私は20歳代のおよそ半分を「スローボート」という名のバーと関わりました。
そのお店は、札幌の繁華街にしては人通りの少ない道に面したビルの中に
ありました。
「スローボート」は村上春樹の短編小説「中国行きのスローボート」から
名づけた名前だとKママから教えていただきました。
私はそのお店を「僕のサンクチュアリ」だと勝手に名前を付けて通っていました。
お店には真鍮でできた太いパイプ(bar)がカウンター沿いに取り付けてあり、
そのbarを掴んだり、肘を掛けたりしながらお酒を飲んでいました。
barの太さがちょうどよく手持ち無沙汰を解消してくれていたんです。
おしゃべりの相手はオーナーのKママかピアニストのMさんでした。
Kママは声が大きく陽気でおしゃべりな方でした。
Mさんは年齢よりも若い顔立ちで、時々ピアノを弾いて下さいました。
若造の私はたまにKママから「出世払いだぞ。」と高価なウイスキーをご馳走に
なったり、飲み代を浮かせていただいたりしました。
大人のマナーについて教えられたのもこのお店でした。
お店の常連客はKママとMさんの人柄か、女性の方が多かった気がします。
それもバリバリのキャリアウーマンばかりでした。
札幌とニューヨークを行き来するバイヤー、某テレビ局のディレクター、小説家、
クラブのママ、某銀行員・・・
男性も一級建築士、歯科医・・・
そのようなお客さんの中で私は一番若造で普通の会社員でした。
でも皆さんは一番若い常連客なんだぞと可愛がって下さいました。
そのお店に私は父を連れて行ったことがあります。
父が北海道に遊びに来てくれたので、サンクチュアリへぜひ連れて行きたいと
前から考えていたことでした。
Mさんがプレゼントにとサン・トワ・マミーを弾いて下さいました。
barのカウンターで父とロックグラスを傾けたのはこの時が初めてでした。
つづく
そのお店は、札幌の繁華街にしては人通りの少ない道に面したビルの中に
ありました。
「スローボート」は村上春樹の短編小説「中国行きのスローボート」から
名づけた名前だとKママから教えていただきました。
私はそのお店を「僕のサンクチュアリ」だと勝手に名前を付けて通っていました。
お店には真鍮でできた太いパイプ(bar)がカウンター沿いに取り付けてあり、
そのbarを掴んだり、肘を掛けたりしながらお酒を飲んでいました。
barの太さがちょうどよく手持ち無沙汰を解消してくれていたんです。
おしゃべりの相手はオーナーのKママかピアニストのMさんでした。
Kママは声が大きく陽気でおしゃべりな方でした。
Mさんは年齢よりも若い顔立ちで、時々ピアノを弾いて下さいました。
若造の私はたまにKママから「出世払いだぞ。」と高価なウイスキーをご馳走に
なったり、飲み代を浮かせていただいたりしました。
大人のマナーについて教えられたのもこのお店でした。
お店の常連客はKママとMさんの人柄か、女性の方が多かった気がします。
それもバリバリのキャリアウーマンばかりでした。
札幌とニューヨークを行き来するバイヤー、某テレビ局のディレクター、小説家、
クラブのママ、某銀行員・・・
男性も一級建築士、歯科医・・・
そのようなお客さんの中で私は一番若造で普通の会社員でした。
でも皆さんは一番若い常連客なんだぞと可愛がって下さいました。
そのお店に私は父を連れて行ったことがあります。
父が北海道に遊びに来てくれたので、サンクチュアリへぜひ連れて行きたいと
前から考えていたことでした。
Mさんがプレゼントにとサン・トワ・マミーを弾いて下さいました。
barのカウンターで父とロックグラスを傾けたのはこの時が初めてでした。
つづく