何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

菊は聞く 沈黙①

2020-06-14 23:18:50 | ひとりごと
6月9日は天皇皇后両陛下の27回目のご成婚記念日だった。
 
毎年この日にはお祝いの文を認めているが、今年はそれが叶わなかった。
緊急事態宣言が解除され、日常が戻ってきたことに伴い、又くそ忙しい日々まで戻ってきた、ということもあるが、コロナ禍の皇室という観点から、考えがまとまらなかった、ということもある。
 
芍薬 花言葉 謙遜 
そして赤い芍薬の花言葉 威厳
 
正直に書こう。
平成のように被災地を飛び回るお見舞いというスタイルは、私はあまり好きではなかった。
それは、着の身着のまま避難所にいる被災された方の、「申し訳ないけれど、それを受け入れるために、本来の救援活動が滞ることは迷惑だし、本来なら皇族方にお目にかかれるような晴れの時には、身なりも整えたいのに、避難所ではお風呂にも入れていない、そんな状態でお会いしたくないし、そんな状態をカメラに撮られたくもない」という生身の声を聞いたことがあるからかもしれない。
それとも、災害が頻発し、お見舞いが恒例化するなかで、「お見舞いをまずしなければ、その後の静養ができない」という平成の両陛下のお言葉が、「静養の前にお見舞いをしてしまおう、とお考えなほど、両陛下は被災地を思っておられる」と注釈される記事に強い違和感を覚えたからかもしれない。(雑誌記事のため、お言葉もその注釈も真偽のほどは分からないが)
 
ともかく、なかばショー化したようなお見舞いに、私が辟易としていたのは、確かなことだ。
 
だが、このコロナ禍は、全国一斉の緊急事態宣言のもと日本中が一つの問題に立ち向かうという、戦後おそらく初めての経験なので、皇室からなにがしかのお言葉があるだろう、と思っていた。
 
緊急事態宣言が発令された時、それが全国に及んだ時、何かリアクションがあるだろうと思っていた。
 
だが、緊急事態宣言のなか漏れ伝えられるのは、その礼を経て、40億を越えようかという新居に住まわれることになる皇嗣さまの、まさにその「礼」をつつがなく実施するため、皇嗣ご一家は日々習礼(予行練習)に余念がない、ということばかりだった。(追記 現在はご家族職員総出で、ゴミ袋だかポリ袋だかでお作りになったという防護服が全国に届けられている、と毎日毎日47都道府県網羅するまで報道される様相を呈している)
 
そして、両陛下からのお言葉は、何も頂けなかった。
 
5月1日 御即位から一年
さすがにこの日には、何かお言葉が頂けるだろうと思っていた。
 
だが、この時も、何もお言葉を発せれることはなかった。
 
だからといえ、長年敬愛してきた両陛下への思いが変わることはなかったが、頭の中が???で満たされたのは、正直な思いだった。
鈴蘭の花言葉 謙遜 純粋
 
コロナにかかわらず、美しく季節は、変わる。
 
つづく