【あの頃の名古屋フォーク界 その八】
ラジオから聴こえてきたこの歌。
やさしい声で京都の情景がなんとなく浮かんでくる。
題名も歌っている人もわからない。
初めて聴く歌。
ラジオに耳を傾けてじっくりと聴いてしまった覚えがある。
歌が流れ終わるとDJが言った。
「きくち寛さんで『貴船川』でした」と。
この時にきくち寛さんの名前を知った。
これは今でも覚えているが、当時発行されていたタウン誌
“名古屋プレイガイドジャーナル”で
彼が名古屋出身で地元で活躍していることを知る。
山名敏晴さんや江口晶さんと同じく、
今池にあったライブハウス「ユッカ」を拠点に活動していたらしい。
この頃の僕の情報収集はラジオと“名古屋プレイガイドジャーナル”だった。
フォークの流れも変わってきた。
四畳半フォークから抒情派フォークへ。
この先駆けだったかもしれない。
何度聴いても色あせない僕の好きな歌の一曲でもある。
前回の江口晶さんを紹介したコメント欄にブロ友さんが、
きくち寛さんのユッカについて少し書いてあった。
今池ユッカを歌った歌があると。
正直な話し、そこまで詳しくはない。
どんな歌か興味がわいたので、
きくち寛さんとフェイスブックでのつながりを持っている、
僕の友人に昨夜ラインで尋ねてみた。
今朝ラインで回答がきた。直接本人に聞いてくれたみたい。
『ホンキートークピアノ』
僕は結局一度もユッカには行ったことがない。
行ったことのある人ならこの歌を聴けば、店の雰囲気が懐かしいと思うのかもしれない。
あの頃の名古屋のフォーク界。
今池にあったライブハウス「ユッカ」は一つの拠点だった。
そしてライブ情報などは、タウン誌“名古屋プレイガイドジャーナル”だったのだろう。
貴船川 きくち寛(2018年10月26日りとるびれっじ)
ホンキートンクピアノ きくち寛
「日陰の花」がデビュー曲だと覚えています。僕がユッカに通ったのは2年間のみ。ホント毎日の様に安い酒を呑みたくっていたなー。
多くの人に出会ったけれども、やなミュージシャンもいたな・・・(自分本位で自己チュー!)。
ママさん、スタッフの皆さんは良い人だったのに。
そのやな奴(当時)と顔を合わせるのが嫌になり「ユッカ卒業」となった訳ですな・・・。
(四代目さんもご存知な方ですよ!)
「時計仕掛けのオレンジ」と言う名のロック喫茶(?)があったような・・・。
あの頃の今池は怪しさ・恐さ・も入り交じり刺激的な街だったな〜。
この【あの頃の名古屋フォーク界】の上得意様に
なっていただいたことに感謝しています。
今、こうして【あの頃の名古屋フォーク界】を書いていると
ライブハウス「ユッカ」に一度は行ってみたかったと悔やんでいます。
今後ともご愛読、よろしくお願いします。