何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

Dogwood 祈り②

2021-03-11 14:46:02 | ニュース
東日本大震災から10年

被災地を直接お見舞いされたいと両陛下は希望されていたそうだが、このコロナ禍では、それは叶わずオンラインでのご訪問とあいなった。
それを伝えるニュースで、折々に読む絵本の作者のお名前を見つけた。

「ハナミズキのみち」(文・浅沼ミキ子 絵・黒井健)

本書は、東日本大震災で息子さんを亡くされたお母様が書かれた絵本だ。
今年は庭のスイセンがよく咲いている
我が家はそれぞれ好きなスイセンを植えているのだが、
私とワンコのスイセンは、毎年一番たくさん咲く
そんな黄色いスイセンの花言葉は、
私のもとへ帰ってきて

 
「ハナミズキのみち」後書きより
『津波で息子を失ったあと、眠れない日が続き、胸が苦しくなり、呼吸困難になることが何度かありました。
どうしても会いたくて、会いたくて、泣いてばかりいました。
そんなある日、息子の声が、私の耳にハッキリと聞こえてきたのです。
そうだ、私には後世に伝えていく大きな役割があるんだ・・・・・。
「いのちを守る木を植えたい」
亡き息子の声に教えられて、私は今日も生かされていることに感謝しました』

「ハナミズキのみち」より一部引用
『もう泣かないで。
 楽しかったことを
 思い出して
 笑っていてね。
 ぼくは、
 ここから見ているから。

 おかあさん、おねがい。
 僕が大すきだった
 ハナミズキの木を、
 たくさんたくさん
 植えてね。

 津波が来たとき、
 みんなが
 あんぜんなところへ
 逃げるめじるしに、
 ハナミズキのみちをつくってね。

 町の人たちが
 もう二度と
 津波で
 かなしむことが
 ないように、
 ぼくは
 木になったり
 花になって
 みんなを
 まもって
 いきたいんだ。
 ~略~
 とおくに海が見える
 ハナミズキのみちを、
 ぼくも
 おかあさんといっしょに
 歩いているよ。

 どこまでも
 どこまでも・・・・・。』

 
本書はワンコお告げの本だったが、ハナミズキは英語でDogwoodと呼ばれ、まさに「犬の木」でもあるし、ワンコはハナミズキの木陰で過ごすことが多かったので、息子さんの思いも、それを叶えようと立ちあがられた浅沼氏にも感動し、ハナミズキの季節や三月になると読み返してきたものだ。

先日、ワンコが見守ってくれていることを体感した私としては、お母さんの耳の届いた息子さんの思いに、胸がつまる思いがする。(幸いの源 ワンコ - 何を見ても何かを思い出す)

10年たっても大きな余震に見舞われる被災地

それどころか、新たな大地震の前兆すらあるという被災地
 
息子さんの思いが、ハナミズキの道が、人々を強く守ってくれることを心から祈っている。
 
 
<両陛下オンラインご訪問、岩手の被災者ら「目が合い、涙が出てきた」> 産経新聞3/4(木) 23:33配信より引用
東日本大震災から10年を前に4日、オンラインで実現した天皇、皇后両陛下の岩手県ご視察。懇談は約1時間40分にわたり、両陛下は画面越しでも被災者一人一人と視線を合わせ、励ましやねぎらいの言葉をかけられた。  
「本当に多くの方が亡くなったことは残念なことでした」  陸前高田市では、天皇陛下は冒頭、戸羽太市長に対して犠牲者への哀悼の言葉を述べられた。また、陛下は平成23年に同県大船渡市を訪問した際、皇后さまとともにヘリから陸前高田市の被災状況を見たことに触れ、「本当に心の痛む思いをいたしました」と当時の心境を明かされた。  
震災で長男=当時(25)=を亡くし、防災教育として子供たちへの絵本の読み聞かせや、避難路にハナミズキを植える活動をしている同市の浅沼ミキ子さん(57)に、陛下は「ご長男を亡くされたことは本当に残念でしたね」と語りかけられた。皇后さまは「後世のために動きだされたのはお強かったと思います」とねぎらわれた。浅沼さんは懇談後、「画面越しに目が合い、マスクをしていてもにっこりとほほ笑まれているのが分かった。ありがたく、涙が出てきました」と話した。  
25年のご訪問に続き、今回オンラインでの「再訪」となった釜石市。鈴木堅一さん(77)が、まだ11歳だった孫を含む家族4人を亡くしたことを話すと、皇后さまは「心が痛みますね」と寄り添われた。家族と暮らした場所にもう一度家を建設し、完成を待ちわびているという鈴木さんに、陛下は「楽しみでいらっしゃるでしょうね」といたわられた。  両陛下と懇談した同市の野田武則市長は終了後、「両陛下は釜石の復興の様子を非常に心配されていた。それにお応えできてよかった」と話した。

Dogwood 祈り①

2021-03-11 14:46:00 | ニュース

あれから10年の年月が経ったが、あれほどのことがあったのに、同じ轍を踏もうとしていることの愚かさに愕然としている。

10年前の今日 3月11日 未曽有の地震が東日本を襲った。

このコロナ禍。
何度となく被災地の方々はどのような思いで過ごされているのだろうかと思い、胸が痛んだ。
政策(時短や休校)などのため、様々な問題や弊害や困窮する事態が生じているのは分かっている。だが、それへの反応として、直ぐに金銭的救済とセットだと言い募ったり、不平不満ばかりが噴出するのを見聞きするたび、近年さまざまな大災害に見舞われた被災地の方々が、黙って耐えておられることに、胸が痛んだ。

たしか、東日本大震災のときには、これからも未曽有の災害は続く可能性はあるのだから今回だけ過剰な支援をすることは公平の観点から難しい、と言い放った国会議員もいたと記憶しているが、私がこれに驚愕したのは、公平性が求められるとして、それをこのタイミングで言うのかということ、又それに対して世論が思いのほか淡白な反応しか示さなかったことにある。

それが、このコロナ禍。
耐え難きをを耐えるには、ともかく金銭的救済がセットなのだと、言う。

被災地にも、等しく及んでいる、コロナ禍。
大切な命をうしない、住まいも仕事も失い、ようやっと一歩歩み始めたばかりの方も多いであろう被災地をも襲っているコロナ禍。

かく云う私とて、少しでも平穏に過ごされることを祈るしかない、それを恥じている。