小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

クラスにドッジボール大会に出場する子が半分、しない子が半分ってとき

2017-12-03 16:54:25 | 学級生活の攻略法
もうすぐ地区のドッジボール大会が行われるのですが、その大会にうちの4年生クラスからも1チーム出場します。
これは外部の団体が主催する土日開催の大会で、出場も任意です。
クラスの参加についても全員参加というわけではなく、希望者のみでチームを編成します。
今回、ドッジボール1チーム12人編成に対して、うちのクラスは出場する子が15人、しない子がそれと同じくらいいます。
要するにクラス半々です。

これに向けては授業を使って練習するわけにはいかないので、主に休み時間で練習をしていくのですが、チームの子たちはとても熱心に練習しています。
私が「どうやりなさい」なんて指示を出す前に、自分たちで計画を立てて練習をするほど意欲的で、たぶん学校内の他のどのチームよりもがんばっているんじゃないかと思うほどです。
最近はぐっと寒くなってきたのに、それにも負けず大きな声を出しながら運動場に自分たちで線を引いて練習しています。

こんなにがんばっているので、もちろん私も一緒になって熱くなっています。
4年生ですからまだ技能的に低い部分もたくさんあるので、できる限りのことを教えています。
私は「教育課程外」のこの手の活動に慎重であろうという思いはある一方で、実際に自分がどっぷりそれに関わり出すとやっぱりテンションは上がってしまいます。笑
時には熱くなりすぎて声が大きくなりすぎるくらいです。

そして、選手の子たちが熱くなり、担任も熱くなり、ふと気が付くと、クラスが二分されていることに気付きます。
半分の子はドッジボールをしていなくて、このテンションに関わっていません。
この子たちの疎外感というか、寂しさみたいなものはきっとあるだろうと思います。
そもそもドッジボールに参加する子たちっていうのは、やっぱり根っからの元気者で、クラスの雰囲気を作る力のある子たちです。
だから参加しない子たちは、どちらかというと控え目な方で、そういう寂しさや不満があったとしても、それをアピールてきないような子たちです。
そこで、何の不満も聞こえないからと、同じ調子で行ってにドッジボールの熱を上げてばかりいては、担任として失格だと言えるでしょう。

ここから先、担任の大事な役目は、二分れたこの子たちの距離をできるだけ近づけることです。
ドッジボール組の子たちに、出ない子たちの方にも目を向けさせ、出ない子たちに、ドッジボールの熱を共有する手立てを講じてあげる。
そのための具体的な仕掛けをしていく必要があると思います。
もうすぐ大会本番ですが、勝ちに喜ぶも、負けに悔しがるも、ぜひクラスみんなで共有させたいです。
そうでなければ、たとえ勝ったとしても、そこにはクラスとしての寂しさが存在することになってしまいます。

やはり、基本に立ち返り、この手の活動には慎重さが必要です。

学級園の植え替え作業をはかどらせるのに欠かせない指示とは

2017-11-21 20:57:26 | 学級生活の攻略法
学級園の花壇の植え替えの時期ということで、ちょっとした時間を使ってクラスみんなで作業をしました。
こんなとき、子どもたちみんながきちんと働き、その作業が効率よく進むかどうかは、先生の指示にかかっています。
ここで、子どもたちへの指示の中で明確に伝えたいことは
・作業の内容
・作業の分担
・作業の場所
・作業に使う道具
・作業の工程
・作業に予測される困難と対処法
・作業が済んだ場合の次の動き
こういったことになります。
たくさんありますが、これらを端的に分かりやすく、遂行可能な形で伝えられる先生は腕のある先生ですね。
同時にこれらをどの程度明確にするかは学年の発達段階にもよると思います。
高学年になるほどすべてを指示するのではなく、自分たちで考えさせて、主体的に動かせるようにもしたいですね。

さて、ここでもう一つ。
たくさんの指示を出しますが、これらに次の一つを付け加えられるか、られないかで、作業の進み具合がぐんと変わるだろうというものがあります。
とても大切なのに、意外とこれを抜かしてしまう先生って多いように思います。
それは

作業の目的

です。
何のためにこれからの作業をするのか。
したらどんないいことがあるのか。
これが何より必須なものとなるはずです。
今回の学級園の植え替えであれば、
「花は季節に応じて咲かせるものです。私たちの花壇も季節にあったものにしましょう」
「学校に来る人たちが、花壇がきれいで気持ちがいいなって、思えるようにがんばりましょう」
「学級園がきれいにしてある学級はいい学級だとよくいいます。さあ、うちの学級はどうでしょうか」
こんな言葉が添えられたら、子どもの意欲が高まるでしょう。

こういったことなしに、
「緑化担当から指示があったから」
的な先生の都合のようなもので、子どもを動かそうとしてはいけませんね。
子どもは活動がはかどらないでしょうし、はかどっていたとしても、その根底には
「やらされてる」
意識が根付いているはずです。

うちのクラスに「ごんぎつね」がいます

2017-11-09 20:11:50 | 学級生活の攻略法
変なことに、4年生「ごんぎつね」の授業をしてから、クラスにいるやんちゃぼうずが、私にはなんだか「ごん」に見えてきました。笑
いたずら好き、悪さ好き。
同時に変に賢くて、鋭い。
洞察力はあるが、立ち振る舞いは不器用。
ぴったりです。笑

しかしそう思えるようになってから、この子を前よりも温かい目で見られるようになっている気がします。
だって「ごん」は、その悪ガキぶりの内面には強烈な「孤独」があることを、子どもたちと一緒に学んだからです。
ごんの立ち振る舞いの根拠にはすべてその孤独があるとさえ思えました。
ごんはかわいそうな存在であり、可愛げもあり、少なからず人間の誰しも共通点が感じられる存在でした。
あの物語を読みながら、いつしか「ごんを救いたい」と思うようになった子も少なくないはずです。
幼いが故に、未熟な上に、不器用にしか振る舞えないごん。
もっと小さい頃になにがあったのだろう。
きっとつらい過去を背負っているに違いない…

ごんのせいで、そんな変な感情移入がおこってしまい、クラスのやんちゃぼうずを見る目が勝手に変わってきました。

でも、本当に、この子も内面に抱えている何かがあって、だからこそやんちゃな行動をしているというのは、その通りなんだと思います。

救ってあげたいです。

この時期の子どもたちの「解放感」が危険

2017-10-25 20:46:36 | 学級生活の攻略法
学校は運動会などの秋のイベントも終わり、慌ただし雰囲気も消え去り、落ち着いた時期に入っています。
この時期は、いわば各学級の時間です。
学級で取り組みたいことにじっくり時間を使える、そして学級経営の充実を図ることができます。

クラスによっては遅れていた授業の進呈を取り戻すためにせっせとがんばるところもあり。
クラスによっては長縄の新記録を目指して団結しようとするところもあり。
クラスによってはボランティア活動を新たにスタートして、学校に貢献する姿勢をつくろうとするところもあり。
またあるクラスでは、特に新たな取り組みをするわけではないけど、先生がゆっくり子どもたちと遊んだり、一人一人と話をする機会をつくったり。
そんなところもあります。

それぞれの担任のスタンスや目標に沿って、この時期を有効に使おうとします。

ではこの時期、子どもたちの意識はどうかというと…
一種の「解放感」があるはずです。
大きなイベントが済み、それに充てていたたくさんの時間や、自分の役割がなくなり、身軽になっています。
そうなった子たちの中には、その解放感から望ましくない行動に移ってしまう子もいるものです。
遊びに夢中になって時間を守らなくなったり、注意力が散漫になって物を散らかし出したり。
時には気の緩みから思わぬ怪我人が出たり、あるいは生徒指導的な問題が発生してしまったり。
そんなことが起こりやすいのもまたこの時期の特徴です。

では、担任として心掛けたいことは何か。
その一つとして、こんな時期こそ
「一事徹底」
かなと思います。
あれやこれや問題が起き出してからそれに対処しなくてはならなくなるその以前に、一事徹底を、徹底することです。
その「一事」は、小さなことでいいと思います。
・くつのかかとをそろえる
・引き出しの中をきれいにする
・一人一役を必ずする
・朝のあいさつをしっかりやる
・宿題の漢字を丁寧に書く
何か一つ、とにかく徹底すると決めて、先生はそれをしつこいくらい子どもたちに促し、チェックします。
これは、その一事をやらなきゃいけないからするというよりは、子どもたちにある余計な「解放感」を取り除くためにやるものです。
何か一つ、やらなきゃいけないことに常に目を向けさせることで
「先生はやっぱり厳しい目で僕たちを見てる」
「○年生として、しっかりしなきゃ」
そんな意識を持たせることになります。

この意識こそが、子どもたちを解放感から学校生活の路線を踏み外すこと防ぐ何より大事なことです。

新しいドッジボールのルールを教えてあげた、その翌日に

2017-10-18 20:35:43 | 学級生活の攻略法
クラスの子たちもドッジボールが好きで、昼休みなんかにはよくやっています。
私も一緒にすることが多いのですが、そのときは一切手を抜くことなく、全力で子どもたちを当てまくります。笑

よくあることですが、ずっとやってるとマンネリ化してきたり、一部の上手な子たちだけが活躍する形になっちゃったりして、飽きが感じられるようになります。
クラスのドッジボールもそんな雰囲気が出てきたように私には見えたので、ちょっとしゃしゃり出ました。
「ちょっとストップ!」
通常のルールに一工夫加えることを教えたのです。
「ルールを変えるぞ。あのね~」
そんな感じで、いくつかのバリエーションを教えて、実際に何度かやってみました。

ボール二個のダブルドッジボール
王様ドッジボール
コートの広さに差を付ける男子対女子ドッジボール
アメリカンドッジボール

意外に子どもたちは「初めて」という子がほとんどで、新しいルールが新鮮なようでした。
私も、こんなルールのドッジボールの方が、より多くの子がボールに関われるチャンスが増えるし、好きでした。

しかし…
それを教えた次の日のドッジボール。
私が少し遅れて行ってみると…
やっぱり、相変わらず昔ながらの(通常の)ドッジボールをしていました。
ある子に
「昨日やったダブルドッジボールやんないの?」
と聞いてみると、
「あぁ、なんか、みんなこっちがいいって」
「そうなんだ…」
せっかく教えた私としてはちょっぴり寂しい感じもしました(でも、昨日は結構盛り上がってたのにな…)
って、ちょっと不思議な感じもしました。

しかしこれは、恐らく
「習慣には勝てない」
というものの象徴かなと。
この子たちは、ずーっとこのドッジボールをしてきたわけです。
この4年生になるまでずっと。
その中で、面白いも面白くないも、勝ったも負けたも、繰り返し経験してきて、それがびっちりと身についています。
そして
「ドッジボールとはこういうものだ」
と、確立されています。
それがこの子たちの習慣であり、文化なのです。

とそこに急に現れた新人(私)が、新たな文化を持ち込もうとしたわけです。
いくらそれに魅力があったとしても、これまでの文化がいとも簡単にそれに取っって変わることは、滅多にないことでしょう。
そう考えれば、この子どもたちの行動に納得がいきます。
子どもたちは純粋だから、なおさらそうなのでしょう。

もし、本当に私がドッジボールに変化を起こしたければ、さらに長い時間この子たちとノーマルなドッジボールをすることが必要でしょう。
そして子どもたちの外からでなく、内から変化を起こそうとすることでしょうね。
間違っても、先生という地位を利用して、強制的に変えていくことはなってはなりません。
これでは単なる侵略者です。