母の実家の家紋が梅だったこともあり、梅のあの高貴な香りが好きなのだが、この十数年 梅というと少し物悲しい印象がある。
ライオン丸総理がトレードマークの髪を振り乱し、「党議拘束をかける」とまで言い成立に拘った改正案が、その本家本元の裏切りにあい頓挫した、その直後にライオン丸総理が引用したのが、小林一茶の「梅咲けど 鶯鳴けど 一人かな」だったからだ。
(参照、「春 遠からじ」)
それでなくとも梅には、少し寂しいものがある。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける 紀貫之
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ 菅原道真
だが、平成と云う時代を総括し、新しい時代に個々人が希望と覚悟を見出すのには、高貴な梅の香は相応しのかもしれない。
ある記事で、平成は戦争がなかったから平和な時代だった、とあった。
そうだろうか。
平成になるなりバブルは崩壊し、長引く不況は終身雇用制度を奪い、雇用形態を破壊し、失われた10年・20年を生み出し、その弊害はこれから益々顕在化してくると思われる。
平成になるなり雲仙で火を噴いた日本列島は、この30年、大地震、噴火、大洪水と、ありとあらゆる大災害に見舞われ、今なお復旧・復興がなされていない地域が多くある。
そのような時代背景を映すように、平成のおよそ30年の間、自殺者は年間二万人を下ることはなく、三万人を超える期間も十年続いた。
平成という時代は、たった30年の間に、自ら命を絶った人が、70万人を超えるのだ。
五木寛之氏は「大河の一滴」で、この状況を北アイルランド紛争と比較し、その異常さについて書いている。
「大河の一滴」のよると、1960年から30年にわたり続いている北アイルランド紛争での、非戦闘員・一般市民の死者の総数は5000人だという。
世界史の教科書に載り、ニュースでも大きく取り上げられる30年にもわたる紛争での死者の総数が5千人で、爆弾が飛び交うわけでも、地雷を踏んでしまう危険があるわけでもない、’’平和’’な日本に住まいながら、同じ30年という間に70万人を超える人が自ら命を絶っている。
これをどう考えればよいのか。
平成は、戦争がなかったから平和で良い時代だった、そんな単純な話だろか。
五木氏は「大河の一滴」のなかで、この状況を「心の内戦」「心の戦死者」と表現している。
そんな平成のど真ん中 平成15年、自殺者は3万5千を記録したが、その年は雅子妃殿下が長く心の病で療養される切っ掛けとなった帯状疱疹を患われた年でもある。
雅子妃殿下がお倒れになる直前、宮内庁長官が 「雅子妃殿下には用はない」とばかりに言い放った「弟ご夫婦に第三子を」を皮切りに、いと高き処とその周辺は、皇太子ご一家をバッシングの餌食にした。
幼い敬宮様にまで及んだ、お立場どころかお命まで脅かされそうな皇太子ご一家への攻撃は、それを見る者から節度と道徳心と、尊王の誠を奪っていった。
世継ぎのいない東宮には存在価値がない
男児を産めぬ皇太子妃には存在価値がない
東宮の御子であっても女児では存在価値がない
マザーテレサが「寂しい人とは、誰からも必要とされていない、と感じている人」としつつ「日本には寂しい人が多い」と話したのは有名だが、平成という時代はいと高き処からして、ある種の思惑に即さねば、存在価値を根こそぎ奪われる時代だったのだ。
こんな時代は変えなければならない。
こんな時代になってしまう思考は変えなければならない。
しかし、次の時代のそう遠くない時期に、又も経済危機や大災害に襲われると云われている。
それでも、次の時代を、平成の二の舞にしてはならない。
そう願う時、新しい元号 ’’令和’’ は、時代と個々人に希望と覚悟を示しているように思われる。
万葉集第五巻 梅花の歌三十二首
天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)きき。
時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かを)らす。加之(しかのみにあらず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕(ゆふへ)の岫(くき)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。
ここに天を蓋とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(ころものくび)を煙霞(えんか)の外に開く。淡然に自ら放(ほしきまま)にし、快然(くわいぜん)に自ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以てか情(こころ)を述べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。
新しい元号は、梅花の歌からとられたと評されるが、その序には蘭についても記されている。
覚悟を決めて、希望をもって、紺碧の先を造ろう つづく
参照、「紺碧の水脈の果て 祈り①」 「紺碧の水脈の果て 祈り②」 「紺碧の水脈の果て 祈り③」
ライオン丸総理がトレードマークの髪を振り乱し、「党議拘束をかける」とまで言い成立に拘った改正案が、その本家本元の裏切りにあい頓挫した、その直後にライオン丸総理が引用したのが、小林一茶の「梅咲けど 鶯鳴けど 一人かな」だったからだ。
(参照、「春 遠からじ」)
それでなくとも梅には、少し寂しいものがある。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける 紀貫之
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ 菅原道真
だが、平成と云う時代を総括し、新しい時代に個々人が希望と覚悟を見出すのには、高貴な梅の香は相応しのかもしれない。
高貴な香が運んできた新しい時代
令和
梅の花言葉 不屈の精神
ある記事で、平成は戦争がなかったから平和な時代だった、とあった。
そうだろうか。
平成になるなりバブルは崩壊し、長引く不況は終身雇用制度を奪い、雇用形態を破壊し、失われた10年・20年を生み出し、その弊害はこれから益々顕在化してくると思われる。
平成になるなり雲仙で火を噴いた日本列島は、この30年、大地震、噴火、大洪水と、ありとあらゆる大災害に見舞われ、今なお復旧・復興がなされていない地域が多くある。
そのような時代背景を映すように、平成のおよそ30年の間、自殺者は年間二万人を下ることはなく、三万人を超える期間も十年続いた。
平成という時代は、たった30年の間に、自ら命を絶った人が、70万人を超えるのだ。
五木寛之氏は「大河の一滴」で、この状況を北アイルランド紛争と比較し、その異常さについて書いている。
「大河の一滴」のよると、1960年から30年にわたり続いている北アイルランド紛争での、非戦闘員・一般市民の死者の総数は5000人だという。
世界史の教科書に載り、ニュースでも大きく取り上げられる30年にもわたる紛争での死者の総数が5千人で、爆弾が飛び交うわけでも、地雷を踏んでしまう危険があるわけでもない、’’平和’’な日本に住まいながら、同じ30年という間に70万人を超える人が自ら命を絶っている。
これをどう考えればよいのか。
平成は、戦争がなかったから平和で良い時代だった、そんな単純な話だろか。
五木氏は「大河の一滴」のなかで、この状況を「心の内戦」「心の戦死者」と表現している。
そんな平成のど真ん中 平成15年、自殺者は3万5千を記録したが、その年は雅子妃殿下が長く心の病で療養される切っ掛けとなった帯状疱疹を患われた年でもある。
雅子妃殿下がお倒れになる直前、宮内庁長官が 「雅子妃殿下には用はない」とばかりに言い放った「弟ご夫婦に第三子を」を皮切りに、いと高き処とその周辺は、皇太子ご一家をバッシングの餌食にした。
幼い敬宮様にまで及んだ、お立場どころかお命まで脅かされそうな皇太子ご一家への攻撃は、それを見る者から節度と道徳心と、尊王の誠を奪っていった。
世継ぎのいない東宮には存在価値がない
男児を産めぬ皇太子妃には存在価値がない
東宮の御子であっても女児では存在価値がない
マザーテレサが「寂しい人とは、誰からも必要とされていない、と感じている人」としつつ「日本には寂しい人が多い」と話したのは有名だが、平成という時代はいと高き処からして、ある種の思惑に即さねば、存在価値を根こそぎ奪われる時代だったのだ。
こんな時代は変えなければならない。
こんな時代になってしまう思考は変えなければならない。
しかし、次の時代のそう遠くない時期に、又も経済危機や大災害に襲われると云われている。
それでも、次の時代を、平成の二の舞にしてはならない。
そう願う時、新しい元号 ’’令和’’ は、時代と個々人に希望と覚悟を示しているように思われる。
万葉集第五巻 梅花の歌三十二首
天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)きき。
時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かを)らす。加之(しかのみにあらず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕(ゆふへ)の岫(くき)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。
ここに天を蓋とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(ころものくび)を煙霞(えんか)の外に開く。淡然に自ら放(ほしきまま)にし、快然(くわいぜん)に自ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以てか情(こころ)を述べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。
新しい元号は、梅花の歌からとられたと評されるが、その序には蘭についても記されている。
シンビジューム プリンセス雅子
覚悟を決めて、希望をもって、紺碧の先を造ろう つづく
参照、「紺碧の水脈の果て 祈り①」 「紺碧の水脈の果て 祈り②」 「紺碧の水脈の果て 祈り③」