでなく、大流行と小流行を繰り返しながらも10年近くの長きに渡って続きそうな気がしている(代わりに、それまでのソ連型や香港型やトリ型は、消滅してしまうと思われる)。新型では、子どもが沢山罹患して(全く抗体を持っていないので)、どの小児科も忙しくなるに違いない。
 昔(医学生の時に)、風邪博士加地(かじ)先生の講義を受けたことがある。その時、既に、いつ新型が出ても不思議でないし、可能性は高いと言われ、約10年周期の傾向があるとも言われていたのを思い出す。どんなに寒くても、ウイルスがいなければヒトは罹患しないと言われた話が、今でも印象に残っている。
 10~11年周期の黒点の動きと関係あると言う人もいるが、その話は別にして、今までの経過を見ると、オヤッと思うことがある。
 1890年に、H2N2の旧アジア風邪が流行している。
 1900年に、H3N8の旧香港風邪が流行している。
 1918年に、H1N1のスペイン風邪が流行している。
 1947年に、H1N1のイタリア風邪が流行している。
 1957年に、H2N2のアジア風邪が流行している。
 1968年に、H3N2の香港風邪が流行kしている。
 1977年に、H1N1のソ連風邪が流行している。
 2001年に、H1N2が小流行し、そして、2009年に、2009インフルエンザが流行している。
 Hには、1~16まである。今まで、H5N1やH9N2やH7N7やH7N3が検出されているが、この長い年月の中で、H1~H3以外は、大流行してない。と言うことは、H1~H3以外がそうなる可能性は、極めて少ないと言うことではないだろうか。又、検査してないだけで、それ以外の型があったととしても不思議ではない。そんな希な型があっても、それが人同志で感染し合ったり、強い毒性を持つことは、又、別の問題だと思う。かってスペイン風邪で大量の人が亡くなったと言われるが、戦争中で過剰なストレスにさいなまれ、又、栄養状態も良くなかったせいもあると思われる(低たんぱく血症などで)。
 天然痘の様に、地球上からいなくなってしまったウイルスもいるが、ヘルペスウイルスなどは、もう、体の一部って感じで、ヒトの体の中に住み着いている。
 当たり前だが、ワクチンよりも、実際に罹患した方が、遙かに免疫力は高くなる。そんな感じで、多くの人が新型に罹患して、その内、やっと終息に向かうのではないだろうか。
 インフルエンザのワクチンを早く打ち過ぎて、6カ月後の4月や5月に流行って感じになっているのか、皆がワクチンを打つ為に、ウイルスが変異しやすくなってワクチンがあまり効かない状態になっているのか、そこいらはとても難しいところだが、個人的な感想を言うと、11月の初めがいいよと言うことで打ってきていたが、5月の初めになってもインフルエンザが多くてワクチン接種者も殆ど掛かっていたことから、ワクチンは、時期をずらしているに過ぎないのか?って感じにもなっている。
 現実は、多くのヒトが予防接種を受けても、インフルエンザが毎年はやっている。
 基礎疾患を持っている人や体の弱い人だけに打てば、変異も少なくていいのではと思ったりもしている。
 インフルエンザは、飛沫感染が主体なので、手を洗ってもあまり効果がない様な気がしている。マスクは、咳をする人は、エチケットとして(ウイルスを飛ばさない為に)、するべきだが、それよりも、マスクをしないとけない様な人は、家でしばらくじっとしているべきだろう。疲れを溜めない、バランスの取れた食事を摂る、手足を冷やさない、タンパク質を普段からしっかりと摂っておく(低たんぱく血症の人は、免疫力が低い傾向にあり)、適度の運動、良質の睡眠、口腔内の清掃、規則正しい生活、ストレスを長く抱え込まないなどが必要ではないだろうか。


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還暦での挑戦(その20、ピクニック→食事会)

2009-06-23 09:25:37 | Weblog
5月31日(日)
 よく遊んだって感じの1日だった。オーストラリアの人は、土・日は、ゆっくりと息抜きしている。買い物の多くは、大きなスーパでしている。小さなお店が少ない。そんなスーパーも、日曜は、開いていない。ここグラッドストーンでは、コンビニ何てないし、自動販売機も殆どない。
 それに反して、(従業員1500名近くを有する)アルミニウム工場(ボーキサイト→アルミナ→アルミニウム)は、深夜も、明かりを派手に灯して、24時間365日、休むことなく稼働している。グラッドストーン市は、きれいな海洋都市として有名だが、アルミニウム精製工場と石炭輸送に関しても、オーストラリアでは、最も名が知れている市なのだ。
 ドナさんが10時に迎えに来てくれて、前回(南西)と違った方向(南東)のタヌンサンドビーチの方に行った。海水浴場は、2カ所あり、両方共行った。海辺では、風が強かった。その風を利用しての凧を付けてのサーフィンを(生まれた初めて間近に)見た。時々、宙に浮いていた。これって、かなり練習しないと上手になれないと思った。医学生の時に、奄美大島診療団に参加して徳之島に行って、その時に水上スキーをしたが、バランス感覚を上手に保つのが難しくて、ちょっとしか続けられなかったのを思い出した。している人、誰一人として、途中で凧が風で海の上に落ちてしまうことはなかった。サメがいる可能性があるとのことで、サーファー達も、遠くの沖合に行かない。よく見ると、これ以上沖に出てはいけないとの目印の旗が海の上に立っている。グラッドストーンの川には、ワニもいるとのことで、オーストラリアでは、日本の感覚で、川や海で自由に泳いでいると、大変なことになる。
 その後、道からちょっとはずれた箇所にある森の中の美術館に行き、そこで食事を楽しく摂った。そこで、ドナさんに、(私の書いた)色紙と(家内が折った)折り紙を上げたら、とても喜んでくれた。楽しかった。来週は、主として、スライドを使って「日本の文化(スライドは、和太鼓だけでなく、茶道や書道や相撲や空手や剣道などの写真の内容で、又、柄杓や扇子や帛紗も持参していた)」について話すことにした(オーストラリア内では、インターネットは、図書館でしていて、持ってきたVAIOのパソコンを使うことはなかったが、それに入れていたスライドを○ロ○子さんから借りたフラッシュメモリーに取り込んで、パワーポンとを使って話すことにした)。
 15:00に帰り、17:00過ぎに、○ロ○さんが迎えに来てくれて、○ロ○さんの自宅で食事会をした。キンコーラでもらったワインと(行く前に買った)ビールと(自分が書いた)色紙を持って行った。○ロ○さんの旦那さん、○ー○から飛行機で通っているとのこと。それも、1週間向こうにいて働いていて、又、1週間こちらに来てゆっくりと休んでいるとか。そんなこと、日本では、考えられないことだなあ。
 昨年アトランタに行った時に、長女の配偶者(アトランタ市で、カイロプラクターとして開業している)が言っていたなあ。アトランタで働いている日本人で、1カ月に2~3回、仕事上、日本に帰る人がいて、仕事がきついのと時差で体の調子がおかしくなって自分の所に受診に来るが、ホント、体ボロボロって感じになっていると。
 ○ロ○子さんの旦那さん、優しそうで、マメな人で、今夜のデザートのお菓子を作っていた。又、○キさん夫妻も来て、家内も、とても楽しそうだった。○キさん、まだ1年しかいないのに、ここでの英語での会話にちゃんと付いてける。スゴイなあ(旦那さんがオーストラリア人と言うことが、一番いいのかな・・・私の場合、家内としばらく英語で会話をしようかと言うことになったが、正しい英語かどうか分からないので、しないことにした・・・?!)
 料理が美味しく、ワインも美味しく、デザートも美味しく、22時まで、時間を忘れた感じで、会話がはずんだ。日本人の二人の女性、異国の地で、夢を持って逞しく生きているなあと思った。
 夜見た(赤々と照らし出された)アルミニウム工場、実に壮観な眺めだったかな。
 

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還暦での挑戦(その19、冷や汗)

2009-06-22 11:53:36 | Weblog
5月30日(土)
 午前中は、色紙に4枚、「一期一会」「友愛」などを書いた(3ヵ所、朱肉で印を押して)。書く時に、息をしていない自分に気が付いた。(太鼓も、打つ時には、息を止めている。反対に、笛は、ずっと吹いている。ハーモニカは、吐く時だけでなく、吸う時にも演奏しているなあ。)
 洗濯をしたら、乾燥機が3時間も経過しているのに止まらない。長いので、尋ねると、乾燥するモノが多いと、長くなるとのこと(確かに、スゴイ量だったかな?!)。
 夕方、リンダさんから、アートショーに行かないかと誘われて、行くことにした。(リンダさんの息子さんの通う学校が主催で、リンダさんが中心でしていて、主人のピーターさんも、行ってから手伝っていた)
 夕方、18:30に、バックパッカーズの車で行くことになった。見ると、しばしば見かけていて、とても感じがいい従業員さんだなあと家内といつも話していた人が運転手だった。名前を尋ねると、「私、ピーターと言います」と言う。「エエッ」と思わず大きな声が出てしまった。ピーターと思っていた人は、別の名前だったのだ!家内と目を見合わせて、しばらく、放心状態って感じだった。穴があったら入りたいってこんな時に言うのだろうなあ。
 13日にバックパッカーズに来た初日、ピーターさんは不在で、いつもいる男性の人が翌日もいて、ピーターさんは、その日もいなかったので、てっきり、その人をピーターさんと思ってしまったのだ。で、朝の挨拶でも、自分は、「ピーターさん、おはよう」とまで、ピーターさんでない人に言い続けていた。人間、間違ったことを指摘されない状態を長く続けていると、それを、自分自身が本当だと思ってしまう、正に、そんな感じだ。
 で、ピーターさんに、今まで他の人をピーターさんと思ってきていたと言ったら、(人間の出来た紳士の)ピーターさん、別に気にする感じでもなく、その時、少し微笑んだだけだったが。
 アートショーでは、お金を少し出すだけで、ワインも食事も付いていて、演奏もあり、最後にオークションもあって、実に楽しかった(学校への寄付も兼ねてた)。楽団のドラムの人、リーダー的な感じで、実に楽しく打っていた。ドラムの打ち方をこんなに間近に長いこと見たことも、初めてだった。演奏の休憩の時に、その人と話すと、やってみたらと言われたが、図々しい私も、そこまでは出来なかった。
 オークションでは、家内が(雰囲気で)正に買う勢いになっていて、止めるのに必死だった。カバさん、ホントに買いたかったみたいだったが。


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還暦での挑戦(その18、運動会)

2009-06-22 09:46:46 | Weblog
5月29日(金)
 午前中、ベナラビー校の運動会を見た。父母の応援がスゴイ。特に、母親が、感情を露わに出している。トップでゴールインすると、母親が飛び跳ねて、喜んでいる(日本人の慎ましさとは、極めて対照的な光景かな)。親御さんの参加は、全くない。集団競技の玉入れや騎馬戦はない。遊戯もない。手を取る感じの競技や、危険なものはない。練習も、そんなに必要ないって感じだ。しかし、徒競走では、ちゃんと記録係の先生がいて、記録上位者は、その上の大会に出て、最後は、全国大会に出ることになるとか(才能のある子は、見逃さないって感じで、やっていることに無駄がない感じだ)。
 生徒が疲れている為か、今日のレッスン、まあまあって感じだったかな。
 夕方、タイ料理店に又行った(滞在中、7~8回行った)。給仕している女の人に、タイ語で、アローイ・マーク、クラブ(大変美味しい)と言っても、顔色が変わらない。で、尋ねると、フィリピン人だった。タイ料理店に勤めているからタイ人だと思い込んでいたことが、大きな間違いだった。(反省)
(写真は、グラッドストーン市のGoon Doon Streetから撮ったもの)

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美しい日本・・・

2009-06-21 15:32:37 | Weblog
 20日(土)、午後、にちりんで大分まで行き、そこから九州横断鉄道で、熊本まで行って、熊本(熊本バスセンターホテル)に1泊して、21日(日)の10時35分に、天草の本渡行きのバスに乗って、松島の前島まで行き、そこから(龍ヶ岳)タクシーに乗って帰っきた。途中で、スーパーに寄って、(しばらく1人なので)買い出しをしてきた。
 人参やタマネギや白菜など、野菜を沢山買った。久し振りに、長いフランスパンにバナナを載せて、美味しく食べようかなあと思っていたら、フランスパンがない!尋ねてみると、あまり需要がないので、前は作っていたが、今は作っていないとのこと(かなり前から)。そうか、採算が合わないと作らないと言うよりも作れないのだなあ。どこも、厳しいなあ。親切にも、明日まで待ってもらえるなら、明日に間に合う様に作っておきますと言ってもらえた。(車を持っていなし、遠方なのでそれはできない。よく病院の売店で頼んでいるので、必要なら、それしかないなあと思った)
 アパートに帰って(暑いので)クーラーを付けようとしても付かない。カウンターの表示が全く出ない。カウンターの裏にある説明書を見ると、リセットボタンを押さないといけないみたいだ。押し方が悪くて、付かなくて、強く押して、やっと付いた。何でも経験だなあ。
 病院に行くと、当直(内科)の先生がいた。11日に日本に帰ってちょうど10日経ったんですけど、検査した方がいいですか?と尋ねると、全くどうもなければいいんじゃないと言ってもらえた。
 60歳以上はしっかりと抗体を持っているだろうし、それに、自分はそれこそ100万人近くの子どもを診察してきている訳だから、充分に抗体を持っているのでは?!
 昨日来る時に見た阿蘇山、きれいだったなあ。今日の五橋からの眺めも、きれいだった。グラッドストーンもきれいだったが、日本のきれいさも、決してそれに負けていないなあ。

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還暦での挑戦(その17、誕生日で還暦)

2009-06-20 11:07:06 | Weblog
5月28日(木)
 誕生日だった。それに節目の満60歳の還暦だ。
 この日、次の生き方を確認した。
1、無理をしない。
2、自分が必要とされることをする。
3、人の喜ぶことをするが、自分がいやなことは、しない。
4、来年もグラッドストーンに来て、日本文化を紹介するが、この時には、英会話の勉強もかねて、今回よりも長く滞在する。
5、グラッドストーンで教える内容も、もっとグレードアップして計画的にする(今回は、要領がよく掴めなかった)。
 ドッポリと、このグラッドストーンの虜に、家内と私は、なってしまった。雨季になっていると言っても、雨が日本の様に、一日中降る訳でもなく、常にカラッとして、肌触りがいい。夜は、少し、肌寒いが。
 日本が梅雨→夏の時、乾季と雨季しかない(世界一のサンゴ礁を誇るこのグレイトバリアリーフの一角にある)このグラッドストーンは、(ブリスベンやゴールドコーストと同じ様に)、6~8月の時期が、日本人にとっては最適と思われる。佐伯市は理想的な所と姉妹都市と関係を結んだものだ。それに、例外なく、グラッドストーンの皆さん、親切でフレンドリーだ。
 (ケアンズは、とても暑い時期が長く、パースは、四季があり、タスマニアは、とても寒いそうな。オーストラリア、日本の21倍もあるので、北から南まで、スゴイ気候の変わり様だ)
 トニーさんが、朝8:30に来た。今まで行ったことのない学校、「キン・コーラ校」に行った。世話役の2人の男女の生徒が、しっかりとエスコートしてくれた。フル回転って感じで、6回プレゼンテーションをした。皆、(ここでかなりいろいろと経験した結果で)上手く出来て、自分でもそれまでで最高の出来だと思った。あるクラスで、今日は私の誕生日ですと言うと、直ぐに、ハッピバースデーの歌を歌ってくれた。感動した。
 夕食は、海辺の(初めて入った)レストランで家内と摂った。とても美味しくて、夕陽もきれいだった。この夜の南十字星も、自分たちを祝福してくれている様に思えてならなかった。



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元気でいる為には・・・?!

2009-06-20 09:04:48 | Weblog
 元気でいる為には、(バランスの摂れた)食事、(良質の)睡眠、(適度の)運動、それに、姿勢と(プラス思考の)気の持ち方が大切だと思っている。
 食事がとても大切なことは、周知の通り。大人の人の中には、朝、低血糖になっていないケースもあるが、成長盛りの子どもに関しては、例外なく、朝は低血糖になる。小中学生が、朝食を抜いて学校に行くことは、大人以上に深刻な問題なのです。
 甘い砂糖類は、直ぐにブドウ糖を供給できるが(脳は、ブドウ糖しか利用できない)、上がりやすくて下がりやすいって感じで、正午までとてももたない。それで、昔から、ちいさな子どもには、10時と15時のおやつがあることになる。
 これって、小学生や中学生でも必要ではないだろうか?!又、朝、お米のごはんなどの炭水化物をしっかり摂っておくと、低血糖防止になるはず(砂糖類と違って、血糖値がゆっくり上がりゆっくり下がるので)。
 糖質(炭水化物)が効率よくTCAサイクルを回って代謝されるには、それに関わっているアミノ酸も必要。つまり、アミノ酸になる蛋白質の摂取も、必要となる。それと、よく言われているビタミンが必要。ビタミンは、何といっても野菜だ。新鮮な野菜を食べるべきだ。(近年増加傾向の大腸がんの敵、便秘防止の意味でもいいし)
 九州がんセンター名誉院長の太田満夫氏は、がん予防の14カ条を述べている(重要度別に並べられている)。その第1条は、「植物性の食品を摂ること」で、第2条は、「適正体重を維持する」とあり、第3条に、「積極的な運動」とある。
 後、第4条「野菜・果物を1日に400g~800g摂る」、第5条「1日に600g~800gの穀物・豆類を摂る」、第6条「飲酒は控える」、第7条「赤身肉は80g程度に。赤身肉より魚・鶏肉を摂る」、第8条「塩分は1日6g以下にする」などと続く。
 日本人の多くが不眠に悩んでいるが、この睡眠の大切さのメカニズムも、近年、次第にはっきりとしてきている。結論を言えば、夜の22時に寝ることが必要で、それは、それから4時間の間、欠かすことの出来ない成長ホルモンが充分に分泌されるから。
 深夜遅くまで勉強すること、それは、脳にとっては一番いけないことをしている訳で、お風呂にゆっくりと入って(これも受験生にとってはいいみたいですが)、22時に寝るべきです。起きている時に脳の海馬を使って勉強したことが、その後の4時間で知識に変化する。よく出来る人はよく寝ることができるのです。
 (アミノ酸であるトリプトファンから→セロトニン→メラトニンとなるが)ヒトは、朝起きて、網膜に光を感じると、達成感と関わりのあるセロトニンが分泌され、暗闇を感じると、眠りと関係するメラトニンが分泌されることになる。だから、充分に朝、太陽の光を感じて家を出るべきなのです。朝のセロトニン分泌量をもっと増やすには、朝の掃除や散歩などの反復運動が推奨され、私は、トイレで、太ももと使って、毎日太鼓のリズム打ちの練習をしていますが?!。
 朝起きは、正に、「3文の得」で、朝ごはん、早寝は、元気の元なのです。(順番としては、早寝早起き朝ごはんよりも、まず、早起きをするべきで、その言い方だと、早起き朝ごはん早寝の方がいいかな)
 姿勢に関しては、(アメリカの統計では)カイロプラクターの子どもの方が、小児科医の子どもよりも元気だと言うことで、納得・・・?!
 昔の戦争を経験した男性の多くは、姿勢がいいですね。(関係ないけど、ダンスをしている中高年の人もいいかな?!)姿勢がいいと、自律神経の働きもよくなり、免疫力も高まるみたいだ。

 

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