何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

2017 四方山話 その壱

2017-08-19 23:59:55 | 自然
「誰の山 どんな山」より

今日は歯医者の日だった。

このところ奥歯の治療をしているのだが、それが完治しないまま山に登るので、前回の治療日に「7~8㌔の荷物を担いで、3190㍍の山に登るが大丈夫でしょうか」と訊ねた。
すると、歯科医はおっしゃった。
「歯を食いしばる時、一般には奥歯に 力 がかかると思われがちですが、意外に重要なのが奥歯から二番目の歯です。あなたは、それが頑丈なので大丈夫です。
それから、高度3000㍍ほどならば気圧の影響も少ないでしょう。あまり知られていませんが、気圧と歯(体調)は密接な関係にあり、高度1万メートルの上空を何時間も飛んでいると、虫歯でなくとも歯がかなり痛むことがあるのですよ。」

私は山でも森林限界からが元気という質たちのせいか高度の影響を感じたことはないが、国際線での長時間の旅に「気圧と健康」という問題があるのならば「もう少し丁寧な説明がなされるべきである」と忸怩たる思いで、思い出したことがある。

皇太子妃殿下の海外ご訪問だ。
御成婚前の29年の人生のうち半分を海外で生活され、外交官として歩み始めておられた女性に、「男児を産まぬ女に、海外旅行は不要」とばかりに禁足を敷き、それにほんの少し違和感を示されると、「そんなに外国に行きたいのか」と言い放ち心の病に追い込んだ輩たち。
海外で、男児を産めぬ女性が追い詰められた実態や禁足状態について報道されると、手のひらを返すかのように、外国訪問をセッティングし始めるが(御成婚後ご病気前の10年間での海外ご訪問は弔問を含め4回、ご病気後の10年でセッティングされたものは28回)その日程は他と比較しあまりにタイトでるため、雅子妃殿下の御同行は見送られることが相次ぎ、相変わらず禁足が敷かれているのは明白である。

皇太子御夫妻の海外訪問の日程が、他と同様にゆとりあるものであれば、妃殿下が同行される可能性は高まるのではないかという思いもあるが、せめて(短期日程である海外訪問の)同行が叶わぬ理由となる御体調につき丁寧な説明がなされるべきだと感じていたのを、思い出させる、歯科医の「長時間 1万メートルを超す状態における体調不良」の話であった。

だが、そのような下々の心配をよそに、ここにきて着実に御回復されているのを感じさせて頂けるお写真を、今年も拝見できた。

昨年8月11日、第一回山の日制定記念式典にご出席のため上高地を訪問された皇太子御一家の御姿を拝見できたのは最高の思い出となっている。
四方山祭・四方山話 その壱
「山の日制定記念式典」の会場には、当然のことながら招待者しか入れないので、会場のそばに設置されたテレビ中継を見守る人も多くいた。テレビ前には多くの人だかりができており、じっくり見......
この折の御写真が、今も穂高神社奥宮に飾られている。
  


四方山祭・四方山話 その弐
「四方山祭・四方山話 その壱」より「山の日制定記念式典」に御臨席される皇太子ご夫妻に敬宮様が同行された今回のご訪問であったが、敬宮様が地方公務にご出席されるのは初めてのことだと......
敬宮様のこの日一番の笑顔を撮って下さったのは、嘉門次小屋の方だが、嘉門次小屋の有名なイワナの炉端焼きの風景は、こちらだ。

また、バスターミナルから河童橋に向かうところには、昨年の式典を記念した石碑が建立されているが、そこには皇太子御一家の御名前が記されている。

「山と共に」という言葉は、まさに皇太子御一家に重なってくる。
御夫妻で山を歩かれている御姿も印象的だが、御誕生から半年をすぎ初めての夏を迎えられた敬宮様を背負子に背負われ山を歩かれた皇太子様の御姿が、強く印象に残っているのは私だけではない。
山を歩いていると、背負子でおチビちゃんを背負っている方を見かけるが、「皇太子様が愛子様を背負われていた背負子と同じものなんですよ」と笑顔で仰る方は多い。

下山後に見た報道番組で、「今どきの若者は海が苦手だという人が多く、有名どころの海水浴場でも最盛期より客足は半減している」と伝えていたが、山にそのようなものは感じられない。
私が山を歩き始めた15~6年前と比較し、山は明らかに若返っている。

人は誰でも、目に美しいもの和やかなもの真実なものを真似 近づきたいと思うもの。

そのように感じさせるお力を、皇太子御一家はもっておられると、私は思っている。

お山の話は、まだまだ続く


誰の山 どんな山

2017-08-17 18:00:00 | 自然
昨夜遅く、山から帰ってきた。
このところ色々諸々あり、それは山へ出発する直前まで襲ってきたため「今年の山は諦めるしかないのか!?」と一時は危ぶまれたが、どうにか装備を整え山の日の夜、「いざ奥穂高へ!」と出発した。
その記録は後日写真の整理かたがた掲載していくとして、今日は帰宅し何日かぶりに新聞に目を通し、いきなり目に飛び込んできた大きな文字について書いておきたい。

「2017山の日特別企画 この山の本がすごい! 
 あなたが選ぶ次に来る新名著 ヤマケイオンライン調査 2017年4月~5月

この企画の第一位が、七つの山をめぐる連作集 「山女日記」(湊かなえ)だという。
山をめぐる7編の連作のうち唯一私が登ったことがある、槍ケ岳
平成25年8月12日登頂
♪アルプス一万尺♪で有名な子槍


この広告を見て驚き慌てて検索したところ、10位までのうちの7冊を読んでいたのだが、10位までの結果を知り、もう一度驚いている。http://www.yamakei-online.com/yk/special2/yamabook_01.php

調査が「次に来る新名著」であったからかもしれないし、それが時代の趨勢というものかもしれないが、かつて日本の山岳会が世界をリードしていた頃に世に出た山の名著とは、明らかにその傾向が異なっている。

一位の「山女日記」を紹介する新聞記事には一際目立つ大文字で「私の選択は間違っていたのですか。 真面目に懸命に生きてきた。なのに、なぜ。誰にも言えない苦い思いを抱いて、女たちは一歩一歩、頂を目指す。悩める7人の胸に去来するものはー」とあるが、それは他の本にも共通するものである。
例えば、4位の「八月の六日間」(北村薫)を紹介するアマゾンの書評には「仕事は充実しているが忙しさに心擦り減る事も多く、私生活も不調気味。そんな時に出逢った山の魅力にわたしの心は救われていき……。じんわりと心ほぐれる連作長編」とあるし、八位の「春を背負って」(笹本稜平)の書評には「美しい自然に囲まれたこの山小屋には、悩める人を再生する不思議な力があった。傑作山岳小説『還るべき場所』の作者が描く登山の魅力。」とある。
最近では数少ない本格的な山岳小説を書く笹本氏の作品のなかで一番世に受け入れられているのが、「春を背負って」だということに少なからずショックを受けているのだ。

これら三冊については過去にここでも取り上げており、それぞれの良さと 少しの 違和感を書いてもいるのだが、こうまでも「自然に癒されたい疲れ切った日本人」という内容が世にウケるのを見ると、少々不安になってくる。

このように感じるのは、私が山岳小説に出会った頃に貪るように読んだのが、’’世界初’’の冠を次々と打ち立てている登山家たちの本だったからかもしれない。
世界初のアルプス三大北壁冬期登攀者・長谷川恒男氏、同じくアルプス三大北壁女性初の登攀者の今井通子氏や、チベット・ネパール両側からの世界初のエベレス登頂者の加藤保男氏や、女性初のエベレスト登頂者の田部井道子氏、あるいは、それらの山と壁と山岳会に挑み続けた森田勝氏について書かれたものであったため、命をかけて大自然に挑み、命をかけて自己実現を図るエネルギーに満ちた世界を描いてこその山岳小説だと思い込んでいるフシが私にはある。

だから、「人生に行き詰まった人が、大自然に身をおき、自分のチッポケさを認識したうえで癒され、再生していく」的な話ばかりがウケルことに違和感を感じるのだが、実際のところ現在の山はどうなのだろうかと云えば、山が 人生に倦み疲れた人の専売特許でないことは明白だ。

今回の山でも、流行の山ガールのみならず、なかなかのイケメン若者グループも多く見受けられたし、中高生の登山グループも幾つも見かけた。
なにより背負子におチビちゃんを担ぐ強者母や、両親より遙かに健脚な小学校中学年と思しきチビッ子たちも多くいた。

そんな人々が、すれ違う度に にこやかに挨拶を交わし励まし合い登っていく’’山’’は活気に満ち溢れていた。

とは云え、私自身 年に一度北アルプスに登ることを「魂の洗濯にゆく」と言っているのだから、ヤマケイオンライン調査の結果が現実であることは、身をもって感じてはいるのである。

だが、それだけに、それでいいのか日本!?とも思うのだ。
長谷川恒男氏や田部井道子氏・今井通子氏、加藤兄弟、森田勝氏ら世界をリードしていた頃の日本は、登山界だけでなく日本の全てが、ひたむきに努力し真っ直ぐ上を目指すエネルギーに満ち溢れていたと思うのは、自分のことを棚に上げた身勝手な感想だろうか?

そんな思いを込めて、涸沢小屋に飾られていた長谷川恒男氏による写真を掲載しておきたい。


お山の話はまだまだ続く

一朝の夢、つなぐ想い

2017-08-08 18:08:08 | 自然
昨日8月7日は、立秋。

立秋の声を聞くと思い出すのが、高校の国語の授業で習った、長塚節のこの短歌だ。

『馬追虫のひげのそよろに来る秋は まなこを閉ぢて想ひ見るべし』

例年なら、米粒より心もち大きなバッタを見かけるようになるのが、ちょうどこの時期で、暑さ厳しきなかにも秋の気配を感じるものだが、今年はどうにもオカシイ。

嫌な記憶を呼び覚ますような暑さと、7月から次々と発生する台風に、バッタの’’時’’も狂ってしまったのだろうか、朝顔の花に米粒バッタを見つけたのは、7月も半ばのことだった。

米粒バッタが乗っている朝顔は、我家にとって何年ぶりかの、朝顔だ。
園芸用具入れの中で何年も置きっぱなしになっていた朝顔の種を「植えてみる」と家人が言い出したのが梅雨入りの頃。
すっかり干からびた種を一昼夜水に浸した後に植えたのだが、一日たった数時間しか咲かない花びらの儚げで繊細な様とは裏腹に、朝顔とは意外に強い花なのだろう、芽が出てからはグングン育ち、今年何年かぶりに我が家の庭でその花を咲かせてくれたのだ。

どれほど美しく咲いても一日で萎れてしまうことから、’’槿花 一朝の夢’’と云われる朝顔にふさわしい本を、読んだ。
それについては又つづく


連作 勝つ花 ショウブ

2017-06-17 13:05:15 | 自然
「菖蒲&勝負しかない」 「連作 ショウブはついている」 「連作 曇天駄作に泣いている」
「連作 ショウブあり」より

  

個人的趣味のみで「ショウブあり」とすることに良心の呵責を覚えるので?何か尤もらしい文献はないかと検索していたところ、ショウブあり!な記事を幾つか見つけたので言い訳がましく記録しておこうと思う。

をみなえし 咲く沢(佐紀澤)に生ふる 花かつみ かつても知らぬ 戀(こい)もするかも

これは万葉集にある歌で、中臣女郎が大伴家持に贈ったものだが、長らく「花かつみ」は どの花をさすのか分からない「幻の花」と云われてきたという。
と云うのも、「奥の細道」(松尾芭蕉)に下記のような記載があるからだ。

『等窮(とうきゅう)が宅を出でて五里ばかり、檜皮の宿を離れて、浅香山あり。道より近し。このあたり沼多し。かつみ刈る比もやや近うなれば、いづれの草を花がつみとはいふぞと、人々に尋ね侍れども、更に知る人なし。沼を訪ね、人に問ひ、「かつみかつみ」と尋ね歩きて、日は山の端にかかりぬ。二本松より右に切れて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。』

「かつみ、かつみ」と尋ね歩いても見つからなかった故に「幻の花」とされてきた「花かつみ」だが、近年それを杜若とする説や花菖蒲という説の他、ヒメシャガだと断定して市の花に認定している所もあるという。
だが、江戸時代に松平定信が「花かつみは、よひら」と謳っているため、花弁数が四枚の花菖蒲が現在は有力説だとされているそうだ。

また、桶狭間の合戦の際に徳川家康の生母於大の方が家康の武運長久を願い、「花かつみ」の「勝つ」という名前に思いを込め仏前に捧げたという伝説も残っていることから考えても、勝負ショウブに軍配があがると私は思っている。

やはり、ショウブあり!なのだ。

追記
ここに掲載している我が家の花菖蒲の写真では、「花かつみ=花菖蒲」とするには説得力に欠けるのは承知している。
だが、それはもしかすると花のデキではなく、私の写真の技量のせいかもしれない。
 

連作 ショウブあり

2017-06-15 23:58:55 | 自然
「菖蒲&勝負しかない」 「連作 ショウブはついている」 「連作 曇天駄作に泣いている」より

例年と比ぶれば、今年の我が家のショウブは今一つだが、それでも私のなかでは勝負はついている。
   
梅雨とは思えない青空のもとショウブあり 6/15

子供の頃に過ごした社宅の公園に、連休が過ぎた頃に咲く、花があった。
ブランコの柵の向こう側のジメッとした場所で、その花は咲き乱れていたが、シュッと伸びた細い葉がびっしり生えた群落から、頻繁に顔を出して子供たちに嫌われていたのが、蛇だった。
そして、その花びらの根元には、蛇の柄にも似た網目模様があったため、子供たちはその花の正式名称を知る前に、その花に「蛇の花」と名付けていた。
その花こそ、アヤメなのだ。

明確に苦手だとか嫌いだとかいう花を持たない私だが、アヤメだけは未だに嫌いだし、その思いは諸般の理由もあって近年特に強まっている。

いずれショウブか杜若ならば、多少は迷うが、アヤメと杜若であれば、勝負はとっくの昔に決まっている。
そんなことを思いながら毎年菖蒲湯に使っているのだが、その効果を実感できるほど勝負に強いわけではないのは、アヤメの執念深さのせいだろうか?