小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

学校の先生ならではのプリント配布テクニック4パターン+驚きの新発見!(雑談)

2016-02-04 21:51:31 | 雑談
今日のは雑談も雑談ですが。

プリントの配り方って、先生によって何パターンかに分かれることに気付きました。
(そんなしょうもないことに気付くより、もっとましな仕事をしなさいよ~)

学校の先生は子どもたちにプリントを配るのは日常茶飯事で、一日に何度もするものです。
学校では列ごとに配るのがほとんどですから、縦に並ぶ子どもの数によって、5枚ずつとか、6枚ずつとかセットでとり、先頭の子に渡します。
この作業が最初は下手でも、何度かするうちにすぐに慣れて、学校の先生たる人はみんなスイスイとプリントを配れるものです。

今日は、その「5枚ずつ」「6枚ずつ」を上手にとるための、テクニックを5つ紹介します。
(「テクニック」なんておおげさな。笑)

テクニック1「ピラピラはじき法」
これは最も初歩的…というか、古風…というか、ちょっと不器用にも見える方法です。
プリントの束を机に置き、人差し指や親指の腹で上から一枚ずつはじいて取る「あの」やりかたです。
なんか、年配の先生に多いような気が。笑
これの優れている点は、1枚ずつとるのに正確性があるように見えます。
逆に欠点は、プリントにしわがよります。
これは嫌ですね。
さらにひどいときは、滑り止めとして、そう!
人差し指とか親指の腹をなめる先生がいます。
く~ きつい!
そのプリントもらいたくない。笑

テクニック2「波打ちスライド法」
ビシッと束になっているたくさんのプリントを両手で上手に波打たせ、少しずつ左右にスライドさせていく、「あの」やりかたです。
プリントの束が斜めになり、親指で枚数を数えやすくなります。
私もこれです。
これの優れている点は、なにより「速い」
スライドさせるのも、それから5枚数えてとるのも、慣れれば高速でできます。笑
しかし、欠点としてミスがありがち。
うまくスライドさせないと、2枚重なっている部分も出てきます。

テクニック3「札束広げ法」
このネーミングどおり、銀行の人が札束を数えるときにやる「あの」やりかたです。
プリントの束の下の方を両手でもち、うまく前後にゆらして束を扇形に広げていきます。
扇形が広がるほどプリントは一枚一枚が数えやすくなります。
これは、きっと他のどのやりかたよりゴージャスに見えます。笑
札束をイメージさせるからでしょうか。
また、これはなかなか難しいので、上手にできる先生は、若干「すげ~」って目で見られます。笑

テクニック4「くるくる回転法」
って言われて、分かりますか?
これは、プリントの束を机に置いて、一番上の一枚に人差し指を置き、円を描くようにくるくると回す「あの」やりかたです。
すると、あら不思議。
プリントは一枚一枚と少しずつ回転しだし、何度もやっているといい感じに「ずれ」が生まれます。
これは、やってみると分かるのですが、微妙な楽しさがあります。
子どもたちもやりたがります。
しかし、時間もかかるし、いつもこれをしてる先生を見ると、なんかうざったく感じます。笑
一番上のプリントには爪痕もつくし。

さて、ここまでの4つは私も以前から把握していたのですが、こないだある先生がクラスでプリントを配る様子を見て、
「なに!そんな方法もあるのか!!」
と、知らなかった方法を発見しました。
それは

テクニック5「ロール法」
その先生は、プリントの束を、おもむろにロール状に巻き始めました。
ポスターをくるくると小さく巻いていくのと同じ要領です。
すると、巻き終わって細長い棒状になったときには、やはりテクニック2、3と同様に、プリントにずれが生まれていました。
その先生は、その棒状のロールのまま、ずれた一枚一枚を親指ではじき出し、数えていました。
お分かりいただけますでしょうか?
これは私、初めて見ました~
本当に、ちょっとした驚きでした。笑
この方法は自分でもやってみたことがないから、どうなんだろう?
速いのかな?
ミスが少ないのかな?
プリントが曲がるから嫌じゃないかな?

今度やってみようかな。

以上、プリント配布の5テクニックでした。
雑談でちゃちゃっと書いて終ろうと思っていましたが、書いているうちに熱が入り、意外と長文になりました。笑

私の今年の初仕事は「学校中の時計合わせ」

2016-01-07 20:23:30 | 雑談
前回の記事で、
「去年の自分に負けない」
との決意を書きましたが、そこでまず私がしたことは
「学校中の時計合わせ」
でした。

なんというか、私の中で
「負けない」=「精力的に動く」
という運動量の話になり、とにかく机に座ってパソコンに向かうのが嫌になり、何か「動く」仕事はないかと捜したところ、見つけました。
以前から、先生たちがぼやいていたんです。
「うちの学校の時計ってバラバラだよね」
「職員室の時計なんて3分ぐらいずれてるよ」
「もうそのずれになれちゃったけどね」
私も当然気づいてはいたのですが、いつしかそれはこの学校の常識みたいになってしまい、誰も修正しようとはしていませんでした。
それでも修正できればしたほうがいいのは分かっていたのですが、常設してある時計を合わせることができるのかも知らないし、それが分かったとしても、なんせ学校中の時計なんて相当な数があるのだから、それはかなりの労力になることは簡単に想像がついていました。

だから、誰も手をつけてなかったんです。

そこで、私が動きました!
「やるぞ!」
私の思い付き行動に、
「おぉ!」
と、乗ってきてくれた先生がたった1人。笑
いいんです。
1人でやるよりは、全然いい。笑

そして、2人で学校中を回り時計を触る作業が始まりました。
壁に埋め込まれているような時計や、外壁の高いところにあるような時計も、よく調べると合わせ方が分かりました。
1人は、親時計となる電波時計をもち
「10時23分まで、残り、10秒!9!8!…」
と合図を出し、もう1人は、脚立に上り、その合図を受けて時計を合わせる。
この役割分担で何台もの時計を合わせました。

学校中回ると、合計何台あったのでしょうか。
(数えておけばよかったな)
かなりの数の時計で、半日かかりました。
最後の時計を合わせ終わり、チャイムのスイッチを入れてみました。
どの時計も電波時計どおりの時刻で、チャイムもきっちりその時刻になるはず… と、息をのんでその瞬間を待ち、
「キーンコーンカーンコーン♪」
となったときは、そのとおり、ぴったりでした!
「よっしゃー!」
たった2人、感動しました。笑

こうしてスタートを切った私の2016年の仕事。
学校中の時計を合わせたことは、もちろん私の仕事のカレンダーに記録しておきます。
そして、来年1月の私に伝えます。
「がんばってるぞー」
と。

自分が教え子の結婚式に出る年になるなんて…

2016-01-04 17:14:04 | 雑談
ついに届きました。
届いてしまいました。
招待状が。
差出人は、私の教え子でした。
初任のころにもった子で、今20代の子です。

初めての経験に、とても複雑な心境です。

教え子が無事に結婚することへの喜びと
教え子が結婚するほどの年になったということは自分も相応の年をとったているということを再確認させらたことへの寂しさと
何年もたつのに私を覚えていて、しかも結婚式に招待してくれるほど慕ってくれているということへの感動と
その子の結婚式に実際どんな感じで参加していいものやらという戸惑いと

いろいろです。笑

とはいえ、やはり一番は嬉しさでいっぱいです。
教え子の結婚式に出れるなんて、教師冥利に尽きます。

きっと、その子の華やかな結婚式での姿を見ながら、常に小学6年生のころの姿を思い出しては、その成長に胸がいっぱいになることでしょう。

泣いちゃうかな。
普通に酔っぱらうかな。笑

とにかく、先生らしく情けない姿だけは見せないようにしないと。
はっきり言って、年をとった姿に自信がなくて、挙動不審になってしまいそうですが、そこは開き直って堂々といこうと思います。笑

今日も私はスコップを持って体育館裏へ行き…

2015-11-20 22:22:00 | 雑談
今日も掃除時間に私は体育館裏に穴を掘っていました。
何をしていたかというと
「鳥の死骸を埋める穴掘り}
です。
みなさんの学校にはいませんか?
校舎の窓ガラスにぶち当たって死んでしまっている、もしくは気絶している鳥たち。
私の学校だけでしょうか。
これが非常に多いんです。
緑豊かな所にある学校だからでしょうか。
かなりの頻度で出没します。

そして、以前に私が偶然にもその現場によく出くわし、処理する役目をしていたものですから、いつのまにかこの担当になってしまい。笑

鳥の死骸を見つけたら、子どもたちも先生たちも、
「先生~ またあったよ~」
と、わざわざ教えに来てくれます。笑
(わざわざ教えてくれなくてもいいのに)

もちろんその姿たるや無惨なものです。
悲しいものです。

最初のうちは目をそむけながらやっていましたが、今ではもうすっかり慣れました。笑
しかし今日のはひどかった。
だれも気づかず、何日かそのままだったのでしょう。
死骸を動かしてみると、下にうようよと気味の悪い虫たちがいっぱい…

ずいぶん冷たくなった秋風に吹かれながら、体育館裏で穴を掘り、かわいそうな鳥を埋めながら、教務主任という仕事の大変さを改めてしみじみと感じていました。

…教務主任の仕事か??笑

取っ組み合うほどのけんかを見なくなったような…

2015-09-28 19:56:15 | 雑談
休み時間に廊下を歩いていると、血相をかえた子が駆け寄ってきて
「先生!教室に来てください!」
と、私の手をひっぱって走り出しました。
そして教室にたどり着いてみると、私を読んだ原因は
「けんか」
でした。
男の子が2人、取っ組み合いのけんかをしていました。
(あらあら)
2人とも、顔は涙やら鼻水やらでもうぐしゃぐしゃで、引っ張りあった服は乱れ、口元から血も出ていました。
かなり激しくやりあったようです。
この激しいけんかに、周り子たちも圧倒されている感じで、だれも止めに入ることもできずにいました。

クラス中から、
「先生、助けて!」
の雰囲気を感じ、
「はい、そこまで~」
と、とりあえずその取っ組み合いを止めました。
そして、担任の先生が来るまで、その子たちを廊下で落ち着かせ、他の子たちは次の授業の準備をして待つように伝えました。
そうしていると、すぐに担任の先生が帰ってきて、バトンタッチ。
応急措置になぜか選ばれた私やおやくごめん。

そのクラスを後にしながら、思いました。
(そういえば、久し振り子どものけんかを見たな)
あんなに激しく取っ組み合うようなけんかを。
私が思うに、子どもたちはあんなけんかをあんまりしなくなったような気がしますが、どうでしょうか。

自分が子どものころは、自分も含めてもっとあちこちでけんかをしていたし、私が教員になってすぐのころにも、もう少しけんかを見ていたような気がします。
それがいつからかほとんど見なくなり、今回のようにたまに見かけるととても珍しいもののように見えるようになりました。

なぜだろう。
考えてみました。
子どもたちのけんかが減った原因。
1 人間関係をあきらめやすくなった。
→子どもたちは、自分の昂った思いや怒りを、言葉や行動で示すということを、諦めたり、めんどくさがったりするようになっているのでは。

2 けんかの仕方を知らない
→ 正々堂々と、同じ条件のもとバトルするのがけんかです。言葉にしろ、暴力にしろ。けんかにはけんかのルールがあります。しかし、その経験が少ない子たちは、いざそんな場面になっても、それができないのではないか。

3 怒りをぶつける方法が変わった。
→ 怒りの矛先は…
「より強いものに頼る(チクる)」
「陰湿な方法で解消する(陰口・物隠し・ネット)」

4 大人がけんかをさせなくなった
→子どものけんかを見ると、周りの大人がすぐに止めて、指導に入るようになったのではないか。

いかがでしょうか。
こんな「現代的」な子どもの、社会の特徴から、けんかが減ってきているのではないかと推察するのですが。

「私の身近なところではしょっちゅうけんかは起きてるよ!」
という方もいるかもしれませんね。
あくまで私の身近なところから感じられるもので、私の主観にすぎませんが。

もちろんけんかはいいものではありません。
けんかのない平和が一番いいのです。
が、だからこそ、特に子ども時代には、けんかも経験してみるべきものだろうと思うのです。

本気で怒り、それがどうしようもなく相手との激しいぶつかり合いになってしまい、お互い痛い目に合う。
そんな経験がまた、成長の過程として味のあるものになるんだろうと。

そして
「雨降って地固まる」
は本当に起こりうるもので、ここで築かれる絆みたいなものもあるものです。

人間と人間の、中身の濃いコミュニケーションとも言えます。

子どもにけんかを勧めるわけにはいきませんが(笑)、けんかもできる、けんかもやったことのある子たちではいてほしいと思います。