何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

れもん を捧ぐ

2019-01-07 18:00:00 | ひとりごと
今年も、少なくとも当分の間は、本を読む時間がとれない嫌な予感があるのだが、お正月 ある本を再読したのは、数年ぶりに見た紅白歌合戦のおかげである。

その歌を主題歌にしたドラマは毎週楽しみに見ていたし、毎回ドラマの最後の場面 絶妙なタイミングで挿入される♪夢ならば どれほど良かったでしょう 未だにあなたのことを夢にみる♪という歌詞にとても惹かれていたのだが、歌のタイトルは知らなかった。

それを、数年ぶりに見た紅白で聞いたことから、同じタイトルの本を手に取った。

「檸檬」(梶井基次郎)

はじめて「檸檬」を読んだ高校生の頃は、「レモン哀歌」(高村光太郎)といい、あの時代の人達は’’そんなにもレモンを想っていたのだろうか’’ と思ったものだが、「Lemon」(米津玄師)を聞く限りそれは現代も同じ・・・というより寧ろ、名だたる表現者は何故か死と隣り合わせの不安と一瞬の煌めきの象徴として’’檸檬 レモン Lemon’’ を使いたがるようだ。

梶井基次郎は結核や貧困などからくる憂鬱を抱えていたし、高村孝太郎の妻智恵子は死の床にあったし、米津玄師が主題歌を歌うドラマは非業の死をとげたご遺体を解剖する法医学者たちの話だ。

だが、檸檬 レモン Lemon は、死や絶望と隣り合わせにいながら何故か煌めきを持っている。

梶井基次郎は、『檸檬が好きだ』と書いている。
死に至る病や生活への不安を抱え街を彷徨っていた梶井は、一つ檸檬を手にすることで、『不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んで来た』と書いている。

高村孝太郎は、妻智恵子は死の床で『そんなにもあなたはレモンを待っていた』と書いている。
レモンを待っていた死の床は、かなしいけれど白くあかるく、『トパアズいろの香気』さえ立っている。
そして、あなたの遺影の前に『すずしく光るレモンを今日も置かう』と誓う。

今の人 米津玄師もLemonに’’光’’を見ている。


「Lemon」(米津)を聴き、「檸檬」(梶井)を読んだことから「檸檬 レモン Lemon」が持つ死や絶望に思いを巡らせた、が、だからと云え新年早々昏くなっていたわけでは、ない。
勿論 名だたる表現者の感性には遠く及ばないので、死に光を見出すことまではできないが、門松も半分を数えようかという年齢になったので、向かうべき其処をただ昏いところにしたくない、という思いは持っている。

今月は阪神淡路大震災から24年を迎えるし、今日は昨年の西日本七夕豪雨から半年の日でもある。
災害ばかりの平成という時代が終わるにあたり、この時代の禍に遭った人々に れもん を捧げたいと思っている。