何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

気楽な稼業ときたもんだ

2017-09-25 23:57:55 | ニュース
このところ「ワンコと哲学と野球」について書いていたが、近々 戦後の憲政史上初となる解散が行われると発表されたので、今日は これを優先させようと思う。

とは云うものの、今更69条や7条について非限定説や実質的解散権を云々しようとは思わない。
今日のこれに憲法上の疑義が全くないか?と問われれば、「あるのだろう」と答えるが、もう何年も、いと高き処から そこそこ高き処まで皆々様が、憲法の根幹をなす精神を捻じ曲げ踏みにじっているのを見せつけられてきた私としては、もはやこれくらいの事では驚きもしない。

よって今日思い出した本も、解散そのものに言及するものではなく、その周辺事項の一番重要なこと、とでも云ったところか。
「進次郎メソッド~情熱を感染させる小泉流’’魅せる’’対話術」(向谷匡史)

話すより聞き役にまわる方が個人的には好きなのだが、「テキトーに場を取り繕っておいてくれ」と言われれば、テキトーに笑いを取りながら場を取り繕ってしまえる自分を、時に「巧言令色鮮なし仁」という言葉でもって戒めることがある。
こんな私なので、この手の本はあまり読む必要はないのだが、日本の未来を憂う楡周平氏が(どうやら)大いに期待しているらしい若き青年局長の’’舌先三寸’’ もとい、対話術のメソッドだというので、読んでいた、その本を今日、思い出している。「ミッション 崩壊」

巧みな話術で相手をコロリと信用させるには、「うどん屋の釜」だと見破られてはいけない、これが何よりも重要なのだそうだ。

『「やれ」と命令されたら、相手はカチンとくる。
 「すべきだ」と断定されたら、反発する。
 「黙って俺についてこい!」と言われたら、腹のなかでアッカンベーをする。
 これが人間だ。』(『 』「進次郎メソッド」より引用)

だから、若き青年局長は、情熱で引っ張ろうとするのではなく自分の情熱を聞き手に感染させようとするのだそうだ。
情熱というのは、対話術によっては、共感にもなれば反発にもなりうることを青年局長は熟知しているので、彼は「共に考えよう」「共に乗り越えよう」というスタンスに立ち、仲間意識を喚起し「共に手を携えて頑張ろう」と誘いかけるのだと、いう。

で、ここからが実践編

どんな いい話?も、耳を貸してもらわなければ始まらないので、まずは聞いてもらうための戦術

① 相手の心を開くため、第一声は、相手に関するポジティブな話題から入るべし、なのだそうだ
地方遊説の時その地方の方言で第一声を放ち、聴衆を喜ばせるのは青年局長の’’お約束’’になっている、そうだ。
実例その1(『 』引用)
熊本で、『こぎゃー集まってもろうて、だんだん(ありがとう)なぁ』と言ったかと思えば、
長崎で、『こげん、いっぺぇ来てくれて、ありがとう!』と言う。
夏の愛媛で、『こんなに暑いのに、ようけ集まってもろうて、本当にうれしいけん』と言えば、
冬の青森で、『こっだら寒いなか、よくおいでやんした』と言う。

こうして聴衆を喜ばせておいて、ちょっと真面目な感じで反省の弁など言ってみる。

② 自分の非を認めてからの発言は相手に刺さる、のだそうだ
実例その2(『 』引用)
『私(与党青年局長)が何故そこまで自民党、自民党というのか。良くも悪くも、この日本の戦後の歴史というのは自民党の歴史なんです。いい時代もありました。反省しないといけないことも一杯ある。確かに民主党はこの三年間で多くの課題を膨れ上がらせてしまったかもしれないけれど、問題の根本をたどっていって、多くの課題を作った政党はどこなんだといえば、それはやっぱり自民党なのです。』

実例その3
『震災の傷痕は癒えず、仕事は元通りにならず、故郷を追われた方も多くいる。原発事故が発生したとき、自民党は与党ではなかったとはいえ、原発政策を進めてきた政党として、まずは心からお詫びを申し上げます。』

どうですか。
当たり前のことを当たり前に言っているだけにもかかわらず、正直でいい人に思えてくるじゃないですか?
結局 どのような政策を訴えたいのかは分からないまま、政党名と いい感じが聴衆に印象付けられるというスンバラシイ対話術。
これで一丁上がりでやんす。

こう書いたからといえ、青年局長を軽んじているつもりも揶揄しているつもりも、毛頭ない。
こう書いたからといえ、青年局長が属する政党を云々(でんでんではない)しているつもりも、毛頭ない。

ただ、「国民と政治家のレベルは同じである」と自戒の念を込めて書いている、それだけの事である。

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