日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

あるのは、事実だけ?!

2009-06-19 20:54:26 | Weblog
 ストレスがどんなにあっても、ノイローゼにならない人がいる。反対に、ちょっとのことで、直ぐに、落ち込んでしまう人もいる。
 思うに、生きる上で大変難儀することやスゴク楽しいことがあるのではなくて、あるのは、その事実だけではないだろうか。それをどう受け止めるのかは、その人自身の受け止め方にかかっていると思う。
 いやなことが確かにあっても、それを帳消し出来る様な楽しいことが自然と身に付いている人がいる。
 鹿児島の人で、大水害の時に、俳句の集まりには、どうしてもいかないといけないからと言って、ちょっとその時だけ留守をして出かけていた人がいた。
 とても沢山の患者さんを受け持って、いつも忙しく仕事をしているのに、しばしば朝まで徹マンしているドクターがいた。その先生曰く、「イヤー、遊ばないと仕事はできないヨ」と。
 朝のボランティアのゴミ拾いを、鼻歌交じりで楽しくしている人もいる。自分も、時間外での診療、統計を執ったりして、結構楽しんでしてきたと思う。そうでなかったら、今まで続いてこれなかったと思う。
 余計な心配だと言われそうだが、残念なことに、いつも疲れた顔をして、休める時も、上手に息抜き出来ないで、部屋に閉じこもっている人がいるが。
 どっちみち、同じ一生。実際にあるのは、事実だけだ。それをどう受け止めるかだ。
 ヒトは、幸せになろうと思って皆頑張っていると思う。そして、この世の中には、楽しいことが沢山あると私は思っている。長い様で短い人生だが、それに最後まで気が付かないで終わること、多いと思う。それも、人生と言えば人生だが。
 マッ、人のことをねたんだり、感情的に怒ったり、愚痴を言うことだけでも止めてみると、不思議に、元気になりますね。東洋医学では、怒ると、肝臓を傷めるそうですが・・・?!


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還暦での挑戦(その16、どうなっているのか?)

2009-06-19 15:06:16 | Weblog
5月27日(水) 
 今日は、迎えが来るのかどうか、直前まで分からない状態でいた。(オーストラリアに着いた時に、直ぐにプリペードの携帯電話を持っておくべきだった。滞在中、しばしば、自分に電話があり、バックパッカーズの人に迷惑を掛けてしまった)
 (副市長の旦那さんの)トニーさんが8時半過ぎに迎えに来た。しかし、今日はないものと思って全くその用意をしていなかったし、家内は疲れて、食事もまだ摂っていなかった。トニーさんも困っていて、結局、後で学校に電話をさせると言って、そのまま帰ってしまった。
 その後直ぐに学校から電話があった。今日も、予定では、することになっていたのだ。しかし、いろいろ話して、キャンセルと言うことになってしまった。その後、バックパッカーズの人が、車の運転手がいないなら、私が直ぐに搬送しますと言ってもらえたが、もうキャンセルと一応してしまったので、今日は、お休みすることにした。
 この時、トニーさんが持ってきてくれたもぎたてで熟れたバナナ、家内と一緒に、朝、食べた。芯がピンク色をしている。今まで食べてきたバナナの中で、一番美味しいバナナであること、家内と確認し合った。
 行く予定の学校からの電話で確認したことは、自分のスケジュールは、月~金まで、最後まであるとのことだった。(エエッと思ったが、ずっと演奏でなく、打たせたり、話の方を多くすれば、ちゃんと出来るだろうと思い直した)


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還暦での挑戦(その15、比較言語学)

2009-06-19 11:54:11 | Weblog
5月25日(月)
 ベナラビー校→ブローレン校→サウス校に行って、同じクラスだったので、前と少し変えながら再び太鼓中心に演奏した。生徒が、運動会の準備や試験の後のせいもあるのか、前よりも乗り気でない感じだった。それに、太鼓が重たい。運んでくれる生徒が気の毒だった。2回目だと、生徒も、前ほど興味がなくなっている感じだ。
 この先、どうなっているのかなあ。予定がサッパリ掴めていないのだ。今週の予定でさえも。
 (後ではっきりしたのだが、肝心の会長のウェンディーさんが、入院してしまっていた。ウェンディーさんは、自分がグラッドストーンを発つ前日に、滞在中、世話が充分に出来なくて申し訳なかった、見送りにも行けなくてもし訳ないとブリスベンから電話してくれた。)
 子どもをよく観察していると、同じパターンでは、直ぐに飽いてしまう。それで、「荒城の月」を篠笛で演奏する場合でも、1番の演奏の仕方と2番の演奏の仕方、変えないといけない。篠笛にも、太鼓にも、盆踊り太鼓にも、前と違って新鮮さが感じられなくなっているのは、確かなこと。
 再び、落ち込んでしまった。内容を根本的に変えるべきだと思った。
 バックパッカーズに、マレーシア出身の年配の女性が一人旅で宿泊していた。グラッドストーン辺りが、気候がいいと絶賛する。全て売り払ってオーストラリアに移り住んでいると言う。もう、マレーシアには、帰らないという。オーストラりア内で、寒い時は、南を避け、暑い時は、北を避け、自分の思い通りに移動している。逞しいなあ。
 
5月26日(火)
 昨日と一変して、今日はいい日だった。
 ドナさんが8:15に来て、聖ジョン校に行って、7回も演奏した。初めてのグループは、今まで通りのパターンの内容で、2回目に受ける生徒には、(世界の中の)日本と日本語に付いて話した。(2回目に受ける生徒の場合、篠笛演奏も和太鼓演奏も披露したが、話している時間の方が長かった)
 世界地図をフリーハンドで黒板に大きく書いた。小さい子には、日本がどこか指してもらった。グラッドストーンも指してもらった。生徒に、人口の大きい国の順を尋ねて行った(日本は10番目で、オーストラリアは、40番目にも入っていない)。near とか、great とか言って、それぞれの国を自分が指して、楽しく当てっこをした。面積の大きい国の順もした(オーストラりは、6番目)。これが予想外に受けた。
 又、大きい子には、比較言語学を中心にして話した。
 日本語の、シは、「si」でなくて、「shi」。チは、「ti」でなくて、「chi」。ツは、「tu」でなくて、「tsu」であることを強調した。日本語は、「ン」以外は、母音だけか、子音consonant)+母音(vowel)の組み合わせとなっている(イタリア語の様に)ことも。
 東南アジアでは、イの口をして、横に引いて「ウ」と言う発音があり、ヨーロッパでは、オの口をして、「エ」と言う発音、ウの口をして「イ」と言う発音の仕方がある。東西の中間にあるトルコでは、その3つの発音の仕方があるとなども。
 又、有声音(voice sound)と無声音(voiceless sound)の2種類しかなく、有気音や無気音の区別はない。中国語は、有気音(aspirated sound)と無気音(unasupirated sound)、韓国語は、平音、激音、濃音に。東南アジアの多くの言語では、無声音には、無気音と有気音の区別があるが、有声音には、その区別がない。具体的に、タイ語で、タイと書いて、有気音の「thai」が、有気音でなく無気音の「tai」となった場合に、どう書くかを示した。
 パンジャビー語とヒンディー語とベンガル語では、有声音、無声音、有気音、無気音ときれいに4つに分かれている。ベンガル語を例にとって、文字を書いて、それを具体的に示した。
 又、声調と言うのが、ミャンマー語には3つ、中国語とチベット語には4つ、タイ語には5つ、ベトナム語には6つもあり、日本語では、それが文字に出ていなくて、分かりにくい。ミャンマー語を例にとって、同じ「タ」でも、声調記号でどの様に変わるかを具体的に示した。
 自分の名前も、15カ国以上書いて、どの国の言葉か、尋ねたりして、自分も楽しんだ。
 自分のずっと長いことしてきた「比較言語学」がここで役に立つとは、それまで思ってもみなかった。
 ドナさんも、(生徒との間をずっと取り持ってくれて)終始ニコニコ顔で、又、日曜日に、彼女からピクニックに連れて行ってもらうことにした。




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自分のルーツ

2009-06-18 20:17:33 | Weblog
 市の茶室に行ってお茶を飲むつもりが、家内の勧めで、88歳の母の所にお茶道具を持って行って、お茶を一服点てて上げることにした。落雁(らくがん)のお菓子と懐紙と抹茶と(まだ使っていない)茶筅と茶碗(と5本調子の篠笛)を持って行った。行くと、兄も一緒にいて、2人に点てて上げた。
 母は、どうもあまり美味しくない様な顔をして、残している。見ると、落雁(らくがん)を食べていない。それを先に食べてから飲んでと説明する。その時、一緒に持って行った焼き芋を食べていたのだ。
 傍に、父の家系と母の家系を(兄が)まとめた写真の小雑誌が置いてあった。自分のルーツがここにまとめられている。父の兄弟は、11人で、父は10番目。母の兄弟は、7人で、母は5番目。今、母以外、全て他界している。母は、母の母は、とても賢かったと自慢げに言う。
 最後のページに、昭和26年に撮った家族6人の写真があった。自分が2歳の時で、ふっくらとした顔をしていて、何故か左手にしっかりと(棒状の)お菓子を1本、しっかりと握っている。父は、背広で、母と姉は着物で、兄二人は学生服でバチっと決まっている。全く覚えていない(当たり前だが)が。多くの親戚の人の写真、こんな人に囲まれて自分が生まれてきたし、育ってきたのだなあと思うと、懐かしく思えてしょうがなかった。
 母には、例の如く、「青葉の笛」と「君が代」を吹き、帰る直前に、又、(母が最も好きと思われる)「青葉の笛」を吹いた。
 今日の母は、終始、ニコニコしていた。又、来るからと言って、帰った。


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還暦での挑戦(その14、ピクニック・・・)

2009-06-18 12:28:02 | Weblog
5月23日(土)
 午前中に、ドナさんから、明日のピクニック出発時間の変更の電話があった。電話だけで、英語でやりとりするのって、難しい。声だけで姿が見えないだけに、コミュニケーションの情報が少なくなるからだ。
 子どもの言っている英語は、聞き取れない。それを先生に、分かり易く言ってもらって理解していることが多い。しばしば子どもに先生が何度も聞き直していることがある。こんな訳だから、自分が理解できるはずがない。が、私の下手な英語も、何とか通じているみたいだ。が、次第に驚いてきたのは、家内のヒアリングのレベルの高さだ。私が分からないとアドバイスしてくれる。が、時に、トンチンカンなアドバイスをもらうこともあったが・・・?!
 マリーナに行ってお土産店にも寄ってみた。グラッドストーンの正午前後の日差しは、強烈だ。これによる皮膚ガン発生のケースが目立つそうだが。昨日買った帽子を被っても、暑い。
 宿舎で、自分の創った練習曲の16番まで(20番まであり)のオタマジャクシの楽譜がやっと何とか出来た。こんな所で、言葉が楽譜になるとは、予想もしてなかったなあ。
 夕食は、安くて量が多くて美味しかったタイ料理店に再び行ったが、予約していなかったので、入れなかった。土曜は、予約席で満席なのだ。仕方なく、スコッティーズなるイタリアレストランに行った。ここも、又、さほど高くなくて、量も多くて、美味しかった。美味しいいワインも飲んで、2人共、大満足で帰った。
 グラッドストーン市の最も中心になる通りのグーンドゥーン通りで、多くのレストランの中で、生き残って行くためには、それなりに美味しく安くせざるを得ないのだろう。
 帰りの南十字星、又、新たに見た感じで感動した。家内も、直ぐに見つけられる様になった。南十字星の近くに、南の冠座とサソリ座がよく見えた。

5月24日(日)
 午前中は、太鼓の打ち方の練習を(二人で)し、日本に出すハガキ10枚を書いた(私が3枚、家内が7枚)。14:00にドナさんが迎えに来てくれて、ピクニックに行った。 オーストラリアの多くの個所は、水不足気味にある。グラッドストーンに関しては、アウンガーダムの存在で、それを免れている様だ。lake awoonga を見に行った。この湖は、グラッドストーン市にとっては、命綱だ。そこで魚釣りをしている人、水上スキーをしている人、周囲を散歩している人、いろいろ。
 そこでドナさんといろんなことを長く話し、又、持ってきたお土産も上げた。ドナさん、日本がとても好きなんだなあ。自分たちの食事も用意してくれていて、美味しく頂いた。楽しかった。火曜日、又、会いましょうと言われた。
 タイ料理店が18時オープンで、ちょうど18時に入って、タイ料理を注文して美味しく食べた。家内は、毎日ここで食べてたいとも言う。この夜、汗を一杯かいたが、この日に食べた「トムヤンクン」のせいであった様だ。

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還暦での挑戦(その13、絶対音感の子)

2009-06-18 10:21:44 | Weblog
5月22日(金)
 本当のボランティアは、学校への往復も自分ですると思うが、自分はしていない。皆に迷惑を掛けているなあ。10年前の時は、佐伯市とグラッドストーン市が、直接動いていた感じだったので、タクシーでよく往復していたが(1週間だけだったが)。
 グラッドストーンの友好協会の人がとても協力的で助かるけど、これがなかったら出来ないことだと思う。自分の場合は、車の運転が出来ないので(自動車免許証を持っているが、完全なるペーパードライバーで、来年、切り替えの時に、返上しようと思っている。どっちもち、視力検査で不合格になるだろうし)、オーストラリアの様な車社会の所では、難しい。
 午前中は、ベナラビー校でした。付いてくる子とそうでない子がいて、付いてこない子が先生から叱られて、別の個所に移動させられてしまった。その子のことがとても気になって仕方なかった。終わってから、その子が、ごめんなさいと自分に言いたいと言ってきて、ホットすると同時に、とても嬉しかった。ここでは、行儀の悪い子は、目立つ感じで、容赦なく叱られている感じだ。その点は、日本よりも厳しいかな。
 自分の教え方のまずさが原因と思っていただけに、子どもに悪いと思って、少し、落ち込んだ。そんな自分を救ってくれたのは、絶対音感の○クだった。
 午後のサウス校で、1時間教えた後に、○クが、個人レッスンをしてもらいたいと言って来た。で、自分の創った練習曲を、彼が持ってきた(個人使用の)ボンゴで、自分の太鼓と合わせて手で打たせてみた。スゴイ、初め少し間違えたが、2回目、殆ど完璧。
 彼は、絶対音感(perfect pitch)の持ち主なのだ。音楽だけでなく、外国語も直ぐに覚え、他の教科も抜きんでて出来る為に、数学などは、特別の教師が彼に専属で付いているとのこと。公立学校でも、優秀な子は、それなりの教育をしてもらえるのだ。その点、日本は、エレベーター式に上がって行って、上と下が犠牲になって、受験勉強に明け暮れているって感じかな?!


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グラッドストーンからのメイル

2009-06-17 17:17:12 | Weblog
Dear Lynda and Peter,
how are Lynda, Peter, Tylor and Pandi doing? We are now looking at photos which make us remind about Gladstone.
I am sorry to be not able to go there again this July.
Thank you very much for you, Peter and many persons who were with us at Gladstone.
We had enjoyed ourselves so much.
Sincerely yours.
・・・

Dear Masahide,
We are sorry that you will not be returning in July and will miss you. We enjoyed both you and your wife's company. We are having a multicultural day at school next week and Tylor chose to do Japan. I shall have to take a photo and send it to you.
・・・
 以上は、私が送ったメイルに対しての内容です。そこで飼っているパンディなる1歳の雌のボクサー犬、ホント、自分にとって強烈な精神安定剤になっていた。心温かいリンダさんとピーターさんで、還暦の誕生日には、ケーキまで頂いて、心底、嬉しかった。
 帰る時に、かわいい息子さんのトワイラに、折り紙を箱に一杯入れて上げた(部屋で家内と折ったもの)。作り方を少ししか教えなかったが、もっと真剣に教えておくべきだった。

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還暦での挑戦(その12、聖ステファン校)

2009-06-17 15:59:58 | Weblog
5月21日(木)
 この日は、クィーンズランドの公的な学校がストライキをしていて、休校ではなのだろうかと朝まではっきりしない感じていたが、8:30に、ハワードさんが搬送の為に来て、紙に書かれた学校と違う学校、聖ステファン校に行くことになった。
 午後の1回だけであったので、午前中は暇で、外での体育祭?を見たり、家庭科の授業で、ミートボールの作り方を見たりした。又、ちょうどこの日、政府からの軍隊勧誘の話を聞いた。オーストラリアでは、どこも政府の要請で、年1回、この勧誘があるとのこと。生徒は、真剣に聴いている感じだった。日本で、もしもこんな感じで自衛隊の勧誘が行われるとしたら、大きな問題になるだろうなあ。
 大きな生徒ばかりで、それも、音楽を専攻している生徒ばかり集めての演奏だった。初めから、かなりレベルの高い感じでしたが、ちゃんと付いてきてくれた。年齢や基礎のでき方で、こんなに違うものかと思って、驚いた。先生方が、ビデオをずっと撮っていた。
 バックパッカーズの子どもも、この学校に通っていて、校内で声を掛けてくれたが、残念なことに、彼の前での演奏の機会はなかった。



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還暦での挑戦(その11、大事件?)

2009-06-17 12:09:55 | Weblog
5月20日(水)
 朝、ごみ取り車が来ていて、見ていて、ビックリした。入れ物ごと持ち上げて、蓋だけ開けて、上手にゴミだけ取って、又元に戻しているのだ。ゴミ箱も、スゴク大きいな特大だ。している人は、運転手さんたった一人。効率的だなあと思った。ごみ箱は、リサイクル(黄色い印の入れ物)かそうでないかの2つに分類していた。
 8:20に、ウェンディーさんの旦那さんのハワードさんが来た。シャネル校では、小さな子どもはいなかった。6回程、フルにプレゼンテーションをした。付いている先生は、その都度代わっていった。まず、見せて、生徒にさせて、又、見せるというパターンで終始終わった。
 初めに、いつものパターンで自己紹介をし、その中で、10年前にもこの学校に来て、ここで演奏したことを強調して言った。
 初めの演奏は、ラジカセに吹き込んだピアノに合わせて、「サクラ」「荒城の月」「月の沙漠」などを演奏し、次に、ラジカセの音楽に合わせて、盆踊り太鼓である(古風な打ち方をする)「ばんば踊り」、(新しい打ち方をする)「河内おとこ節」、(その中間の打ち方で)「佐伯小唄」を披露した。
 以上の3つの盆踊り太鼓の中で、どれが一番いいかを尋ねた所、ちょうど3等分に分かれた。(この感想は、他の学校でも、同じであった)
 音楽なしで、自分なりにアレンジした曲で打つと、それが一番いいと言われた。(自分としては、盆踊り太鼓にもっと評価があることを期待していたのだが・・・少し残念)
 生徒に打たせてみると、ドラムをしている子どもは、初めから、はっきりと上手に打てる。皆、思ったよりも難しいと感じだ様だ。
 オーストラリアの学校では、その多くで、11時前から30分~40分、13時前から30分~40分(学校によって、それぞれ多少違っているが)、2回の長い休み時間がある。その時間帯は、コーヒータイムか昼食になっている。食べるものを家から持って来ているが、このカトリック系の私立のシャネル校では、学校が販売していて、それを生徒が買っていた。
 成長盛りの子どもは、大人と違って、低血糖が起きやすいと思う。それに、オーストラリアは日差しが強烈で、そんなことから、2回の食事になっているみたいだが・・・?
 ここでの演奏、力一杯打った。家に帰ったら、さぞかし疲れているだろうと思ったが、筋肉痛もなく、いたって元気。好きなことだから、疲れないのかなあ。自分でも、今日の演出の出来、満足した。
 夕方、家内が、ビックリした声で「大事件が起きた、恐れていたことが起きてしまった、(部屋に置いていた)お菓子が食べられた。」と言った。
 紙の入れ物が食いちぎられている。(先日、部屋で見かけた)ヤっちゃん(ヤモリ)に違いない。もったいないので、残りの一部を少し食べて捨てることにした。
(後で、バックパッカーズの注意事項の貼り紙を見ると、部屋で食べないようにとしっかりとそこに記載されていた・・・それまで部屋でつまみ食いをしていたので、深く深く反省)。

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別れる時・・・

2009-06-16 12:47:58 | Weblog
 別れる時、どう振る舞うか、これって、生きる上でとても大切なことだと思う。いつもケンカ別れって感じだと、相手はもちろん、本人自身も、寂しくなってくるのでは。
 アメリカでは、夫婦が別れても、子どもはその親に会いに時々行っている。離婚して再婚した親から生まれた子ども達と、それなりに楽しく過ごせるケースが多いみたいで、何か、別れが力強い再出発って感じにも思えてならない。
 日本では、離婚するエネルギーがあれば、今の結婚生活を維持できるとも言われているのかな?!
 会社を辞職する時、会社側も従業員側も、お互いに納得して円満にされることが理想だが、やむなくリストラになっても、出来るだけお互いの立場が理解できる状態になっておくべきだと思う。自分の場合も、経営的なことでやむなく職員をリストラしたことがあるし(結局は、閉院してしまったが)、リストラする側の気持ちも、少しは、理解できる気がするけど。
 医局を出る時も、最低限の礼儀はしておくべきだと思う。例えば、今、ドクターが少ないので、来年の入局の時期までは頑張りますからとか、あと1年間は、ここで頑張らせて頂きますとか、いろんな仕方があると思う。
 私の尊敬する西田茂先生は、職員が都合で病院を退職する時、常に、「また、機会があったら、就職して下さい」と言われていた。その時、(病院に対して今まで不満に思っていた)職員は、その理事長の優しい言葉で、別れ際に多くの人が涙したと言う。ケンカ別れは、長く生きる上で、どう考えても、良くないと思う。それが上手に出来る様になれば、社会人としてまず合格ではないだろうか。
 ドイツ語だと、さようならを、アウフヴィーダーゼーエンと言う。フランス語だと、アラヴワールと言う。英語だって、スィーユーレイターとなる。中国語だと、ツァイチェン、韓国語だって、トマンナヨって言い方がある。全て、また会いましょうの意味だ。別れ際の「さようなら」には、再開が含まれるべきだ。
 入院している患者さんが、寂しく、不満タラタラで亡くなるのは、誠に、残念なことだと思います。
 (いつかは必ず来る)人生の最後も、今から準備をして、上手に締めくくりたいものです。




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