もうすぐ地区のドッジボール大会が行われるのですが、その大会にうちの4年生クラスからも1チーム出場します。
これは外部の団体が主催する土日開催の大会で、出場も任意です。
クラスの参加についても全員参加というわけではなく、希望者のみでチームを編成します。
今回、ドッジボール1チーム12人編成に対して、うちのクラスは出場する子が15人、しない子がそれと同じくらいいます。
要するにクラス半々です。
これに向けては授業を使って練習するわけにはいかないので、主に休み時間で練習をしていくのですが、チームの子たちはとても熱心に練習しています。
私が「どうやりなさい」なんて指示を出す前に、自分たちで計画を立てて練習をするほど意欲的で、たぶん学校内の他のどのチームよりもがんばっているんじゃないかと思うほどです。
最近はぐっと寒くなってきたのに、それにも負けず大きな声を出しながら運動場に自分たちで線を引いて練習しています。
こんなにがんばっているので、もちろん私も一緒になって熱くなっています。
4年生ですからまだ技能的に低い部分もたくさんあるので、できる限りのことを教えています。
私は「教育課程外」のこの手の活動に慎重であろうという思いはある一方で、実際に自分がどっぷりそれに関わり出すとやっぱりテンションは上がってしまいます。笑
時には熱くなりすぎて声が大きくなりすぎるくらいです。
そして、選手の子たちが熱くなり、担任も熱くなり、ふと気が付くと、クラスが二分されていることに気付きます。
半分の子はドッジボールをしていなくて、このテンションに関わっていません。
この子たちの疎外感というか、寂しさみたいなものはきっとあるだろうと思います。
そもそもドッジボールに参加する子たちっていうのは、やっぱり根っからの元気者で、クラスの雰囲気を作る力のある子たちです。
だから参加しない子たちは、どちらかというと控え目な方で、そういう寂しさや不満があったとしても、それをアピールてきないような子たちです。
そこで、何の不満も聞こえないからと、同じ調子で行ってにドッジボールの熱を上げてばかりいては、担任として失格だと言えるでしょう。
ここから先、担任の大事な役目は、二分れたこの子たちの距離をできるだけ近づけることです。
ドッジボール組の子たちに、出ない子たちの方にも目を向けさせ、出ない子たちに、ドッジボールの熱を共有する手立てを講じてあげる。
そのための具体的な仕掛けをしていく必要があると思います。
もうすぐ大会本番ですが、勝ちに喜ぶも、負けに悔しがるも、ぜひクラスみんなで共有させたいです。
そうでなければ、たとえ勝ったとしても、そこにはクラスとしての寂しさが存在することになってしまいます。
やはり、基本に立ち返り、この手の活動には慎重さが必要です。
これは外部の団体が主催する土日開催の大会で、出場も任意です。
クラスの参加についても全員参加というわけではなく、希望者のみでチームを編成します。
今回、ドッジボール1チーム12人編成に対して、うちのクラスは出場する子が15人、しない子がそれと同じくらいいます。
要するにクラス半々です。
これに向けては授業を使って練習するわけにはいかないので、主に休み時間で練習をしていくのですが、チームの子たちはとても熱心に練習しています。
私が「どうやりなさい」なんて指示を出す前に、自分たちで計画を立てて練習をするほど意欲的で、たぶん学校内の他のどのチームよりもがんばっているんじゃないかと思うほどです。
最近はぐっと寒くなってきたのに、それにも負けず大きな声を出しながら運動場に自分たちで線を引いて練習しています。
こんなにがんばっているので、もちろん私も一緒になって熱くなっています。
4年生ですからまだ技能的に低い部分もたくさんあるので、できる限りのことを教えています。
私は「教育課程外」のこの手の活動に慎重であろうという思いはある一方で、実際に自分がどっぷりそれに関わり出すとやっぱりテンションは上がってしまいます。笑
時には熱くなりすぎて声が大きくなりすぎるくらいです。
そして、選手の子たちが熱くなり、担任も熱くなり、ふと気が付くと、クラスが二分されていることに気付きます。
半分の子はドッジボールをしていなくて、このテンションに関わっていません。
この子たちの疎外感というか、寂しさみたいなものはきっとあるだろうと思います。
そもそもドッジボールに参加する子たちっていうのは、やっぱり根っからの元気者で、クラスの雰囲気を作る力のある子たちです。
だから参加しない子たちは、どちらかというと控え目な方で、そういう寂しさや不満があったとしても、それをアピールてきないような子たちです。
そこで、何の不満も聞こえないからと、同じ調子で行ってにドッジボールの熱を上げてばかりいては、担任として失格だと言えるでしょう。
ここから先、担任の大事な役目は、二分れたこの子たちの距離をできるだけ近づけることです。
ドッジボール組の子たちに、出ない子たちの方にも目を向けさせ、出ない子たちに、ドッジボールの熱を共有する手立てを講じてあげる。
そのための具体的な仕掛けをしていく必要があると思います。
もうすぐ大会本番ですが、勝ちに喜ぶも、負けに悔しがるも、ぜひクラスみんなで共有させたいです。
そうでなければ、たとえ勝ったとしても、そこにはクラスとしての寂しさが存在することになってしまいます。
やはり、基本に立ち返り、この手の活動には慎重さが必要です。