幸い、私の受け持つクラスには不登校の子はなく、みんな明るく過ごせています。
こんなときふと思い出す言葉が、いつかどこかで聞いた
「何もないときに、どれだけできるか」
という言葉です。
要するに、なにか問題が起きたときにそれに対処するために動くのは当たり前。
誰だってやること。
不登校の子が出てから、その子が登校できるように必死になるのは担任として当たり前だということですね。
しかし、何のトラブルも起きていないときに、これから先にトラブルが起きないように必死になることは、誰もができるかとではないでしょう。
穏やかな日々を過ごせている私も、この視点を忘れずにいたいと思います。
きちんと登校できている、それだけでも立派なことなんだということを伝える。
現状に安心せず、満足せず、「やっぱりこのクラスにいたい」と子どもが思える手だてを常に考え、実践する。
穏やかな日々の中に、子どもが発するわずかなSOSのサインを見逃さない。
家庭との連携を密に保つために、担任の窓口はいつもオープンにしておき、情報が入ってきやすくする。
そういうことだろうと思います。
こんなときふと思い出す言葉が、いつかどこかで聞いた
「何もないときに、どれだけできるか」
という言葉です。
要するに、なにか問題が起きたときにそれに対処するために動くのは当たり前。
誰だってやること。
不登校の子が出てから、その子が登校できるように必死になるのは担任として当たり前だということですね。
しかし、何のトラブルも起きていないときに、これから先にトラブルが起きないように必死になることは、誰もができるかとではないでしょう。
穏やかな日々を過ごせている私も、この視点を忘れずにいたいと思います。
きちんと登校できている、それだけでも立派なことなんだということを伝える。
現状に安心せず、満足せず、「やっぱりこのクラスにいたい」と子どもが思える手だてを常に考え、実践する。
穏やかな日々の中に、子どもが発するわずかなSOSのサインを見逃さない。
家庭との連携を密に保つために、担任の窓口はいつもオープンにしておき、情報が入ってきやすくする。
そういうことだろうと思います。