コロナ禍が拡大していくなかで、比較的早い段階でリモートやフレックス制度が取り入れられたため、全国一斉休業状態の経済的損失を数字としては理解していても、実感が伴ってはいなかった。
それよりも、自宅で仕事する日々は、忙しさのため近年 おざなりになっていた夏野菜の植え付けができたり、ずっと悩みの種だった部下と直接会わずにすむことが有難かったりと(もともとは、鳥インフルやエボラでもあるまいに、この自粛はやり過ぎだと批判的だったのもかかわらず)新しい生活様式をスッカリ受け入れてさえいた。
だが、連休が終わり、そろりと仕事場(街)に戻り、世界が一変していることに驚愕した。
数字でしか理解していなかった経済の傷みと痛みが実感された。
そんな危機感を話し合っている時に、私が天皇ご一家を敬愛していることを知る同僚が云った「だから御即位から一年のお言葉がなかったのだろう。その沈黙には重い意味があるのだろう」という言葉には、驚かされた。
その同僚は、云うなれば「鬼神は敬してこれを遠ざく」というスタンスで、時に私が熱く語る皇室論を多少斜めに聞いている節があるので、おそらくコロナ禍の皇室と皇室ファンという観点に関心を持っていたのだろうが、だからこそ「沈黙にこそ意味がある」といった言葉に驚いたのだ。
あの時、「心を一つにstay homeを心掛け、コロナに打ち勝ちましょう」というお言葉を発せられることは、政府にとっては都合よく、また全国津々浦々お見舞い行脚こそ是だという皇室評論家のウケは良かっただろう。多少奇異にさえ思えるほどに、その宣言が下されるのを煽っていたマスコミと世論に沿うお言葉は、その時としては耳に馴染みやすかったかもしれない。
だが、その当時としても科学的見地からその効果を危ぶんでいた人がいた施策、ましてそのせいで、これほどの傷み痛みが出てしまう施策にお墨付きを与えるようなお言葉を、日本国民統合の象徴としての御存在が発することが適切だっただろうか。
私は何も、stay homeの効果が皆無だったと言いたいのではない。
自分と大切な人を守るために、粛々とマスクを着け自粛した我々日本人の国民性を美徳だと思うし、多々様々色々問題はあるにせよ政府も必死で対応しているのだと思っている。
だが、それに伴う様々な傷みと痛みの大きさを思う時、これは一瞬の自然災害による被害とは違う種類のものだということを思い知らされている。
ではこのコロナ禍に何も姿勢は示されなかったのか。
ここからは、一人一人のそもそもの皇室観にかかってくるかもしれない。
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菖蒲 花言葉 あなたを信じる