「どこを歩こうか?ワンコ」 「どのように歩こうかワンコ」より
今日11月22日は、二十四節季の「小雪」
小雪というと、中原中也が思い浮ぶせいか「こゆき」と読んでしまいがちだが、考えてみれば、二十四節季の「大雪」を「たいせつ」と読むのだから、「小雪」を「しょうせつ」と読むのは当然のことだとは、思う。
と思うのだが、私にとっては「小雪」といえば、悲しみと交錯する「こゆき」だ。
とは云え、私にとってこの詩は、ちんまりと薄ら汚れていく自分を嫌悪したり嘆いたりするとき、浮かぶもので、小雪の舞う季節限定のものではない。
最近とんとスキーをしていない私にとっての雪というと、ワンコが一冬に何度か降る雪に はしゃぐ姿が思い出される。
寒がりで、冬はストーブと炬燵の一番良い場所を陣取っていたワンコだけれど、
雪の日だけは話は別で、
まだ誰も足跡をつけていない雪に、肉球足跡をつけながら歩くのが、ワンコは好きだったね
でもって、その時のテーマソングは、
たいして降り積もっていないのに、「降り積もる雪 雪 雪 また雪よ」だったね
「こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 みず雪 かた雪 春待つ氷雪」
正しい順番で全部歌えるか、楽しんでいたね ワンコ
これは新沼健治氏が歌う「津軽恋女」(作詞・久仁京介 作曲・大倉百人)という歌なのだけど、
歌詞にある色々な「雪」に「小雪」は含まれていないんだね ワンコ
調べてみると、気象庁の予報用語「小雪」は、
※『数時間降り続いても、1時間あたりの降水量が1mmに満たない雪のこと』なので、
日本海側や北日本では、
小雪の表現が適切でないことが多く、その場合は「雪」と表現されるそうなんだよ ワンコ
何を見ても何を聞いてもワンコを思い出し、ワンコを想わない日は一日としてないのだけれど、
それが、ただ寂しいだけではなくて、笑顔で温かい気持ちで語り合えるまでになったのは、
やはり、ワンコが天上界の住犬になって二度目の秋だからかな?
この秋は、我家にとっても色々勝負というか変化の時でもあるけれど、
そんな時にワンコから届いたお手紙については、又つづくとするね ワンコ
注、※
日本の行事・暦より http://koyomigyouji.com/24-shousetsu.html
今日11月22日は、二十四節季の「小雪」
小雪というと、中原中也が思い浮ぶせいか「こゆき」と読んでしまいがちだが、考えてみれば、二十四節季の「大雪」を「たいせつ」と読むのだから、「小雪」を「しょうせつ」と読むのは当然のことだとは、思う。
と思うのだが、私にとっては「小雪」といえば、悲しみと交錯する「こゆき」だ。
「山羊の歌」より
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
懈怠のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
懈怠のうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
とは云え、私にとってこの詩は、ちんまりと薄ら汚れていく自分を嫌悪したり嘆いたりするとき、浮かぶもので、小雪の舞う季節限定のものではない。
最近とんとスキーをしていない私にとっての雪というと、ワンコが一冬に何度か降る雪に はしゃぐ姿が思い出される。
寒がりで、冬はストーブと炬燵の一番良い場所を陣取っていたワンコだけれど、
雪の日だけは話は別で、
まだ誰も足跡をつけていない雪に、肉球足跡をつけながら歩くのが、ワンコは好きだったね
でもって、その時のテーマソングは、
たいして降り積もっていないのに、「降り積もる雪 雪 雪 また雪よ」だったね
「こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪 みず雪 かた雪 春待つ氷雪」
正しい順番で全部歌えるか、楽しんでいたね ワンコ
これは新沼健治氏が歌う「津軽恋女」(作詞・久仁京介 作曲・大倉百人)という歌なのだけど、
歌詞にある色々な「雪」に「小雪」は含まれていないんだね ワンコ
調べてみると、気象庁の予報用語「小雪」は、
※『数時間降り続いても、1時間あたりの降水量が1mmに満たない雪のこと』なので、
日本海側や北日本では、
小雪の表現が適切でないことが多く、その場合は「雪」と表現されるそうなんだよ ワンコ
何を見ても何を聞いてもワンコを思い出し、ワンコを想わない日は一日としてないのだけれど、
それが、ただ寂しいだけではなくて、笑顔で温かい気持ちで語り合えるまでになったのは、
やはり、ワンコが天上界の住犬になって二度目の秋だからかな?
この秋は、我家にとっても色々勝負というか変化の時でもあるけれど、
そんな時にワンコから届いたお手紙については、又つづくとするね ワンコ
注、※
日本の行事・暦より http://koyomigyouji.com/24-shousetsu.html