小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

隣のクラスの先生がカゼでお休みしたときの子どもたちの反応が

2018-02-06 07:33:47 | 学級生活の攻略法
隣のクラスの初任者先生がカゼをひいてしまい仕事をお休みしました。
社会人1年目としての苦労とこの厳しい寒さが合わさってダウンしちゃったかな?
その朝はとりあえず私が自分のクラスと平行するような形でお隣のクラスにも入りました。

いきなりの私の登場に驚く子どもたち。
「え?なんで?」
「先生交代ですか?」
そして伝えました。
「今日、きみたちの先生は体調を崩してしまい、残念ながらお休みです」

すると、子どもたちから寂しそうな顔が一斉に見えました。
いつも先生にくっついてる女の子たちも、いつもやんちゃをして先生を困らせている男の子たちも。
クラス中がシーンと落ちこんだ空気に包まれました。

私には、これがとてもうれしく思えました。
なんというか
「ちゃんと寂しい顔をした」
ことに。
こんなとき
「イェーイ」
なんて心ない声が聞こえるクラスがあることも確かです。
私は長く担任を外れている頃に、色んなクラスに代行で入っていましたのでよく知っています。
子どもたちは正直です。

隣の初任者先生は普段からよくがんばってうますが、そこは初任者ですから、うまくいかないこともあり、子どもたちをめぐる問題も当然あります。
でも、先生のお休みを寂しく思えるということは、土台はきちんとできているということです。
表面に問題はあっても、一番大事な根っこの部分はしっかりと築き上げられているクラスだということです。

このことが分かって、私としてホッとしたし、必ず復帰した初任者先生にそのことを教えてあげようと思います。

あ、来週私は2日間に渡る出張に出るんでした。
子どもたちのリアクションが恐いです… 笑

3学期最初の日に、じわっとうれしいことがありました

2018-01-15 17:16:06 | 学級生活の攻略法
3学期のスタートの日。
じわっとうれしいことがありました。

久しぶりに顔を合わせた4年生の我がクラス。
それぞれに楽しい冬休みを過ごしてきたようでした。
朝の会が始まるチャイムが鳴るよりも5分ほど早く全員が席に着いていました。
まずこれだけでもうれしいことです。
以前はこんなことできなかったのに…

(急ぐこともないだろう)と、私は朝の会の開始をそのままチャイムまで待っていました。
その間、隣の子と少し話をするところもありましたが、落ち着いた様子でじっとしている子も。
その子どもたちの様子を見て、待つ必要もない気がしてきたので、2分ほどたったところで、(何でも時間通りにやる私としては珍しいことなのですが)
「みんな準備もできてるようだし、少し早いけど始めようか」
と伝えました。

すると、その声と同時に

ガタ  ガタ

子どもたちが椅子をグッと机に引き直す姿がたくさん見られたのです。

これが私にはうれしかったのです。
細かな仕草なので、何も「すごいね~」なんてほめることではなく、じわっとうれしいことなのですが。
椅子を正すこの姿に、
・始まりを前向きに待っていたこと
・けじめがついていること
・冬休みの直後なのに気持ちは整っていること
を見るような気がしたのです。
そしてほんの一声の先生の合図へ反応の早さに、
・「教師と子ども」のいい関係が築かれていること
も感じました。
スタートからほどよい緊張感とスピード感がその一瞬で教室を包み、とても心地よかったです。
この姿から生まれた私の期待はその後も外れることなく、その心地よさを保ったまま過ごすことができました。

子どもたちの成長を感じ、クラスの成長を感じ、担任として何よりのやりがいを感じることができる、うれしい3学期のスタートを切ることができました。

教育課程会議2回目「5時間授業後給食」という私の提案の行方は

2017-12-29 22:55:41 | 学級生活の攻略法
2回目の教育課程編成会議がありました。
1回目の前回がグダグダだったことはこないだ書きましたが…
今回のスタート時に、提案する教務の先生がこう切り出しました。
「前回はろくな準備もしないまま、唐突に色んな提案をしてしまって申し訳ありませんでした」
という謝罪でした。
(あ、分かってたんだ)
とにかく「準備不足」と私は感じたのですが、当の本人もそれは分かっていたようで、少しホッとしました。
「何が足りないか」も分かってないまま突っ走られることほど迷惑なことはありませんからね。

それで、今回は前回の遅れを取り戻すような資料がいくらかは準備されていました。
提案のメリットを裏打ちする「具体的なデータ」がありました。
この準備は簡単にはできないことは私も多く経験してきましたので、今回に向けた教務の先生の努力を垣間見るような気がしました。

そして、肝心な提案の中身ですが…

そこには正直、多くの物足りなさを感じてしまいました。
本来、教育課程編成とは来年の学校の姿を描くことです。
それは創造的な作業であり、好奇心を刺激するような作業でもあります。
「もっとこんなことしたら子どもたちは喜ぶんじゃないかな!?」
「もっとこうしたら私たちは働きやすくなるはず!」
みたいなチャレンジができるチャンスの時です。
だとすれば教育課程編成とは
「わくわくするような作業」
であるはずです。
私はいつもそう思ってこの時期は仕事をしていました。

しかし、ここでの作業には
「わくわく」しません。
はっきり言って、教務の先生が明らかに数字に追われています。
時数という数字と、編成日程(締切)という数字に。
これらに追われながらの提案であることが露骨に伝わってくるので、こちらも身動きが取りにくいです。

実は前回、私なりに「わくわくする」ような提案を1つしました。
「短縮校時を工夫して放課後の時間を長く確保できないか」
という話題だったので
「40分授業にして、さらに午前中に5時間目までやるっていうのはどうですか?」
と。
この途方もない私の提案にみんな盛り上がりました。
そして今回どう処理されるのかと思っていたら、あっさり却下されていました。笑
そんな勇気は教務にも管理職にもなかったようです。

とりあえず私にとって1年目の教育課程編成は低調な感じで進みそうです。
私もこれに関しては一歩引いたところから見ておくぐらいでいようと思っています。

しまった!クラスでこの話題はまずかった!

2017-12-26 22:33:29 | 学級生活の攻略法
クリスマスなので、ふとクラスで「サンタクロース」の話題になりました。
「先生、サンタクロースって本当にいるんですか?」
「もちろんだよ」
4年生です。
純粋な質問にはストレートに答えるようにしています。
「ぼく、去年は1輪車が届いた!」
なんてプレゼントの話題に。
「うちはいつも朝起きたら枕の上に置いてあるの!」
「うちも!」
みたいな。
口々にみんな自分ちのクリスマスエピソードをしゃべりだして、クラスはヒートアップしてきました。
うるさいですが、うれしい話題です。
少しの時間ぐらいいいかなと、私もにこやかに聞いていました。
すると、やかましい声の中からふと、

「うちサンタ来ない」

という声が。
(…サンタでなく、親に買ってもらってるパターンかな?)
と思ってその子の話を聞いていましたが、どうやらそれもないようで、この子にはクリスマスにプレゼントが届くということはないのでした。

(あら。そんな家もあるのか…)
と聞いていると
「うちも来ないよ!」
と向こう側から。
「うちも最近来ない」

(えっ)
これはまずいと思いました。
この子たちにとって今の時間は苦痛以外の何でもないはず。
早くヒートアップした話題をやめさせなくては。
「はい!そこまで!おしまい!」
明らかに慌てた声で不器用に子どもたちを黙らせました。
うれしい話題に浸っていた子たちは、ちょっとしょんぼり。
始めからこの話題をクラス全体でするべきではなかったのです。
私のミスです。

担任をしていると、時折こういう場面には出くわします。
子どもの数ほど、家庭の事情はそれぞれで、そこにはデリケートなものも含まれます。
・経済的なこと
・家族構成のこと
・思想的なこと
・経歴的なこと
・家庭ごとの子育てのスタンス的なこと… など
プライベートな話をしようとすると、結構すぐにこういった話にも触れてしまうことがあるので、担任はそこに敏感である必要があります。

特に「最近は」でしょうか。
そういった先生の無神経さによる子どもの人権侵害に厳しい目が一層向けられるようになりました。
(時に大きな事件として取り上げられることもあります)
また同時に、上に挙げたようないろんなことに関する家庭ごとの差が大きくなっているようにも思います。
日本の家庭も画一的ではなくなってきたということです。
特に経済面に関しては「格差」が広がっていると言われていて、日本においてもいわゆる「貧困層」が増えていると言われています。

今回のクリスマスの話題で私も実感したような気分です。

どうすれば確実に学習道具を持ち帰らせられか

2017-12-24 10:47:41 | 学級生活の攻略法
学期末ですので、子どもたちには教室に置いている色々な学習道具を持ち帰らせなくてはいけません。
絵の具や習字道具や図工の作品や。
まとめると結構な量になるので、こまめに計画的する必要があります。
「終業式にまとめて」パターンは避けたいですね。笑

じゃあどうすれば計画的に、抜かりなく持ち帰らせることができるか。

A「各自、計画的に持ち帰りなさい」
→これだけの指示では荷物がなかなか減らないことは明らかでしょう。

B「今日は絵の具を持って帰りなさい」
→先生の方で持って帰る物と日を指定します。
でもこれでもうっかり忘れる子はいるはずです。

C「今日は絵の具を持って帰りなさい」+板書
→帰りの会のときに指示に加えて黒板にそれを書きます。
Bよりも達成率は上がりそうです。

D「これを持ち帰ります」+物を前に並べる
→各自の棚にある物を、持ち帰らせる際には教室の前に持ってきて並べます。
こうすると取り忘れる子は一目で分かるので、全員持ち帰りがかなり期待できます。

こんな感じでしょうか。
だからDほど確実でいい方法であることは間違いないのでしょうが…

でも逆に言うとDじゃないときちんと持ち帰れない子どもっていうのは、やっぱりよくないということなわけで…
荷物を確実に持ち帰らせるために必ずDをする先生はいい先生でもあるのですが、その先生もいつまでもDを変わらず繰り返していてはいけないんだろうと、思うのですが。
さらに言えば、Aしかしない先生はちょっと配慮が足りないと言わざるをえないのですが、でももしAだけで荷物を持ち帰ることができる子たちになったら、それは立派なことだし、ならば先生も子どもも将来的にはそこを目指さないといけないんだろうと。
もっと言えばAすら言わなくても持ち帰る子になれば、すごいことです。

なんというか
「先生が丁寧にするほど、子どもは育ってない」
「先生が手を抜くほど、子どもが育つ」
のような、ある種の矛盾みたいなものでしょうか。
私が自分のクラスの荷物を考えているとき、ふとそんなひねくれたことを思いついてしまいました。