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新しい時代へ チェスト行け!続篇

2019-07-16 20:10:00 | 
「新しい時代へ チェスト行け!」とほぼ同時に掲載したつもりだったが、掲載しそびれていたようだ。
それに気づいて読み返すと、鹿児島と宮崎の豪雨から日がたち、内容がズレている。
ボツにしようかと思ったが、「ぼーっと生きてんじゃねーよ」「チェスト行け!」と自分に喝を入れるため、恥を忍んで掲載しておく。


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見るともなしにプロ野球のヒーローインタビューを見ていると、久々に勝利投手となったらしき外国人投手が、「日本のファンに一言日本語で」と要望されたのに対し、「頑張ります」と答えていた。
このタイミングで、ほとんど日本語を介さない外国人の口からまで、「頑張る」という言葉を聞いてしまったからには、このたびの豪雨を契機に読んだ本の感想を書かずにはおれない。

その本は、先月ワンコがお勧めしてくれた本のうちの一冊だった。
このブログでも「チェスト行け」という薩摩隼人の言葉は、何度も書いてきたので(「ペンと法でチェスト行け!」 「チェスト行け!朝が来る」)、ワンコお勧めの本のタイトルを見た時には、興味をもったのだが、読み始めるなり登場した人物の名前を見て読む気が失せ、放りっぱなしになっていた。私には、登場人物のネーミングにおいて作者の意図を深読みする癖があるのだが、そのアンテナに不快にひっかかり、ワンコお勧めの本だというのに、読まないままになっていたのだ。

だが、記録的な豪雨に見舞われている鹿児島や宮崎の無事を願うのに、この本のタイトルはふさわしように思え、再度手に取って読んでみた。

「チェスト!」(登坂恵里香)

一言でいえば、小学校最後の夏に錦江湾遠泳を通じて成長する子どもたちを描いた、さわやか青春ものというもので、読み始めた瞬間ほぼ結末が予想できるというものなのだが、タイトルにもなっている「チェスト」については、なかなかに考えさせられるものがあった。

タイトルの「チェスト」は、鹿児島弁で「頑張れ」という意味で、数年前に鹿児島で開催された国民文化祭のスローガンが「チェスト行け!」だったように、鹿児島では頻繁に使われ愛されている言葉のようだ。この「チェスト」は、主人公の小6男子・隼人が通う自顕流発祥の言葉で、郷中教育や「薩摩の三つの掟」とともに、本書の根幹をなすものである。

(『 』「チェスト」より)
『敵中突破を前にした薩摩武士達の掛け声』である「チェスト行け」は、明治維新の原動力となった西郷隆盛や大久保利通など多くの偉人たちを世に送り出した郷中教育発祥の由来となるものであり、イギリスで誕生した『ボーイスカウトだって、もとをたどれば、昔、薩摩と戦争をしたイギリス人が、薩摩の郷中教育に感心してそれを真似て作ったもの』だと、本書には誇らしく記されている。

その郷中教育で徹底して仕込まれるのが、「卑怯はいかん」ということなのだという。

このような環境に育った隼人は、小6にして「薩摩の三つの掟」について深い洞察をもっている。

「薩摩の三つの掟」『負けるな、嘘を言うな、弱いものをいじめるな』
~引用始まり~
「負けるなって、誰に負けるななんだろうね?」
「誰って・・・誰かじゃなくて、たぶん、その場の状況とか、自分をとりまく環境とか。えっとつまり・・・自分?」
「『負けるな』と『勝て』は違うよな」『昔の人は『勝て』って言ってないんだ。『負けるな』なんだ。『勝て』と『負けるな』は明らかに違うよな」
「勝て」って言われると、誰か泣く人が出てもいいから、と言われているような気がする。「負けるな」は誰も泣かさないと思う。
~引用終わり~

とにかく、全編「チェスト行け」が繰り返されるのだが、「チェスト行け」を受け入れがたい人も、受け入れがたい時もある。
そんな感情を、本書は謎の転校生を通じてうまく描いている。

小学校最後の遠泳(錦江湾4,2キロ)に向け頑張ろう、という言葉に、謎の転校生は、あっさり言い返す。
『あ、いいです。頑張るの、シュミじゃないんで』

またこの転校生、「卑怯はいかん、嘘はいかん」という言葉には、理屈をもって言い返す。
『自分の身を守るために嘘をつくのは、むしろ健全なんじゃないですか?』『それを禁止するのは、管理する側に都合のいい人間を作り出すためだと思います』
『頑張るのはいいことだと下の人間に信じ込ませれば、管理する側は楽ができる。競争を煽って人と人を競わせれば、上がった利益で上の人間がトクをする。負けるなも嘘を言うなも一見美しく聞こえるけど、全部、下の人間の不平不満を封じ込めるための上の人間の策略だ。そうやって不平不満を押さえ込まれ、負けるな頑張れと煽られ、たくさんの人たちが死へと駆り立てられていったのが戦争なんじゃないんですか?
だから僕は、『負けるな』も『嘘を言うな』も信用しません。下の人間を苦しめるんだけ苦しめておいて、『弱いものをいじめるな』だなんて、本当に欺瞞以外の何ものでもないです』

だが、自顕流の先輩(中学生)も負けてはいない。
転校生の言葉に戸惑う隼人に、第二次世界大戦後伝統的な精神教育が否定されるなかで郷中教育も否定された苦い歴史を例に挙げ『本質を見ろってことだ』と教えたりする。(敵中突破を唱える自顕流だが、「刀を抜いてはならない」のが基本である事から、本質を見ることができれば、その精神が好戦的でないことは明らかだと、先輩は言いたいようだ)

とは云え、転校生でなくとも生粋の薩摩っ子でも、時に皆で元気に頑張りましょう!と声を掛け合うのに息苦しさを覚え、『人は、外から見たんじゃわかんないの!それ口出しするのはおせっかいなの!人は人、自分は自分でもう静かにしてよっ』と叫ぶことがある。

だから、いつもいつも前向きに元気に「チェスト行け!」と声援を送るべきとは思わない。
まして突然の思いがけない災害に困っておられる方々に、「頑張れ!」という言葉を安易に言うべきではないのは分かっているのだが、それでも、記録豪雨に見舞われていると聞けば、「チェスト行け!」と祈りたくなるし、お節介は厄介なことも多いが、『信頼できる誰かの鶴の一声で、「わかった」と仲間をいっぱい引き連れて駆けつけてきてくれるのが鹿児島の人達なんだ。引っ張ると、次から次に続いて出てくるサツマイモみたいだから「薩摩の芋づる」』の精神が今も続いていてほしいと思ってしまう。

天候不順な七月は続きそうだが、被害に遭われた方々が日常生活に戻られるよう心から願っている。

それでも、やはり、「チェスト行け!」

追記、
これだけ書けば、小6の夏を描いた青春ものというより禅問答のようだが、物語の最後には転校生も含め皆が協力して遠泳を成功させるし、随所にみられる洞察と現代の小6の夏らしさにいい塩梅の折り合いをつけているのが、軽妙な会話かもしれない。
なにせ、本書は冒頭『父親が屁を聞かすい家ン子供は非行に走らん」(父親がおならを聞かせる家の子供は非行に走らん)』という一文から始まるのだから。
だが、軽い会話の中に散りばめられている『地上が土砂降りでも、雲の上はいつだって快晴』(隼人の母の口癖)や、『つらいときほど、自分のことより人のこと』(隼人が大切な人から教わった言葉)は、しっかり心にとどめておきたいと思っている。

追記2
敬宮様の遠泳の作文を改めて拝読すると、遠泳後の氷砂糖のおいしさに触れられていた。
本書でも、4,2キロの遠泳の中間地点で、船の上から泳ぐ生徒に氷砂糖が支給される場面がある。
ブドウ糖補給という意味では、どんな飴でも良いはずなのに、遠泳に氷砂糖が付き物なのか、などとふと思ったりしている。