常磐線の松戸駅から歩いても近い距離にある戸定邸を訪ねてみました。
かねてからここには一度足を運んでみたいと思っていました。
坂を上りきった先にあります。周りは住宅街です。
「戸定」とは中世に起源をもつ地名だと説明にありました。
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あたり一帯は公園になっていて緑が多いです。
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徳川慶喜の実の弟 徳川昭武(あきたけ) が建てた邸です。
後に昭武の子武定から敷地と戸定邸が松戸市に寄贈されました。
現在は国の重要文化財に指定されています。
建物は当時のもので特に窓ガラスは空気の入った空洞が入っていたり景色が
ゆがんで見えたりしてとても趣があります。もし壊れたら再現はできないそうです。
随所に紋章である「双葉葵」が使われています。
昭武はわずか13歳でフランスに渡り留学を続けました。
大政奉還の知らせを受けたのもフランスの地だったそうです。
フランス語で書かれた達筆で美しい日記が残されていました。
彼の趣味のカメラを駆使した作品が歴史館に展示されています。
徳川慶喜の姿も写っているので興味深かったです。
公園内は花の種類も多く散策するのも楽しいです。
ギンミズヒキは大きな鉢に植えられていたものです。
滅多に見られないのでどうしても写さないわけにはいきませんでした。
やぶ蚊が多いので早めに退散して戸定邸に隣接している千葉大学園芸学部の構内を
散策してみることにしました。
かねてからここには一度足を運んでみたいと思っていました。
坂を上りきった先にあります。周りは住宅街です。
「戸定」とは中世に起源をもつ地名だと説明にありました。
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あたり一帯は公園になっていて緑が多いです。
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徳川慶喜の実の弟 徳川昭武(あきたけ) が建てた邸です。
後に昭武の子武定から敷地と戸定邸が松戸市に寄贈されました。
現在は国の重要文化財に指定されています。
建物は当時のもので特に窓ガラスは空気の入った空洞が入っていたり景色が
ゆがんで見えたりしてとても趣があります。もし壊れたら再現はできないそうです。
随所に紋章である「双葉葵」が使われています。
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昭武はわずか13歳でフランスに渡り留学を続けました。
大政奉還の知らせを受けたのもフランスの地だったそうです。
フランス語で書かれた達筆で美しい日記が残されていました。
彼の趣味のカメラを駆使した作品が歴史館に展示されています。
徳川慶喜の姿も写っているので興味深かったです。
公園内は花の種類も多く散策するのも楽しいです。
ギンミズヒキは大きな鉢に植えられていたものです。
滅多に見られないのでどうしても写さないわけにはいきませんでした。
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やぶ蚊が多いので早めに退散して戸定邸に隣接している千葉大学園芸学部の構内を
散策してみることにしました。